ノースベイ (サンフランシスコ・ベイエリア)

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ノースベイ
サンフランシスコ市(手前)から北のノースベイを望む。中央のサンパブロ湾を囲み左からマリン郡、ソノマ郡、ナパ郡、ソラノ郡が並ぶ
サンフランシスコ・ベイエリア、赤の左上、緑および紫がノースベイ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州

ノースベイ: North Bay)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリアの小区分であり、サンフランシスコ市より北、サンパブロ湾の西岸から北岸の地域である。最大の都市はサンタローザである。サンフランシスコ・ベイエリアの中では最も人口が少なく都市化も進んでいない地域である。マリン郡ソノマ郡およびナパ郡で構成されている。

交通[編集]

ノースベイはサンフランシスコ市とゴールデンゲートブリッジで、イーストベイとリッチモンド・サンラフェル橋(リッチモンド橋あるいはサンラフェル橋のどちらかで呼ばれることが多い)、およびベニシアとマーティネズの間でサンパブロ湾を跨ぐカルクイネス橋で繋がれている。ノースベイとサンフランシスコ市の間には、サウサリート、ティブロン、ラークスパーおよびエンジェルアイランドのターミナルから渡し舟が運行されている。フェアフィールドからサクラメントオークランドへの通勤列車アムトラックがキャピトル・コリダー線を運行している。

2008年11月、ラークスパーからクローバーデールまでの通勤鉄道線ソノマ・マリン地域鉄道の開発計画が住民投票で承認された。駅は14駅設置される予定である[1]

歴史[編集]

ヨーロッパ人が入ってくる前のノースベイ地域にはポモ族インディアンが住んでいた。まずロシア人毛皮貿易のための基地としてフォートロスの地域を開拓したが、その後はスペインメキシコアルタ・カリフォルニアとなって開拓された。カリフォルニア独立革命ソノマの町で発生した。ソノマはカリフォルニア・ミッションの最後の伝道所がある場所でもあった。カリフォルニアがアメリカ合衆国に併合される前の最後の知事秘書官だったマリアーノ・ヴァレホがその家屋をソノマに構えていた。その牧場のランチョ・ペタルーマ・アドベは現在アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されており、近くのペタルーマ市にある。

ノースベイは20世紀に入ってからも孤立し、田園のままだった。1930年代にゴールデンゲートブリッジが開通してマリン郡を酪農地帯から大規模な郊外地域に変身させた。1990年代までその成長は緩りとしたペースだった。これは1970年代にマリン郡とナパ郡にかなりの開発規制が課せられていたからだった。現アメリカ合衆国上院議員バーバラ・ボクサーがノースベイの未開発空間を保存する運動で重要な役割を果たした。

ソラノ郡[編集]

ソラノ郡はその地理的な位置からノースベイに含めて考えられることがあるが、その文化はイーストベイの文化との関連が深い。このためにヴァレーホ市はバカビル市やフェアフィールド市と共にイーストベイに属していると見なされている。

主要都市[編集]

ノースベイ最大の都市はソノマ郡サンタローザ(人口167,815人)である。その他、次のような都市が含まれている。カッコ内は2010年国勢調査による人口である[2]

脚注[編集]

  1. ^ “North bay voters back commuter rail — finally”. San Francisco business Times. (2008年11月5日). http://sanfrancisco.bizjournals.com/sanfrancisco/stories/2008/11/03/daily74.html 2009年1月10日閲覧。 
  2. ^ American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日. 2011年4月5日閲覧