ベヒストゥン碑文
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ベヒストゥンの磨崖にある碑文全体
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| 英名 | Bisotun | ||
| 仏名 | Behistun | ||
| 面積 | 中核地域187 ha、 緩衝地域361 ha |
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| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(2), (3) | ||
| 登録年 | 2006年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
ベヒストゥン碑文 (英: The Behistun Inscription, 近世ペルシア語: بیستون Bīsotūn/Bīsetūn/Bīstūn あるいは بهستون Behistūn)は、アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世が、自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑。イランのケルマーンシャー州にある。
楔形文字にとってのこの碑文の重要性は、エジプト神聖文字にとってのロゼッタ・ストーンに比せられ、古代文字の判読に貢献している。同じ内容のテキストを、エラム語、古代ペルシア語、アッカド語(新バビロニア語)という3つの異なった言語と書体で書いた翻訳を含んでいる。当初はエラム語文のみであったが、壁画像を追加する段階でアッカド語文と古代ペルシア語文も増補されたと見られている。碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のアラム語パピルス文書群から発見されている。
イギリス軍武官のヘンリー・ローリンソンが1835年に古代ペルシア語の部分を、1843年にアラム語とバビロニア語の部分を解読することができた。バビロニア語はアッカド語の後期の形であり、両方ともセム語系であった。
[編集] 世界遺産
2006年に碑文を含む磨崖がユネスコの世界遺産に登録された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
[編集] 関連項目
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