マリア・パヴロヴナ (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃)

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マリア・パヴロヴナ(ウラジーミル・ボロヴィコフスキー画)

マリア・パヴロヴナ(Maria Pavlovna / Мария Павловна, 1786年2月16日 - 1859年6月23日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒの妃。ロシア皇帝パーヴェル1世の三女、母は皇后マリア・フョードロヴナロシア大公女

生涯[編集]

サンクトペテルブルクで生まれ、パヴロフスクで育った。幼い頃に種痘を受け、軽度の天然痘を発症したため容姿を損ない、可愛らしい少女ではないと思われていた。祖母エカチェリーナ2世は、マリアのピアノの才能を認めながらも、マリアが男の子に生まれれば良かったと言っていた。マリアの音楽教師はイタリアの作曲家ジュゼッペ・サルティだった。1804年、マリアはザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと結婚し、ヴァイマルへ移る前にサンクトペテルブルクで9か月暮らした。

マリアは芸術と同じくらい科学に興味をもち、どちらかといえば文化的に後進国だとみられていたザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国に、豊かな文化財産をもたらした。マリアは生涯を通じてヴァシーリー・ジュコーフスキーと文通し、フリードリヒ・フォン・シラーは彼女に遺作となった詩を捧げている。彼女はイェーナ大学に10の学科をもうけ、アレクサンダー・フォン・フンボルトを招聘した。晩年にはフランツ・リストを宮廷に招いており、1850年8月にはリスト指揮でリヒャルト・ワーグナーの『ローエングリン』の初演がヴァイマルで行われた。1853年にカール・フリードリヒと死別すると、公的な場から退いた。ロシア訪問は、1855年の甥アレクサンドル2世の戴冠式に出席するための旅行が最後となった。

子供[編集]