ポール・ボルカー
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ポール・ボルカー
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大統領経済回復諮問委員会委員長
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| 任期 2009年2月6日 – 2011年2月23日 |
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| 大統領 | バラク・オバマ |
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| 前任者 | 新設 |
| 後任者 | ジェフリー・イメルト (雇用・競争力検討会議長) |
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第12代 アメリカ連邦準備制度理事会議長
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| 任期 1979年8月6日 – 1987年8月11日 |
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| 大統領 | ジミー・カーター ロナルド・レーガン |
| 前任者 | ウィリアム・ミラー |
| 後任者 | アラン・グリーンスパン |
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| 任期 1975年5月2日 – 1979年8月5日 |
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| 前任者 | アルフレッド・ヘイズ |
| 後任者 | アンソニー・ソロモン |
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| 出生 | 1927年9月5日(85歳) ニュージャージー州ケープ・メイ |
| 本名 | ポール・アドルフ・ボルカー・ジュニア |
| 政党 | 民主党 |
| 母校 | プリンストン大学 ハーバード大学 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス |
| 専業 | エコノミスト |
ポール・アドルフ・ボルカー・ジュニア(Paul Adolph Volcker, Jr., 1927年9月5日 - )は、米国のエコノミストで、カーター、レーガン政権下(1979年 - 1987年)で第12代連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めた。
目次 |
生い立ち [編集]
ボルカーは1927年、ニュージャージー州ケープ・メイでユダヤ人の一家に生まれた。父親はポール・アドルフ・ボルカー、母親はアルマ・ルイーズ(旧姓クリッペル)であった[1][2]。彼はティーネックで成長し、父親は郡区の初代区長であった。幼少時ボルカーは母親の信仰のルーテル教会に通ったが、父親は米国聖公会の信者であった。ボルカーはティーネック高校を卒業した[3] 。その後、プリンストン大学政治経済学部、ハーバード大学院で政治経済学修士号を取得。ロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスフェロー。
経歴 [編集]
- 1952年、ニューヨーク連邦準備銀行入行。
- 1957年、チェース・マンハッタン銀行に出向、同行副社長(1965年 - 1968年)をつとめる。
- 1969年、財務省通貨担当事務次官をつとめる。
- 1971年、ジョン・コナリー長官下の主席財務次官として、キャンプデービッドの合意案を起草し、ブレトンウッズ協定による固定為替相場制の廃止に貢献した。
- 1975年、ニューヨーク連邦準備銀行総裁をつとめる。
- 1979年、カーター政権下で連邦準備制度理事会議長に選任され、1983年に続くレーガン政権下でも再任された[4]。
- 1987年8月、後任のアラン・グリーンスパンにFRB議長職を継承。退任後も財務省ポスト、大企業の社外取締役などを歴任し、精力的に活動を続ける。
- 2004年、国連「石油・食糧交換プログラム」におけるイラクの不正需給(国連汚職問題)を調査する独立調査委員会委員長に就任している。新生銀行のシニア・アドバイザーでもある。
- 2008年11月、バラク・オバマ次期政権における大統領経済回復諮問委員会委員長に就任することが決定した。
ボルカー・ショック [編集]
- ボルカー指導下の米国連銀は、1970年代の米国におけるスタグフレーションを巧拙を抜きにして、とにかく終わらせた業績で知られている。
- 連邦準備制度理事会議長に就任した1979年8月より「新金融調節方式」、いわゆるボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策を断行した。ボルカーの導入した引き締め政策によって、1979年10月にはニューヨーク株式市場は短期間のうちに10%を超える急落を見せた(ボルカー・ショック)[5]。1979年に平均 11.2% だったフェデラル・ファンド金利(政策金利)はボルカーによって引き上げられて 1981年には 20% に達し、市中銀行のプライムレートも同年 21.5% に達した。しかし、それと引き換えにGDPは3パーセント以上減少し、産業稼働率は60パーセントに低下、失業率は11パーセントに跳ね上がった。特に、政策目標をマネーサプライに変更したことから、フェデラル・ファンド金利が乱高下することとなり経済の不確実性が高まったことが、不必要に経済状況を悪化させた。
- この結果、ボルカー指導下の連銀は、連邦準備制度の歴史上最も激しい政治的攻撃と、1913年の創立以来最も広範な層からの抗議を受けることになった。高金利政策によって建設、農業部門などが受けた影響により、重い債務を負った農民がワシントンD.C.にトラクターを乗り入れて連邦準備制度理事会が本部を置くエックルス・ビル (en) を封鎖する事態にまで至った[6]。
- そのような中で引き締めを続けることが困難となり、1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を断念した。3年間の金融引き締め政策でインフレ率は1981年に 13.5% に達していたものが1983年には10パーセント以上も減少し3.2%まで低下するとともに、失業率は大幅に悪化していた[7]。金融引き締めから緩和に転じたことによってアメリカ経済は活気を取り戻し、GDP・産業稼働率は向上し、失業率は低下した。
ボルカー・ルール [編集]
- 2010年1月21日、オバマ大統領は自らが「ボルカー・ルール」と呼ぶ銀行規制案を提案した。名称はボルカーによる積極的な銀行規制論に因む[8]。発表の場には大統領と共にボルカーが現れた。このルールは商業銀行に対してヘッジファンド及び未上場企業への投資やそれらの所有を禁ずるもので、自己勘定取引についても制限を加えている[9]。
- 2010年2月24日、ウォールストリート・ジャーナル紙上に超党派の元財務長官5人の連名でボルカー・ルール支持の声明が発表された。連名には、マイケル・ブルーメンソール、ニコラス・ブレイディ、ポール・オニール、ジョージ・シュルツ、ジョン・スノーの名が連なっていた。
- 2010年3月6日、ドイツでの公演で、商業銀行の自己勘定取引を制限するボルカー・ルールの導入によって高リスク取引を規制し、商業銀行のヘッジファンド化を避ける事でデリバティブ市場の透明性を確保する必要があると発言した。取引相手がそのリスク負担を十分把握できない状態でリスクの再配分が行われる事が、世界金融危機_(2007年-)の際にアイスランドやギリシャのシステミック・リスクを招いたことへの反省を念頭に置いたもの。
- 2012年2月22日にフィナンシャル・タイムズ紙に、日本の安住淳財務相と英国のジョージ・オズボーン財務相が連名で、外国銀行の流動性が損なわれること、国債発行が難しくなることへの懸念を表明した[10]。ボルカーは3月14日にワシントンであらためてボルカー・ルールの2012年7月導入を訴えた。同日、英国財務省は3月21日にオズボーン財務相が戦時国債以来の永久国債発行検討を正式に発表する情報を公開していた。
人物 [編集]
- ボルカーは民主党支持者である[11]。
- ノーベル賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツは、あるインタビューでボルカーについて次のように述べている。
連邦準備銀行理事会の前議長でインフレを制御下に置いたことで知られるポール・ボルカーは、レーガン政権から規制緩和を進めるには不適任と見られて解任された[12]。
- ボルカーはウォール街関係者による決まり文句に反駁することで知られている。en:The Week 誌の2010年2月5日号によれば、彼は「金融手法の革新」(financial innovation) が健全な経済に必要だという保守的な考え方さえ買わない。実際、彼の持論の一つは「銀行の革新で有意義だったのは唯一 ATM だけだ」である[13]。
脚注 [編集]
- ^ [1]
- ^ http://www.teaneck.org/virtualvillage/Manager/volcker2.html
- ^ Treaster, Joseph B. "Paul Volcker: The Making of a Financial Legend", Accessed July 6, 2007. "Donald W. Maloney, another Teaneck High School graduate, entered Princeton along with Volcker. Although they had been in the same homeroom at Teaneck High for several years and had been high achievers, they had not been especially close."
- ^ Paul A. Volcker - Council on Foreign Relations
- ^ “「ボルカー・ショック」ふたたび”. ストックステーション. 2010年6月25日閲覧。
- ^ Shull 2005, p. 142
- ^ “To Treat the Fed as Volcker Did”. The New York Times. (2008年12月4日) 2010年2月1日閲覧。
- ^ “Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner”. ワシントン・ポスト (2010年1月22日). 2010年2月13日閲覧。
- ^ Conway, Brendan (2010年1月26日). “'Volcker Plan' Bank Units Worth Tens Of Billions”. ダウ・ジョーンズ. 2010年1月27日閲覧。
- ^ http://www.ft.com/intl/cms/s/0/5e4cee7c-5ca0-11e1-8f1f-00144feabdc0.html
- ^ Robert D. Hershey Jr., "Volcker Out after 8 Years as Federal Reserve Chief; Reagan Chooses Greenspan", New York Times (June 3, 1987)
- ^ Gardels, Nathan. Stiglitz: The Fall of Wall Street Is to Market Fundamentalism What the Fall of the Berlin Wall Was to Communism, The Huffington Post, September 16, 2008. Accessed September 27, 2009.
- ^ "Spotlight" in The Week, 2010 February 5 (Volume 10 Issue 449), p. 38.
参考文献 [編集]
- Shull, Bernard (2005), The Fourth Branch: The Federal Reserve's Unlikely Rise To Power And Influence, Praeger/Greenwood, ISBN 1567206247
外部リンク [編集]
- ポール・ボルカーの星、再び輝く(JBpress2009年2月5日)
- Official biography from the Federal Reserve Bank of New York
- The Independent Inquiry Committee into The United Nations' Oil-for-Food Program official website
- ポール・ボルカー - ニューヨーク・タイムズ
- 図書館にあるポール・ボルカーに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ
- Interview transcript from PBS Commanding Heights, September 26, 2000
- Time for Paul Volcker To Resign, Nile Gardiner, Ph.D., The Heritage Foundation, April 21, 2005
- Current Economic Recovery Fragile, Corporations Undergo "Healthy Changes," Former Fed Chair Paul Volcker Says in Ubben Lecture, Paul Volcker, DePauw University, October 8, 2003
- Rethinking the Bright New World of Global Finance, Paul Volcker, International Finance, Spring 2008
- How to Reform Our Financial System, Paul Volcker, The New York Times, January 30, 2010
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: アルフレッド・ヘイズ |
ニューヨーク連邦準備銀行総裁 1975年 - 1979年 |
次代: アンソニー・ソロモン |
| 先代: ウィリアム・ミラー |
FRB議長 1979年 - 1987年 |
次代: アラン・グリーンスパン |
| New office | 大統領経済回復諮問委員会委員長 2009年 - 現在 |
次代: ジェフリー・イメルト |
