フランクフルト・アン・デア・オーダー

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紋章 地図
Wappen Frankfurt (Oder).png Lage Frankfurt (Oder).png
基本情報
連邦州: ブランデンブルク州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯52度21分
東経14度33分
標高: 海抜 19 - 135 m
面積: 147.61 km²
人口:

58,537人(2012年12月31日現在) [1]

人口密度: 397 人/km²
郵便番号: 15201–15236
市外局番: 0335
ナンバープレート: FF
自治体コード: 12 0 53 000
行政庁舎の住所: Schloßplatz 1
16515 Oranienburg
ウェブサイト: www.frankfurt-oder.de
首長: マルティン・ヴィルケ (Martin Wilke)
州内の位置
Brandenburg FF.svg

フランクフルト・アン・デア・オーダーフランクフルト・アン・デル・オーデルFrankfurt an der Oder、正式名称 Frankfurt (Oder) )は、ポーランドとの国境線(オーデル・ナイセ線)であるオーダー川に面するドイツの都市である。ブランデンブルク州に位置するが、1999年1月1日より郡独立市として、行政上は郡と同格の地位を保つ。人口は61,286人(2008年)。

「アン・デア・オーダー(an der Oder)」は、ヘッセン州フランクフルト・アム・マイン(マイン河畔のフランクフルト)と区別するために付されている。

対岸のポーランド側には、スウビツェ Słubiceクノヴィツェ Kunowiceクーネルスドルフ Kunersdorf)などがある。

市の紋章[編集]

緑の山の上にたつ金のとさかをもつ赤い雄鶏(右向き)。地は白。背景は、左右に塔をもつ市の門(赤)。二つの塔の上に金の紋章旗(金の雄鶏)がたち、門の上にはブランデンブルクの紋章である赤の鷲の紋章がかかげられる。

歴史[編集]

国境の川オーデル川を挟んで、左がフランクフルト、右がスウビツェとなる
街並

フランクフルト周辺にはオーデル川の浅瀬があり、川を渡る地点として重要な土地であった。 13世紀ドイツバルト海沿岸を結ぶ交易が盛んになり、パリアーヘンベルリンワルシャワモスクワを結ぶ交易路と、プラハマイセンクラクフを結ぶ交易路が交わる場所に、交易商人たちが入植地を作ったのがフランクフルト・アン・デア・オーダーの起源である。グロガウ公爵ハインリッヒ1世は市場開設の特許状を1225年に交付、1226年頃に市の最初の教会である聖ニクラウス教会が建設された(現在の名は平和教会)。

1253年には都市として認められ、街はやがて西岸から東岸(現在のスウビツェ)へも広がった。また1430年にはハンザ同盟に加わり、短期間その一員となった。

1506年にはヨアヒム1世によりブランデンブルク辺境伯領の主要な大学となるヴィアドリナ大学(Alma Mater Viadrina、オーデル川のラテン名 Viadra にちなむ)が成立したが、1811年に閉鎖されブレスラウ大学と併合し、一部は新設されたベルリン大学に移動した。ヴィアドリナ大学は、1991年に「ヴィアドリナ欧州大学」(Europa-Universität Viadrina)として復活している。

19世紀にはフランクフルト・アン・デア・オーダーはプロイセン王国の中央に位置する重要な交易都市となり、ドイツではライプツィヒに次ぐ大きな見本市が開かれるようになった。また1842年にはベルリン - フランクフルト間の鉄道も開通した。

1945年、ベルリンへ向かうソ連軍に対するドイツ軍の要塞となり、フランクフルト・アン・デア・オーダーは戦場となった。戦後のドイツ国境はオーデル・ナイセ線とされたため、フランクフルト市街のうち川の東岸にあったDammvorstadt地区はポーランド領スウビツェ市となった。

現在のフランクフルト・アン・デア・オーダーは対岸のポーランドとの交流や共同プロジェクトが盛んである。ポーランドのEU加盟(2004年)にともないシェンゲン協定がポーランド国境に実施され、国境検問所は撤廃され往来は自由となった。しかしドイツ再統一後この地域の経済は停滞し失業率も高くなっており、1990年に87,000人を数えた人口も大きく減少している。

ゆかりの人物[編集]

ゴシック様式の市役所

姉妹都市[編集]

引用[編集]

外部リンク[編集]