男らしさ

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男らしさ(おとこらしさ)とは、これが男性の特性(あるいは特徴・要件等)である、と特定の話者や特定の集団が想定している観念群のことである。「女らしさ」という観念に対置されるもの。

概説[編集]

「男らしさ」とは、文化圏、地域、宗教の教派、歴史、時代、世代、家庭環境、個人の嗜好などの影響を受けつつ形成され、多様である。同一地域、同一文化圏でも、時代とともに変化してゆくことは多い。

例えば、日本では「男は度胸、女は愛嬌」というが、これは男性は度胸があるほうが男らしくて魅力的だ、つまり、「男性というのは勇気や決断力があるべきだ」(あるほうが男として魅力的だ)、という考え方である。

「男らしさ」や「女らしさ」という概念は、ジェンダー(生まれつきの性によって人が社会の中でどのようなあり方をしているか)という名称で括られて研究されている。[1]

一概には言えないが、要素ごとに、文化的に醸成されたものである、とする見解や、生物学的差異に由来するもの、とする見解がある。例としては、前者を指摘する場合は、(しつけ)や社会環境(前述の文化・地域・宗教・歴史・家庭環境 等)による人格形成への影響などを指摘する見解がある。後者を指摘する場合は、ホルモンの違い、(その結果として生じる)脳の性差などで性格・性向が規定されている可能性を指摘する見解がある。文化人類学者などは文化的な面に比重を置いて言及し、生物学者などは生物学的な面に焦点を当てて他の面を見落としてしまうことが多い。いずれにせよ、全ての要素を一般化して説明することは困難である。 [2]

現在では、先進諸国では、男らしさ・女らしさよりも、人間らしさや個性が評価される流れがある。一方現代でも、男らしい事が男性の魅力と感じる人も男女を問わず存在する。

なお、コミュニケーションのしかたについては、Deborah TannenやJulia T. Woodらによって、男女差(「男らしさ」(「男のやりかた」)「女らしさ」(「女のやりかた」)があることが指摘されている。それが相互不理解、相互誤解のもとにもなっているという。詳しくは 「コミュニケーション#コミュニケーションの男女差」を参照のこと。

歴史[編集]

産業革命期から第二次世界大戦後における男らしさとは、「男は弱音を吐かない、泣かない、女を守る」といったものから、男性を一方的に仕事や戦争に出すものまで様々な事例が存在し、その代償として男性優位(男性だけが大学などに進学できたり、社会の重要な職業に就くことが出来るなど)を得るものが多かった。

フェミニズム・保守層[編集]

1970年代以降のフェミニズムは「男らしさ」批判を展開し、さらに保守層からは反論がおこった。こうした男らしさをめぐる論争は現在進行形で続いている。

フェミニズムやジェンダー論においては「男らしさ」「女らしさ」の具備を個々人に求める事が性差別を助長しているとする。それまでの男性優位の社会構造を改め、雇用や賃金の平等化など、両性平等の原則にのっとった社会政策が実施された。これによって女子の大学進学率などが向上したが、いっぽうで過渡的措置として女子優遇政策をとる場合があり、それも保守層の批判の的となった。しかしながらこの傾向は現在でも続いている。

保守層からの批判とは、フェミニズム政策や「らしさ」の消失によって、少年達に様々な問題が露出しはじめ、少年達は真面目に勉学に励むという事をしなくなり、北欧アメリカで男子生徒の成績は急激に低下したとするものである(→ガールパワー)。様々な科目で少女達に遅れをとり、大学進学率も低下したと主張し、イギリスはこの男子の学業不振を社会問題として捉え、男らしさに基づいた教育制度が実施される事になった。アメリカでも同様に少年犯罪や学業低下を問題視し、「真に男らしい男とは責任感と弱者をいたわるジェントルマン精神を持つ男である」として男らしさを復活させようという運動がある。

「男らしさ」の具体例[編集]

地域によって様々な違いがある。男性の精神的特徴(論理的、理知的、リーダーシップ)をとらえて規定するものもあり、肉体的特徴(筋肉質、高身長、強さ)をとらえて規定するものもある[3]

西欧諸国全般[編集]

イギリス[編集]

イギリスでは古くは騎士道にのっとった生き方が男らしい、と思われていた。その後、紳士的(ジェントルマン)であることが最大の男らしさと考えられていた。紳士道からレディーファーストの理念も発達し、ただ力を誇示するだけでなく、女性を尊重してこそ誠に男らしいとされる文化が発達した。

フランス[編集]

数十年前までは、女性のためにうやうやしくドアなどを開けてあげるなど、女性に対してやたらと優しいのが男らしいと思われていた。その後、ウーマンリブ運動が起き女性の側からの権利主張が多くなり女性が権利を獲得するにつれ、多くのフランス人男性たちは女性を特別扱いするのを馬鹿馬鹿しく感じるようになり、女性のためにドアをあける男性は激減し、現在ではほとんど存在しない。フランスでは早い段階で、男性らしさや女性らしさより、個性や人間らしさが評価されるようになった。

中東[編集]

イスラム諸国ユダヤ人の間ではを生やす事が男らしいと考えられている。

フィリピン[編集]

フィリピンでは、男は仕事をしないで日中からのんきに遊んで、妻に働かせて、妻からおこづかいを貰うものだとされ、それが男らしい、いかにも男だ、とされる。東南アジアの多くの国では、女性が勤勉な一方で、男性はあまり積極的に働かない傾向があり、南米東アフリカなどにも同様な傾向は見られる。

韓国[編集]

韓国では、男性が女性を常にリードすることを求める傾向が強い。徴兵制があるため、「軍隊に入って 国を守ること」が男らしさの価値観につながっている[4]。また、高学歴が重視される。

日本[編集]

戦国時代の武士に生まれたものの間では

  • 武士道にのっとった生き方をすること
  • 自分の生物的な生命よりも、名誉を重んじること。名誉のためなら命を捨てること。
  • 潔さ
  • 倹約節約する。無駄使いをしない。金銭に拘泥しないこと

幕末、明治時代

  • 自分ひとりの身のことより、天下国家のことを考えること。

第二次世界大戦前から戦後しばらくの間などは、例えば、以下のようなもの。

  • リーダーシップ、判断力、決断力
  • 落ち着いていること
  • いさぎよさ
  • 我慢強さ
  • 無口
  • 不言実行。(父親たちは「背中で語っていたものだった」などという)
  • 感情表現を抑えること。特に悲しみの感情の表出(泣くこと)や喜びの感情の表出は抑えるのがよしとされた。

第二次世界大戦後、高度成長期など

  • リーダーシップ、判断力、決断力、落ち着いていること[注 3]
  • 有言実行
  • 主体性。転じて、たとえ女性の配偶者に十分な財産・収入があっても、男性が「養われる」のは男らしくないとする偏見がある。ヒモという蔑称は男性に対してだけある。主夫に対する無理解も多い。
  • (労働者の家庭では)汗をかいて体を動かすこと
  • (父親が学者の家庭などでは)学問や形而上の世界に意識が向いていて、もっぱら頭脳を使い、論理や理屈を優先する理知的な人柄で、あまり身体を動かさないこと、汗をかかないこと。(かわりに、もっぱら女性のほうが身体を使った活動を行い、そちらが「女らしい」)

以上の「男らしさ」は、男性から見た男性の理想像的要素が強いが、現代の日本の社会では、女性の権利・発言力が増したので、女性、以下のように女性の視点で見た都合の良い男性像、もしばしば語られるようになった。 [例 1]

「男らしい人が好み」と言う女性に「具体的にはどんな人ですか?」と質問すると、千差万別な答えが返ってくることがSPA!などの記事に取り上げられている。そのため日本においては男らしさのイメージも千差万別であり、万人が認めるような男らしさの概念が確立されているわけではないと考えられる。

否定的

否定的な意味では、日本では次のようなことが(悪い意味で)「男っぽい」とか「男らしい」とされてきた。

  • 「鈍感(どんかん)」「ニブい」[5]
  • 「喧嘩早い」「暴力的」[6]
  • (男児・男子生徒など、特に男同士でいる時など)自分が勇猛であると見せようとして、(無駄に)危険・無謀なことをする。(結果として、怪我が多かったり事故死する確率が女児より高い。)


現実を見た上での評価
  • 決断力が無い。度胸が無い。[注 4]

男らしさへの批判[編集]

フェミニズム[編集]

フェミニストは男らしさ、女らしさを後天的に作られた男尊女卑的な性役割、「男らしさ」なるものは男性が強者としての立場から女性や弱者に一方的な「優しさ」を押し付けるパターナリズムとして否定し「らしさからの解放」を掲げている。

教育界[編集]

教育界においても「性差で役割を固定するのは良くない、個性をつぶしてしまう」といわれ、現在の教育では画一的な男らしさは殆ど否定されつつある。代わりにジェンダーフリーが導入されているところがある。大学などの教育の場でも、「そもそも、男らしさ・女らしさ、とはいったい何なのか?」ということを考えさせる授業や講義がある。ただ、人によっては、男らしさ・女らしさはあってもいいではないか、という意見もある。 性同一性障害の児童・生徒に対する教育上の配慮等も課題である。

男性による批判[編集]

男らしさは男性の負担になるとして、男性自ら排除しようとする人々も数多く存在する。また、近年「女らしさ」の要求はタブー視されてきているのに、「男らしさ」への要求は今なお当然とする向きが残っていることに反発する意見も多い。

脚注[編集]

  1. ^ 女性の視点で言えば「頼りがい」ということになるかも知れない。これはすでに「頼る」という女性側の典型的な行動・観点をフィルターとして解釈していることになる。
  2. ^ これは感情を感じないこと、というわけではない。心の内側をいちいちさらけ出すこと(つまり "手の内をさらけだすこと")は組織において、人々の上に立ち指揮する上で非常に不利になるので、その結果、自然と男性はこうした行動様式になる、と指摘する学者もいる。
  3. ^ 表裏の関係で、女性は「オロオロするばかり」とか「判断力が無い」などとされた。
  4. ^ 「男は度胸、女は愛嬌」と言う割には、現実の男性というのは、日々現場で活動するうちに、その複雑さに思い悩んでいることが多く、ものごとを決めあぐねていることが多く、その点、その話を聞いた妻などは(傍目八目、おかめはちもく)ということもあって、かえって思い切りよく、パッと決断できることも多いので。(だが、女性も仕事の現場に長くいると、その複雑さに悩まされ、決断できなくなることも多い)
  1. ^
    • (主に女性から見て)「(自分に対して、あくまで自分に対して)優しいこと」
    • (主に女性から見て)「(自分に対して)気前がいい」こと。(これは従来の男らしさの観念と対立する。武士などでは、基本的に(有事に備えて)倹約家で無駄遣いをしない人が多かったので、お金をパッパッと出してしまうのは愚かで、欠点で、男らしくない。例えば、黒田官兵衛を生んだ、黒田家などでも倹約を美徳としていた。(黒田家は「武士の中の武士」とも言われる)。黒田家でも、徳川家でも、基本的には倹約家が武士らしく、男らしいのである。)(なお、女性は、夫が男性後輩などに対して「気前がいい」のは評価したがらない。)
    • (主に女性から見て、自分のところに)金を持ってくること(女性が言うところの"経済力" )(allabout)(これは武士道の観点”金銭に拘泥しないこと ”からすれば全然男らしくないので、違和感を覚える日本人もいる)。
    • 「勤勉なこと、仕事がよくできること」(東南アジアや中南米では女に働かせて男は遊んでいるのが男らしいとされるので、全く逆である)。
     (もともと、日本人の大半を占めていた農家でも、あるいは他のきちんと仕事をしている家でも、男・女ともに良く働くことが当然で、働き者であることが良い女性の条件、とされていたのである。日本人の大半を占めていた農家では、良く働くことは、「男らしさ」ではなく、「女らしさ」でもあり、「人間らしさ」なのである。が、昭和期の日本で産業構造が変化する中で、そういう日本の(良き)伝統を失念してしまって、男性にばかり家の外に出て働くことをおしつけ、女性が家の中で大したこともせずダラダラと過ごしていても、それがおかしいとも感じないような観念構造が生まれた。こうした観念は、通時的に見ても、地域的に見ても、あまり一般的とは言えない。 安倍内閣総理大臣の2012年12月16日からの政権では (そうした(昭和期の)悪観念・悪習慣を是正し)、女性にも当然しっかり働いてもらおうという、しっかりした労働を当然荷ってもらおう、ということで「女性が輝く日本へ」と銘打って、三本の矢の政策の一部として実施しつつある。)
    • (女性から見て、夫が)「家事育児などを手伝うこと。」
出典
  1. ^ 今から数百年前は、肉体的な性別と、男としてのありかたを区別できず同一視するような論調が世に溢れていたが、近年のジェンダー研究によって(相対的に)文化的な影響もあるとされるようになってきている。
    今でも、かつてと同じように単純に生物学的差異(例えば脳の性差ホルモンの違いなどの性格の傾向への影響)を強調(あるいは混同)する人もいる。
    無論、人間のありかたについては、文化的要素/生物的要素、その他様々な要素が、それぞれそれなりに影響を与え絡みあっているので、それらの影響の相対的な割合については、様々な学者から様々な指摘がなされている。
  2. ^ (? どの"男らしさ"? どの要素??) [誰?]「それぞれの「男らしさ」の平均を取れば、普遍性のある枠内に従っており、精神的、肉体的側面における、支配、積極性、力強さの強調などは、普遍的だ[要出典]
  3. ^ 『「男らしさ」の人類学』 デイヴィッド ギルモア (著)
  4. ^ http://www.bunshun.co.jp/jicho/ainogensou/ainogensou02.htm
  5. ^ 「女性らしさ」を「細やか」とする時に、対比的に生まれる観念。
  6. ^ 「女性らしさ」を「平和を好む」とする時に、対比的に生まれる観念。

関連項目[編集]

関連文献[編集]