ペルシア文学

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ペルシア文学(ぺるしあぶんがく、ペルシア語: ادبیات پارسی‎)はペルシア語で書かれた文学を言う。

概要[編集]

広義のペルシア文学は、古代、中世、近世に区分される。古代は、紀元前6世紀から紀元前4世紀にわたったアケメネス朝での古代ペルシア語英語版による碑文(ベヒストゥン碑文など)とゾロアスター教の教典『アヴェスター』を指す。中世文学は、8世紀頃までの主にパフラヴィー語による作品で、宗教、歴史、説話に関するものが多く、純文学作品はほとんど現存していない。7世紀中葉にイランがアラブに征服されてから、イスラム教とともにアラビア語が次第に重要になり、イスラム教への改宗者が増えてきて、従来の難解なパフラヴィー文字は廃止されてアラビア文字が使われ、多くのアラビア語彙が受け入れられて、近世ペルシア語が成立した。この言語による文学が、近世ペルシア文学、または単にペルシア文学と呼ばれる。近世と言うが、この文学は、その芽が出てからもう千年以上の輝く歴史と伝統がある。アラブ支配の2世紀余りを経て、イラン東北部に民族王朝サーマーン朝が樹立され、サーマーン朝の統治下ではペルシア文学が振興された。10世紀にペルシア文学は華麗に開花し、ルーダキーをはじめとする多くの宮廷詩人と吟遊詩人が現れ、またアラビア文学作品の翻訳による散文文学が勃興した。

一方、ペルシアの学者は以前からイスラム世界の公用語で学術語であるアラビア語を駆使し、イスラム文化形成のすべての面で大きな貢献をした。民族王朝の創建により、イラン人は民族固有の神話と伝説の復活に意を注いだ。これを集大成したのが11世紀初葉の大詩人であるフェルドウスィーである。11世紀前半の支配者ガズナ朝マフムードに仕えた宮廷詩人は400名にもなったと言う。この時代までの特色は、王と貴族の知遇を受けた詩人による頌詩が主体を成したことで、このような意味でペルシア文学は宮廷文学から始まったといえる。これと共に、時代精神を反映した民族的叙事詩も大きい比重を占めている。11世紀中葉から13世紀にわたり、セルジューク朝時代において、この文学は百花繚乱の様相を帯び、宮廷文学の所産である頌詩の外に、神秘主義思想が文学に導入され、サナーイーアッタールをはじめとした神秘主義詩人が出現した。この時代以後、ほとんど全ての偉大な詩人は、この思想の大きな影響を受けて、ペルシア文学の一大特色になった。もっと注目しなければならないことは、従来は主にイラン東北地方を中心に繁栄したこの文学が、次第に西北地方にも広がって行ったということである。その代表的な詩人が、ニザーミーハーカーニー英語版で、特に前者はロマンス叙事詩を確立した。科学者ウマル・ハイヤームが耽美的な四行詩集『ルバイヤート』を詠じたのは、この時代の初期である。散文の分野でも、政治、歴史、旅行、地理、伝記を題材にした作品が多く書かれた。

13世紀中葉、モンゴルの侵入に続き、モンゴル人の王朝であるイルハン朝が約1世紀の間イランを支配した。この時代には、その時までの宮廷文学が姿を消し、世の中の不安によって神秘主義思想がより一層普遍化した。この方面の最高の詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーが文学を通じてこれを完成の境地にまで到達させた。また実践道徳の大詩人サアディーが、多年にわたる旅行を終えて彼の故郷で2大傑作を著作したのは、13世紀中葉のことだった。この時代の散文文学の特徴は、勅命によって歴史の編纂が盛んだったことである。またこの頃までのペルシア文学は、イラン全域と中央アジアだけではなく、東方のインドと西方のトルコにまで広がった。アミール・ホスローは、インドを代表する著名なペルシア文学の詩人だった。モンゴルを引き継いだトルコ系のティムールの支配下では、文学は次第に下降線をたどるが、この時代の初期には、14世紀を代表する最高の叙情詩人ハーフェズが出現した。15世紀には、文学の中心が現在のアフガニスタン西部にあるヘラートに移リ、そこでの宮廷を中心に文学と芸術が大いに繁栄した。ペルシア文学の古典黄金時代の最後を飾る大詩人ジャーミーが活躍したのも、ここである。

16世紀以後の文学は、それ以前の明白に区分される古典時代に比べて、非常に衰えた。言い換えれば、10世紀から15世紀までがペルシア文学の精華だった。16世紀から18世紀前半にわたって、民族王朝であるサファヴィー朝の時代には、美術、工芸、建築では輝く成果があり、イスラム教シーア派の国教化に伴って宗教書籍が多く出たが、文学史上注目するに値する詩人や作家は皆無に近い。19世紀にガージャール朝の支配下に入って行くと、近代化の運動が徐々に進展するに連れて、しだいに西欧文芸思潮を重要視するようになった。

20世紀初葉に立憲革命運動が起きると、革命文学が盛んになり、愛国的な詩人も出るようになった。その後翻訳文学も盛んになり、西欧文学の影響が強くなると、古典文学の伝統を持続しようとする一派の外に、文学の大衆化を唱えて現実社会に直結される主題を選択し、西欧的手法を模倣して短編小説に重点を置くものも現れた。その代表的な作家がサーデグ・ヘダーヤトである。

主な作家[編集]

脚注[編集]