アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ
| アブドゥッラー عبد الله |
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| サウジアラビア国王 | |
アブドゥッラー(2007年)
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| 在位 | 2005年8月1日 - 在位中 |
| 全名 | عبد الله بن عبد العزيز آل سعود アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード |
| 出生 | 1924年8月1日(88歳) |
| 配偶者 | ハサ・ビント・アブドゥッラー・ビン・アブドゥルラハマーン・アッ・サウード |
| ハサ・ビント・トラド・アッ=シャーラーン | |
| 子女 | |
| 王家 | サウード家 |
| 父親 | イブン・サウード |
| 母親 | ファハダ・ビント・アシ・アッ=シュライム |
| 宗教 | イスラム教ワッハーブ派 |
アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード(アラビア語: عبد الله بن عبد العزيز آل سعود, ラテン文字転写: Abdullah bin Abdulaziz Al Saud、1924年4月1日 - )は、第6代サウジアラビア国王(2005年8月1日 - )。初代サウジアラビア国王イブン・サウードの37人の息子の一人で、第5代サウジアラビア国王ファハドの異母弟。日本では「アブドラ国王」と表記されることが多い。ワッハーブ派イマームとしてはアブドゥッラー3世と呼ばれる。
現在サウジアラビアで発行されている5種類のリヤール紙幣に肖像が使用されている。
目次 |
経歴 [編集]
前半生 [編集]
アブドゥッラーは、イブン・サウードの第八夫人ファハダ・ビント・アシ・アッ=シュライム(シャッマル族の出身)の子としてリヤドで生まれた。ファハダは以前、ラシード家の第10代当主で、1920年に殺害されたサウード(Saud bin ʿAbdulazīz)と結婚していたことがある。アブドゥッラーは、サウード家のために設けられた学校で宗教上の権威者と知識人から前半生の教育を受けた。1963年にはサウジ国家警備隊の長官に就任し、1982年6月に第一副首相に就任した。5人の妻を持ち、7人の息子と15人の娘がいる。
ファハド国王が1995年に脳卒中で倒れて以来、王太子の地位にあったアブドゥッラーは事実上の摂政として、政治の実権を握ってきた。現在は首相を兼ねる。かつては国家警備隊司令官も兼ねていたが、2010年11月17日、息子のムタイブ・ビン・アブドゥッラー王子に司令官の座を譲った。
行政と外交姿勢 [編集]
近年、アブドゥッラーによる近代化のイメージは後退してきた。サウジアラビアの学校は反ユダヤ主義を教えているといわれ、またサウジアラビアの王室は世界中のマドラサに出資している。サウジアラビアはアフガニスタンのターリバーンの、主要な支援者でもあった。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件のあと、サウジアラビアとアラブ首長国連邦はターリバーン政権の承認を取り下げた。
2002年にはいわゆるアラブ和平構想を提唱した。これは当時サウジアラビアがイスラエルに対する、和平の最初の試みであると受け止められた。この計画はイスラエルに対し、パレスチナ自治政府に占領地区のほとんど全部を返還し、パレスチナ自治政府を承認するよう呼びかけたものであった。それと引き換えに、アブドゥッラーは前例の無い譲歩を申し出た。これには、アラブとイスラエルの衝突を終わらせイスラエルと和平条約を結ぶことや、イスラエル国を承認すること(1947年に国連による分割案が国連総会で承認されているにもかかわらず)、およびアラブとイスラエル間の国交正常化の成立といったものが含まれている。これは先代のファハド国王が提案したフェズ憲章を踏襲したものとされる。この計画は、フェズ憲章と同じようにアラブ諸国は賛成し、シャロン首相からも歓迎されたものの、具体的な交渉で頓挫した。
最近ではエジプト、シリア、ヨルダンを訪問した。中断した中東和平を復活させアラブの連帯と協力を高める試みとサウジアラビア政府は述べている。
信仰 [編集]
敬虔なムスリムで、サラフィー主義(ムスリムの最初の三代の教えに基づく信仰を厳格に解釈するイスラムの教義)に従っている。サウジアラビアの宗教権威の指導者と毎週会合し、助言と指導を仰いでいると言われている。
慈善活動 [編集]
2005年1月3日に、リヤドのアブドゥルアズィーズ国王医療センターで執刀された2人のポーランド人の結合双生児の手術費用を負担した。アブドゥッラーはこの双子のことをインターネットで情報を知った医師から知らされたのだという。14ヶ月児のダリアとオルガは15時間に渡る外科手術の後、無事分離された。
アメリカ合衆国との関係 [編集]
アメリカ合衆国を何度も訪れている。
- 1976年10月、リヤドで高い地位に就く準備をしているとき、アメリカ合衆国へ赴き当時の大統領ジェラルド・フォードに面会している。
- 1987年10月にもアメリカ合衆国へ赴き、当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュに会っている。
- 1998年9月にはアメリカ合衆国を公式訪問し、ワシントンDCで当時の大統領ビル・クリントンと会談した。
- 2000年9月にはニューヨークの国連でのミレニアム祝賀会に出席した。
- また当時の大統領ジョージ・W・ブッシュを含むブッシュ一家がアブドゥッラーを(アメリカ合衆国とブッシュ一家の両方の)親友とみなしているといわれている。
テロリズムに対する姿勢 [編集]
2003年9月11日、アメリカ同時多発テロ2周年のとき、当時王太子だったアブドゥッラーはアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ宛に書簡を送っている。その書簡の末尾は次の通りである。
全能の神は、その英知で、このような災難が起こることを許すことにより、信仰を試されました。しかし、慈悲深い神はまた、私たちがこのような悲劇を素晴らしい業績に変えることができるように、そして人類の衰退の危機を前進の機会へと変えることができるように、信仰によってもたらされた意思と決断を下されました。私はただ、新たなる世界が、あなたの協力とリーダーシップと共に、世界貿易センタービルの瓦礫から現れることを願うばかりです。世界は、自由、平和、繁栄、および調和といった美徳に祝福されています。
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