ノート:閔妃

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lulusukeによる反論[編集]

  • 駐箚朝鮮総理交渉通商事宜

正規名を記述 大院君の連行先は天津(同年9月2日)で査問会の後、幽閉 朝鮮には「斥華自主」の動きがあることを李鴻章に報告。 出典 http://www.mofat.go.kr/pdffiles/03-0j_sasak.pdf lulusuke 2006年4月10日 (月) 20:01 (JST)

  • 根拠ない部分は削除して良いですか?

--Lulusuke 2007年4月13日 (金) 08:08 (UTC)[返信]

  • 本人の主観による評価は入れないでください

遺体を問題が無いように焼却←どこにその根拠理由があるのですか? lulusuke 2006年4月10日 (月) 21:56 (JST)

  • 遺体焼却現場と殺した場所はちがっています

その場では嘘です lulusuke 2006年4月11日 (火) 12:57 (JST)

  • 養女の記録は無いです

9歳の時に孤児になったが、16歳の時に大院君の夫人 府大夫人の推薦で王宮に入った。 このWIKIの元を書いた人の年齢計算は満年齢でなく数え年齢で計算しているのはおかしいです。 lulusuke 2006年4月11日 (火) 17:57 (JST)

  • 慈英の諱

DVDなどのTVドラマでの名前 古文書を確認中ですがありません。間違いの可能性があります。lulusuke 2006年4月11日 (火) 21:50 (JST) 紫英はTVドラマ作家の創作と確認。lulusuke 2006年4月11日 (火) 21:59 (JST)

  • 講談社 朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期

英国人であるイザベラ・バード女史と閔妃との会話と感想があり記述を確認 イザベラ・バードが閔妃と面会してその印象を記している。  面会したのは1895年の初頭で、閔妃が暗殺される約9ケ月前。

  • 王妃は皇太子の健康についてたえず気をもみ、側室の息子が王位継承者に選ばれるのではないかという不安に日々さらされていた。
  • 頻繁に呪術師を呼んだり、仏教寺院への寄付を増やしつづけたりといった王妃の節操を欠いた行動
  • 謁見中の大部分を母と息子は手をとり合ってすわっていた。
  • 王妃は敵に囲まれていた。
  • 国王の父大院君を主とする敵対者たちは皆、政府要職の ほぼすべてに自分の一族を就けてしまった王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。
  • 王妃は毎日が闘いの日々を送っていた。

lulusuke 2006年4月11日 (火) 21:57 (JST)

  • 推理小説まで概要にいれるべきなのか?

意見を求めます.lulusuke 2006年4月18日 (火) 14:16 (JST)

*「それならば元寇の際の朝鮮兵による日本人民大虐殺も政府間レベルの謝罪が必要だ、という声も少なからずある」このような記述では豊臣秀吉の朝鮮出兵など全て列挙して議論することになるのではないか。現代(あるいは現代につながる近代)と古代・中世を一緒にしても適切ではない。--室生正義 2010年6月12日 (土) 08:15 (UTC)[返信]

この一番初めに閔妃を書いた人は小説の内容を書いている?[編集]

驚きました 史実と小説は別だとおもいます

角田房子の 閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 新潮文庫[編集]

ノンフィクションなのでしょうか? 申し訳ないが 学術的な検討がされているものでしょうか? --Lulusuke 2006年5月11日 (木) 03:00 (UTC)[返信]

角田氏の作品[編集]

角田氏の作品がノンフィクションかフィクションかの判断は個人的な観点による評価だと思いますが、少なくとも複数のレフェリが認めた学術論文ではないと思います。また作品中の会話などは著者の想像としか思えないのですが、その会話もノンフィクションなのでしょうか?お教えください。--Lulusuke 2006年5月13日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

MEMO[編集]

諡號決定経緯 http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1567822 http://bbs.enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1544215

*「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」(著者:角田房子ISBN 4101308047(新潮社[編集]

 「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」(著者:角田房子ISBN 4101308047(新潮社)  どうなんでしょうか? 本文中にも間違いを指摘しているので、必要ですが、、、--Lulusuke 2006年7月20日 (木) 00:20 (UTC)[返信]

角田氏の著書は「歴史書」あるいは「ノンフィクション文学」です[編集]

国立国会図書館では、この本のNDCL番号はGEになっています。これは歴史書(アジア史)を意味します。なお、日本文学はNDCL番号がKGになります。個人的にはいろいろと極端な意見をお持ちの人もあるかとは思いますが、国立国会図書館では、この本は歴史書に分類されており、小説には分類されていないので、記述を変更します。(新潮社の分類では、ノンフィクション文学になっています。また、東京都立図書館では916「日本文学のうちの記録等」に分類されています。)
なお、歴史書だからといって、書かれている内容が100%未来永劫絶対的に真実だということは有りません。歴史教科書でも、10年もすれば誤りが発見されて記述が変更されることは珍しくありません。また、歴史書が刊行されるときに、複数のレフリーにより内容が精査されることは一般にありません。角田の本も同じでしょう。なお、物理学の雑誌でも、レフリー無しの論文誌などいくらでもありますが、このようなものは物理学の論文誌といい、小説とは言いません。
さらに、この本に対して以下の脚注が有ります。『詳細な資料収集には優れるが、同一事項に対して複数の資料収集を行い、それらを相互比較し、資料の真偽の判定等を学術的に行うことをしていないとの批判もある。特に閔妃殺害事件の首謀者、実行犯に関しては、角田が出した結論とは矛盾する資料も数多くあり、角田の結論は1つの仮説の1つであるという指摘もある。』「批判もある」「指摘もある」との記述では、単なる井戸端会議の無意味な会話における罵詈雑言が有るということなのか、歴史学界の定説なのか意味不明ですので、とりあえず、コメントアウトします。単なる罵詈雑言の類でないのならば、出典を明示の上、記述を復活してください。--カタバミ 2007年12月13日 (木) 10:48 (UTC)[返信]

「歴史書だからといって、書かれている内容が100%未来永劫絶対的に真実だということは有りません」というのは、当たり前のことではないでしょうか。歴史について語ったり、論じたりしていれば、偽書だって、100パーセント史実と違っていたって「歴史書」なわけですから。歴史書だからといって「史実」が書かれているとは言えません。そもそも、この本は「史実」を述べたものなんでしょうか。国立国会図書館の分類が「歴史書」だといったって、それこそ、書かれている内容を精査して分類したものでもないでしょう。また、レフェリーなしの物理学の雑誌はいくらでもあるというのは論点のすり替えで、だから、レフェリーぬきで百科事典の記事を書いてもよいということにはならないんじゃないでしょうか。この本が「資料の真偽の判定等を学術的に行うことをしていない」のならば(事実、していませんが)、記事の執筆の論拠にはなりえないはずです。出典としては不適切なんじゃないでしょうか。--EFFE 2008年1月14日 (月) 17:53 (UTC)[返信]

機密発第98号について[編集]

上記表題の文章について具体的に考察した研究・論文などはあるのでしょうか? 「明成皇后」は井上馨が付けた?[1]というblogエントリを見つけたのですが、この資料について取り上げてる書籍などは見つけられませんでした。

blogとはいえ、一次資料を基にした考察ですから、取り上げる価値はあると思います。この文章について何か御存知の方がいらっしゃれば御指摘いただければ幸いです。 --221.22.136.247 2007年3月15日 (木) 07:10 (UTC)[返信]

そのblogは考察というより事実に限りなく近いとおもいます。--Lulusuke 2007年3月15日 (木) 15:53 (UTC)[返信]

「乙未事変」への一部移転[編集]

記事「乙未事変」へ分割することを提案します。--経済準学士 2007年3月15日 (木) 17:35 (UTC)[返信]

その事件の前後と経緯がとても重要です。分割すれば2重に書くことになると思います。 --Lulusuke 2007年3月15日 (木) 17:56 (UTC)[返信]

ある程度重複するのはやむをえないでしょう。ただ、暗殺の背景などを突っ込んだ詳細の部分は別記事に書くほうが望ましいと思います。--経済準学士 2007年3月15日 (木) 18:13 (UTC)[返信]


ただ、非常に政治的にセンシティブな問題を含み、かつ概要が明らかでないので私は反対です。--Lulusuke 2007年3月16日 (金) 04:37 (UTC)[返信]
分割ではなく、「乙未事変」を新たに作成したほうが良いのではないでしょうか。--ちとせ 2007年3月16日 (金) 20:52 (UTC)[返信]

暗殺事件と人物記事が分かれているのは別に珍しくはないと思いますが。浅沼稲次郎暗殺事件とか。--経済準学士 2007年3月19日 (月) 10:34 (UTC)[返信]

8月24日報道ステーションの記述について[編集]

履歴を見ると報道ステーションの特集の内容を記述しているのが何度か消されている様に見受けられましたので、一応書き直しておきました。他の部分では本の内容等を記述している部分があるにも関わらず何故これだけ内容を書くと執拗に消されるのか理解に苦しみます。(少なくとも書かれていること自体には間違いはありませんし。) 次に消す方がいらっしゃいましたら、ぜひともその理由をお聞かせ願いたいのですが。--133.62.227.114 2009年8月26日 (水) 09:22 (UTC)[返信]

以前逆に報ステの内容を書いた者です。内容について書かれた部分がまた消されてましたが、此方のコレについて返答は無いみたいですね。そんなに内容を書かれるのが嫌なのかと正直下種の勘繰りをしたくなります。私としても消される理由が知りたい(ソースがいるのなら貼ります)けど、無言で消す限り私は記述を戻し続けます。所謂編集合戦になると思いますが、消す側が『何故消すのか?』と言う疑問に応え,問題点を明確にしない以上は仕方ありませんよね。--218.223.197.216 2009年8月26日 (水) 22:00 (UTC)[返信]
もしかしたら(流石に編集しようとしてる人が知らないとは思い辛いですが)日本側の主張である「暗殺事件の犯人は朝鮮人側である」を裏付ける証拠を消してる人達が知らないのかもしれないと考え、念の為にその論拠も併記しておきました。あと、いい加減に提示した話を無視して無言で消すのは止めて下さい。--218.223.197.216 2009年8月27日 (木) 10:59 (UTC)[返信]
此方に返答が無いまままた消されていたのでまた元に戻しました。消してる人達はいい加減にして下さい。--218.223.197.216 2009年8月27日 (木) 14:33 (UTC)[返信]

編集合戦になっている記述の転記[編集]

しかし、「犯人は日本人」等の明らかに韓国側の主張に基づいた偏った内容(「暗殺事件の犯人は朝鮮人による物であった」と言う目撃証言を日本の工作と断言していた。しかし、現場に居合わせた王子・純宗は「国母を殺したのは、禹範善だ」と証言(往電31号参照の事)しているし,その禹範善自身も自分が暗殺を行ったと明言している。また、「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と国王・高宗も証言している(1906年・統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)))であった。

コメント[編集]

報道ステーションの特集の編集合戦になっている記述を上記のように転記しました。こちらの議論が決着するまで、本文を書かないでください。僕としては、出典が不足しているように思います。--政治野球マニア 2009年8月28日 (金) 13:21 (UTC)[返信]

具体的にどの点が出典不足なのでしょうか?少なくとも発言の出典となる資料は併記していますけど、それとは別の部分,つまり『報ステの特集の構成』についてのソースが足りないと言う事でしょうか? 追伸:先日の署名の件、ありがとうございました<政治野球マニアさん--218.223.197.216 2009年8月28日 (金) 15:28 (UTC)[返信]
まず、発言の出典については問題ないと思います。ただ、その出典をもって、報道ステーションの特集を偏った内容とするのは、ウィキペディア的には無理があります。ウィキペディアでは、『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』が重要視されるからです。そしてウィキペディアでは、『「AでありBである、ゆえにCである」という論証』は、その論証自体を示す出典がないと独自研究になってしまうというルールがあります。したがって、報道ステーションの特集が、韓国側の主張に基づいた偏った内容とする信頼できる出典が必要となります。--政治野球マニア 2009年8月29日 (土) 05:17 (UTC)[返信]
了解しました。では、この件に関する韓国側の主張等についてはこちらをどうぞ。 http://photo.chosun.com/site/data/html_dir/2009/08/25/2009082500945.html?Dep0=chosunmain&(←韓国語なので、翻訳ソフトを使うか,翻訳版(http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1251201874/)をご覧下さい)--218.223.197.216 2009年8月29日 (土) 12:07 (UTC)[返信]
まず、お示しいただいたホームページについて整理すると朝鮮日報(韓国語)翻訳版(2ch)となるでしょうか。この出典を元にして書けるのは次の2点だと思います。1点は、「この特集がチョン・スウン監督が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基に作られた」こと。もう1点は、「この特集では、日本人を実行犯としている」ことです。出典がこれだけの場合は、記述を修正する必要が出てくるかと思います。ちなみに翻訳版は、この議論の参考にはなっても、誰が訳したのかわからないため、本文の出典には使えません。したがって、「明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる」を出典としたほうがわかりやすいかもしれません。--政治野球マニア 2009年8月29日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
了解しました。 では、その様に記述すると言う事で良いでしょうか? 一週間位待って此方に反論及び別な提言やソース(例えば上で挙げた記事の日本語版とか)が出て来ないならと言う条件付きで。--218.223.197.216 2009年8月30日 (日) 01:16 (UTC)[返信]
多くの方が議論が参加するほうが望ましいので、僕も一週間位待ったほうがいいと思います。一週間位待ち何も議論の進展がなければ、現在ある出典を元に文案の修正案を提示したいと思います。--政治野球マニア 2009年8月30日 (日) 08:59 (UTC)[返信]

単純に、報道ステーションの放送内容を「偏った内容」とする部分に問題があるわけで、「報道ステーションではこのように報道された。一方、こういう史料・資料によればこういう証言、事実がある」と両論併記すればよいだけかと。どちらかが正しくどちらかが誤りである、とすることは独自研究になる、というだけです。編集上それほど難しい問題ではないと思います。後は個人的な思想やイデオロギーにもとづくこだわりで争いが生じるだけでしょう?--Horlicks 2009年8月31日 (月) 08:14 (UTC)[返信]

同感です--政治野球マニア 2009年8月31日 (月) 08:41 (UTC)[返信]

提案と言うか要望なのですが、この件について記述する予定の文章を大まかに書いておいてもらえないと賛成も反対もしようがないと思うのですが。--133.62.227.114 2009年9月2日 (水) 02:47 (UTC)[返信]

わかりました。修正案を提示します。--政治野球マニア 2009年9月2日 (水) 03:41 (UTC)[返信]

修正案[編集]

この特集は、チョン・スウン監督が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基に作られた[1]。この特集では、「犯人は日本人」としており、「暗殺事件の犯人は朝鮮人による物であった」という目撃証言を日本の工作とした。一方で現場に居合わせた王子・純宗が、「国母を殺したのは、禹範善だ」と[2]、国王・高宗が、「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と証言した[3]とする資料も存在する。

  1. ^ 明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる朝鮮日報2009年8月24日
  2. ^ 往電31号
  3. ^ 1906年・統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)

--政治野球マニア 2009年9月2日 (水) 03:41 (UTC)[返信]

コメント[編集]

賛成 中立的で無駄な修飾や誇張がなく、よい文章だと思います。--Horlicks 2009年9月2日 (水) 08:58 (UTC)[返信]

賛成 私も中立的だと思いますので、内容自体には異論はありません。 ただ、『一方で~』以下の話については最後の文の『証言もある』を『放送された内容と異なる証言もある』と言った記述にした方が良いかと思います。--218.223.197.216 2009年9月2日 (水) 11:08 (UTC)[返信]
【追記】それと、上の大まかな文章を提示してほしいと要望した人みたいな方がいるかもしれないので、この件はこの文が提示された日(つまり今日)から一週間を期限とすべきだと思います。--218.223.197.216 2009年9月2日 (水) 11:13 (UTC)[返信]

取り敢えず、修正案が出て1週間経ちましたがどうしましょう?

この特集は、チョン・スウン監督が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基に作られた[1]。この特集では、「犯人は日本人」としており、「暗殺事件の犯人は朝鮮人による物であった」という目撃証言を日本の工作とした。一方で現場に居合わせた王子・純宗が、「国母を殺したのは、禹範善だ」と[2]、国王・高宗が、「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と証言した[3]とするこの特集と異なった内容の資料も存在する。

  1. ^ 明成皇后殺害事件、日本のテレビ局が取り上げる朝鮮日報2009年8月24日
  2. ^ 往電31号
  3. ^ 1906年・統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記)

上で言った様に、分かりやすい様に『この特集と異なった内容の』と言う一文を付けた物を記載して良いでしょうか?--218.223.197.216 2009年9月9日 (水) 09:46 (UTC)[返信]

賛成  記載していいと思います。--政治野球マニア 2009年9月9日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
では、明日24時頃迄に反対が出ない場合はこのまま掲載させて頂きます。--218.223.197.216 2009年9月12日 (土) 06:23 (UTC)[返信]
すみません、上のままコピペしたのですがreferenceが真下に記載される様になってしまいました。 Helpを見ても良く分からないのですが、如何修正したら良いでしょうか?--218.223.197.216 2009年9月13日 (日) 23:14 (UTC)[返信]
referenceは、注釈の節のみにつければ、適切な記載になります。そのように修正しました。--政治野球マニア 2009年9月14日 (月) 02:47 (UTC)[返信]

新たに行われた編集について[編集]

新たに行われた編集を、[2]のように修正しましたので報告します。--政治野球マニア 2009年9月15日 (火) 07:41 (UTC)[返信]

注意を無視して同じような編集を繰り返すIP氏がいるようですが、これ以上続くようであれば半保護を依頼したほうがよさそうですね。--Horlicks 2009年9月16日 (水) 08:48 (UTC)[返信]
合意なき編集があったため、あらためて[3]の段階の記述に差し戻しました。--彩華1226 2011年2月4日 (金) 15:18 (UTC)[返信]

1896年、1897年に振られた満年齢って何か意味があるのでしょうか?死んだ子の歳を数えるみたいに見えますが、なにかそうしている理由を私は見落としていますか?60.36.32.150 2010年4月27日 (火) 21:40 (UTC)[返信]

この合意なき編集を除去いたしました。「なお、朝鮮総督府の資料である」などと言うような余計な編集者の一言は必要ありません。まるで総督府の工作かのような印象操作を読者に与えてしまいます。--218.217.130.238 2011年7月11日 (月) 15:28 (UTC)[返信]

出典について[編集]

  • {{要ページ番号}}のはられている片野次雄『李朝滅亡』を元とする記述について。ISBNISBN 9784779115585を確認しましたが、記述が発見できませんでした。--Vigorous actionTalk/History2011年11月11日 (金) 06:48 (UTC)[返信]

「観点」タグについて[編集]

IPユーザーによって観点タグが貼り付けられましたが、当該ユーザーの編集内容の要約欄での発言(「何故、こういう嘘を堂々と書けるのか?」)を鑑み、除去しました。--彩華1226会話2012年5月3日 (木) 01:29 (UTC)[返信]

元敬王后、仁显王后、明成皇后は、すべて同じ闵氏家の王妃である。 闵妃と称するのは、混乱の可能性がありますので、適切ではない。 明成皇后や高宗皇帝妃が正しい表現だ。--Windtip会話2014年2月20日 (木) 05:06 (UTC)[返信]

Windtipさんの意見と一部賛成する形で、明成王后と改名すべきでは?閔妃は姓が閔である王妃を略称したものであって、正式名称に相応しくありません。--黒頭宰相会話2014年2月22日 (土) 05:39 (UTC)[返信]

玆暎という名前について[編集]

疑問なんですが、閔妃の名前は不明であると、ずっと思っておりました。角田房子の著書『閔妃暗殺』で、「紫英」という名前を作家鄭飛石が小説に使っていた根拠がはっきりしない(鄭飛石が歴史研究家から聞いた記憶しかない)ので使わないとしており、韓国のテレビドラマ「明成皇后」の解説本でもチャヨンという名前は仮に付けたものと書かれていた気がします。この項目でも「紫英」の名前は明確な資料に基づくものではないと書かれていました(2012年3月29日の編集)。ということは、ここ最近、字がちょっと違うが読みが同じらしい「玆暎」という名前の書かれた史料なり石碑なり願文なり記念物なりが確認された、のでしょうか?

名前(幼名?)「玆暎」の脚注にある書籍『明成皇后と大韓帝国(명성황후와 대한제국)』NDLは日本語訳されていない、朝鮮語の書籍のようで、この名前がどういった経緯で分かったのか、確認できません。なお朝鮮語版ko:명성황후・中国語版zh:明成皇后でも、この書籍が脚注に出ているようなので、根拠はある説なのでしょうが、どういった経緯で分かったのか、韓国とかではニュース記事になったりしたのでしょうか? --豆もち会話2014年2月26日 (水) 13:21 (UTC)[返信]

閔妃?明成皇后?[編集]

ページ名が閔妃となっていますが、香淳皇后の例があるようにこのページも諡号の明成皇后にすべきではないでしょうか?閔妃というページ名のままにしてある理由がわかりません--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月12日 (月) 15:03 (UTC)[返信]

ということで、記事名は"閔妃"が適切であると考えます。Takabeg会話2015年10月21日 (水) 06:42 (UTC)[返信]

三谷論文と写真[編集]

三谷憲正「『閔妃』試論―図像をめぐる一考察」国際日本文化研究センター、2003年を出典として「角田房子は自著『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』において「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」とキャプションを付け、それを閔妃として掲載した。」以降が書かれていますが、この論文に「村上天真」は出てきません。よって、この記載は独自研究ではないでしょうか。三谷論文には別の写真についての考証が記載されているので、それは加筆します。「村上天真撮影」の案件について出典を表示してください。--さんぽーる会話2015年12月30日 (水) 15:42 (UTC)[返信]

論文の引用の中にありましたので、原典の件も加筆しました。--さんぽーる会話2016年2月3日 (水) 11:36 (UTC)[返信]

日本側によって復位されている[編集]

これの根拠となる出典を教えて下さい。--Osamu angel会話2022年11月2日 (水) 09:56 (UTC)[返信]