ノート:史記

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四書五経の件[編集]

四書五経の件、礼記と勘違いしました、すいません。 --Cozy 06:12 2003年2月23日 (UTC)

間違えるのはお互い様です。私も昨夜、80487という存在しないLSIの記事を書いて修正してもらいました。私は、Wikipedia:新規参加者の方、ようこそを読んで、「Wikipediaってのは、誰かが直してくれるってことで、大胆に書けるところ」なんだと考えるようになりました。気にする必要はないですよ! (そういえば、五箇条の御聖文は、本文にあるとおり「五箇条の御誓文」なのでは...) --Sutou 06:57 2003年2月23日 (UTC)

>五箇条の御誓文
ありゃりゃ、間違ってしまった。ご指摘有り難う。 --218.125.76.24 07:02 2003年2月23日 (UTC)

ログインしてませんでした --Cozy 07:04 2003年2月23日 (UTC)
いつの間にかログアウトしてしまう件は、私も以下のように教えてもらいました。--Sutou 07:10 2003年2月23日 (UTC)
初期設定の
Remember password across sessions
にチェックを入れるログインが保持されますよ。
--hajime yoneya 09:59 2003年2月10日 (UTC)

Sutou樣、ありがとうございます。 --Cozy 08:05 2003年2月23日 (UTC)

平勢説だけ何故に(春秋についても)[編集]

史記・春秋の両項目に平勢逸郎氏の学説についての記載があるが、現時点では平勢氏の説は学会の主流ではないのにこれを殊更に取り上げる理由は何なのか?

執筆以来2千年以上にわたって研究されてきた春秋・史記の研究史においては平勢氏の説は未だ「新説」の範疇を越えるものではないし、平勢氏ほどではなくても春秋や史記に関して斬新な説を唱えた歴史学者は戦後日本に限定しても決してその数は少なくはなく、これらの人達と平勢氏の取り上げる差異はどこから出てくるものなのだろうか?--以上の署名のないコメントは、202.223.93.247会話)さんが 2005-06-22 03:09:39 (UTC) に投稿したものです。

履歴を追っていただけると解ると思いますが、最初の方で平勢説をあたかも確立した定説のように書かれた方がいらして、それを後で相対化した結果、こういう文章になっています。全削除するのもなんだなと思ったので残しておいたですが、確かに中立とは言い難いかもしれません。春秋についてもほぼ同じです。--らりた 2005年6月22日 (水) 09:25 (UTC)[返信]
どんな説が唱えられているのかを網羅的に記述してはいかがでしょうか。その方が百科事典らしく思われます。私も書ける所は書いてみようと思いますが、できれば専門に研究されている方の執筆を期待します。--61.124.142.50 2005年8月5日 (金) 17:38 (UTC)[返信]

史記にあらわれる故事成語[編集]

史記の記述が由来であれば、フレーズが多少違っていてもいいものでしょうか?またそのときは、どのように記述したらよいでしょう?--Achernar 2007年9月10日 (月) 05:40 (UTC)[返信]

あまり際限なく増えていくのもナンですし、本来の用法からいってウィキクォートの方に記述する方が適切に思えます。いかかでしょうか。--らりた 2007年9月10日 (月) 08:57 (UTC)[返信]