サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ

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サウード1世
سعود
サウジアラビア国王
King Saud.jpg
サウード1世(1957年、ワシントンにて)
在位 1953年11月9日 - 1964年11月2日
全名 سعود بن عبد العزيز آل سعود
サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード
出生 1902年1月12日
Flag of the Ottoman Empire.svg オスマン帝国
Flag of Kuwait 1899.png クウェートクウェート市
死去 1969年2月23日(満67歳没)
ギリシャ王国の旗 ギリシャアテネ
埋葬 サウジアラビアの旗 サウジアラビアリヤドウード墓地
王家 サウード家
父親 イブン・サウード
母親 ワドハー・ビント・ムハンマド・アッ=ウライイルアラビア語版
宗教 イスラム教ワッハーブ派
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サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウードアラビア語: سعود بن عبد العزيز آل سعود‎, ラテン文字転写: Saud bin Abdulaziz Al Saud1902年1月12日 - 1969年2月23日)は第2代サウジアラビア国王1953年 - 1964年)。ワッハーブ派イマームとしてはサウード4世、サウジアラビア国王としてはサウード1世と呼ばれる。

生涯[編集]

初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの次男として、サウード家亡命先のクウェートで産まれた。

18歳よりアラブ各地の戦闘に参加し、1924年から1925年の父のヒジャーズ王国出兵時には名代としてリヤドを統治し、1930年、ナジュド知事に任命される。兄のトゥルキーが1919年スペインかぜの為に早世していたこともあり、ヒジャーズ・ネジド王国が1932年にサウジアラビア王国と改称した翌年の1933年にサウジアラビア王国王太子に任命される。

父王の逝去に伴い1953年に即位。健康不良により1964年に弟のファイサルに譲位。1969年、療養先のアテネにて死去した。

人物[編集]

祖父アブドッラフマーンが父にサウードの誕生した事を知らせにいった日に、父はリヤド奪還に成功したという。

サウードはベドウィンに人気があった。また、外国語を全然話せないことを誇りとしていたという。しかし、後に堕落してハレムキャデラックの趣味にふけったという。

インド総督府で働き、1930年にイスラム教に改宗したジョン・フィルビーと仲が悪く、1955年4月にフィルビーを国外追放する。しかし、レバノンの財界人、フサイン・アル=ウワイニーらが、サウードの弟、ファイサルとアブドゥッラーの協力を得て、サウードを説得し、1956年11月にフィルビーは年2160英ポンドの手当て付きで、サウジアラビアに帰国した。

参考文献[編集]