オリガ・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)

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オリガ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ、1914年

オリガ・ニコラエヴナ・ロマノヴァОльга Николаевна Романова、英語:Olga Nikolaevna Romanova, Grand Duchess Of Russia, 1895年11月15日 - 1918年7月17日)はロシア皇帝ニコライ2世アレクサンドラ皇后の第一子で、第一皇女。ロシア大公女1917年二月革命で成立した臨時政府によって家族とともに監禁され、翌1918年に十月革命で権力を掌握したウラジーミル・レーニンの命により、22歳の若さで銃殺された。正教会聖人新致命者)。

妹のタチアナと
1916年、妹のアナスタシア、農民の男子と

人物 [編集]

金髪の波状毛に明るい青の瞳、いかにも賢そうな広く突き出た額をしていた。妹のタチアナ皇女マリア皇女ほど美しくはなかったが、あらゆる面で才能を発揮する教養の深い皇女だったと言われる。

父親似と言われ、また彼女も父を深く慕っていた。頑固で意志が強く情け深い性格であったが、一方で粗野で率直過ぎる面もあった。そのためか、母のアレクサンドラ皇后とは反りが合わなかったと言われる。文学少女であり姉妹の中では最も賢く、複雑なロシア語の文法も説明出来た。乗馬を嗜み、騎馬隊長を務めた事もあった。

両親もオリガ自身もロシア大公との結婚を望んでいたが、ルーマニア王太子カロル(後のカロル2世)及びイギリス王太子エドワード(後のエドワード8世、ウィンザー公)との縁談もあった。また、一説ではニコライは自身の従弟にあたるドミトリー大公と彼女を結婚させるつもりであったとも言われる。だが、これらの縁談はいずれも実現せず、両親や妹弟、従者と共にボリシェヴィキにより銃殺される。

また彼女は、グリゴリー・ラスプーチンの葬儀に家族内で唯一出席しなかったと言われる。

関連項目 [編集]