ソフィー・マルソー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ソフィー・マルソー
Sophie Marceau
Sophie Marceau
2012年
本名 Sophie Danièle Sylvie Maupu
生年月日 1966年11月17日(48歳)
出生地 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 女優・監督
ジャンル 映画
活動期間 1980年 -
活動内容 1980年:映画デビュー
1995年:米国進出
配偶者 アンジェイ・ズラウスキー (1995-2001)
著名な家族 長男 (1995- ) 前夫との実子
長女 (2002- ) 恋人との実子

ソフィー・マルソー(Sophie Marceau、1966年11月17日 - )はフランスパリ出身の女優

経歴[編集]

13歳の時にオーディションで数百人の中から選ばれた[1]ラ・ブーム』の主役でデビューし、一躍トップ・アイドルとなった。実名とイニシャルを変えないように、マルセル・マルソーから姓を採った。

ややアジア人に似た外見が特徴で、これは本人も認めるところである[2][3]。また、イザベル・アジャーニに似ているともいわれた[4][5]

現在もフランスでの人気は高く、女優部門で51%の支持を集めトップになった[6]とも、 最も売れている女優である[7]とも伝えられる。

デビュー以前[編集]

フランスのパリに、トラック運転手とデパート店員の夫婦の第2子として生まれる[8].[9]兄が一人いる。平日は家族のレストランを手伝い、週末はエソンヌ県ヴェール=ル=プチ (en fr) にある家で過ごした。 両親は9歳のときに離婚している[10]

キャリアのはじまり[編集]

1980年2月、母と共に10代を探しているモデル事務所を偶然見つけ、写真を撮ったが声がかかることは期待していなかった。 そのころ、クロード・ピノトー監督の『ラ・ブーム』でキャスティングディレクターをしていたフランソワーズ・メニドレイ (Françoise Menidrey) がモデル事務所に新人を推薦するよう声をかけて回っていた。ラッシュを見たあと、ゴーモンの社長アラン・ポワレ (fr) は長期契約にサインした。 『ラ・ブーム』はフランスで入場券450万枚の売り上げを記録する[11]に留まらず、他のヨーロッパ諸国[11]や日本を含めたアジア[12]でもヒットとなった。

1981年に、ピエール・ドラノエ (fr) 作の"Dream in Blue"でフランソワ・ヴァレリー (fr) とデュエット、歌手デビューした。

初期[編集]

1982年、16歳のとき、ゴーモンと100万フランで再び契約を結ぶ[13]。 同年の続編『ラ・ブーム2』でセザール賞最優秀新人女優賞を受賞した。

「『好奇心にあふれているけれど、とりあえず無垢な女の子』でいてくれたのは、この二作ぐらいまで。」「この後、どんどん大胆な役にチャレンジ」[1]しはじめる。 1984年『フォート・サガン』でジェラール・ドパルデューカトリーヌ・ドヌーブと共演。 1985年『狂気の愛』は後にパートナーとなるアンジェイ・ズラウスキーとの初の作品。 1986年『デサント・オ・ザンファー 地獄に堕ちて』で『ラ・ブーム』の父親役と歳の離れた夫婦を演じる。 1988年に『ラ・ブーム』と同じ監督で『スチューデント』、また『ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて』でカブールにおける国際ロマンチック映画祭最優秀ロマンチック女優賞を受賞[14]

1991年にはEurydice (fr) で舞台に挑戦、モリエール賞 (en) の最優秀新人女優賞を受賞[13]

娯楽性の強い1993年のコメディ映画『恋人たちのアパルトマン』や1994年の『ソフィー・マルソーの三銃士』はヨーロッパやそれ以外でも人気を博した。 同年、舞台にも復帰し『ピグマリオン』でイライザを演じた[14]

英語圏への進出[編集]

英語をマスターし[15]、 英語圏の映画に出演し英米で知られるようになるのは1995年メル・ギブソン監督『ブレイブハート』のイザベラ王女から[16]。 1997年、ウィリアム・ニコルソンがイギリスで撮影した『ファイアーライト』、ヴェラ・ベルモン (fr) がフランスで撮影した『女優マルキーズ』 (fr)、バーナード・ローズ (en fr) がロシアで撮影した『アンナ・カレーニナ』と立て続けに主演する。 1999年には悪役のボンドガールであるエレクトラ・キングを『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』で演じる。 当時のパートナー、アンジェイ・ズラウスキーとは2000年に再び『女写真家ソフィー』で組み、カブールの国際ロマンチック映画祭で再び最優秀ロマンチック女優賞を受賞[14]。 21世紀に入っても女優活動は盛んで、2008年のLOL (Laughing Out Loud)はフランスでヒットした。高級宝飾品ブランド「ショーメ」(en fr) の広告ではモデルと監督をしている。

著述・監督[編集]

1996年に、半自伝的小説Menteuse(邦訳『うそをつく女』2000年、草思社。英訳Telling Lies、2001年)を刊行、一人称の主人公は誇り高く率直で、しかしそのために脆く残酷な女優である[17]。名前を明かさない主人公によって、記憶と空想と印象に満ちた世界に誘われる。作品は「女性のアイデンティティの探求」と評され[10]、フランスでは大きくとりあげられた[17]

1995年に短編映画L'Aube à l'enversで映画初監督、ジュディット・ゴドレーシュの主演になる。

2002年、同じ主演による長編映画監督としてのデビュー作『聞かせてよ、愛の言葉を』(en fr) をモントリオール世界映画祭の最優秀監督賞で飾る。脚本・主演もした『過去から来た女』は2006年の作品で、2008年に開催された東京のフランス映画祭のオープニングを飾った。

社会貢献活動[編集]

病気を患っている子どもたちを対象に、その子らの夢の実現を応援するフランスの団体「Arc-en-Ciel(虹)」で活動している[18]

私生活[編集]

17年にわたり26歳年上の映画監督のアンジェイ・ズラウスキーと生活を共にし、1995年には息子をもうけている[9]。2001年に離別し、プロデューサーのジム・レムリー (fr) と同居、のち2002年に娘をロンドンで出産している[9]。2007年以降は『過去から来た女』で主役にすえたクリストフ・ランベールと恋人関係にある。

出演作品[編集]

映画[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1980 ラ・ブーム
La Boum
ビック
1982 ラ・ブーム2
La Boum 2
ビック
1984 フォート・サガン
Fort Saganne
Madeleine
1985 恋にくちづけ
Joyeuses Pâques
ジュリー
狂気の愛
L'Amour braque
マリー
ソフィー・マルソーの刑事物語
Police
ノリア
1986 デサント・オ・ザンファー 地獄に堕ちて
Descente aux enfers
ローラ
1988 ソフィー・マルソーの愛、革命に生きて
Chouans !
セリーヌ
スチューデント
L'Étudiante
ヴァランティーヌ・エスケラ
1989 私の夜はあなたの昼より美しい
Mes nuits sont plus belles que vos jours
ブランチ
1990 パシフィック通り
Pacific Palisades
ベルナデット
熱砂に抱かれて
Pour Sacha
ラウラ
1991 ソフィーマルソーの愛人日記
La Note Bleue
ソランジェ・サンド
1993 恋人たちのアパルトマン
Fanfan
ファンファン
1994 ソフィー・マルソーの三銃士
La fille de d'Artagnan
エロイーズ・ダルタニャン
1995 ブレイブハート
Braveheart
イザベラ・オブ・フランス
愛のめぐりあい
Al di là delle nuvole
La fille
1997 アンナ・カレーニナ
Anna Karenina
アンナ・カレーニナ
女優マルキーズ
Marquise
マルキーズ
ファイアーライト
Firelight
エリザベス・ローリエ
1999 ライラ フレンチKISSをあなたと
Lost & Found
ライラ
真夏の夜の夢
A Midsummer Night's Dream
ヒッポリュテー
007 ワールド・イズ・ノット・イナフ
The World Is Not Enough
エレクトラ・キング
2000 女写真家ソフィー
La Fidélité
Clélia
2001 ルーヴルの怪人
Belphégor, Le fantôme du Louvre
リザ
2003 あなたにも書ける恋愛小説
Alex & Emma
ポリーナ・デラクロワ
ソフィー・マルソーの愛人
Je reste !
マリー=ドミニク・デルピール
2005 アントニー・ジマー
Anthony Zimmer
キアラ
2006 ソフィー・マルソーの過去から来た女
La Disparue de Deauville
ビクトリア・ベヌッティ 監督・脚本・出演
2007 レディ・エージェント 第3帝国を滅ぼした女たち
Les femmes de l'ombre
Louise Desfontaines
2009 ダブルフェイス 秘めた女
Ne te retourne pas
ジャンヌ
マーガレットと素敵な何か
L'Âge de raison
マーガレット

舞台[編集]

監督映画[編集]

著書[編集]

  • ソフィー・マルソー 『うそをつく女』 金子ゆき子訳、草思社、2000年2月。ISBN 4-7942-0941-X
    Sophie Marceau (1996). Menteuse. Paris: Editions Stock. の邦訳(原題は「うそつき」の女性形)

受賞・受勲[編集]

日本での活動[編集]

主要なもののみ

映画祭[編集]

テレビ番組[編集]

  • 「岸惠子の時代気分」:テレビ神奈川。女優・岸惠子が司会の1対1のトーク番組でパリロケの回のゲスト。フランス語通訳は岸自身が担当した。

広告[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『うそをつく女』の佐藤友紀による解説
  2. ^ 「当時、私は広告代理店と仕事をすることが多かった。得意先はもっぱら日本人と韓国人。アジア人にそっくりの目と浅黒い肌をした私は、日本の桜のように満開を迎えた女の子、日本語で言うところの、<かわいい>女の子。」(『うそをつく女』48-49頁)
  3. ^ 『ラ・ブーム2』ではカルトランジュの写真を見せあった相手が「中国人みたいだ」という場面がある。
  4. ^ 「中国人みたいだ」という場面の直後に「アジャーニの妹みたいだ」とも言っている。
  5. ^ 「その端正な美少女ぶりはイザベル・アジャーニに似てもいた」(小藤田千栄子「“離婚時代”を反映した青春映画の佳作」、『キネマ旬報』第832巻1982年3月下旬号、 76-77頁。
  6. ^ 時事通信の伝える仏紙「パリジャン」の2009年の調査。ソフィー・マルソー人気健在”. 時事通信. 2010年3月20日閲覧。
  7. ^ 仏紙「フィガロ」が2009年にフランスでもっとも収入の多かった俳優を調査。290万ユーロ。男優のJean Dujardin (en fr), Dany Boom (en fr) に次ぐ。
    • Lutaud, Lena (Vendredi 26 Février 2010). “Jean Dujardin, l'acteur le mieux payé du cinéma français; EXCLUSIF « Le Figaro » publie son palmarès annuel des stars que s'arrachent les producteurs.”. Le Figaro 
    • Lutaud, Lena (Vendredi 26 Février 2010). “LES DIX COMÉDIENNES LES PLUS CHÈRES”. Le Figaro 
    • AFPの配信による記事は[1][2][3][4][5] などでも確認できる。
  8. ^ “Sophie Marceau: Fatal attraction”. The Independent. (2008年6月21日). http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/sophie-marceau-fatal-attraction-850871.html 2010年4月4日閲覧。 
  9. ^ a b c Sophie Marceau Biography (1966–)”. Film Reference. 2010年12月15日閲覧。
  10. ^ a b Billen, Andrew (2001年6月10日). “Lies and loves of ma belle Marceau”. Sunday Herald 
  11. ^ a b キネマ旬報(八森稔「クロード・ピノトー監督インタビュー」、『キネマ旬報』1982年3月下旬号、 78-80頁。)ではイタリア・スイス・ドイツをあげている。
  12. ^ IMDbのフォーラムDreams are my reality - Was it a hit in your countries ?ではフィリピン・台湾・香港からヒットだったと報告がある。
  13. ^ a b Sophie Marceau - Biography - IMDb
  14. ^ a b c Sophie Marceau - BiFi
  15. ^ 佐藤友紀(「解説−正直な心の風景」、ソフィー・マルソー『うそをつく女』に収録)によれば、個人教授と語学学校通いをしたという。
  16. ^ 「今見ると『ブレイブハート』の英語はひどいけど、怖いとは思わなかった。英語は演技するにはしやすい言葉よ。」(アンナ・カレーニナ日本公開時のインタビュー、鉄屋彰子「Face: ソフィー・マルソー」、『キネマ旬報』1998年5月上旬号、 15-16頁。
  17. ^ a b 『うそをつく女』の金子ゆき子による訳者あとがき
  18. ^ Association Arc-En-Ciel”. 2011年9月28日閲覧。

外部リンク[編集]