徴姉妹

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徴姉妹
Dongho haibatrung.jpg
象の上から軍を指揮する徴姉妹
各種表記
クォック・グー Hai Bà Trưng
漢字チュノム 𠄩婆徵
北部発音: ハイ・バー・チュン
音読み (ちょう しまい)
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徴 姉妹(ちょう しまい、ベトナム語: Hai Bà Trưng ハイ・バ・チュン、チュノム𠄩婆徵、中国語: 徵氏姐妹)とは、1世紀に当時後漢の支配下にあったベトナム(当時は交州)で起こった反乱を首謀した徴側(ちょうそく、ベトナム語: Trưng Trắc〔チュン・チャック〕、? - 43年)と徴弐(ちょうに、ベトナム語: Trưng Nhị〔チュン・ニ〕、? - 43年)の姉妹を指す。「ベトナムのジャンヌ・ダルク」とも称される[1]

生涯[編集]

前半生[編集]

徴側は峯州麋冷県(現:ハノイ北西部)の有力な貉将(地域の軍事指導者)の娘として生まれ、朱鳶県(現:ハタイ省ソンタイ)の有力者であった詩索(ティ・サック)の妻であった。徴弐の出生地は伝わっていないが、姉と同様であると考えられる。

前漢武帝期に中国の支配下に入ったベトナム(南越→交州)では、漢に支配される前まで貉将および貉侯(地域の領主)が有していた税の徴収権が中国側へと移管されていた。当時、南越を支配していた後漢に対して、国内の有力者であった徴側が取り纏める形で[2]、徴税権を南越側に移管するよう、後漢政府に通告した。

交趾郡太守・蘇定の悪政もあって、40年3月には南越内の合浦・九真・日南各郡65の県の貉将・貉侯がこれに賛同した[3]。徴側の妹であった徴弐も加わって、徴側は自ら女王として「徴王」を自称し麋冷県に宮廷を構えて徴税を強行する姿勢を示した。

ハイ・バ・チュンの乱[編集]

これに対して、後漢の光武帝は徴姉妹による一連の行動を後漢に対する「重大な反乱行為」と判断し、馬援を「伏波将軍」に任じ反乱鎮圧を命じた。馬援は扶楽侯・劉隆を副将として、兵20,000(正規兵8,000、現地兵12,000)を率いて42年4月に南越へ到着した。

悪天候と疫病の流行によって行軍も進まず、馬援軍は苦戦を強いられたものの、南越兵の中で厭戦ムードが広がったことから徴姉妹は戦闘に訴えざるを得なくなり、馬援軍と浪泊で決戦を挑んだものの大敗を喫し、数千が戦死し、10,000人以上が捕虜となった。徴姉妹は麋冷県・禁谿へ逃れたものの、馬援軍による追討は厳しく徴姉妹は共に捕らえられた末に殺害され、翌43年初めに徴姉妹の首は洛陽へと送られた。

その後も馬援は残党を追って、中部ベトナム・ゲアンにまで進軍し、数千人の貉将・貉侯を殺害すると共に漢民族や親漢派の住民を交阯に屯田させて、反乱が起きた土壌の根絶を図った。しかし、趙嫗の反乱(248年)など、中国支配に対する反乱は断続的に続くこととなった。なお、一連の反乱は首謀者・徴姉妹の名を取って、「ハイ・バ・チュン(徴姉妹)の乱」と呼ばれる。

伝承・影響[編集]

なお、徴側の最期については「川に身を投げた」、「馬援に首を刎ねられた」、「雲の中に消えた」等の説があり、(事実はともかく)最初の説が一般的な徴姉妹の最期として伝えられている。

また、徴側の夫である詩索が交趾郡太守・蘇定に処刑されたことにより徴姉妹が反乱に踏み切ったというのは後世の伝承であり、実際は反乱時にも詩索が処刑されたとの内容を記した文献は無い。

いずれにせよ、徴姉妹の支配は3年に過ぎなかったが、その後も徴姉妹はベトナムの英雄として語り継がれ、彼女らを祀る寺院も数多く造られている。また、ハノイやホーチミンをはじめとするいくつもの都市に「ハイ・バー・チュン」を称する大通りもある。

脚注[編集]

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  1. ^ 徴(チュン)姉妹の反乱 但し、ジャンヌ・ダルクは徴姉妹よりも約1400年後の時代の人物である。
  2. ^ 当時の南越は女系社会であったとされる。
  3. ^ 後漢書』馬援列伝では「徴姉妹は65の城・砦を攻略した」とある。

参考文献[編集]

  • 小倉貞男 『物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』 中公新書。
  • 後漢書』巻24列伝14馬援伝