呂号第五百潜水艦

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ペナンを出港する呂500潜

呂号第五百潜水艦[1](ろごうだいごひゃくせんすいかん)は、日本海軍潜水艦。もともとはドイツ海軍IXC 型潜水艦 U-511 である。

概要[編集]

日本で同型の潜水艦を量産し、インド洋海域でイギリスに対する通商破壊戦に使用させるためにヒトラーが帝国海軍に無償譲渡した2隻の潜水艦の内の1隻である。

戊型潜水艦はこれらを参考したという説があり、大量建造される予定であったというが、伊二百一型潜水艦波二百一型潜水艦の建造のために計画は取りやめとなった。

艦歴[編集]

要目[編集]

  • 基準排水量:1,137トン
  • 兵装:魚雷発射管6門、10.5cm砲1門、20mm機銃2挺
  • 定員:53名[3]

潜水艦長[編集]

  1. 田岡清 少佐:1943年9月16日[4] - 1943年12月3日[5]、以後1944年4月30日まで艦長の発令無し。
  2. 椎塚三夫 大尉:1944年4月30日[6] - 1944年7月5日[7]
  3. 山本寛雄 大尉:1944年7月5日[7] - 1944年9月15日[8]
  4. 山本康久 大尉:1944年9月15日[8] - 1945年11月29日[9]

脚注[編集]

  1. ^ a b 昭和18年9月16日付 達第225号ノ2。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070119700 で閲覧可能。五〇〇ではない。
  2. ^ 昭和18年9月16日付 内令第1953号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070180700 で閲覧可能。
  3. ^ 海軍定員令 昭和18年9月16日付 内令第1950号改正分 「第82表ノ3 二等潜水艦定員表 其の3」。この数字は特修兵を含まない。
  4. ^ 昭和18年9月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1218号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072093100 で閲覧可能。
  5. ^ 昭和18年12月3日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1273号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072093600 で閲覧可能。
  6. ^ 昭和19年4月30日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1445号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072097500 で閲覧可能。
  7. ^ a b 昭和19年7月10日付 海軍辞令公報 甲 (部内限) 第1531号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072099900 で閲覧可能。
  8. ^ a b 昭和19年9月19日付 秘海軍辞令公報 甲 第1597号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072100900 で閲覧可能。
  9. ^ 昭和21年2月6日付 第二復員省辞令公報 甲 第53号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072158500 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • 野村直邦(著)、回顧録、『潜艦 U511 号の運命;秘録 日独伊協同作戦』、読売新聞社、1956年
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8

関連項目[編集]