ベヒストゥン碑文

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世界遺産 ベヒストゥン
イラン
ベヒストゥンの磨崖にある碑文
ベヒストゥンの磨崖にある碑文
英名 Bisotun
仏名 Behistun
面積 187 ha
(緩衝地域361 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3)
登録年 2006年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

ベヒストゥン碑文: The Behistun Inscription, 近世ペルシア語بیستون Bīsotūn/Bīsetūn/Bīstūn あるいは بهستون Behistūn)は、アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世が、自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑イランケルマーンシャー州にある。

歴史[編集]

作成時期[編集]

ダレイオス1世が反乱軍の王ガウマタ(スメルディスを名乗った)に対して勝利したことを記念するレリーフ
ダレイオス1世は、命乞いをする9人の指導者の面前でガウマタを踏みつけている。最後尾のとんがり帽子はサカSkunkha。王の後方はボディーガードや戦士。

ダレイオス1世(在位:紀元前522年-紀元前486年)は、この碑文に「アフラ・マズダーの恵みによって、王となりえた」と記し、ゾロアスター教が国の権威であることが示されている[1]ダレイオス1世以前には、古代バビロニアではマルドゥクが信仰されていた。ゾロアスター教の成立以前からミタンニヒッタイトではヴァルナ神の名が知られていたが、ゾロアスター教が成立するとアフラ・マズダーとされた。この時期にアケメネス朝ペルシアの国教となった経緯についてはわかっていない。

楔形文字の解読[編集]

Fr. シュピーゲルによるスケッチ(1881年)

楔形文字にとってのこの碑文の重要性は、エジプト神聖文字にとってのロゼッタ・ストーンに比せられ、古代文字の判読に貢献している。同じ内容のテキストを、エラム語古代ペルシア語英語版アッカド語(新バビロニア語)という3つの異なった言語と書体で書いた翻訳を含んでいる。当初はエラム語の碑文のみであったが、壁画像を追加する段階でアッカド語と古代ペルシア語の碑文も増補されたと見られている。碑文と同じ内容が記されたものがエジプトのエレファンティネ島出土のアラム語パピルス文書群から発見されている。

イギリス軍武官のヘンリー・ローリンソン1835年に古代ペルシア語の部分を、1843年にアラム語とバビロニア語の部分を解読することができた。バビロニア語はアッカド語の後期の形であり、両方ともセム語系であった。これらの業績によって1857年ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットアッシュールバニパルのアッカド語文献を解読することに成功してアッシリア学が誕生すると、1940年代にはアッカド語をツールとしてシュメール語サミュエル・クレイマー英語版により解読された。

世界遺産[編集]

2006年に碑文を含む磨崖がユネスコ世界遺産に登録された。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

脚注[編集]

  1. ^ P・R・ハーツ『ゾロアスター教』P.59

関連項目[編集]