ヌメア

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座標: 南緯22度16分33秒 東経166度27分29秒 / 南緯22.27583度 東経166.45806度 / -22.27583; 166.45806

Nouméa
Armoiries Nouméan fr.png
Noumea centre 1402561139 375c811796 o.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) フランス海外領ヌーヴェル=カレドニー
(département) シュド
INSEEコード 98800
郵便番号 98818
市長任期 ジャン・レク
2008年-2014年
人口動態
人口 97,579人
2009年[1]
人口密度 2 135人/km²
地理
標高 平均:m
最低:0 m
最高:168 m
面積 45.7km² (4 570ha)
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ヌメアNouméa, ヌーメア)は、フランスニューカレドニアの最大都市。ニューカレドニア本島(グランテール、Grande Terre)南部の半島に位置する。南太平洋で最も都市化・産業化された街のひとつであり、メラネシアポリネシアの多くの島からの出稼ぎ移民も多い。

人口構成[編集]

上空から見たヌメア市街

住民構成は以下のとおりである。

人口動態[編集]

1956 1963 1969 1976 1983 1989 1996 2004 2009
市域人口 22,235 34,990 41,853 56,078 60,112 65,110 76,293 91,386 97,579
都市圏人口 25,204 39,996 50,488 74,335 85,098 97,581 118,823 146,245 163,723
Official figures from population censuses.[2][1]

歴史[編集]

1857年頃のポール=ド=フランス

ヨーロッパ人の入植前、この地は先住民カナックにとってさして重要な場所ではなかった。この近くに最初の入植地を建てたのはイギリス人の貿易商ジェームズ・パドン(James Paddon)で、1851年のことであった。ニューカレドニアの領有を熱心に主張していたフランス人はその3年後、1854年に島の北部のバラードからこの地に移り、入植地を建設した。1854年6月25日、小さな駐屯地ポール=ド=フランス(Port-de-France)を建設した。1866年6月、マルティニークフォール=ド=フランスとの混合を避けるため、駐屯地の名はヌメアと改名された。当初は政治犯などの流刑植民地だったが、後に近くから見つかったニッケルの採掘の中心地として発達し、日系移民など多くの移民を受け容れた。

第二次世界大戦中、アメリカ軍の多くの部隊の司令部がヌメアに置かれていた。戦後、アメリカ軍の司令部施設(ペンタゴナル・コンプレックス)は、南太平洋地域の発展のために作られた国際機関南太平洋委員会の本部として流用された。この組織は後に太平洋共同体となり、その会議においては独立・非独立の別にかかわらず太平洋の島国に平等の地位と投票権を保証することから「南太平洋のミニ国連」(バヌアツの元大統領、アティ・ジョージ・ソコマヌによる表現)となっている。

第二次大戦時に多くの米兵がヌメアに駐留したことは今でもこの地に大きな影響を残している。米兵たちはそれまでの白人たちと比較して親しく地元民に接したことから、ニューカレドニアの人々の対米感情は非常によい。またヌメアのいくつかの街区には戦時の米軍の用語や人名などにちなんで、「レシービング(Receiving)」「ロビンソン(Robinson)」「モータープール(Motor Pool)」など、英語圏の耳からすれば奇妙に聞こえる地名がつけられている。

ヌメアの街と観光[編集]

ヌメアはグアムハガニアなどと並び、太平洋の島国で最も「西洋化」された街であり、ニューカレドニアの他の町の様な広い空き地、ぎざぎざのはげ山、カナック人が人口の多くを占めることなどとは対照的である。(ヌメア以外にも、ニューカレドニア北西部海岸にはヨーロッパ人が多く集まる町がいくつかある。)ヌメアは他の太平洋の島国の首都より晴れの日が多く南太平洋でも恵まれた気候にあり、都心からそう離れていない場所にすばらしいビーチがあるが、生活費の高さ、環太平洋の大都市からの航空券の高さなどから、太平洋有数の大観光地とはいいがたい面がある。しかしボード・セーリングの愛好者にとってはヌメアは滞在費の高さの分の価値がある場所である。晴れの日が多いためさわやかな風が他の島に比べて多いためである。

ヌーメアの国際空港は、市内から50km離れたトントゥータ(Tontouta)にあるヌメア国際空港である。また市内のマジャンタ(Magenta)にもローカル線の飛ぶ空港(マジャンタ空港)がある。

ヌメアは現在、太平洋で最も急成長をとげている都市であり、ここ10年間で大きな住宅開発ブームを経験した。このような急成長にもかかわらず、快適な環境のための施設・空間建設も遅れをとらずに進んでおり、市政府も公共事業を積極的に進めている。これらの建設のほとんどは明らかにフランスの投資によるものである。マティニョン合意(1988年)とその後のヌーメア協定(1998年)で、数十年がかりでニューカレドニアの自治権拡大(場合によっては独立)が進められている中、こうした環境作りや公的施設への投資が結果的に持続可能な街の発展につながることを政府は望んでいる。(フランスの教育で育った知識人の中には、イギリスがアジア・アフリカ・太平洋の植民地から撤退する際、新しく作られる国が経済的にも政治的にも自立できることを保証しないまますばやく退散したことに対する批判もある。)

主な観光施設[編集]

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]