プリモ (企業)

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株式会社プリモ
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
190-1232
東京都西多摩郡瑞穂町長岡2丁目3−5
設立 1952年10月24日
業種 電気機器製造
法人番号 6013101001521
事業内容 マイクロホン・通信機器製造販売、電機及び自動車部品の製造販売
代表者 代田大輔
資本金 3億1000万円(2021年5月)
従業員数 202人(2021年5月)
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株式会社プリモは、東京都瑞穂町に本社を置く、日本音響機器メーカーである。マイクスピーカー助聴器といった、音響に関連する様々な器具の製造販売をおこなっている[1][2]1984年昭和54年)時点で、世界のマイクカートリッジの7割[3]1986年(昭和61年)時点で世界のマイクロホンの5割以上を生産していた[4]

2021年5月時点での売上構成はマイクロホンが10%、ヘッドホンが5%、電話機が5%、各種部品が70%、その他が10%[5]

歴史[編集]

1952年(昭和27年)10月24日、代田市藏(しろた いちぞう)により「武蔵野音響研究所」として創業[6]。代田市藏は長野県の出身で、陸軍航空士官学校を経て旧関東軍に配属された後、東京で終戦を迎えた[7]。元上官の勧めで、国分寺市の音響メーカーの再建に尽力し、黒字化を成功させるが[7]、社員との軋轢がうまれたため、同僚とともに独立した[6]。創業当時の資本金50万円[5]1954年(昭和29年)3月に「プリモ音響研究所」と改称[5]。当初は「プリマドンナ」にちなみ、「プリマ」を社名とする予定であったが、類似する社名を有する他社からクレームが入ったため、社名のつづりが変更された[6]

1955年(昭和30年)、現在の武蔵野市正田飛行機跡地から[7]三鷹市中島飛行機跡地に製造拠点をうつした[6]。設立当初はレコードプレーヤーの部品を主力商品としていたが、1956年(昭和31年)にマイクロホンの製造に主軸を移した。当時盛んに行われていた労働運動でマイクが用いられはじめたことから、「これからはマイクの需要が増える」と考えたのがその理由であった[3]。細いパイプの先にクリスタルマイクを取り付けた同社の製品は、NHKの街頭録音に採用された[6]

1960年8月(昭和34年)に社名を「株式会社プリモ」に変更する[5][8]。レコードプレイヤー・スピーカー・AMラジオが一体になったステレオコンポーネントを開発したことがその契機となった[6]1961年(昭和35年)にはグルンディッヒがプリモのマイクを自社のテープレコーダーに採用し、これを契機としてプリモはマイクのトップシェアメーカーとなった[3]

1962年(昭和37年)に本社工場を木造からRC造に建て替える。1967年(昭和42年)、アメリカイリノイ州シカゴに駐在員事務所を設立[6]1970年(昭和45年)には、世界に先駆けてエレクトレットコンデンサーマイクの開発に成功する[3]1973年(昭和48年)にはテキサス州ダラスに現地法人「プリモマイクロホン」を設立[9]。1980年(昭和55年)より同州マッキニーに設立した工場の操業を開始し[9]、代田市藏は州知事から「テキサス州名誉市民賞」を授与する[7]。同年、西ドイツハイデルベルグに駐在員事務所を設立[6]。1982年(昭和57年)、資本金を2億1000万円に増資[5]。また、昭和50年代には当時の日本に到来した「カラオケブーム」に応じてカラオケ専用の「壊れないマイク」を製造した[3]。カラオケ業界においてプリモのマイクは圧倒的な支持を得た[6]

1983年(昭和58年)、同国バッドホンブルグに現地法人を設立。1984年(昭和59年)、長野県飯田市の市立山本小学校跡に新工場を設立[6]。資本需要の増加に応じ、資本金を3億円に増資[10]。同年、飯田市の工場で生産する、ニューセラミックスを使った音響製品の生産・販売を強化するため子会社「プリモ・ケミカ」を設立[11]

1988年(昭和63年)、2代目社長に代田偉が就任。代田市藏は会長となる[12]。翌年1989年平成元年)、創業者の代田市藏は死没する。死因は心不全[13]1992年(平成9年)、代田偉はマッキニーの地元社会にもっとも貢献した人物に与えられる「シチズン・オブ・ジ・イヤー」を授与する[14]。同年アメリカ法人がメキシコに、2001年(平成13年)シンガポール法人が香港に進出する[6]

2000年(平成12年)に資本金を3億1000万円に増資[5]2018年(平成30年)、3代目社長が就任[6]2021年令和3年)10月には、サブブランド [QUONIST SOUND] を立ち上げた。2022年(令和4年)7月からは地域貢献の一環として、羽村市3施設のネーミングライツを取得[15]。羽村市生涯学習センターゆとろぎを「プリモホールゆとろぎ」、羽村市図書館を「プリモライブラリーはむら」、武蔵野公園を「プリモパークむさしの」とそれぞれ命名。2023年(令和5年)7月にはPRIMOの新イメージキャラクターに生見愛瑠が就任[16]、11月にはサブブランド [QUONIST SOUND]のアンバサダーに川畑要が就任した[17]

関連会社[編集]

  • プリモ販売株式会社(名古屋以西地域の販売会社)
  • スカイ工業株式会社(機械製作・プレス加工・プラスチック成形)
  • プリモ興産株式会社(プラスチック成形型・ダイカスト型製作)
  • 株式会社ダイデン(各種アッセンブリ)

海外現地法人

  • Primo Microphones, Inc.(米国/生産・販売)- メキシコ現地法人(生産)
  • Primo Microphones Singapore (Pte) Ltd. (シンガポール/販売)- 香港事務所(子会社/販売)- インドネシア現地法人(生産)
  • Primo Microphones GmbH(ドイツ/販売)

脚注[編集]

  1. ^ プリモの助聴器(集音器)”. www.primocorp.co.jp. 2023年11月9日閲覧。
  2. ^ 概要/沿革|株式会社プリモ,マイクロホンのPRIMO”. www.primocorp.co.jp. 2023年11月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e 「マイク一筋に30年、世界のシェアの70%を占める/(株)プリモ」『近代中小企業』第19巻第6号、1984年、94-97頁。 
  4. ^ 「プリモのシンガポール工場、米向け電話機生産――マイクロホンも5割増産」『日経産業新聞』、1986年4月22日、10面。
  5. ^ a b c d e f 『(株)プリモ』、日経会社プロフィル、2023年11月11日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l プリモの歴史物語|株式会社プリモ,マイクロホンのPRIMO”. www.primocorp.co.jp. 2023年11月11日閲覧。
  7. ^ a b c d 「三鷹市(東京都)電機基盤にソフトへ、住工混在が発展のネック(わが町人と産業)」『日経産業新聞』、1983年6月3日、4面。
  8. ^ 同社サイト『プリモの歴史物語』には1959年(昭和34年)のこととある。
  9. ^ a b 「海外法人の資金調達にひと工夫、配当金すべて増資――プリモなど4社(中小企業経営)」『日経産業新聞』、1982年2月5日、20面。
  10. ^ 「プリモ、資本金を三億円に増資」『日経産業新聞』、1984年8月13日、3面。
  11. ^ 「プリモ、6月に子会社設立、音響製品の生産・販売強化」『日経産業新聞』、1984年8月27日、8面。
  12. ^ 「プリモ、社長に代田偉氏昇格」『日経産業新聞』、1988年8月18日、23面。
  13. ^ 「代田市蔵氏(死去)」『日経産業新聞』、1989年7月4日。
  14. ^ 「米プリモマイクロフォンズ社長野村稔氏――地元に地道な貢献(新国際族ホットライン)」『日経産業新聞』、1992年10月22日、3面。
  15. ^ ゆとろぎ・図書館・武蔵野公園の愛称が決まりました!”. 羽村市. 2023年8月18日閲覧。
  16. ^ 生見愛瑠がPRIMO新イメージキャラクターに就任! WEBムービー「PRIMO 70th Anniversary Movie ∼Stay Feeling,∼」が本日公開!”. avex managemaent. 2023年8月18日閲覧。
  17. ^ KANAME KAWABATA INFORMATION”. 株式会社タートルエンタテインメント. 2023年11月6日閲覧。

外部リンク[編集]