友野英俊

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友野 英俊
本名 友野 英俊
生年月日 (1971-08-09) 1971年8月9日(52歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県姫路市
血液型 A型
言語 日本語
コンビ名 桧・友野(解散)
ガリッパナ(2001年 - 2003年)
相方 桧博明(桧・友野)
山下しげのり(コンビ時代)
事務所 吉本興業
活動時期 1989年 -
過去の代表番組 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!
わらいのじかん
など
配偶者 桜庭一樹(2009年 - 2011年)
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友野 英俊(ともの ひでとし、1971年8月9日 - )は、日本の元お笑い芸人放送作家

兵庫県姫路市出身。吉本興業所属。

略歴[編集]

学生時代はとんねるずの熱心なファンだった。1989年に、東京吉本の吉本バッタモンクラブのオーディション合格によりデビューする。その後、桧博明と「桧・友野」を結成。しかしあくまでも正式なコンビではなく、友野からの提案で「コサキンWコウジみたいな感覚でやろう」という形で組まれたという。但し当時の吉本興業の公式プロフィール、舞台や出演番組ではコンビとして扱われる場合もあり、出演番組によっては「桧&友野」の表記も混在する。その後は銀座7丁目劇場を拠点に活動。

一時期、銀座7丁目劇場限定でなかよし、ウルグアイパラグアイ(後のじゃぴょん)、チープスープ[1]と共に「平成友野ジュース」というユニットとしても活動してた。そのユニットライブに、当時吉本に在籍してたダブルモッシュ(現:Hi-Hi)の岩崎一則も複数回ゲスト出演してる。

2001年、元ジャリズム山下しげのりと、ガリッパナを結成するが、2003年に解散した。

2007年コミックヨシモト創刊の際に、漫画家のアシスタントとして派遣された。

2009年小説家桜庭一樹と結婚したが、2014年2011年の末に既に離婚していたことを発表した[2]

2018年1月に北海道中標津町に移住。その後は北海道を活動拠点に、東京を行き来しつつ同町在住で札幌吉本FMなかしべつ放送の企画の持ち込み、吉本主催のライブイベントなど放送作家として活動していた[3]

その後はFIGHTING TV サムライの番組の構成や、吉本主催のライブ企画、全日本プロレスDDTプロレスリング等のイベントの構成を中心に担当してる。

人物[編集]

  • 芸人としての原点は、中学1年時に『4時ですよーだ』の素人オーディションコーナーに出演し、尊敬していたダウンタウンの楽屋に入り込んで挨拶をしに行ったことをきっかけにたびたび劇場の楽屋に侵入してゆく関係となったこと。その後お笑い芸人を目指し東京へ行こうとするが、新大阪駅新幹線に乗り遅れ途方に暮れているところに偶然浜田雅功と遭遇、その場で浜田から強烈な上下関係を叩きこまれた事から先輩恐怖症となり、その後の活動を萎縮してしまう。しかしデビュー後はダウンタウンファミリーに加わり、松本人志派に移行する。
  • 上記のダウンタウンも含め、憧れの著名人には全く臆さず面会に行く性格である。これまでに西部邁石原慎太郎立川談志野末陳平などに突撃した。畑正憲もその中の一人で、直接ムツゴロウ王国に電話して3週間ほど滞在したことがあり、後の北海道移住につながっている。
  • デビューのきっかけとなったのは「野沢直子の弟分オーディション」であり、以来野沢直子には公私ともに世話になっているという。
  • 今田耕司山下しげのりと共にパンクラス道場P's LABに通っていた事がある。
  • 関西出身だが大阪のお笑いを一切通過しておらず、吉本新喜劇も実際に仕事で携わるまで見たことがなかった。
  • 本格的に放送作家に転身するまで、『踊る!さんま御殿!!』の前説を10年以上続けていたことを加藤浩次にラジオで明かされる。かつて番組の総合演出を務めていた菅賢治の著書でも友野の才能に一目置いている。

主な出演番組[編集]

テレビ

映画

CM

担当番組[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]