ゲオルク・フリードリヒ・グローテフェント

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グローテフェント(1802年頃)

ゲオルク・フリードリヒ・グローテフェント(Georg Friedrich Grotefend, 1775年6月9日1853年12月15日)は、ドイツ言語学者、古代史家。楔形文字の解読者として知られる。

経歴[編集]

歴史家カール・ルートヴィヒ・グローテフェントの息子としてハン・ミュンデンに生まれる。孫の一人ヘルマン・グローテフェント(1845-1931年)も歴史家である。

16歳まで故郷のラテン語学校に通ったのち、イルフェルトで教育学を学ぶ。1795年にゲッティンゲン大学に入学して哲学神学を学んだ。学業の傍らゲッティンゲンギムナジウムで教鞭をとる。1803年にフランクフルト・アム・マインの国立ギムナジウムで主任となり、1806年から1821年まで同校の教頭を務めた。1812年から1814年まで、カール・テオドール・フォン・ダールベルク大公がフランクフルトに設立した大学で古典文学の教授を兼任した。1819年にドイツ古代学協会の設立者の一人となる。1821年にハノーファーのギムナジウムの校長となった。

グローテフェントは1849年に隠退し、1853年にハノーファーで死去した。墓所はハノーファーにある。

楔形文字の解読[編集]

1802年、わずか数週間でベヒストゥン碑文の解読に成功した。この碑文は1621年に発見され、碑文の写しが取られていた。この碑文が既知の言語とは関連が無く、従来知られていない文字システムによって書かれていると想定して解読に取り組んだことが功を奏した。グローテフェントはカールステン・ニーブールがアラビア探検の際に写し取ったペルセポリス碑文の楔形文字解読にも多大な貢献をした。

ギリシャ語教師でもあったグローテフェントはアケメネス朝ペルシアの王名にも通じていた。グローテフェントはアヴェスターにある人名からペルシア語楔形文字のうち10文字を同定した。ペルセポリス碑文に出てくる二人の王名は同音(K)で始まるキュロスカンビュセスではないと断定し、また長過ぎることからアルタクセルクセスでもないと推定した。こうして登場する王名がダレイオス1世クセルクセス1世であると断定したが、これはダレイオスの父が王位についてないことと、碑文内の最初の王は王位に就いたことの無い人物の息子であることとの一致により補強された。

グローテフェントの業績はゲッティンゲンのごく一部の学者にしか知られていなかったが、本人死後の1893年にヴィルヘルム・マイヤーが当時の学会資料に基づいてグローテフェントの功績を紹介し、広く知られることになった。

故郷ハン・ミュンデン、フランクフルト、ハンブルク、ゲッティンゲン、ハノーファーには、グローテフェントを顕彰してその名を冠した通りがある。また故郷ハン・ミュンデンのギムナジウムは1976年にグローテフェント・ギムナジウムと改称された。

著書[編集]

  • Anfangsgründe der deutschen Prosodie. (Gießen 1815)
  • Lateinische Grammatik. 2 Bde. (Frankfurt am Main 1823–1824)
  • Neue Beiträge zur Erläuterung der persepolitanischen Keilschrift. (Hannover 1837)
  • Rudimenta linguae umbricae. 8 Hefte (Hannover 1835–1838)
  • Rudimentae linguae oscae. (Hannover 1839)
  • Zur Geographie und Geschichte von Altitalien. 5 Hefte (Hannover 1840–1842)