山根佐由里

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山根 佐由里
Sayuri Yamane
引退
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県度会郡度会町
生年月日 (1990-01-24) 1990年1月24日(34歳)
身長・体重 166cm
61kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
選手経歴
国際大会
代表チーム  日本
世選/W杯 201020142016
アジア大会 20102014


山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は、三重県度会郡度会町出身の女子ソフトボール選手(投手)。元ソフトボール日本代表日本リーグ42連勝の記録保持者。

経歴[編集]

度会町立中川小学校4年生の時に地域のスポーツ少年団(現在の度会エンペラーズ)に入団。6年生の時に第15回全日本小学生大会に出場したが、1回戦で京都のホワイトビッキーズ[注 2]に敗れた[1]

2002年、度会町立度会中学校に進学。2年生の時にピッチャーを始めた[2]。同年、全国中学校大会に出場したが登板機会は無かった。

2005年、三重県立宇治山田商業高等学校に進学。高校3年生に進級する直前の3月、練習中に右膝の前十字靭帯を断裂した。手術が必要な大怪我であったが、5月にインターハイが、6月には世界ジュニア選手権が控えていたため、手術を後回しにして試合に出場し続けた。世界ジュニア選手権では銀メダルを獲得した[1]。大会終了後の8月に手術を受けた[3]

高校卒業後の2008年にレオパレス21[注 1]に入団。1年目から新人賞を受賞する活躍を見せる。しかし2シーズン目の終了後にチームが廃部となったため、2010年からトヨタ自動車に所属することになる[3]。その後、2011年から2016年にかけて日本リーグ42連勝を記録[4]。2014年には最優秀投手賞・ベストナイン賞を受賞した。

2009年には日本代表に初選出。世界選手権に3回(2010年2014年2016年)出場しており、オランダで開催された2014年大会では金メダルを獲得した[4]

2017年に現役引退。日本リーグ10年間の通算記録は、126試合登板・61勝9敗・防御率1.36[5]

引退後は、全国各地でソフトボール教室を催したり、大学の外部コーチを務めるなどの普及活動に携わっている。2021年の東京オリンピックでは、ソフトボール競技の全試合で解説を担当した[6]

選手としての特徴[編集]

コントロールと緩急が武器のピッチャーであった[6]。体感速度150km/h超えのストレートにドロップ・スライダー・チェンジアップなど多彩な変化球を織り交ぜ、投球スタイルが田中将大に似ていることから『女マー君』の異名をとった[3][7]

人物・エピソード[編集]

三重県度会町は、スポーツ好きの女子はソフトボールをするという風潮があるくらいソフトボールが盛んな地域である。3歳上の姉の影響もあり、加えて父親は地元のスポーツ少年団で監督を務めていたという環境であったため、必然的に山根も父親が監督を務めるスポーツ少年団に加わりソフトボールを始めた[2]

運動全般が苦手で[6]、守備が苦手なため中学2年生の時にピッチャーを始めた。チームが全国中学校大会に出場した際も三塁コーチをしており、中学3年生の時にようやく試合に出られるようになった[2]

2014年12月21日、スポーツ振興に貢献した功績をたたえ、地元の三重県度会町から功労表彰を受賞した[8]

2015年の日本リーグ第4節のSGホールディングス戦では、あと1人バッターを抑えれば完全試合という場面でホームランを打たれ、大記録達成が潰えた。試合は4-1で勝利した[3]

現役時代はルーティンを大切にしていた。試合前最後に必ずB'zの『イチブトゼンブ』を聴き[2]、愛用の小さなライオンのぬいぐるみを「ぽんっ」と触ってから試合に臨み、グラウンドには左足から入るなど、試合開始までの流れが事細かに定められていた[3]

尊敬する人物は上原浩治で、著書の『不変』を愛読している[2]。憧れの選手は上野由岐子[6]髙山樹里[3]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

[5]



チーム 所属リーグ














































W
H
I
P


2008 レオパレス21[注 1] 日本リーグ 14 5 3 .625 190 177 50.0 41 3 8 - 5 0 11 1.54 .232 - 0 - 9 9 1.26 0.92 新人賞
2009 レオパレス21 日本リーグ 17 4 2 .667 229 201 55.1 43 5 9 - 18 1 22 2.78 .214 - 0 - 17 15 1.90 1.10
2010 トヨタ自動車 日本リーグ 15 7 1 .875 209 183 48.1 45 4 3 - 17 6 35 5.07 .246 - 1 - 17 15 2.17 1.28
2011 トヨタ自動車 日本リーグ 14 7 1 .875 163 137 42.2 19 0 6 - 17 3 42 6.89 .139 - 1 - 3 3 0.49 0.84
2012 トヨタ自動車 日本リーグ 10 7 0 1.000 170 148 44.2 23 2 7 - 10 5 33 5.17 .155 - 0 - 8 5 0.78 0.74
2013 トヨタ自動車 日本リーグ 16 11 0 1.000 264 236 67.1 48 3 11 - 11 6 56 5.82 .203 - 0 - 13 12 1.25 0.88
2014 トヨタ自動車 日本リーグ 14 9 0 1.000 210 173 51.0 36 3 13 - 19 5 26 3.57 .208 - 1 - 7 7 0.96 1.08 B9
2015 トヨタ自動車 日本リーグ 13 5 0 1.000 167 155 43.1 28 3 2 - 8 2 34 5.49 .181 - 0 - 4 4 0.65 0.83
2016 トヨタ自動車 日本リーグ 10 6 1 .857 167 139 40.0 28 2 11 - 11 6 15 2.63 .201 - 0 - 11 9 1.58 0.98
2017 トヨタ自動車 日本リーグ 3 0 1 .000 21 16 3.1 8 4 2 - 1 2 1 2.10 .500 - 0 - 7 7 14.70 2.70
通算:10年 126 61 9 .871 1790 1565 446.0 319 29 72 - 117 36 275 4.32 .204 - 3 - 96 86 1.36 0.98
  • 太字は個人表彰

日本リーグ個人表彰[編集]

  • 2008年 - 新人賞(投手)
  • 2014年 - 最優秀投手賞(防御率0.96)、ベストナイン賞(投手)

記録[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c 現在の「Citrine Ichinomiya」。
  2. ^ 小学生女子ソフトボール界のレジェンドチーム。2019年に解散するまで、38年間で全国優勝7回・準優勝9回。

出典[編集]

外部リンク[編集]