シルエットフォーミュラ

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シルエットフォーミュラSilhouette Formula )は、モータースポーツ用の車両の一種で、1981年以前のFIA国際競技規則・付則J項において「グループ5」に分類される車両の通称。スーパーシルエットと呼ばれることもある。

外観は市販乗用車に似せて作られているが、シャシーやエンジンはレース専用に設計・製造されているため、「まるで外観(シルエット)だけ市販車に似せたフォーミュラカーのようだ」ということから「シルエットフォーミュラ」と呼ばれるようになった。

なお、本来FIAの車両分類では「グループ4」に分類される車両(ランチア・ストラトスなど)をさらに改造してシルエットフォーミュラ化するケースも多かったため、「シルエットフォーミュラ」=「グループ4及びグループ5の車両」と紹介されるケースも多いが、誤りである。

概要[編集]

1976年FIAは、それまで2座席オープントップのプロトタイプレーシングカーで競われていた世界メーカー選手権を、グループ5・シルエットフォーミュラーで競うことに変更した。※オープントッププロトタイプ(グループ6)は新たに創設された世界スポーツカー選手権に戦いの場を移した(1978年には欧州選手権に格下げ)

規定台数400台(500台の資料もある)の市販車のイメージを残すシルエットフォーミュラーで、より多くのメーカーの参加を目論んだFIAだったが、意に反しポルシェ・935のワンサイドゲームとなり、決して成功したカテゴリーとはならなかった。

FIAが1982年より車両区分の規定を一新したことから、世界選手権を戦う車両はクローズドボディのプロトタイプ・グループCに移行し、シルエットフォーミュラは終焉を迎えた。

日本におけるシルエットフォーミュラ[編集]

ニチラ シルビア スーパーシルエット
S110型S12外装

日本では1970年代後半から1980年代前半にかけて、当時のスーパーカーブームに乗る形で、田宮模型(現・タミヤ)から多数のシルエットフォーミュラがモデライズされたこともあり、当時の少年ファン中心に人気があった。(田宮模型からはポルシェ・935のほか、BMW・320i turbo、ランチア・ストラトスターボ、フォード・カプリ、そしてドイツ国内選手権を戦っていたシュニッツァー・チューンのRA20系トヨタ・セリカLBターボがモデル化された)

1979年から富士グランチャンピオンレース(富士GC)の前座レースとして「富士スーパーシルエットシリーズ」(富士SS)が開始される。当初はTS(特殊ツーリングカー)クラスのマツダ・サバンナRX-3、GTクラスの日産・フェアレディZがそのまま参加したが、その後日産からは710型やPA10型のバイオレットターボが参戦し、トヨタはトムスがシュニッツァー・チューンのRA20系セリカLBターボを逆輸入して参戦した。その後日産はS110型シルビアガゼールターボを、トヨタは童夢製作のRA40系セリカターボを投入する。

トミカ スカイラインRSターボ (KDR30)

1982年には、日産はR30型スカイライン・S110型シルビア・910型ブルーバードを投入。これら「日産ターボ軍団」とBMW-M1の激突で、富士や筑波サーキットで開催されたスーパーシルエット・レースは大いに人気を博した。これがきっかけとなり、この後日産は1984年NISMOを設立するなど、本格的なワークス活動を再開することになる。

国際的には1982年一杯でカテゴリーが消滅したため、日本におけるシルエットフォーミュラ(スーパーシルエット)レースも段階的に縮小し、シリーズ戦は1983年限りで終了(WEC-JAPANには特認で「GT-JAPAN」クラスが設けられた)。1984年には2戦だけ開催され、ここで完全に終焉となった。

なお1999年には全日本ツーリングカー選手権の後継レースとして「SSCC(Super Silhouette Car Championship)」なるレースが企画されたことがあったが(実際にはレースは行われず)、このレースで使われる予定だった「スーパーシルエット」は市販車とは別のパイプフレームシャシーを持つなどむしろストックカーに近い車で、1980年代のスーパーシルエット(シルエットフォーミュラ)とは全く別種の車であった。

代表的なベース車両[編集]

関連項目[編集]