プロジェクト‐ノート:歴史/過去ログ1

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カテゴリについて[編集]

只今のところ歴史の記事について以下のようなカテゴリが存在しています。

ところで、日本史のカテゴリや中国の歴史のカテゴリ内に登録されている記事の数は既にかなり多くなっています。時代別に分割すべきだと思うのですが、どういう風に分割するのがよろしいでしょうか。

西洋史についての記事もWikipedia日本語版にはあまたあると思うのですが、まだカテゴライズ・一覧化はあまり進んでいないようですね。他の地域も含めて、そのへんのところをどう分類などしていくのかという問題もあります。

また、中国史についていえば、中国史関係記事一覧などの一覧記事にほとんどの関係する記事が入っています。もともとカテゴリが生まれたのは、一覧系の記事にまとめ切れないからであるとのことです。一覧がしっかりできている分野にわざわざカテゴリもつけるのは二度手間ではないでしょうか。

最後に、Category:世界史の位置付けが分かりづらい面があります。今の状況からすると、高等学校における教科の『世界史』の内容に相当する記事がこのカテゴリに納められているような気がします。私個人としては、むしろ各地域史で収まらない分野の歴史系記事(東西交流史など)をこのカテゴリに入れるべきだと思うのですが。

今まで述べた論点をまとめると以下のようになります。ご意見をお待ちしています。

  1. 肥大化している日本史のカテゴリの分割の仕方
  2. まだカテゴリが生まれていない分野(西洋史など)の対策
  3. 一覧が比較的充実している分野の対策
  4. Category:世界史の位置付け

Auf 2004年9月4日 (土) 02:26 (UTC)[返信]

1について。まず日本史については
と言う分け方と
と言う分け方があると思いますが、私は前者が解りやすいと思うのでこれを推します。ただかなりカテゴリの数が多くなってしまうのが難点ですが。Category:江戸の大名などはCategory:江戸時代のサブカテゴリにすると。
2について。西洋史については、あまり見ていないのでどういう状況になっているか分かりませんし、そもそも素人なので意見を言うのは控えておきます。
3について。私はカテゴリと一覧記事がダブっていても別に良いと思います。これによるデメリットと言えば、カテゴリを張る人と一覧に追加する人が二度手間になるというだけかと。ですから一覧記事が充実しているカテゴリに関しては「まず最初に一覧記事に登録し、カテゴリを張るかは自由」と言うことではどうでしょうか?それならカテゴリの意味が無いと言えるかも知れませんが、あって邪魔に為るわけではないと思います。
  • 4について。これはAufさんに賛成で、世界史は汎世界規模の物事を入れるべきと思います。ただその汎世界規模かどうかについては色々と議論があるかと思いますが、これは個々の記事についてで話し合うべきかと。らりた 2004年9月4日 (土) 07:11 (UTC)[返信]

1について人名に関しては「○○時代の人物」のように時代をはっきりさせることは必要だと思いますが、「XX世紀の人物」とかの方が汎用性が高い(日本史、世界史を横断できる、近代史への対応など)と思います。煩雑さとかの欠点はありますが。218.131.58.12 2004年9月5日 (日) 04:10 (UTC)[返信]

「XX世紀の人物」は良いと思います。いっそのこと「○○時代の人物」と「XX世紀の人物」の両方を作っても良いのではと思いますが。らりた 2004年9月8日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

プロジェクトの適用についての議論[編集]

現在、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクトで、プロジェクトでなされた合意の記事への適用やプロジェクトの間の調整についての一般原則について議論がされています。すべてのプロジェクトにかかわる事項ですので、ぜひ参加ください。--Clinamen 2006年5月23日 (火) 17:24 (UTC)[返信]

ユーザーボックスについて[編集]

そろそろユーザーボックスを作った方がいいと思いますがどうでしょうか。参加者もそれなりの数がいますし。--やりたこ 2007年4月21日 (土) 03:14 (UTC)[返信]

(賛成)英語版にen:Template:User WPHが存在しますので、この画像を流用すれば楽かと思います。Kurz 2008年11月5日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
(賛成)参加者も増えたようですし。--らりた 2008年11月7日 (金) 12:22 (UTC)[返信]
(賛成)参加者が増えてきたようですので。--kouko0515 2008年11月8日 (土) 08:30 (UTC)[返信]
(賛成)そろそろあってもいいとおもいます。--Rei.N 2008年11月8日 (土) 10:33 (UTC)[返信]
(賛成)日本史も出来ているのだから。--ろう(Law soma) D C 2008年11月10日 (月) 02:59 (UTC)[返信]

提案から1週間経過し、賛成多数で反対意見がありませんので、合意がなされたものとみなし、ただいまよりユーザーボックスを英語版を参考に作成します。デザインなどに異論がありましたら、作成後に修正しましょう。Kurz 2008年11月11日 (火) 05:24 (UTC)[返信]

作成完了しました。Wikipedia:ウィキプロジェクト 歴史#ユーザーボックスを参照してください。Kurz 2008年11月11日 (火) 05:54 (UTC)[返信]

宿場町の名称(読み)について[編集]

あ、どーも。

英語版で日本の旧街道筋の宿場町記事ができはじめておりまして、それらがたとえば「Karuisawa Juku」みたいな名前になってたところで気づいたんですが、日本語版記事でも「宿」の読みが「じゅく」になっているものが多いんだよね。おれが知る限りで、読みは「地名+しゅく」だし、広辞苑にも「じゅく」という読みは載っていないし、決定的ではないのだが角川日本地名大辞典で「宿」の項目を見ても「しゅく」という読みだけ。とりあえずまあしこしこ直していこうと思うんですが、いちおう異論がないかどうか確認しておきたいのでよろしくどうぞ。--Nekosuki600 2007年8月29日 (水) 09:44 (UTC)[返信]

全然盛り上がらないので、コメント依頼にも出しておきました。んで。

おれの知見では(ばらばらなソースからなのでいまひとつまとめにくいのだが)、「デフォルトの読みは『しゅく』」「固有名詞化するにあたり、そして時代が下るにつれ、『じゅく』読みが増える」という感じ。なので、「なんとか宿」でひとまとまりの単語になっているケース(たとえば「御宿(おんじゅく)」「新宿(しんじゅく)」など)では「じゅく」読みがそれなりにあるが、そうではないケース(たとえば「安中宿」「坂本宿」「品川宿」など)では「しゅく」読みが多い(念のためだが、「新宿」でも「あらしゅく」「にいしゅく」と読むところもある)。

そのため、現代のたとえば道路案内看板では「JUKU」表記がなされているものについても、その大半が「江戸時代の宿場町についての記事の読みとしては『しゅく』が正しい」「ただし個別具体的な正確性を求めるとなると、個別に読みのわかる文献にあたる必要があり、えらい厄介」という感じだと理解しています。

引き続き、情報のご提供をお願い申し上げます。--Nekosuki600 2007年8月30日 (木) 16:07 (UTC)[返信]

NHKの番組『街道てくてく旅』の記事によると「しゅく」が基本のようですね。ただこれえらく大変だと思いますよ。文献って言ったって「○○しゅく」と書かれていたとしても実際には「○○じゅく」と読んでいるかもしれないし。濁点を省いて書くことが珍しくなかったのですから。明治時代の文献のルビを探すとかすれば良いのかしらん? --赤い飛行船 2007年9月26日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
赤い飛行船さんどうもー。無視されてるのかなあと思って毎晩枕を涙でぬらしているところだったのでうれしかったよー(←大げさ)。
や、ま、しょうじきよくわかんないんだよね。ただ、「なんでもかんでも宿をじゅくと読ませる」てのは、それは違うんじゃないかと思うわけで。で、厳密に言うなら個別具体的に資料にあたるしかないんだけど、それはむずかしいという認識はある。次善の策として、個別具体的なチェックを経ていない場合に「しゅく」と「じゅく」のどちらをデフォルトにするのがいいのか、という視点もあると思う。
実は、おれはあんまし意識していなかったのだけど、英語話者の方が英語版に翻訳をはじめておられるので、もし早急に合意が形成できるのならばとか思いました。おれの感覚では、デフォルトで統一するなら「JUKU」ではなく「SHUKU」だろうと思うのだけど、そう主張できるだけの根拠もないのだよなあ・・・、という感じでいるわけなんです。--Nekosuki600 2007年9月26日 (水) 14:43 (UTC)[返信]
書籍の紹介だけ。今日斜め読みしてた『峠の歴史学』(ISBN 9784022599308)では読みのルビは「JUKU」(例:和田宿→WADA-JUKU)になってました。ただ、その書籍が勝手にそのようにルビをふっているだけで、当時はSHUKUと読んだ可能性は無きにしも非ずですが、そこはWikipediaが独自に判断する事項ではないと思われます。とりあえずそーいう本もあるんだというご紹介まで。--赤井彗星 2007年10月16日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

新規のスタブカテゴリ「中国の歴史」の作成提案[編集]

Category:中国の歴史を整理していて思ったのですが、「中国の歴史」のスタブカテゴリがないと不便ですね。「歴史」のサブカテゴリとして、「日本史」と「イタリア史」のスタブカテゴリがすでに作成されています。「中国の歴史」もぜひ作成するべきです。以下のようなものを作成しようと思っています。(画像は未定。個人的には万里の長城を考えています。)

とりあえず、1ヶ月をめどに結論を出したいと思っています。ご意見をいただければ幸いです。--伏儀 2008年3月5日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

「中国の歴史」のロゴとしてふさわしい画像がありました。しっくりくると思いますが、どうでしょうか。--伏儀 2008年3月5日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

そろそろ一ヶ月となります。「中国の歴史」のスタブカテゴリが作成されたら、Wikipedia:Bot作業依頼にスタブの張り替えを依頼しようと思っております。具体的には、Category:中国の歴史に分類されているページの「history-stub」、「stub」、「substub」を「中国の歴史」のスタブカテゴリに一括して張り替えるという作業です。--伏儀 2008年3月21日 (金) 13:25 (UTC)[返信]

「中国の歴史」のスタブカテゴリを作成しました。ご意見はTemplate‐ノート:Chinese-history-stubにお願いします。これからWikipedia:Bot作業依頼にスタブの張り替えを依頼しようと思います。--伏儀 2008年4月6日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

第二次世界大戦のカテゴリ整理[編集]

Category‐ノート:第二次世界大戦において、各国のカテゴリを上位カテゴリから外すことを提案しています。よろしければ御意見などお願い致します。--氷鷺 2008年5月16日 (金) 10:22 (UTC)[返信]

Category:産業遺産について[編集]

おはようございます。Greenland4 と申します。Category‐ノート:産業遺産において、Category:産業遺産の存否が話し合われています。皆様の御意見を賜りたく、うかがいました。何とぞ、よろしくお願い申し上げます。--Greenland4 2008年6月12日 (木) 21:54 (UTC)[返信]

Category:イギリスの歴史などへのカテゴリ移行[編集]

Wikipedia:Bot作業依頼#カテゴリ移行にてCategory‐ノート:イギリス史#改名提案による4つのカテゴリ移行作業が依頼されていますので、1週間後に「カテゴリが付与されているページ」「配下カテゴリ」「リンク元」のBotによる書き換えを実施します。--Triglav 2008年7月17日 (木) 11:30 (UTC)[返信]

移行作業を実施しました。--Triglav 2008年7月25日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案に付いて[編集]

Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案にて表題の提案に付いて話し合っています。ご意見をお願いします。--らりた 2008年11月5日 (水) 08:37 (UTC)[返信]

生没年の編集を続ける IP さんについて[編集]

お邪魔します。IP:210.146.57.45会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois さんというかたが最近、多くの人物記事にわたって生没年についての編集を続けておられます。履歴を見るに生徒さんのアクセスらしく、編集内容を信じてよいものかどうか私からはよく分かりません。必要があれば修正対応をお願いします。--Su-no-G 2008年11月21日 (金) 03:38 (UTC)[返信]

中国史の人物記事の現状に関して[編集]

ウィキプロジェクト 中国ウィキプロジェクト 人物伝にも関係してくることなのですが、中国史の人物記事に、古典的な漢籍史書(正史など)の内容のみに取材した投稿が目立つように見えます。こうした出典はどうしても士大夫など前近代の中国知識人の価値観に偏った記述になっていがちで、史書執筆者の哲学を正当化するための内容になっていることが多いものですし、現在は近代的な実証史学による検証で史書の「伝」より広がりのある実像が浮かび上がっている人物も多いと認識しています。記事の立稿や投稿に際して、もっとこういう側面に配慮した執筆を推奨するような呼びかけがあってもよいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。--ウミユスリカ 2009年3月11日 (水) 06:43 (UTC)[返信]

基本的に賛成です。類似の問題は中国史に限らず日本史分野においても存在しております。正史の「伝」ならまだいい方で、日本の戦国時代にあっては、軍記物や戦前の知見によるもの、ゲームの解説書によるものなどが多く見受けられます。ゲームの解説書なら信頼できる情報源でないということも出来ますが、藩史等に全面的に依存した記事などで最近の一次史料による研究による知見が書かれない場合には加筆を待つしかない状況にあります。とはいえ、従来信じられてきた人物像というのも必要ですので、ウミユスリカさんのおっしゃる「推奨」という表現で盛り込むのが妥当かと思います。--ろう(Law soma) D C 2009年3月13日 (金) 00:09 (UTC)[返信]
特に異論もないようですので、提案通り記載していいかと思います。--Kurz 2009年3月25日 (水) 13:32 (UTC)[返信]
2週間以上経っていてすいませんが、いくつか指摘をさせていただきます。
まず私は正史の内容に沿って人物記事を編集することは問題ないと思います。
日本の中国史学界、特に戦後と限ればそういった特定の人物にスポットを当てた研究というのはかなり珍しい部類に入ります。例えば劉邦という中国史上でも屈指の知名度を誇る人物であっても「劉邦個人の人物伝」ということを主眼とした研究は私は知りません。「劉邦集団」に対しての考察ならば西嶋定生氏をはじめとしていくつかの研究があります。またそれとは別個に劉邦の評伝として堀敏一氏に著作がありますが、これはあくまで一般向けに著されたもので研究とはちょっと言いがたい本です。
日本の戦後中国史学界では圧倒的に社会経済史学に対する興味が強く、「その個人が政治・社会・経済・文化でどういう役割を果たしたか」という研究はあってもその人物の能力・人格といった内容は「実証史学の範疇外」と捕らえる向きが強く、あまり歴史学者は研究したがらない傾向があると思います。
無論、例外はあります。例えば杉山正明氏の『耶律楚材とその時代』などですね。ですが、これはあくまで例外ですし、耶律楚材にしてもこれ以外ではあまり知りません。日本で個人の評伝に研究が集まっている人物としては王安石があります。これは本当に例外中の例外です。
中国の中国史学界ではこのような個人の評伝の研究が結構良くあるようです。しかしその研究というのもかなり胡散臭いといいますか、裏に隠された意図がかなり透けてみえる代物でして、私が牛李の党争を書いていたときに見た中国の研究というのが、戦後すぐ・文革中・文革後と政治状況の変化で研究の内容が変化したのがはっきり見て取れました。これらの研究に依拠する気にはとてもなれません。
正史の内容にも信頼できない部分が多々あるのはいうまでもないことです。「古典であるから」「現在の研究であるから」という単純な区分で信頼度を決めるのは良くないと思います。
基本としてウィキペディアでは現在の学界を忠実に写し取ることを目的とすべきですから単に「こういう研究がある」とすべきではなく、『史学雑誌』「回顧と展望」や中国史であるならば『中国史研究入門』や『中国歴史研究入門』などを参照し、そこで紹介されている研究を紹介していくとすべきでしょう。
そして一番最初に戻りますが、そのような研究がなされている「人物」というのは例外に属します。ですのでそういった「研究が集まらない人物」の記事を書く際には「正史」に依拠するのはごく自然なことと思います。
もちろん同時代で平行した史料のどれを採用するかなどはウィキペディアンの行うべきことではありませんので、そういった意味での「一次史料使用禁止」には賛成します。しかし人物の基本的情報や異論の生じないその人物の事跡を論ずる点で一次史料を使うことは別段問題が無いと考えます。
現状で言えば、『「歴史学者の研究を参照せよ」と推奨』するよりも『歴史群像』とか『逆説の日本史』とかそういった『「似非歴史学」は排除されるべきである』とはっきり明記するほうが先ではないでしょうか。らりた 2009年4月16日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
「近代的な実証史学による検証で史書の「伝」より広がりのある実像が浮かび上がっている人物」であれば、そういう側面を充実させるのに反対するつもりはありません。
ただし、上記のような「広がりのある実像が浮かび上がっている人物」がどれだけいるか、と考えた時、敢えて「推奨」などをしてゆく必要があるのかどうか疑問が生じます。
つまりそれは数で言えば一握りであって、「推奨」する意味が薄いのではないかということです。
最低でも、「史書ばかりではなく、ゲームや漫画における扱いなどの記事を充実させればいいんだ」と曲解してしまう人が出ないようにだけはお願いします。--てぃーえす 2009年4月17日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
「近代的な実証史学による検証」といいながら史書の記述を顧みないのであれば実証的な文献史学の手法を全否定するのと同じ事です。ウィキプロジェクト・歴史において文献史学を全否定する提案がなされるとは思いもよりませんでした。この提案が採用されれば中国史のみならず歴史カテゴリの記事はアナール学派やオーラルヒストリーなど、未だ伝統的な手法を克服できていない方法論が妥当する極く限られた分野のものしか残らなくなるでしょう。--Fish40 2009年4月17日 (金) 16:08 (UTC)[返信]
ウミユスリカさんのご提案は、史書を否定せよとの趣旨ではありません。史書に安住しないように、というものだと思います。史書しかデータがない場合は当然史書がベースの記事になるでしょうし、単に史書以降の研究がある場合には、その研究内容も加筆するよう推奨しましょうというだけではありませんか?らりたさんの問題意識(「時勢に阿る研究に一喜一憂しない」?)は納得がいくものですが、てぃーえすさんのおっしゃる例え一握りでも推奨する意味はあるのではないかと思います。まあ、似非史学の排除には誰も反対していないようですので、議論は噛み合っているとは思いますが。--ろう(Law soma) D C 2009年4月20日 (月) 00:12 (UTC)[返信]
(インテンド戻します)私の発言意図としては「時勢に阿る研究」というより、「研究」そのものに対して取り扱いに注意を要する点があるということでした。
例えば宮崎市定氏のような名前があり、能力もあり、歴史に対する誠実さもありといった研究者であっても今の視点から見ると「どうにも無理のある論理」と見えてしまう研究も中にはあります。これが(こういう言い方は甚だ失礼でしょうが)宮崎氏ほどに名前が無い研究者の研究であれば、発表したものの全く省みられずそのまま消えていったものは数多くあります。
また正規の歴史学教育を受けたれっきとした歴史学者の研究であってもその内容が歴史学の手続きを踏んでいない、あるいは曲解・こじつけの類になってしまっている「研究」あります。
ノート:史記で出された意見のように『ある「研究」が「AはBである」と述べている。』としてもそれをそのまま載せてしまうことは中立的観点を逸脱する虞があります。
これを解決するにはその研究が「研究史」の上でどのような位置づけをなされているかという総合的な視点が必要です。ですがこれを全ての記事に適用するのはあまりにハードルが高いでしょう。
研究を取り扱う場合にはむしろ正史を取り扱うよりも注意を要すると思われます。その意味で「回顧と展望」などの参照が必要なのではないかと述べました。
これは正史を使う場合でも同じと思われるかもしれませんが、正史は長い年月の積み重ねの上でそれでもなお根史料として認められているものですので、一概に研究と同じレベルで取り扱うわけにはいきません。二十四史で最も評判の悪い『元史』ですら一応は根史料として認められているのです。無論、信頼性の著しく異なる軍記物とかを扱う際にはこれとは事情が異なります。
私は「歴史学者の研究を基として記事を執筆すること」を妨げるつもりはありません。ただ研究を取り扱うことが注意を要することであるということを喚起しておきたいのです。
そして同じことを繰り返しますが「ゲームの攻略本」とか「歴史読本」などを出典としては認められないということを徹底することが先決であり、そういった記事を排除した上で研究というより難易度の高いステップを踏むべきではないかと思います。らりた 2009年4月20日 (月) 12:12 (UTC)[返信]
研究を取り扱うのに慎重であるべきとの意見は了解です。古い研究をそれだけ読んだ場合にその研究が現在どのような評価を得ているのかは分かりにくいものです。とはいえ、かなりハードルが高いですねぇ。反論が出なくなったことをもって定説となっているものもあれば、一撃で粉砕されて以降無視されることによって反論がなくなったものもありますし。某古田学説のようなものを明確に否定した叙述が、『史学雑誌』「回顧と展望」などにあればいいのですが…。--ろう(Law soma) D C 2009年4月20日 (月) 23:56 (UTC)[返信]

転載疑いについて[編集]

プロジェクト参加者の利用者:YOSHI438会話 / 投稿記録 / 記録氏について大量の転載を疑っております。Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438でご意見頂けると幸いです。--fromm 2009年3月24日 (火) 11:56 (UTC)[返信]

現在、当該利用者立項記事の存続・削除の判断基準とすべく、"Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438/著作権侵害状況調査"というサブページが設けられ、調査が進められています。皆様もどうか、ご協力ください。--トホホ川 2009年9月17日 (木) 14:59 (UTC)[返信]

著作権侵害疑惑案件の削除について[編集]

上記のサブページで約1ヶ月間行われた調査に基づき、現在Wikipedia:コメント依頼/YOSHI438で当該利用者立項記事の削除方法について、意見が求められています。何しろ1700件以上の記事が絡む件ですので、皆様どうか、ご協力ください。--トホホ川 2009年10月12日 (月) 17:45 (UTC)[返信]

記事名「集団自決」について[編集]

ノート:集団自決にて、改名提案を出して以降、議論が続いております。多くの方による、議論への参加を頂ければ幸甚です。--Kliment A.K. 2009年4月5日 (日) 17:14 (UTC)[返信]

記事名「千世」について[編集]

現在、「千世」において記事名の衝突が発生しております。「千世」の記事を読むと「前田千世」が正式名称とのことですので、「前田千世」への改名提案を挙げております。提案後数日しか経っておらず、現状コメントはいただいていないのですが、歴史に詳しい方の集まるこちらのほうがよりコメントが集まりやすいのではないかと、ご助力をいただきたくお願いにあがった次第です。その改名提案の結果によって衝突先の記事名をどうするかが変わってきますので、コメントは衝突先の記事のノートである「ノート:千世 (ブランド)」宛に宜しくお願い致します。--NISYAN 2009年5月2日 (土) 06:17 (UTC)[返信]

ご報告が遅くなりました。ご意見いただいた内容を元に、「千世」を「春香院」に改名(「千世 (ブランド)」との記事名衝突回避には{{Redirect}}を使用)致しましたことをご報告申し上げます。--NISYAN 2009年5月22日 (金) 03:42 (UTC)[返信]

ベトナムの歴史地名の漢字表記[編集]

私のノートClarin氏より、ベトナムの歴史的地名もカタカナで表記し、もし漢字表記が他の現行漢字使用圏(≒中国)の地名と重複した際にも曖昧さ回避を設けることなくベトナムの歴史的地名の漢字表現は排除すべきという議論が出されています。小生同様に議論になると人の話を聞かないClarin氏であるため議論は膠着していますので、当プロジェクト参加者による基準を作成していただきたく存じます。

小生が提案する内容は下記の通りです。

  1. 中国現行地名とベトナム現行地名の漢字表記が同一である場合、中国現行地名を項目とし、必要に応じてベトナム地名の漢字表記をotherusersにする。(太原市
  2. 中国の現在使用されていない地名で独自項目が立てられていないものと、ベトナムの現行地名の漢字表記が重複する場合、対等な曖昧さ回避とする。(北寧市
  3. 中国の現在使用されていない地名で独自項目が立てられていないものと、ベトナムの歴史地名(現在も使用されている場合を含む)の漢字表記が重複する場合、対等な曖昧さ回避とする。(金山県
  4. 中国現行地名及び歴史的地名に使用されないベトナム地名(現行・歴史的地名を問わず)の漢字表現はリダイレクトとする。(安江省
  5. ベトナムの歴史的地名の独自項目を立てる場合は漢字表記。(日南郡

個人的にはベトナムは歴史的に漢字を使用してきた国ですし、また漢籍を初め戦前のインドシナ関係書籍にはこれらの漢字表現が当然のようにしようされている現状を鑑み、書籍でベトナム地名の漢字表現であることを知らない読者への検索の便宜なども考慮し、実際に使用が確認できる漢字表現であれば(バッカン省北乾省と当て字を行う中国語表現は日本語でもベトナム語でもないので排除)曖昧さ回避やリダイレクトを積極的に活用する有用性を強く感じています。

これらは地名のみならず、人名などにも合致するものであり、ベトナムの歴史的項目をどの時代まで漢字表記を認めるか一定の基準を作成願いたくここに議論を提起します。もっとも確認できる漢字表記ならそのまま採用すればいいだけで議論の必要なしというご意見もあるかと思いますが、地名は歴史的地名であろうと漢字表記は排除すべきという意見もあるため、基準不要論を含めできれば何らの基準を作成することが必要かと感じています。--Yonoemon 2009年6月22日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

太原市を検索する読者は「太原」または「太原市」、タイグエンを検索する読者は「タイグエン」または「タイグエン市」と検索するはずです。「タイグエン」のつもりで「太原」と検索する読者は、漢籍や戦前のインドシナ関連書籍読者と想定されていますが、そもそも対象が狭すぎる上に、それら専門書籍の読者がベトナムの地名を中国の地名と誤解する可能性は低いと考えられます。もし「太原」という表記からタイグエンを検索する読者がいても、ベトナムの地名項目には漢字表記が記載されていますから、項目がある場合には検索機能により事足ります。太原市からタイグエンへの曖昧さ回避については、おそらく99%以上の読者にとって蛇足になると考えます。また「中国現行地名とベトナム現行地名の漢字表記が同一である場合」では、タイグエンのように赤リンクの場合にも全て曖昧さ回避がされてしまいますが、それはWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避すべきものにおける「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に」に違反すると虞があります。したがって上記案には反対します。--Clarin 2009年6月22日 (月) 18:06 (UTC)[返信]
Yonoemonさんの意見に概ね賛成しますが、「中国現行地名」かつ「歴史的地名に使用されないベトナム地名」(上記の4番目)については飛び先にTemplate:Redirectの使用が必須と考えます。漢字表記のベトナム地名を引く場合「ベトナムの地名」であると読者が初めからわかって漢籍にある地名を引くケースより、漢籍や戦前の書籍等に掲載された、何処だかわからない漢字表記の地名がいったい何処にあるのか調べるケースが多いと考えます。検索機能を使うようにClarinさんは仰っていますが、検索機能を使いこなせる読者の比率を考えると、Otherusesテンプレートを使い誘導することが最も読者にとって安全で、有用だと考えます。山西省の都市を引こうとして「太原市」にたどり着いた読者は「タイグエン」に誤って誘導されることはありませんし、場所不明の「太原」を調べる読者にとっては平易な方法で遺漏無く調べることが出来るからです。--Himetv 2009年6月22日 (月) 19:56 (UTC)[返信]
Himetvさんの意見でよいと思います。最近のベトナム史関連の出版物において歴史的人名に比し歴史的地名に漢字が使用される頻度が低いことは確かですのでClarinさんの意見も分からないではありませんが、漢字文化圏の歴史的記事において漢字を使用しないことによる不便さにも思いを寄せて頂ければと思います。あまりいい例ではないかもしれませんが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国のこと、以下同じ)施政下の地名(現状ではハングル表記が正式)「ケソン」で検索するとフィリピンの都市が表示されますが、勿論otherusesによって「開城」にリンクされています。--ろう(Law soma) D C 2009年6月23日 (火) 01:10 (UTC)[返信]
コメント どうも中国POVっぽい提案に感じるので気になります。基本的には中国との兼ね合いというより、ベトナム史関連書物において歴史的地名がどのように表記されているかが一番の問題であって、曖昧さ回避はその後に来る話題ではないのでしょうか。Law somaさんのおっしゃるように最近のベトナム史出版物においてカナ表記が多いのであればご提案のとおりでも構いませんが。--Kurz 2009年6月23日 (火) 03:35 (UTC)[返信]
ベトナムの地名と中国の地名の曖昧さ回避を行うというのは、ベトナムの漢字地名を全てリダイレクト化する(現在はされていない)という編集が前提となりますから、まずはそのようなコンセンサスを形成すべきです。それら全てをリダイレクト化するなら、現在の日本語による出版物でベトナムの地名を漢字でしか紹介していない事例を一つは挙げるべきですし、漢字文化圏の歴史的記事においてベトナムの地名をカタカナではなく漢字で紹介することが必要だとするのであれば、ウィキペディア内でもよいのでそのような事例を(北朝鮮ではなくベトナムで)一つは挙げるべきと考えます。また現在の日本の出版物においてベトナムの地名を漢字表記しないにもかかわらず日本語版ウィキペディアでは漢字表記とすべきという意見があれば、その理由と根拠を明確にすべきです。日本語版ウィキペディアは日本語による百科事典ですから、それ相応の日本語としての用例にしたがうべきであり、無制限に漢籍の字引のようにすべきではないと考えます。ベトナムの漢字地名はネット上でもほとんど見られない以上、ウィキペディアがリダイレクトを量産することによってGoogleの検索結果も大きく変わることが予想されます。一旦作ったら戻すことは容易ではないのだから、理由と根拠は必ず明確にされるべきであり、導入には慎重を期すべきです。--Clarin 2009年6月23日 (火) 04:27 (UTC)[返信]
参考までに、少なくともある時点まで(おそらくは、仏領期に至るまで)はベトナム語の固有名詞を漢字で書く(ただし読みはカタカナでベトナム語読み)のが歴史学会では現在でも慣例となっている模様です(参考『岩波講座東南アジア史』特に7巻と8巻で漢字表記とカタカナ他表記に分かれる)。ただし、これは歴史学会に限ったことであり、他の分野(歴史以外の地域研究など)でも同じことが言えるかは私には不明です。--あなん 2009年6月23日 (火) 06:12 (UTC)[返信]
それは目を通していませんでした。私がチラっと目を通したのは『物語ヴェトナムの歴史』(中公新書)でしたが。なお、ベトナムの歴史地名でウィキペディア日本語版内で漢字表記されているのは、東京 (各国)(曖昧さ回避状態、トンキンへの誘導)、安南がありますね。--ろう(Law soma) D C 2009年6月23日 (火) 08:51 (UTC)[返信]
質問 どちらの本にも、地名等の表記基準について何か書かれていませんか?(巻頭や巻末に規定があることが多いです)--Kurz 2009年6月23日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
ありません。『岩波講座東南アジア史』の場合性質上無理だと思います。--あなん 2009年6月23日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
出典の提示ありがとうございました。一定の日本語表記があることがわかりましたので、リダイレクトや曖昧さ回避を行う根拠は示されたと思います。さて順化西貢はともに同じ無期限ブロックユーザーによる作成ですが、優先順位から言えば心理学の馴化、香港の西貢の方が高いですよね。こうしてあちこちに{{redirect}}によりベトナム地名がお邪魔するということになりますが、この辺に関して皆さんは何かお感じになることはありませんか。--Clarin 2009年6月23日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
ろう(Law soma)さんに追加。順化フエ)も心理学用語「馴化」と平等な曖昧さ回避になっています。--Himetv 2009年6月23日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
このように適用範囲の広いルールを一方の当事者の意見なくして定めるのは片手落ちだと思いますので、本来ならベトナム史に詳しい人の発言を待ちたいところなのですが、残念ながら比較的マイナーな分野なので発言があまりないようですね。仕方ないので土日にでも図書館で少し調べてみます、所詮素人ですからどの程度当てになるかわかりませんが。申し訳ありませんが少しお待ちください。--Kurz 2009年6月24日 (水) 10:18 (UTC)[返信]
本来は私も発言するべきなのでしょうが、出典及び用例を示せという主張が、多くの項目にベトナム地名が出現する違和感に置換されるような議論展開にもはや何を発言すればいいのか分からないのと、説得力がないとClarin氏が言う私が主張するより皆さんで決めていただいたほうがClarin氏本人も納得すると思いますので、お手数ですがよろしくお願いします。東洋文庫でベトナム関連研究書が閲覧できれば多くの資料に接することができますが、こちらは入館証の発行に研究者の紹介が必要なので難しいですかねぇ…--Yonoemon 2009年6月24日 (水) 11:52 (UTC)[返信]
漢字名を記事名前空間に導入する最低限度の条件を日本語による用例に求めるというのは、ここが日本語版ウィキペディアである以上間違いではないでしょう。多くの項目にベトナム地名が出現するというのは、ここでされようとしていることの結果としてどうなるのかという事実を提示して判断を問うているだけで、そのような事例に対する考慮が不要であるということはないでしょう。何を発言していいのかわからないのであれば、漢籍とか戦前の書籍であるとか、ハノイの図書館を閲覧せよなどという議論を延々と展開していながら、他の方によってこうも簡単に日本語の用例が提示されたことに関して何か発言されてはどうでしょう。--Clarin 2009年6月24日 (水) 13:31 (UTC)[返信]
まぁまぁ。Wikipedia:検証可能性は知識のない第三者でもすぐに正否がわかるよう設けられているものです。別に意見対立があろうとも資料の用例を引くのはどなたでもできますから、同じく調べていただければ助かります(こちらの図書館に資料がないとも限りません)。あなんさんのおっしゃるように歴史学会の慣例があるのなら、大方の文献で似たような表記がなされているはずですしね。--Kurz

(インデント戻す)調べた結果をご報告します。

  1. 『岩波東南アジア史』(岩波書店、2001年) - 漢字表記、現地音ルビ
  2. 『ベトナムの歴史』(明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2008年) - 漢字表記
  3. 『これならわかる ベトナムの歴史』(大月書店、2005年) - カナ表記(カッコで漢字併記)
  4. 『物語ベトナムの歴史』(中央公論社、1997年) - カナ表記(たまにカッコで漢字併記、カナ単体の場合もあり)

なお、その他現代の用例を引いた限りでは、仏領以降はほぼカナ表記です。見たところ、専門書に近い書は漢字優先、一般向けに近い書はカナ優先のようですね(断言はしかねます)。検証だけでは明確な結論が出なかったのはなんとももどかしい限りですが、一応「ベトナムの歴史的地名の漢字表現は排除すべき」という提案については、両方の表記が使われている以上はそこまで強制するのは難しいかと考えます。私見でも、この結果を考慮すると反対せざるをえません。--Kurz 2009年6月27日 (土) 05:05 (UTC)[返信]

お疲れ様です。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。この結果を踏まえあらためて「ベトナムの歴史的地名の漢字表現は排除すべき」という案件について反対させていただきます。--Himetv 2009年6月27日 (土) 05:21 (UTC)[返信]
検証ありがとうございました。「ベトナムの歴史的地名の漢字表現は排除すべきという議論(Yonoemon 2009年6月22日 (月) 16:25 (UTC))」という先行議論の紹介の仕方には誤解がある気がしますか、「一般的な日本語の範疇として使用する、というコンセンサスをまず経た上で、用例の比重によってどのような曖昧さ回避かを選ぶプロセスが必要(Clarin 2009年6月15日 (月) 16:01 (UTC))」というのが先行議論におけるスタンスで、今も変わっていません(漢籍や戦前の書籍云々というのは、議論の前提自体が既に変わっています)。一般的な日本語の範疇として使用するということは検証によってわかりましたので、「一定の日本語表記があることがわかりましたので、リダイレクトや曖昧さ回避を行う根拠は示された(Clarin 2009年6月23日 (火) 14:09 (UTC))」ことにも変わりありません。提案でいうならば、2.3.5.は容認、「必要に応じて」が考慮されるのなら1.も容認、4.に関してはわざわざ作る必要は感じられないものの、作られた場合には消す必要もないといったところでしょうか。尚、これらは一般的な日本語の範疇で歴史的用語としての使用例があるということが前提の容認ですので、西貢→サイゴンのような例まで無制限に容認するものではありません。--Clarin 2009年6月27日 (土) 06:11 (UTC)[返信]
検証お疲れ様でした。第三者の検証によっても予想通りの常識的且つ歴史学の現状を反映させた結論が出たことにほっとしてます。漢籍で漢字表記があれば専門書であれば当然その表記を使用するのは歴史学の常識と言えば常識ですからね(一次史料優先の歴史学の原則)。
サイゴンを西貢と表記することに否定的な意見はありますが、史料の裏づけがあるものに関しては漢字表記を整備し、現行の地名のみならず、歴史的な地名を今後整備する予定ですので、ベトナム以外に新疆その他での地名の漢字表記を取扱う際の一つの指針にさせていただきます。--Yonoemon 2009年6月28日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
真っ先に確認していただきたいのですが、皆さんに第二次資料を確認していただいたのは、それらを元に歴史学を展開するためではなく、「歴史学の現状」を検証する手段が第二次資料だったからに過ぎません。Yonoemon 氏は「歴史学の常識」とウィキペディアにおける検証可能性を未だに混同しているようです。
自身も資料を確認して参りましたが、おおむね Kurz 氏のおっしゃる通りでした(『岩波講座東南アジア史』は確認できていませんが、近いうちに確認したいと思っています)。検証(自分も含めて)の中でもう一つ明らかにされるべき点として、カタカナ表記の併記がされていない場合の有無があると思います。何らかの形であってもカタカナ表記が(前後の文脈に関わらず)併記されていない書籍があるのなら、1.4.に関しても利便性のために作るべき、となるでしょう。何らかの形でカタカナ表記があるのなら、漢字を使用せずとも現代地名による検索が可能であるため、それらは必ずしも必要ではない曖昧さ回避ということになるでしょう。--Clarin 2009年6月28日 (日) 09:12 (UTC)[返信]
私が資料を見て素人考えながら思うのは、おそらく歴史学会では漢字表記という話は疑いないが、一般書にはカナ表記もあるようですし、Clarinさんの指摘のとおり併記方法はてんでバラバラですので、どちらが絶対優位であるということは(検証可能性では)言えそうにない、ということだけです(Wikipedia:外来語表記法で言うところの「専門的慣用」と「一般的慣用」の対立)。ただ、この場合は歴史的地名についての話ですから、もし執筆の便を考えていずれかの表記法に統一したいとなれば、歴史学会の見解を優位に置くという考え方でよいかと思います。 また、『物語ベトナムの歴史』を読んでみてカナ表記がかなり読みにくいと感じたので、漢字が浸透している国なら漢字の方がよいかと思います。参考までに、韓国の歴史記事もほとんど漢字表記ですね。 Clarinさんは中国記事を主に執筆してらっしゃいますから、漢字名の衝突が厭わしいのだろうと推察しますが、こればかりは中国が周辺の「徳化」(中国化)に熱心だったことを考えるとどうにもならない部分ですのでなんとも……。--Kurz 2009年6月29日 (月) 11:03 (UTC)[返信]
時間も経っているため文脈が変わっているのかも知れませんが、発言させていただきます。私は基本的に、カタカナ表記の本項目内に「漢字表記は~」と入れるなり、沿革の項目を立ててそこに漢字表記を入れれば事足りると思います。Wikipediaを直接引くかたは(表示ではなく)「検索」でヒットします。最近はそもそもGoogleなど検索エンジンを使って直接飛んでくる人の方が多いのではないでしょうか。
otherusersなり対等な曖昧さ回避を使用するのは、河内(「かわち」との区別)や西貢など一部の有名な地名のみに限るべきだと思います(おなじサイゴンでも日本であまりなじみのない柴棍は採用しない)。Yonoemonさんご提案の2・3などはそもそも本項目自体が存在しないのに、曖昧さ回避のページのみ存在する状況です。これでは意味をなしませんし、無駄に曖昧さ回避のページだけが増殖していきます。歴史的文脈を重視される方々は、それぞれカタカナ表記の本項目内部に漢字表記の情報を適宜挿入されれば、本項目自体も内容が充実して一石二鳥だと思います。
otherusersなり対等な曖昧さ回避を使用したいという人を強いて止める気はありませんが(私がその作業をするわけではないので)、(1)漢字表記の揺れが非常に大きいのに1つの漢字表記だけページを作成するとその表記が「正解」だと誤解されてしまわないか、(2)たまたまどこかで使われていた漢字表記が、さも一般的であるかのような誤解を与えてしまうかもしれない、の2点について注意喚起させていただきます。例えば、中部高原や南部の省(たとえばザライ省やドンナイ省)のページには「漢越辞典を引いて適当な漢字を当てただけではないか?」「たしかに用例はあるかも知れないけど、誰も使ってないぞ」と突っ込みたくなる漢字表記が併記してあります(個人的には消した方が良いと思います)。また、ここでの議論で出てきた戦前・戦中の書籍は時局の要請に応じて泥縄的に作られたものも多く、表記もばらばらです(同じページでサイゴンと西貢が同居していたりする)。漢字への同定も省レベルはともかく、その下になってくると相当怪しいものが多いと思います。いったんこういった表記がWikipediaに載ってしまうと、「たまたま採用された」漢字表記がさも一般的であったかのような誤解を与えることを私は強く危惧します。
なお、学界での表記ですが媒体によって異なりますし字数や組み版の制約などもあります。『岩波講座 東南アジア史』のごとく、カタカナで振り仮名するのはベトナム語の文脈を尊重する意図があります。漢字が公用文字だった植民地化以前と以後で漢字/カタカナを分けることが多いですが、その理由は公用文字の変化だけでなく、フランス語史料が増えて人名・地名を問わず、漢字表記が確定できないケースが増えるからです(逆に前近代の場合、漢字表記のみ分かって音が分からないケースもあります。これは漢字・チューノムで書くしかない)。とはいえ、前近代史の文脈でカタカナ地名を排除するわけではありません。口語ベトナム語で対応する漢字がないケースもありますし(西洋史料に現れるハノイの別称ケーチョは口語ベトナム語で漢字はない)、17世紀の国際貿易港フォーヒエンは舗憲という漢字表記が一応ありますが、カタカナを使うことが一般的です。ホイアンについても同様で会安という漢字表記はベトナム史の専門家はあまりやりません(『岩波講座』でもそうですね)。また、やや別の理由でフエを順化や富春に当てたりもしません。長文失礼しました。--Nkymysnr 2009年10月14日 (水) 10:03 (UTC)[返信]
Clarin氏との話し合いの結果、Clarin氏も1ヶ月程度この問題に容喙せず、ベトナムに詳しい人物による議論を惹起し、その結論を待つという合意が達成しました。二人の間の意見の相違に起因しこのような議論へと発展したことは不徳及び知識不足のなせる業とも言えまして、特に資料調査を行っていただいたKurz氏には感謝致します。再び同様の問題が発生することなきよう、Clarin氏とのコミュニケーションを行って行きたいと存じます。また不適切な発言に関しては自らを省みる意味で削除や修正することなく残しておきます。Clarin氏には不快な思いをさせましたことを陳謝いたします。--Yonoemon 2009年7月1日 (水) 15:55 (UTC)[返信]
当事者同士で別の場を設けて議論するのは、のちのち同様の議論が起きた際に参考にしにくいものがありますので、できればこの場で公開で議論していただきたかったです。とはいえ、双方で一定の合意に至ったのはよかったです。--Kurz 2009年7月2日 (木) 10:57 (UTC)[返信]
この問題の解決案ではなく、議論方針の問題点を相互に反省するという内容でして、この問題はベトナムに詳しい他の方の意見を暫時尊重するという合意ですので、こちらでの議論に一切影響を与えるものではありません。ご安心して議論を継続いただければ幸いです。--Yonoemon 2009年7月3日 (金) 01:18 (UTC)[返信]

中華民国と満州国の行政区画について[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#通史的に記述可能な行政区分にて中華民国や満州国の省級行政区画を現行の行政区画に統合すべきか否かの意見がだされています。整備済の満州国の省級行政区記事の大々的な統廃合につながる基準作りを目指しているようですので、歴史への造詣が深い皆様のご意見をお待ちしております--Yonoemon 2009年7月24日 (金) 13:44 (UTC)[返信]

関連:マークアップ記述の問題(リンク先の間違いが起きる)[編集]

現在、カテゴリーのマークアップで記述されている、安東省の安東市の記述へのリンクが、中華民国安東省安東省(満州国)を問わず、大韓民国慶尚北道安東市へのリンクになってしまうと言う問題が生じています。
これは、この中華民国・満州国の行政区画の議論で、同時に検討して頂けないでしょうか?
当座の逃げなら、安東市(丹東市)と、記述すれば解決しますが、それが良いのか?
ベストなのか? 初心者として判断しかねます。
今後の記事記述の時にも、同じようなリンク間違い発生は防止出来れば良いと思いますので。 --みぃにゃん 2011年5月11日 (水) 11:35 (UTC)[返信]

関連:マークアップ記述の問題の事後報告[編集]

安東省 (満州国)および、中華民国統治下の安東省の記事では、Hyolee2さんの手で、中華人民共和国の行政区画、丹東市へリンクを張るように書き換えが有りました。この件の議論は、ノート:安東省 (満州国)ノート:安東省を御覧下さい。以上報告まで。--みぃにゃん 2011年6月16日 (木) 05:25 (UTC)[返信]

ゲーム本設定起源らしき記事について[編集]

記事マングダイに関して、ノートにて以前からゲーム本設定起源の記事らしき疑念を表明しておりましたが、最近になって付された他言語版リンクによって、どうやら記事名自体はモンゴル帝国の、特にジョチ・ウルスの歴史で大きな役割を果たしたマンギト部のことであり、それをゲームにおいてモンゴル帝国軍の特殊部隊であるかのような設定を施したものを、史実として記事にしてしまったものではないかという線が濃厚に浮かび上がってまいりました。記事の処置に関して、中央ユーラシア史に詳しい方のご援助をお願いする次第であります。--ウミユスリカ 2009年7月28日 (火) 08:45 (UTC)[返信]

おしらせ。閔妃の編集について[編集]

閔妃#関連の話題に2009年8月24日の報道ステーション特集について、ノート:閔妃#8月24日報道ステーションの記述についてで、どのように記述するか議論が行われています。多くの方の議論参加が望ましい問題のように思いますのでお知らせいたします。--政治野球マニア 2009年8月30日 (日) 08:50 (UTC)[返信]

先代次代テンプレの是非について[編集]

私がこの件に関った経緯について。

Y.kansuke氏によってTemplate:先代次代に代わってTemplate:中国帝王が新設され、入れ替えられました。しかし三皇と周王とが同じテンプレに入っている、中国帝王という名前なのに周より後の帝王たちが入っていないのは何故?などと疑問をTemplate‐ノート:中国帝王で述べると共に、全て差し戻ししました。その後、前漢・後漢の皇帝たちも加えられたので、「歴代全部載せるつもりですか?」と再び異を唱えました。その後、今度は各王朝別の帝王一覧のテンプレが作られ始めましたが、前漢で止まってそれ以降は作られていません。

私は各王朝別の帝王一覧のテンプレならば有用と思いますので、反対はしないのですが、途中で止められては困ります。

ですのでとりあえず中国史に関して。

  1. Template:中国帝王は意味が無いので削除。
    • 中国帝王一覧にあるように全部を載せたテンプレは巨大なものになってしまい、全く無用の存在です。
  2. 歴代王朝ごとの皇帝・王一覧のテンプレを作り、張替えを行う。
    • 歴代王朝ごとの一覧ならば有用と思います。ただ、西周と東周・西晋と東晋などは分離したほうが良いと思います。また短命王朝に付いてはいちいちテンプレを作らずにコピペで済ませたほうが効率的であると思います。具体的には5代以下なら不要でしょう。

の線でテンプレを作ることを提案します。加えて先代次代テンプレを使われている他の分野の方々にも意見をいただきたいと思います。らりた 2009年9月16日 (水) 12:15 (UTC)[返信]

コメント Help:テンプレート#テンプレートの目的と基本的ルールからすれば、本来ならカテゴリや関連項目(というか、王朝の項目)で足るレベルですね。カテゴリならシステムサポートもありますし。--Kurz 2009年9月17日 (木) 10:57 (UTC)[返信]
しばらく待っていましたが、なかなか意見がつきません。Kurzさんのご意見はそもそもこのようなテンプレ自体不要ということでしょうか?私としては他のページにアクセスしなくても良い分、あったほうがいいと思うのですが。らりた 2009年9月27日 (日) 06:47 (UTC)[返信]
単に同一分類に属する項目を並べるだけだとナビゲーションテンプレートがカテゴリなみに増えてしまって管理の手間ばかりかかりますよね。Category:海上自衛隊艦級テンプレートとか{{伊達氏宗家歴代当主}}とかはそんな感じですね、これならカテゴリで十分でしょう。まぁ、ナビゲーションがどの程度必要かは主観に属する話なので、別に必要だと思われるのでしたら構いませんよ。--Kurz 2009年9月27日 (日) 07:56 (UTC)[返信]
最近こんなの作られてるみたいですんで一応報告まで。Category:歴代藩主のテンプレート。どれぐらいまで増えますかね?これだとメタテンプレート作ったほうがいいかもしれませんねぇ。--Kurz 2009年10月3日 (土) 09:25 (UTC)[返信]
その後、意見がつきませんので、とりあえず有用でないと考えられるTemplate:中国帝王の削除依頼だけを出すこととします。らりた 2009年10月22日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
報告下位プロジェクトWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史#Category:歴代藩主のテンプレートについての議論において、一覧表形式のCategory:歴代藩主のテンプレートの使用とTemplate:先代次代の差し替えが追認されましたので報告いたします。なお、この追認の適用範囲は藩主記事に限定ですが、このほかの先代-次代の関係が明瞭な歴史的人物記事(国王・氏族や家の当主など)への横展開を検討されてはいかがでしょう。--故城一片之月 2010年3月31日 (水) 10:23 (UTC)[返信]

おしらせ。韓国併合の編集について[編集]

韓国併合#「大日本帝国」についてノート:韓国併合#「大日本帝国」についてでWikipediaに存在する「大日本帝国」という文言をすべて「日本」と統一するか議論が行われています。Wikipediaの多岐のページに関わることで多くの編集者による議論および合意が望ましいと思われますので、ここにおいても周知させて頂きたいと思います。--St.Patrick 2009年9月29日 (火) 02:30 (UTC)

「大日本帝国」表記の変更[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本史に「大日本帝国」表記を「日本」表記にする議論が起こされましたので、ここにおいても周知させて頂きます。--St.Patrick 2009年9月30日 (水) 07:08 (UTC)

「Wikipedia:良質な記事」運用開始のお知らせ[編集]

こんにちは、廉と申します。この度、Wikipedia:秀逸な記事と普通の記事の中間に位置する記事を選出する制度としてWikipedia:良質な記事がスタートしました。これはという記事がございましたら是非良質な記事の選考にてご推薦ください。また、良質な記事は通常の選考のほか、各ウィキプロジェクトにおいて自主的に選出の基準を取り決め、その基準に従って選出することも可能です(Wikipedia:良質な記事#良質な記事の基準を参照)。プロジェクト独自の選考基準を作成し、良質な記事を発掘することもご検討ください。-- 2009年10月16日 (金) 12:56 (UTC)[返信]

東洋文庫のデータベース記事を受け入れてもらえますか?[編集]

今日は。いまWikipedia:削除依頼/平凡社東洋文庫一覧記事という削除依頼が出ているのですが、審議対象の記事群を「ウィキプロジェクト 歴史」のサブページに移動してはどうかという案が検討されています。PJ 歴史の関係者の方々の意向を伺いたいです。すみませんが削除依頼サブページのほうにお願いします。--Five-toed-sloth 2009年12月11日 (金) 22:03 (UTC)[返信]

Category:各国の条約 の運用と構造について[編集]

こんにちは。Ashtrayと申します。表記の件、Category‐ノート:各国の条約において、議論を提起しております。歴史上のさまざまな条約・協定・取極・等、PJ歴史に関連する記事も多数ございますので、是非みなさまのご意見を伺いたく存じます。--Ashtray 2009年12月23日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

報告 本件は終了いたしました。--Ariesmarine 2010年2月1日 (月) 10:52 (UTC)[返信]

ノート:ウクライナ#複数のIPによる編集・出典・荒らしについてご意見を賜りたくと存じます。--Alex K 2010年1月4日 (月) 07:41 (UTC)[返信]

戦争史記事「四国征伐」の改名について[編集]

1585年、四国の覇権を巡って羽柴秀吉と長宗我部元親の対立により勃発した戦争史の記事名について、現状の記事名「四国征伐」を「四国攻め」に改名するか否かの議論をノート:四国征伐(論旨のまとめはノート:四国征伐#改名に関するコメント依頼)で実施していましたが、コメント依頼及び下位プロジェクトへの呼びかけ後も議論が膠着しております。解決に向けて有意義な助言を頂ければと思います。

本議論は、今以て呼び名が定着せずに表記揺れをする対象記事に対し、どのような基準軸に基づいて比較一位の「記事名」を決定するかが焦点となっております。「記事を構成する二次資料の扱い選抜すべき」「露出度の高い媒体である国語辞典(三次資料)などより選抜すべき」等で対立しています。他記事に影響を与える前例となる可能性もある案件です。なお、現時点で投票による解決を目指しておるところですが、Wikipedia:投票の廃止に伴い、合意無き投票も難しいようなので、解決への処理手順についてもご助言をよろしくお願いします。--Yasumi 2010年1月24日 (日) 05:07 (UTC)[返信]

合意により投票が実施されることとなりました。ウィキペディアの記事名について、コミュニティの判断を仰ぎたいと思います。
ノート:四国征伐#四国征伐の(記事名)改名についてが投票要領、次節が投票先です。よろしくお願いします。--Yasumi 2010年2月12日 (金) 20:47 (UTC)[返信]
投票が締め切られ、四国征伐から四国攻めへの改名が実施されました。投票にご協力いただき、ありがとうございました。--Yasumi 2010年3月1日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

四国攻めの今後について[編集]

信長(本能寺前後)・秀吉(四国の役)・輝元(関ヶ原)などの各部分について、今後の記事の内容・範囲と方向性について、ノート:四国攻めにてご意見を広く求めます。--Yasumi 2010年3月20日 (土) 21:52 (UTC)[返信]

ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」新設のお知らせ[編集]

先日行われた、ウィキプロジェクト用名前空間新設に関する投票の結果に基づき、ウィキプロジェクト用名前空間「プロジェクト」が新設されます。その際、以下の点にご注意ください。

  • ウィキプロジェクトのページ(サブページも含む)は、Botを用いて全て新名前空間へ移動されます。
  • 元ページはリダイレクトとしてすべて残されます。
  • プロジェクト名前空間のタブ表記は「プロジェクト」となります。
  • Wikipedia名前空間のタブは、「プロジェクトページ」から「ウィキペディア」に変更されます。

なお、具体的な日程などについては、『編集者向けsitenotice』などで告知される予定です。--W.CC 2010年7月27日 (火) 09:25 (UTC)[返信]

歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。[編集]

Wikipedia:井戸端歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。というタイトルで問題提起をおこないました。この問題について御意見・御関心のある方は、ぜひお読み下さい。御意見もお待ちしております。どうか、よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 15:30 (UTC)[返信]

(コメント)個人的にWikipedia:井戸端は編集しないことを信条としておりますので、この問題の中身については私は直截意見は出しません。ただ今回のChokorinさんの問題設定についていくつか疑問がありますのでこちらで指摘します。
一つは、すでにこの問題に関しては上記にリンクもあるPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案が話し合われ、そこでも決定的な合意が得られなかった経緯がありますが、あくまで歴史記事が対象なのですから、井戸端ではなく、まずここもしくはポータルのノートで話し合うべきなのではないでしょうか。
次に「歴史記事に(中略)は必須なのか」という見出しには違和感があります。Wikipediaの性質上「書いていいかどうか」「書くべきではないか(書いてはいけないのか)」のどちらかという問題設定はあり得ても、「必須なのか」という設問はおかしいのではないでしょうか。これではあたかも「書いてもいい」側の編集者が、「てもいい」ではなく必須(「書かねばならない」)と主張しているかのような偏った印象を与えかねない、議論誘導的・恣意的な標題になってしまっているように思います(Chokorinさんが「書くべきでない」派であることは明らかなので)。論理学的に言えば「書くべきでない」の否定は「必須(=書くべきである)」ではなく「可能(=書いてもいい)」になるはずです。以上。--トホホ川 2010年8月5日 (木) 21:02 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。歴史の授業ではなく、ドラマや小説、ゲームを通じて歴史に興味をもつようになったという人も少なくないと思います。「俳優一覧」「ゲーム一覧」を加筆する方たちは決して悪意で加筆しているのではなく、善意で加筆してくださっているものと思いますが、現状では、行き場がないために(フィクションと歴史が同じ記事内にあるために)、「歴史記事のなかの創作にかかわる節」の分量がどんどん増えているのではないかと思います。だとすれば、「行き場」さえつくれば、問題の多くは解決するかもしれません。このように考えれば、時代劇ファンやゲームファンの御意見も伺わないと話は進まないし、主として加筆してくださる当事者ぬきに話を進めても、そのことについての周知もできなくなってしまうということになると思います。「行き場」をつくる部分では、時代劇ファンやゲームファンの協力も必要だと考えます。そう考えて、「井戸端」での問題提起としました。歴史以外の領域では、このような問題に対し、どのような対応をしているのかを参照したかったこともあります。
「見出し」について。おっしゃるとおりかもしれません。理論的には「書いていい」「書いてはいけない」×「書くべき」「書くべきでない」の2×2で4通りあると思いますが、「書いてはいけないが書くべき」という意見はありえないので、
  1. <書いていいし、書くべきである>
  2. <(本来は)書くべきでないけれど(場合によっては)書いてもいい> or <(たくさんは)書くべきでないけれど(少しだったら)書いてもいい> …
  3. <書くべきではないし、書いてはいけない>
の3通りになると思います。個人的には、このなかの2.が多いのではないかと忖度して、あのような見出しにしました。2.の人が皆無で、1.の人と3.の人とに綺麗に二分されるのであるならば、そもそも話し合いは不可能であり、合意は土台無理な話ですので、早々に諦めるべきだと思いました。1.の人ばかり、または、3.の人ばかりであるならば、結論はすぐに出るわけで、あとはそれに沿ったガイドラインを作成していけばよいと思います。個人的には、2.のなかのヴァリエーション、ないしニュアンスの相違を前提にしなくては、話は進まないだろうし、集約もされないというふうに考えました。そしてまた、「『必須でない』とすればどうすべきなのか」という次の議題、行動にかかわる議論を見越して提起していかないと、議論が拡散してしまう怖れがあると考えました。それは一番忌避すべきことです。トホホ川さんと同様の御指摘があったら、議論のなかでも説明していきたいと思います。貴重な御意見、ありがとうございました。ぜひ、議論に御参加くださいよう、よろしくお願いいたします。心より、お待ちしております。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 22:44 (UTC)(意味が通りにくいところを修正加筆)--Chokorin 2010年8月6日 (金) 00:26 (UTC)[返信]

歴史記事における創作部分の扱いについて[編集]

先行する関連議論
  1. Wikipedia:井戸端/subj/「~に関する作品」「~の登場する作品」への掲載基準について
  2. Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案
  3. Wikipedia:井戸端#歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。
  4. ノート:本能寺の変/過去ログ1#分割提案

最近、わたしは上の3.と4.において、歴史的事件および歴史的人物において創作部分をどう扱うかについて問題提起をおこない、歴史記事から創作部分を分割すべきではないかと提案しました。3.および4.のなかでは、分割すべきという意見が多かったわけですが、2.において、トホホ川さんが、

  • Wikipediaが歴史事典ではなく百科事典である以上、ある程度のフィクション記述はむしろ有益な場合も少なくありません。聖徳太子諸葛孔明鎌倉権五郎石川五右衛門宋江河内山宗俊ラスプーチン等々…史実の人物の事績以上に、虚像が後世に与えた影響の方が大きいと見られる人物もいますし、何より「フィクション」の定義が曖昧かと思います。日記や文書等々一次史料の中に虚偽・誤謬が見られる例もあるわけで…。何が「史実」かも論者によって変わってくるものではありますので一概に峻別できる性質のものではないかと。

という、重要な御指摘をなさっており、確かに、これらいわば一種伝説的な人物、あるいは秘密のヴェールに包まれた人物をどう扱うかという問題があります。さらに、トホホ川さんは、「統一的な方針を示すことが必ずしもWikipediaにとって有益とは限らない」ことを憂慮されており、「統一的な方針自体はむしろ邪魔にしかならず、ケースバイケースで処理するほうがベターなような気がして」ならないとおっしゃっています。これまた首肯すべき貴重な御見解と思います。ただ、その一方で、ある程度、その人生や事績等が判明しており、大河ドラマをはじめとする歴史ドラマ・時代劇などで多数扱われるような人物に関しては、創作作品部分の加筆は増えるいっぽうで一向に整理されないという現状があるのも事実ではないかと思います。特に、戦国・織豊期と幕末・維新期に関しては、創作部分の一覧だけで何千バイトにおよぶものがあり、ここには何らかの包括的な方針が必要ではないかとも思われるのです。室町時代などは、ドラマ等で扱われることがそもそも少ないようで、一覧等などで分割するにはボリュームが少なすぎ、現状のままでもさほど大きな問題にならないようです。たとえば、「小説・ドラマ・ゲーム等にジャンルを分けた場合、その1ジャンルについて作品数が10以上になった場合、分割できるものとする」というふうなルールをつくっておくといいんじゃないかというふうに考えます。その際、M.Fさんの掲げられた

  • その人物を主題に描いた、文学的にも評価の高い創作物(例:徳川家康における山岡荘八『徳川家康』など)
  • その人物の存在を世間に知らしめるのに貢献した創作物(例:天璋院における宮尾登美子『天璋院篤姫』及びそれを原作とする大河ドラマ『篤姫』など)
  • その人物について新解釈を与えた創作物(例:上杉謙信における八切止夫『上杉謙信は男か女か』など)

などは、元記事のなかでも触れるというのは、重要な指針になると思います。いかがでしょうか。各方面からの活発な御意見を期待します。--Chokorin 2010年8月15日 (日) 23:30 (UTC)[返信]

残された記述の多くが神話・伝説を含む創作物である場合(サロメ (ヘロディアの娘)モーセ呂洞賓等)についての切り分けを考えると大変難しい内容を孕んでいる問題だと考えます。また、特定の宗教や社会集団によって真実であると支持されている創作物の内容を歴史的事実ではなく創作物であるとして切り分けることができるか否かを個々の問題について(特にその社会集団の攻撃性等に応じて)柔軟に対応するのであればこの問題に関する統一的な基準はどのようなものであれ骨抜きになってしまうと考えます。また過去の宗教指導者や社会指導者(例:ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ徴姉妹金日成林彪等)について、後世の記述が(特にフィクションと銘打っていない著作物において)創作的記述を基にして書かれていた場合(あるいは特定の社会集団が一般的に歴史的事実として認められている内容を創作物だと断じている場合)、その内容をここでの論議を元に創作物として切り分けたとして何の問題もなく済ませられるかについて疑問にも思っています。現在までの論議については主に日本史上の人物についての話題が主であるようですので大きな問題にならないと考えている方も多いと思いますが、歴史分野全体についてこうした創作物関連の方針を敷衍することは現在のところ適切ではなく、将来突き当たる可能性の高い問題について考慮が行われていないように考えています。--Himetv 2010年8月16日 (月) 02:18 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。確かに、おっしゃるような御懸念は理解できますし、もちろん、ヤマトタケルであるとか、日本史上の人物についても同じ問題はかかえていると思います。サロメやモーセについては、一義的に歴史上の人物なのかという感じもするわけなんですけれども、そのように受けとる人も出てくるであろうことは確かに否めないですよね。傾聴すべき御意見と感じました。他のみなさんの御意見もうかがいたいです。よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月16日 (月) 12:10 (UTC)[返信]
トホホ川さんとHimetvさんにあえて反論、というか質問いたします。神話的ないし伝説的要素の多い人物、言い換えると神話・伝承の部分と史実の部分とを切り分けることが難しい人物が歴史上存在するということは確かなわけですが、しかし、だからと言って、史実とフィクションを切り分けることが比較的容易な人物について、切り分ける必要がない、というのはロジックとしてはいかがなものか。もちろん、「切り分ける必要がない」とはおっしゃっていませんが、結果としてはそうなってしまうわけです。そのへんは、いかがお考えでしょうか。--Chokorin 2010年8月17日 (火) 15:14 (UTC)[返信]
その辺は失礼ながら勇み足な解釈で、私としては「結果としてそうなってしまう」とは思っていません。私の意見は一貫して、いわば「各論賛成、総論反対」です。個別の記事に関して、切り分ける必要が生じた時(それが客観的に見て――もちろん「歴史分野的な視点」以外の観点においても――切り分ける方が自然と思われる時)に、記事を分割することについては全く反対するつもりはありません。しかし、それをjaWP全体に敷衍するのは、機械的に解釈して悪用する編集者の存在がある以上、大変に危険だと申し上げている訳です。上記で例に挙げられている「作品数が10以上になった場合、分割できるものとする」などという基準も、失礼ながら私にとっては(jaWP記事全体に適用するにはあまりにも)論拠の不明な大変恣意的な基準にしか見えず、これを悪用された場合、記事個別の事情を無視して機械的に処理されるなどの厄介な状況に陥ることが容易に想像できます。
現在行われている本能寺の変における議論も(私は参加しておりませんが)、当該記事の分割自体は、議論の場でコンセンサスが得られている限りにおいては、私は反対するつもりは全くありません。が、その場で出た結論を他の記事にも一般的に適用するような流れになるようであれば、はっきり反対いたします。大事なのはその記事ごとに適切な対応を検討していくことであって、杓子定規的に根拠薄弱なルールを全体の記事に当てはめてしまうことは、いたずらにトラブルを招きコミュニティを疲弊させるのみならず新規記事投稿を萎縮させjaWPの発展を阻害させることにもなりかねません。その各個記事ごとの努力を省略するために、新ルールを設けて編集者の行動をあらかじめ縛ってしまうのは、Wikipediaの精神から言って本末転倒かと思います。
強いて統一的なルールを作成するのであれば、機械的な運用ができないように、たとえばChokorinさんの表現を借りるなら「小説・ドラマ・ゲーム等にジャンルを分けた場合、その1ジャンルについて作品数が10以上になった場合、分割できるものとする」ではなく「…作品数が10以上になった場合、ノートで分割の提案をすることができるものとする」あたりの弱い表現にとどめるべきかと思います。もっとも、その程度であれば現在の運用とさほど変わらないので制定する意味はあまり無いかもしれませんが。(最近あまり時間が取れないのでこの辺で…)--トホホ川 2010年8月17日 (火) 21:11 (UTC)[返信]
了解しました。統一的・包括的ルールの策定はあきらめ、提言を取り下げます。自今、個別に分割を提案してフィクション部分の整理をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月17日 (火) 22:14 (UTC)[返信]

フィクション記述のあり方について[編集]

トホホ川さん、Himetvさんの御懸念は、「角を矯めて牛を殺す」の愚を避けたいということと理解しました。一律的な対応は、現状では、確かにその怖れありと私も思います。ただ、いっぽうでは「角を矯め」なくてはいけないような段階に達していることもまた事実なのではないか、そして、そのうえで、「牛を殺さない」方策を考えるべきなのではないか、とも思うわけです。そこで、ここではトホホ川さん・Himetvさんの掲げられた、

について、同様の例を議論参加者のみなさんにもっと多数掲げていただきたいです。これは「牛を殺さない」方策の一環です。ただ、この場合でも史料批判にもとづいた実像と史料批判を経ない虚像の部分を、(分割はせずとも)区別して書くことは必要であると考えますし、ムハンマドや金日成などにおける記述における伝承的・創作的な内容に関しては、伝承や創作の担い手が誰であるかを明記することはむしろ必須であろうと思います。これらの人物の場合、過去または現在において、虚像もまた大きな社会現象となっており、単純に分割するのは不適切とみなされることが多いと感じます。しかし、なかには「史的イエス」のような記事の立項が可能なものがあるかもしれません。それについては、あとで検討してもよいと思います。

いっぽう、今すぐ「角を矯めるべき」とみなされる記事群があることも確かであり、ドラマや小説やゲームなどの一覧を節にしているようなケースは、ある程度まとめて大清掃すべきではないかと考えます。歴史記事の執筆者は往々にして「そんなものはもともと書くべきことじゃない」「歴史上の人物とは無関係」というふうに思いがちであり、わたしも当初はそう思っていましたが、実際のところ、それを加筆するのは、ドラマファンであり、歴史小説ファンであり、ゲームファンです。一方的に「書くべきでない」と宣言したところで効果は全然ありません。両者をまたぐような合意は存在していませんし、ひとつの立場として「歴史上の信長なんて全然興味がないね。俺は時代劇のなかの信長がどう描かれているかにだけ興味があるんだ」という立場は、われわれの違和感とは別のところで厳然として存在しているというふうに考えます。ならば、そういう場は分割によってつくりだしていくべきではないかと思いますし、そういう場を積極的につくっていく責任は、むしろ歴史記事執筆者の側にあるというふうに考えます。ちなみに、わたしは以前、

というように「○○を演じた俳優一覧」というかたちで記事をつくりました。大きなものでは7,000バイトを越えました。

最近、「歴史的事件を題材とした作品」としては、分割によって「本能寺の変を題材とした作品」「関ヶ原の戦いを題材とした作品」を立項しましたので、次は「歴史的人物を題材とした作品」ということで、とくに小説やドラマに取り上げられることの多い戦国・織豊期の人物や幕末・維新期の人物について一括して創作部分の分割をおこなっていきたいと思います。これについても、議論参加者のみなさんに掲げていただければと思います。以下に欄をつくります。--Chokorin 2010年8月19日 (木) 23:00 (UTC)加筆修正--Chokorin 2010年8月20日 (金) 00:46 (UTC)[返信]

(追記)「歴史的人物を題材とした作品」についてですが、「源頼朝が登場する大衆文化作品一覧」、「源義経が登場する大衆文化作品一覧」という記事が、すでにあるようです。「登場する」という表現だと、わざわざ「演じた俳優」の記事はつくらなくてすみますし、現状の人物記事からの分割も容易です。また、「大衆文化作品」と銘打つことによって、印刷技術や映像技術の発達した近現代の大衆向け作品であることが明確になるとも思いますが、その点についても御意見をうかがいたいと思います。これについても、欄をつくっておきます。--Chokorin 2010年8月20日 (金) 00:46 (UTC)[返信]
コメントうーん、残念ながら、私の意見は否定的です。私としては、個別の記事でそれぞれの事情(ちなみにこの「事情」というのは歴史人物の記事は歴史的記述に限りたいというような事情ではありません。念のため)を勘案して議論すべきであって、こうした場で一括で議論すべき問題ではないというのが主旨であります。例として挙げられている明智光秀石田三成織田信長徳川家康豊臣秀吉大久保利通木戸孝允坂本竜馬吉田松陰というのがどのような基準でピックアップされたのか全く分かりませんし、それぞれの事情があって一括に論じられません。どうしてこの9人が選ばれ、なぜその9人を同一の基準で分割しなければならないのでしょう?
ついでに言えばChokorinさんのそもそもの問題意識である「今すぐ「角を矯めるべき」とみなされる記事群があり、ある程度まとめて大清掃すべきではないかと考えます」とか「ならば、そういう場は分割によってつくりだしていくべきではないかと思います」というお考えにも、私としてはあまり(というかほぼ)賛同できません。現状のjaWPにおいて、それらの記事がそれほど深刻な問題になっているとも思えませんし、そもそも「歴史なんて興味がない。俺は時代劇でどう描かれているかに興味があるんだ」という視点を認めるのであれば、現行のような同一記事内に記述が混在していたところで、かえってメリットにこそなれ(「ああゲームではこういうキャラだったけど、史実では全然違うんだ」という発見にもなります)、デメリットにはなりえません。むしろアカデミック寄りな分野の執筆者特有の「自分の目障りになる記述は隔離所に排除しよう」というエゴすら感じてしまいます。私自身、アカデミック寄りに記事を書くことが多い執筆者ではありますが、河内山宗俊松平忠敏 (主税助)宋素卿などは、むしろ後世の大衆文化による脚色も重要と考え、あえて史実的な面と後世の虚像を両方とも同じ記事に内包することを重視して立項しました。
私はWikipediaが歴史辞典ではなく百科事典を標榜している以上、たとえ歴史上の人物に関する記事であっても、内容をアカデミックな史実的記述に限る正当性は無いと考えておりますし、それらを分割する正当性もあまり感じません。当該分野(歴史)に詳しくない人が、何らかのきっかけ(ドラマでもゲームでも)を機に読みに来て、予期せぬ知識を得て帰っていくというのも百科事典の醍醐味である以上、これらをいたずらに排除すべきとは思いません。もちろん記述量が著しく過大であるとか、可読性を著しく損なっているとか、百科事典的記述にそぐわないとか、特筆性があまりにも薄いなどというような、百科事典の記事として不適切な理由があれば、個別の記事に関して賛成をすることはあるかもしれませんが、一括で分割するというある意味乱暴なやり方はちょっと賛成できません。--トホホ川 2010年8月22日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
御意見ありがとうございます。「いたずらに排除」というのは、実は私の本意ではなく、すでに豊臣秀吉では創作作品についてこの編集で削除されてしまっており、現状でも削除されたままになってしまっています。それに対し徳川家康織田信長ではゲームやテレビCMも含めて本文内で扱っています。このような扱いの差がすでに生じていること、(「歴史上の人物」という大きな括りでなくても「戦国・織豊期の武将」という括りであっても)「創作作品をどうするか」という取り決めなり合意なりがないために、編集合戦が起こっている事態は、それなりに重くみるべきことと思います。私の掲げた9作品は、せめて戦国・織豊期、幕末・維新期の人物だけは、何とかしたいもんだという気持ちのあらわれです。確かに深い意味はありません。この2時代は、大河ドラマ等で頻繁に扱われる時代ですし、ドラマがあるたびに「演じた俳優」もどんどん追加されていき、すでに可読性も損なわれつつあると感じています。分割することで史実・創作双方が救われると考えました。「予期せぬ知識を得て帰っていく」という効果については、ハイパーリンクでつないでいる以上、分割したところでそれほど損なわれることではないと思っています。--Chokorin 2010年8月22日 (日) 21:55 (UTC)[返信]
さて、いかがしましょうか。トホホ川さんの御主旨は「こうした場で一括で議論すべき問題ではない」とのことですが、私としては、こういう場で合意を得るべきだという勧めがあったので、ここに提案にまいったわけですし、トホホ川さん御自身も、以前、「あくまで歴史記事が対象なのですから、井戸端ではなく、まずここもしくはポータルのノートで話し合うべきなのではないか」とおっしゃったので、議論の場を井戸端からここに移したのです。しかし、移したその先で「こうした場で一括で議論すべき問題ではない」とおっしゃられると私としても困ってしまうわけですね。井戸端での議論では、圧倒的に史実と創作を切り分けるべきだという意見が多かったわけですから、なおさらです。トホホ川さんは、ここに至って「Wikipediaは、歴史辞典ではなく百科事典を標榜している」ことを強調されていますが、であるなら、何も無理してここに議論の場を移す必要はなかったのではないかと思われてなりません。それからまた、「ルールを設ければ、杓子定規に拡大解釈して何でも削除・分割してしまう怖れあり」とのことですが、それは、将来的にはともかく、少なくとも現段階では問題になっていないことです。現段階ですでに編集合戦が起こっており、創作にかかわる節が一方的に節まるごと削除されるということが起こっている以上、目の前の問題をまずは解決すべきなんじゃないでしょうか。それで別の問題が生じたら、問題が起こったときに再度話し合うということでは、どうしていけないのかとも思います。問題がそもそも存在しないというのであれば、わたしとしても放置が一番ラクなのです。トホホ川さんが立項された「松平忠敏 (主税助)」の記事は確かに素晴らしいものですが、その一方、あえて申し上げれば、現代のドラマでどのように扱われているかをどうしても同じ記事に内包させなくてはならないものなのかという疑問も少し感じました。
で、改めて提案いたしますが、人物評価の定まらない現代と断片的な資料しかない中世以前のあいだの人物、言い換えると、だいたい16世紀から19世紀にかけての人物で、その生涯と事績のあらましのわかっている人物、ヨーロッパでいうなら絶対王政以降、シェークスピアの「ヘンリー8世」などの演劇が演じられるようになった時代の人物、日本でいうなら、ヨーロッパから印刷術の伝わった戦国時代以降、あるいは浄瑠璃や歌舞伎が演じられるようになった時代の人物については、それまでの写本の時代とは異なって、ある程度、実像と虚像の、あるいは史料批判を経て史実だろうと考えられる情報と演劇的ないし文芸的に脚色されたことの明らかな情報との、判別がある程度可能なわけです。石川五右衛門とか河内山宗俊のように、そもそも、その生涯と事績がよくわかっていない人物(あるいは演劇や大衆向け読み物で取り上げられたことによって有名になった人物)は別にして、それ以外の人物については、少なくとも創作と史実を区別して書く、創作部分の分量がある一定のボリュームに達したら分割も考える、ということで合意が得られないものかと思います。いかがなものでしょうか。--Chokorin 2010年8月25日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
コメント私が「井戸端ではなく、まずここで」と申し上げたのは、歴史分野執筆者の間でもコンセンサスが得られていないような問題をいきなり井戸端のような雑多な問題を扱う上に短期間で話題が片付いてしまう場に持ち込む方法論に違和感を持ったからであり、そもそも(他の人が参加していないために私一人が反対しているように見えてしまいますが)こちらの場ですら、容易にコンセンサスが得られるような単純な問題であるとは考えておりません。私から見るとChokorinさんは、結論を急ぎすぎのような気がしてなりません。以前も申し上げた通り、私としてはChokorinさんが挙げられた記事群においても、喫緊の対処を必要とするほど切羽詰まった問題であるという認識はありません。それと「Wikipediaは、歴史辞典ではなく百科事典」を強調するのはあくまで記事内容の話であり、議論の参加者の話ではありません。ごっちゃになさってもらっては困ります。
松平忠敏 (主税助)で現代のドラマまで包含する方法論は、少し前の議論で「大衆文化」というものをご自分のなかで明確に分類されているChokorinさんにとっては疑問を持たれるのは当然でしょう。ただ、その分類法はChokorinさんの中でしっくり行っているのかもしれませんが、私や他の利用者にとっては設定基準が分からず、まことに恣意的に感じます(Himetvさんも納得されているようには思えません)。これまで出てきた「作品数が10以上」だとか「大衆文化作品」だとか「50,000バイト」だとか「16世紀から19世紀」だとかいう基準のことです(意地悪い見方をすると、自分の意見に適合するように、帰納的に設定した基準のようにも思えてしまいます)。これらについてのコンセンサスを短時間でとることは果たして可能なのでしょうか?
正直、初手の問題意識から異なるようなので、少なくとも現在の段階では私はChokorinさんのご提案に合意はできません。私としては「1.そもそも歴史人物記事においてフィクション要素の記述が内包されるのが、Wikipedia全体としてそれほど問題になっているのか」が議論された後、「2.(問題であるのならば)統一的な基準を設けるかどうか」が話し合われるべきで、その後でさらに「3.(もし統一基準を設けるのであれば)その基準をどうするか」という段階に進むべきかと思います(その後で初めて他分野の執筆者――というより歴史分野にそれほど詳しくない執筆者――が集う場に提案すべきかと)。私としては1.は現段階では(個別の記事で編集合戦が起きているケースはありますが、それは一括削除する人の側に問題があり、それぞれのノートで合意を形成するという段階を踏んでいないためと思います)歴史人物記事全体を覆うような重大な問題であるとは捕らえておらず、2.に関してはWPの規制は少ないに越したことはないという個人的信念から反対します。ただし、これらはあくまで私個人の意見ですので、1.2.で多くの利用者の合意が得られるのであれば、それにはおとなしく従います(そこにまで至っていれば3.の段階についてはあまり注文はありません)。
Chokorinさんから見ると、私は結論が出るのを妨害している厄介な利用者のように見えるかもしれません。が、逆に私は拙速に結論が出て新たな規制が増えることに危険を感じてしまうがゆえに、結論を急ぎすぎているように思えてなりません。この「危険」というのは繰り返し述べるように、恣意的に規制を利用して様々な記事で紛争を起こす利用者が将来出現しかねない危険性であり、私はChokorinさんとは全く逆に、目の前の些末な編集合戦よりはこちらの危険の方が大と考えます(そしてこのどちらがより問題なのかについては、主観的なものなので、今後もおそらく平行線かと思います)。現にこの場での議論も今のところ数人しか参加しておりません(私も普段そうなのですが、議論が長引くと新参者が入り込みづらくなるものではありますが)。この数人の意見だけでもってjaWP全体に関わる規制を決めてしまうのはまずいでしょう。仕事やプライベートで忙しく、週末だけとか月に何日だけとか、頻繁にWikipediaに書き込みできない人もいます。そういう人々の意見が出そろう前に早々に結論は出せないかと思います(私自身も本来議論よりも記事執筆を優先したいのと、最近業務がかなり忙しいので、このように長文を連日のように書き込むのは少なからず負担に感じているのですが、Chokorinさんにご指名を受けたのと、時間を置くとどんどん進められてしまいそうな勢いだったので、あえて愚見を晒しにきておりますが)。せめてもう少し多くの人の意見が出そろうまで、長い目で待つということはできないでしょうか。--トホホ川 2010年8月25日 (水) 21:54 (UTC)[返信]

(インデントもどす)たいへん丁寧な御返答、ありがとうございます。話の進め方がいささか性急に感じられた点はおわびいたします。「恣意的に規制を利用して様々な記事で紛争を起こす利用者が将来出現しかねない危険性」については、わたしはルールのおよぶ範囲を限定したり、ルールそのものを緻密なものにしてゆくことによって解消できる(はずだ)と思っており、わたしが掲げた「恣意的」にみられる基準とは、範囲を限定することにより合意が可能かどうかを試行錯誤した結果にすぎません。このへんは、おそらくトホホ川さんがおっしゃるように平行線であろうと思います。ただ、わたしとしては「個々のノートへ」という個別性への還元が必ずしも最善の答えではないと思っており、「長い目で待つこと」は可能であっても、「ここで話し合うことそのものを停止すべきだ」「ここはそういうことを話し合う場ではない」という論には乗れないというのがあります。トホホ川さんには議論の道筋を整理していただき、感謝しておりますが、実は1.には、それ以前の段階があって、そこからして何ら有意な議論のなされていない状況があります。つまりは、「人物記事にフィクションを書くべきか」という問題があります。トホホ川さんは編集合戦が起こっていることについて、「それは一括削除する人の側に問題があり」とおっしゃっていますが、実は、そのことはそれほど自明ではないと感じています。下で、小者さんが何とおっしゃっているか。「改めて見ると、頼朝の方は分割ではなく削除でもよかったかもしれません。たまたま後から反対が出たりはしませんでしたが、やはり後から揉めないように、頼朝の方もいったんノートで削除か分割か、議論・提案という手順を踏んでから作業すべきだったと反省する次第です」とおっしゃっています。要するに、本来はノートで手順を踏むべきだったかもしれないが、そうしなかった。分割ではなく削除でもよかったのではないかということですね。小者さんが、そうおっしゃる理由は、私としては、たいへんよく理解できます。義経の分割が通るのならば、それよりもサイズの大きい頼朝の分割も認められるだろうとお考えになるのは、ごく自然のことであり、にもかかわらず「削除でもよかったんじゃないか」とおっしゃるのは、削除ならば提案しなくてもよいというのがあると思います。やはり、この「面倒くささ」というのは、あまり軽視はできないと考えます。ただし、実際は削除するのももったいないからというので、わざわざ一手間かけて立項してくださったわけですね。この御発言を読むだけでも、初手から個別性へ還元するというやり方は既に破綻していると私は思っていますし、それが結論だとするのなら(それが結論として認められるのなら)、ポータルやプロジェクトはその機能をまったく果たしていないのではないかとも感じてしまいます。長い目でみて待てとおっしゃっていただいたので、ようやく安心いたしました。長い時間をかけても、ひとつひとつ合意を積み重ねていくということには賛成です。

さしあたって、「フィクションは書くべきか、排除すべきか」ということについて話し合ってもよいのではないかと思います。源頼朝豊臣秀吉の記事はそのケーススタディになるでしょう。果たして、「源頼朝が登場する大衆文化作品一覧」は削除すべきなのか、「源頼朝」に復帰統合すべきなのか、あるいは現状のままでよいのか。あるいは、「豊臣秀吉」から削除された創作作品一覧は復帰統合すべきか、単独立項して救済すべきなのか、それとも現状のままでよいのか。これならば考えやすいと思います。ちなみにわたしは「書くべき」(「排除すべきでない」)と考えます。--Chokorin 2010年8月27日 (金) 19:56 (UTC)[返信]

虚像部分の占める割合が大きく、分割の不適切な人物[編集]

虚像の占める範囲や内容に関して見解の相違や政治的背景を伴う論争があり、分割の不適切な人物[編集]

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ徴姉妹金日成林彪

分割して整理の必要な人物[編集]

「歴史的人物を題材とした作品」・「歴史上の人物が登場する大衆文化作品」に関するコメント[編集]

コメント内容・名称ともに「歴史上の人物が登場する大衆文化作品(一覧)」を支持。「大衆文化作品」に限定するならば包括的ルールの運用も可能かとも思いますので。--Chokorin 2010年8月20日 (金) 01:00 (UTC)[返信]

コメントChokorinさんに私が申し上げたことについてどうもよくご理解されていない部分があったので節分けを変えさせて頂きました。物事の評価に関しては世界一律でないということについて、自らを文明人と自負していらっしゃる方はよく見落とされるということは存じ上げておりますが、是非ともご理解いただければと考えます。本論については後ほどご意見申し上げます。--Himetv 2010年8月20日 (金) 02:07 (UTC)[返信]

御指摘ありがとうございました。理解不足だった点はお詫びします。--Chokorin 2010年8月20日 (金) 02:12 (UTC)[返信]

コメントHimetvさんの御高説を伺いたいとも思いましたが、ここでの議題は事物の評価ではありませんし、「自らを文明人と自負している人」も「物事の評価は世界一律だと主張している人」もおられないようなので、もし、そういうことをおっしゃりたいのであれば、別の場でお願いします。さて、「源頼朝が登場する大衆文化作品一覧」、「源義経が登場する大衆文化作品一覧」の記事ですが、両記事および分割元の「源頼朝」「源義経」の記事のそれぞれの履歴を参照したところ、分割提案をおこなった形跡がありません(ただし、どちらも分割は2008年のことです)。それが問題ないとすれば、「分割」と断りさえすれば「分割提案」なしで作業が進められそうです。このことについて、何か問題があるのか、問題ないのか…このこともあわせ御議論・御教示いただければと思います。どうか、よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月20日 (金) 22:19 (UTC)[返信]

(質問)ひとまず切り分けの問題点を指摘したうえで後ほど「『歴史的人物を題材とした作品』・『歴史上の人物が登場する大衆文化作品』に関するコメント」を行おうと考えていましたが、「もし、そういうことをおっしゃりたいのであれば、別の場でお願いします。」とのコメントがChokorinさんから出されましたので、どこでコメントを行っていいかわかりません。コメントを行う代わりに本案を実行に移すにあたって問題になると考えられる点についてこちらから質問させていただきます。以下の文学作品についてそれぞれChokorinさんの仰る「大衆文化作品」に当てはまるかそうでないか、及びその見解を満足させる「大衆文化作品」のここでの定義を御提示頂きたく存じます。山東京伝通言総籬』、滝沢馬琴南総里見八犬伝』、森鴎外渋江抽斎』、海音寺潮五郎西郷隆盛』(絶筆のもの)、筒井康隆筒井順慶』、澁澤龍彦高丘親王航海記』、以上の作品についてのご見解を伺いたく存じます。時代とともに定義そのものが変化している「大衆文化」を名に負った「大衆文化作品」の定義をChokorinさんがどうとらえているのか、あるいはその定義すら考えないままに本案を実行に移そうとしているのかが気にかかっています。また、「『自らを文明人と自負している人』も『物事の評価は世界一律だと主張している人』もおられないようなので」と仰っていますが、そうだとするなら(Chokorinさん自身がそれにあてはまっていなかったとするなら)どうしてそのような見落としをされたのか併せてご説明お願いします。--Himetv 2010年8月20日 (金) 23:44 (UTC)[返信]
別に見落としたつもりはないですが、論じるまでもないでしょう。すべて大衆文化作品でしょう。だからといって、そういう記事をわざわざつくらなきゃならないってことではないですよ。--Chokorin 2010年8月21日 (土) 00:01 (UTC)[返信]
明確な基準をお伺いできなかったのは残念ですが、Chokorinさんの解釈では、近世に印刷された作品及び近現代純文学として分類されているものも大衆文化作品に含まれるという基準をお持ちと理解しました。よろしいですか?--Himetv 2010年8月21日 (土) 00:30 (UTC)[返信]
書店へ行けば売っているような作品ばかりであり、研究者向け、エリート向けあるいは閉じられたサークル向けというようなものが一つでもあるでしょうか。大衆文化の成立した時期(日本では近世)において、マスを対象として発表されたものは「大衆文化作品」なんじゃないでしょうか。むしろ、Himetvさんがどういうところに引っかかりを感じてそういう質問をなさるのかがわかりませんね。--Chokorin 2010年8月21日 (土) 00:45 (UTC)[返信]
コメント源義経が登場する大衆文化作品一覧」、「源頼朝が登場する大衆文化作品一覧」の話が出てるようなので、分割を行った者として経過のご説明にまいりました。まず、源義経の方はノート:源義経2008年2月25日([1])に、他の方から「記事が肥大化しているため」として「分割提案」が出されて本記事に分割提案のタグが貼られました(2008年2月25日[2]) 。一週間の経過を見て、特に反対がなかったので、自分が分割作業を行いました。頼朝の方はWikipedia:ページの分割と統合#分割すべき場合の「記事の肥大化」による分割を自分の判断で行いました。どちらも後から一覧記事と分かるように改名しました。義経の方は提案→分割の手順を踏んでいますが、頼朝の方は自分の独断になります。改めて見ると、頼朝の方は分割ではなく削除でもよかったかもしれません。たまたま後から反対が出たりはしませんでしたが、やはり後から揉めないように、頼朝の方もいったんノートで削除か分割か、議論・提案という手順を踏んでから作業すべきだったと反省する次第です。--小者 2010年8月24日 (火) 03:52 (UTC)[返信]

(インデント戻す)わざわざ御説明に来ていただき、痛み入ります。この問題を考えるうえでたいへん貴重な情報だったと思います。ありがとうございました。義経の記事については、分割提案があったことを見落としてしまっており、申し訳ありませんでした。さて、義経の分割提案は、記事の肥大化を契機としていたということですので、参考までにそれぞれの記事のサイズを示しておきます。すべて、現段階におけるサイズです。



(*)のついた記事は,すでにフィクション部分が削除ないし分割された記事です。「源義経」の分割直前(2008年2月)のサイズはフィクション部分込みで約60,000バイトでした。上に掲げた記事のなかで、「山縣有朋」と「近藤勇」は分割してしまうと、一方がスタブ記事になってしまうので不適のようです。個人的には、他の記事は、分割してもよいのではないかと思いましたが、ここは意見の分かれるところでしょう。「肥大化」ということなら50,000バイトがひとつの目安になるのかなとも思いました。--Chokorin 2010年8月24日 (火) 07:32 (UTC)[返信]

ルールを定めるべきかどうか[編集]

さて、人物記事について、その創作部分の扱いをどうするかということで、上でも少し話し合われているわけですが、いかがしましょうか。トホホ川さんの御懸念である「恣意的に規制を利用して様々な記事で紛争を起こす利用者が将来出現しかねない危険性」について、おそらくほとんどのみなさんは、理解されていると思いますが、その一方で「規制のないことを利用して様々な紛争を起こす利用者の出現」も容易に予測できるのではないかと思います。各自、双方をはかりにかけていただいたうえで、何らかのルール(たとえば、「分割しない」「削除しない」というのもルールだと思います)を定めるべきか、あるいはルールは一切定めないで利用者各自の判断に任せるべきなのか、お考えをうかがいたく思います。どうかよろしくお願いします。--Chokorin 2010年9月1日 (水) 12:23 (UTC)[返信]

議題[編集]

  • 歴史上の人物を扱った創作作品(テレビドラマ・映画等)の扱いについて、何らかのルール・合意が必要か。

ルール(合意)の必要性について[編集]

  • 署名をお願いします。
何らかのルール・合意が必要である
各自の判断に任せるべきである
個別の案件ごとに議論すべきである

コメント欄[編集]

  • 自分自身「規制のないことを利用して様々な紛争を起こす利用者」になりかねないと思っていますので、何らかのルール・合意が必要なのではないかと思います。「各自の判断に任せるのを基本とし、必要ならばノートで協議」ということだと、「自分流」「マイ・ルール」が横行してしまうのではないでしょうか(「それでも構わない」という合意があるんだったら、話は別ですが)。「恣意的に規制を利用して様々な記事で紛争を起こす利用者が将来出現しかねない危険性」については、規制の適用範囲やルールの内容を細かく設定することで回避できると考えます。--Chokorin 2010年9月1日 (水) 21:55 (UTC)[返信]
  • 何らかのルール・合意が必要に1票投じましたが、ガチガチのルールを策定したいとは全く考えておりません。基本的にケース・バイ・ケースであろうとは思うのです。とは言え、Chokorinさんのおっしゃるように「規制のないことを利用して様々な紛争を起こす利用者の出現」も懸念されるところですので、大まかな合意をプロジェクトページに記載しておくことで、各ノートでの協議においても観点が絞られ明確になるのではないか、と思います。具体的に言えば、創作部分が一覧記事の様相を呈し、かつ分量が全体の1/3以上を占めているような場合には分割可とか(これはあくまで例示であって私が提案しているものではありません)。実際の分割においては、各ノートページでラフコンセンサスは取った方がベターかとは思っておりますが、「大まかな合意」に合致する場合には議論なく分割しても反論が出にくいとも思っております。--ろう(Law soma) D C 2010年9月2日 (木) 04:23 (UTC)[返信]
  • 山本勘助などを念頭に置くと伝承的要素が大きく戸惑うのですが、基本的な姿勢として対象の記事(または記事の各節)が「史学的対象」なのか「伝説・伝承・言説的対象」(考古学は?)は分別を心掛けるべき要素だと思います。近代以降の創作・娯楽作品については史学的部分と異なる物であるとの合意は出来るかな?と思います。一方、近代以前に遡るにつれて難しくなるかもしれませんが、合意できるラインで区別できる物は確認しておいた方がよいのではないかと思います。--Yasumi 2010年9月4日 (土) 03:01 (UTC)[返信]
  • 私の考えはPortal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案における議論の頃から変わりなく、すでに別節でさんざん申し上げているのでくどくは申しません。端的に言えば「統一ルールがあろうが無かろうが困った人間は現れるので、WPの精神から言って編集者を萎縮させる規制は少ない方がいい」というのが私の原則です。なおChokorinさんはご自分の主張である「何らかのルール・合意が必要である」の対抗選択肢として「各自の判断に任せるべきである」というのを用意されていましたが、これは私のこれまでの主張とは方向性の違う選択肢でしたので、勝手ながら「個別の案件ごとに議論すべきである」という項目を新設いたしました。あしからず。--以上の署名のないコメントは、トホホ川会話投稿記録)さんが 2010年9月4日 (土) 22:51 (UTC) に投稿したものです(Chokorinによる付記)。[返信]
  • トホホ川さんの原則は理解しました。ただ、何ら先だつルールや合意は必要でなく、個別の案件ごとに議論すべきだというのであれば、どうして前掲した豊臣秀吉の削除や編集合戦に対して議論を起こされないのでしょうか。また、源頼朝が登場する大衆文化作品一覧は「議論なく」分割されたようですが、なぜ、それは問題視されないのですか。この2点、質問させてください。--Chokorin 2010年9月5日 (日) 00:41 (UTC)[返信]
  • 「どうして議論を起こされないのでしょうか」と言われましても、私の問題意識とChokorinさんの問題意識が異なることは前節でもすでに確認されていると思っておりましたが。正直、私の認識では挙げられた記事群の編集合戦が現時点でjaWPの標準的な著名記事としては、そこまで問題になっているとは思っておりませんので、議論を自ら起案する義務も必要性も全く感じません(以前も申しましたが私は議論よりも執筆の方に重みを置いておりますので、よほどの事がない限りは議論はしません)。源頼朝が登場する大衆文化作品一覧の分割に関しては、私のウォッチリストに入っていなかったため「そんな分割がされたことすら知らなかった」のが理由です。もし当該記事が私の注目内にあり、現在のような話し合いの最中に何の議論もなく分割されていれば、当然何らかの意見は出していたと思いますが。--トホホ川 2010年9月5日 (日) 08:40 (UTC)[返信]
  • 丁寧なお答えありがとうございます。何点か確認させてください。豊臣秀吉に関してトホホ川さんは、「一括削除する人の側に問題があり」と以前おっしゃっていましたが、これは「削除したこと」が問題だとお考えなのでしょうか、それとも「ノートで提案しないこと」が問題なのでしょうか。あるいは両方なんでしょうか。源頼朝が登場する大衆文化作品一覧については、確かにかつては知らなかったでしょうが、現在は知っているわけです。この分割について、分割自体の是非、分割提案をしなかったことの是非をどうお考えなのか。それから、小者さんは「削除でもよかったかもしれない」とおっしゃっていますね。この点についてはどうお考えですか。お示しくだされば幸いです。--Chokorin 2010年9月5日 (日) 18:00 (UTC)[返信]
  • 秀吉に関して、もし編集合戦が起きていたのならば、ノートで先に提案するのが筋でしょうね。頼朝の件に関しては、個人的には元記事が分割するほど問題になっていたとも思われないし、検証可能性にも問題なさそうなので削除すべきとも思いませんが(それゆえにこの是非について現時点で議論となっていれば反対寄りの意見を述べるかもしれませんが)、しかし源頼朝が登場する大衆文化作品一覧という記事に関しては、立項されてから2年以上経過しており、その間特に反対意見が出ていないということはそれなりにjaWPコミュニティに受け入れられていると見なし、あえて今更問題視して自ら新しく論争を起こすというエネルギーは無駄であるという判断です。おそらくChokorinさんはご自分の基準に照らし合わせてそこから外れている記事をそのまま放置しておくことに堪えられない、ある意味正義感が強い方なのではないかと推察いたしますが、私の場合は全く逆に、そういった場合自分の方で折れて、原則としては放置してコミュニティの判断の方に委ねてしまいます。それゆえに私の場合、WPの活動ではなるべく余計な議論を避けるというのが基本姿勢です。これまでも自ら議論を起こしたことはほとんどなく、他の方が起案された議論にも、よほどのこと(たとえば今回のようにコミュニティ全体のルールに影響することなど)がない限りは参加してきませんでした。なので、たとえ個人的に「分割すべきでない」とか「分割の提案が無いのはおかしい」と思っていたとしても、「それならば当然議論を提起すべき」という帰結にはならないのです(たまたま議論が起きていれば意見を出す程度のことはあるかもしれませんが)。今回の議論についても、意見を求められたので個人としての意見は表明しましたが、結果としてChokorinさんへの賛同者が多く、統一的ルールを定めた方が良いという結論が出たならば、もちろんそれには進んで従いますよ。長文になってしまってすみません--トホホ川 2010年9月6日 (月) 13:34 (UTC)[返信]
  • 「統一ルールがあろうが無かろうが困った人間は現れるので、WPの精神から言って編集者を萎縮させる規制は少ない方がいい」というトホホ川さんの意見に賛同します。現在ある原則と規定を利用することによって必要な処置を行うための最低限の合意を行うことができる、と考えます。「何らかのルール・合意が必要である」の「ルール・合意」の内容を「既存の方針を遵守し、ガイドラインを尊重する」とした場合、新たにルールを制定したり統一した判断基準の合意は必要ないと考えますが、この提案で「何らかのルール・合意が必要である」に賛成すると不必要なルールを作り、悪用される可能性の高い統一判断についての合意を図る方向に流れると判断し反対します。また、各自の考えている尺度を合意形成の場に常に持ち出すことによって必要のない混乱を招く可能性の高い「各自の判断に任せるべきである」に反対します。重ねて申し上げますが新たなルール・合意が必要だとは考えていませんが、「既存の方針を遵守し、ガイドラインを尊重する」必要はあると考えています。--Himetv 2010年9月5日 (日) 02:47 (UTC)[返信]
  • 念のため申し上げますが「現在ある原則と規定を利用することによって必要な処置を行うための最低限の合意を行うことができる、と考えます」というのなら、その最低限の合意をつくりませんか(or 確認しませんか)という提案です。Himetvさんにもトホホ川さんと同じ2つの質問をさせていただいてよろしいでしょうか。--Chokorin 2010年9月5日 (日) 03:45 (UTC)(加筆)--Chokorin 2010年9月5日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
  • 肥大化しすぎた歴史人物記事を分割するにあたっては既にある方針やガイドライン類を遵守・尊重するだけで充分であり、歴史人物記事全体に敷衍する新たな合意やローカルルールは必ずしも必要でなく、「WPの精神から言って編集者を萎縮させる規制は少ない方がいい」と同時に、他のもので代用でき、新設することで悪用される可能性がある規制は少ない方がよいと考えるため、既にある合意(方針・ガイドライン類)を使うことで新たな合意を行う必要は回避できると考えます。2点の質問とは、2010年9月5日 (日) 00:41 (UTC)だと考えますが、現在に至るまで私のウォッチリスト上では問題が起きている兆候は確認できませんでしたし、議論を行うことよりも執筆・閲覧することを基本的に優先しているため、私としても新たに議論を自ら起案する義務も必要性も感じておりません。--Himetv 2010年9月6日 (月) 07:18 (UTC)[返信]

プレまとめ[編集]

まずはみなさん、御意見どうもありがとうございました。Yasumiさんもおっしゃいましたように、また、すでにHimetvさん、トホホ川さん御指摘のとおり、この問題はなかなか難しいとは思っています。御意見をうかがって、すべての人物記事を包括するようなルールは無理ではないかと思いました。実現も無理だし、弊害もあるという2つの意味で。その点では、ろうさんおっしゃるように、「基本的にケースバイケース」という姿勢が妥当と思いました。さらに、ろうさんのおっしゃる「大まかな合意」、Himetvさんのおっしゃる「最低限の合意」ですが、これはわたしも必要だと思っています。お二人は、選択肢は別々ですが、コメントをうかがう限りではそれほど懸隔があるようには感じませんでした。ですから、お二人の意見の中間あたり、重なるあたりが落としどころになるのかなと思いました。ただし、今回はあえて落とさない方がよいとも感じました。人数もまだ私もふくめ5人ですし、「合意が必要でない」という意見がもしあるとすれば無理に合意はできないからです。

「個別案件ごとに議論すべき」という御意見が、もし「最低限の大まかな合意すらも必要でない」という意味であるとすると、やはり、これにはどうしても賛成できません(「個人的には」です)。

私も議論よりは執筆に重きを置きたいと思っています。だからこそ、「最低限の合意」なるものがあればそれに従いたいですし、現段階で「合意」が存在していなくても、これから成立する見込みがあるのなら、やはり歓迎したいと思います。実を言えば、合意の中味そのものにそれほどのこだわり(というか自己主張)はありません。極端な話、「合意(ルール)の中味」はわたし自身は割とどうでもよくて、「合意(ルール)の欠如」が困るというのがわたしの立場です。わたしとしては、(創作その他を)「書くな」といえば書かないし、「書け」といえばなるべく書くようにするんだけれども、そこがハッキリしていないのが一番困るということなわけです。話し合った結果、たとえば「フィクションを内包することは許容される」という合意しか得られないとしても、それはそれで何のルールもないよりは100倍よいと思っています。ただし、正直申し上げて、「特筆性から何から個別に一から話し合え」というのはちょっとツライわけで、それこそ、無闇に議論が増えてしまいますし、これはかえって編集者を萎縮ないし疲弊させる要因になると思います。また、トホホ川さん、Himetvさんおっしゃるように、個人がすべての個別議論を追えるわけでないとすれば「個別案件ごとに議論すべき」ということを最終結論にしてしまうことには、やはりある種の危険を感じてしまいます。ただし、「個別案件ごとの議論を積み重ねる」ことを方法として重視することには大賛成です。というよりも、むしろ、この問題は「個別案件ごとの議論を積み重ねる」ことによってしかコンセンサスが得られないかもしれません。わたしとしては、最終的に何らかのコンセンサスまたは指針が得られればそれでよいと思っていますので、「個別案件ごとの議論」を否定しようという気は毛頭ありません。

わたしは、御意見をうかがって、むしろトホホ川さんやHimetvさんのように物事を深く慎重に考えてくださる方こそ、ぜひルールづくりに加わっていただきたい、あるいはむしろ、場合によっては、リードしていただきたいと思いました。「編集者を萎縮させないような規制」あるいは「悪用されないようなルール」を、それぞれが知恵を出し合い、全員で考えていければよいと感じた次第です。とくに、トホホ川さんにはわたしの意を深いところで汲んでくださり、譲歩の姿勢も示していただいて、申し訳なく、かたじけなく思います。ありがとうございました。

さしあたって「何らかのルール・合意が必要である」「個別の案件ごとに議論すべきである」のどちらかではなく、どちらも追求していって、やはり、このへんで合意がとれそうだとか、無理そうだとか、この先は個別に議論すべきだとか……そういうもろもろを考えていくのがよいと思いました。さしあたり豊臣秀吉その他については、個別に当該ノートで発議すると同時に、この場でも「何らかのルールが必要だとしたら」ということで提案も続けたいと思います。ただ、少し心配なのは、このノートがこの議題だけで埋め尽くされ、肥大化してしまうことです。何かよい知恵がございましたら、御教示ください。「まとめ」になっていませんが、「プレまとめ」ということでいったんこの節は閉じたいと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2010年9月7日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

Chokorinさん、お疲れ様です。いったん中締め、了解です。私も最近なかなか時間が取れず、返事が遅れ気味になってしまい申し訳ありませんでした。--トホホ川 2010年9月8日 (水) 22:13 (UTC)[返信]
Chokorinさんお疲れ様です。議論よりも執筆を優先させているひとりとして、お気持ち大変理解できます。メインページには。「基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます」とあるにも関わらず、基本方針に賛同できない利用者もいることが憂慮なさっている事態の元凶であると考え、「基本方針に賛同する」レベルでの合意は言うまでもなく必要と考えています。私が不安視していたのは包括的なルール策定についてでしたので、個別での発議に関しては現在のところ特に反対するものではありません。今後ともよろしくお願いいたします。--Himetv 2010年9月13日 (月) 15:32 (UTC)[返信]