ミソジニー
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ミソジニー (Misogyny) とは女性や女らしさに対する蔑視や偏見、憎しみを指す語である。女性嫌悪。ギリシア語のmisos「憎しみ」gyne「女性」から由来し、ミソジニーの傾向がある男性をミソジニストと呼ぶ。なお、対照的に「男性嫌悪」を意味する語として「ミサンドリー(Misandry)」という語も用いられている。
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[編集] 概要
イギリス文学研究者のイヴ・セジウィックは、同性愛に対する恐怖感・嫌悪感 ホモフォビア (Homophobia) と必然的な関係があるとした。ミソジニーという概念自体が主観的・内面的な感情や価値観を問題にしているため、ミソジニーの範囲を明確にすることは難しい。
[編集] 男性側のミソジニー
男性側のミソジニーの例として、女性に対する性的暴力やセクシャルハラスメント、経済的差別などに加え、広告や映画、文学テクストなどにおける女性を貶める表現、などが挙げられる。
たとえば、現代日本の男性向けの文学・漫画作品では、仕事能力を持つ女性は「生意気」「冷酷」などのマイナスの性質をともなって描かれ、また最終的に男性の助けに組み伏すという図式が好まれる。ポルノグラフィにおいても自分より格上の女性はマイナスの性質をともなって描かれ、最終的に性的に男性に組み伏されるという描写が好まれる。 また、殊に映像作品において、現実を越えた女性の醜さが誇張して繰り返し描かれ、反面女性特有の優しさは故意にそぎ落とされて描かれることが流行しており、結果的にマス・メディアによるミソジニーの再生産が日々行われる状況にある。
[編集] 女性側のミソジニー
一方、女性側においてミソジニーは、女性の体に対する羞恥心、拒食症などの摂食障害、性的機能不全、鬱病、女性であることに起因する劣等感や無価値感といった感情の形をとって表れるとされる。
女性から女性に対するミソジニーとして、しばしば働く女性と専業主婦論争や、女医と女性看護師、事務職の女性が総合職女性などに対して「肩肘張って仕事をしている」などと陰口を叩いているということが挙げられるが[1]、それらは女性の持つ「自分と異なるもの」に対する距離感・疎外感などであり、「女性性」そのものに対する嫌悪感「ミソジニー」とは異なるとも考えられる。 また、女性を二種類に分けて双方がお互いを憎しみあっているという図式を想定することそれ自体が、男性のもつミソジニー「女は心が劣っているはずだ」「女はどうせお互い嫉みあってばかりいるのだ」等の感覚の顕れであるという見方もできる。
[編集] 社会におけるミソジニー
また、広く父権制的な社会においては、その社会構造に所以する必然的なミソジニーが見られる。また、その社会構造を補強するための論理としてのミソジニーも考案される。キリスト教やイスラム教のような父権制的な宗教では、大地信仰を行うような母権制的社会における宗教のテクストに比べ明らかなミソジニーが見られる。こうした宗教社会では、女性はネガティヴな要素の象徴として、あるいはその元凶として描かれることが多く、こうした記述はミソジニーの表れであると評価される。
現代日本では、30代以上の独身者のうち、女性のみを「負け犬」などと呼称するのもその典型例といえよう。
[編集] ミソジニーと大衆文化
[編集] 音楽
しばしばクール―ホットであることが重視される若者の音楽文化において、とりわけヒップホップなどの分野が、激しいホモフォビアの傾向とともにこの傾向を強く帯びる。攻撃的なスラングをもって女性を嘲り罵る一方で、当の女性達からの熱い支持を受けもする。近年ではエミネムなどが殊に名高く、係る活動体などからの批判を延々と受ける事態となっている。[2]


