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TENさんは「[[朝鮮の歴史]]」において、「専門家」ではないという理由で特定の何件かの記述や出典を除去する編集をなさっていましたが([https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=prev&oldid=85075286])、「『日本人はるかな旅 (4)』NHK出版、p.93」という書籍は、日本放送出版協会が出版したものなので出典として普通に成立するものだと思いますが、何故これを恣意的に除去なさったのか詳しい除去理由をお聞かせ願います。返信は[[ノート:朝鮮の歴史]]でも構いません。よろしくお願いいたします。--[[利用者:みしまるもも|みしまるもも]]([[利用者‐会話:みしまるもも|会話]]) 2021年8月19日 (木) 07:36 (UTC)
TENさんは「[[朝鮮の歴史]]」において、「専門家」ではないという理由で特定の何件かの記述や出典を除去する編集をなさっていましたが([https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=prev&oldid=85075286])、「『日本人はるかな旅 (4)』NHK出版、p.93」という書籍は、日本放送出版協会が出版したものなので出典として普通に成立するものだと思いますが、何故これを恣意的に除去なさったのか詳しい除去理由をお聞かせ願います。返信は[[ノート:朝鮮の歴史]]でも構いません。よろしくお願いいたします。--[[利用者:みしまるもも|みしまるもも]]([[利用者‐会話:みしまるもも|会話]]) 2021年8月19日 (木) 07:36 (UTC)
* {{返信}} 文章を変えたのでそれに合わせて出典も入れ替えました。「朝鮮の歴史」という主題の記事ですから、朝鮮半島全体を俯瞰する視点から記述に改めたつもりです。『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』等を見ればわかりますが、朝鮮半島における縄文人の痕跡等は現時点では「朝鮮」という単位における考古学的な位置づけが明確に語られていないです。この点、櫛目文土器や無文土器、遼寧式銅剣などが時代区分の基準として使われるのと異なりますし、にもかかわらず朝鮮半島全体の記述から理由なく突然個別の遺跡に視点がズームアップするのは好ましくないと思ったので変えました。単純に行ってしまえば『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』という総論的な書籍に記述の粒度を合わせた結果です。ついでに言えば同書は著者も明示されておらず、また朝鮮半島南部という単位での日本列島との関わりはその後の記述にきちんと述べられていますし、「朝鮮の歴史」において『日本人はるかな旅 (4)』に書かれている縄文人の痕跡を詳述する必要性は個人的にはあまり感じません。--[[利用者:TEN|TEN]]([[利用者‐会話:TEN|会話]]) 2021年8月19日 (木) 16:44 (UTC)
* {{返信}} 文章を変えたのでそれに合わせて出典も入れ替えました。「朝鮮の歴史」という主題の記事ですから、朝鮮半島全体を俯瞰する視点から記述に改めたつもりです。『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』等を見ればわかりますが、朝鮮半島における縄文人の痕跡等は現時点では「朝鮮」という単位における考古学的な位置づけが明確に語られていないです。この点、櫛目文土器や無文土器、遼寧式銅剣などが時代区分の基準として使われるのと異なりますし、にもかかわらず朝鮮半島全体の記述から理由なく突然個別の遺跡に視点がズームアップするのは好ましくないと思ったので変えました。単純に行ってしまえば『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』という総論的な書籍に記述の粒度を合わせた結果です。ついでに言えば同書は著者も明示されておらず、また朝鮮半島南部という単位での日本列島との関わりはその後の記述にきちんと述べられていますし、「朝鮮の歴史」において『日本人はるかな旅 (4)』に書かれている縄文人の痕跡を詳述する必要性は個人的にはあまり感じません。--[[利用者:TEN|TEN]]([[利用者‐会話:TEN|会話]]) 2021年8月19日 (木) 16:44 (UTC)

:::*除去の理由の中の「著者も明示されておらず」という点については、TENさんが新たに出典として持ってきた[[名古屋大学出版会]]の『朝鮮史研究入門』も「著者も明示されておらず」([https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&diff=85075286&oldid=85069590])、整合性がないように思えました。--[[利用者:みしまるもも|みしまるもも]]([[利用者‐会話:みしまるもも|会話]]) 2021年8月21日 (土) 05:13 (UTC)


== 「当該分野の非専門家のもの」とは ==
== 「当該分野の非専門家のもの」とは ==

2021年8月21日 (土) 05:13時点における版

アッシリアに関するご相談

はじめまして、ウミユスリカと申します。TEN様がアッシリア史にお詳しそうなのでご相談なのですが、以前からアッシリアの記事に、「同市は歴史の初期には一時期バビロニア王国の支配下に置かれ、王国の副王が統治していた。」との記述が含まれているのですが、これはアッシリアの王の正式称号がアッシュルの王ではなくて(アッシュルの王であるアッシュル神に対しての)アッシュルの副王であったことを誤解した記述のように思われてなりません。TEN様のお持ちの知見ではどう判断されますでしょうか。他にも既存記事が旧約聖書視点にどっぷり埋没しているように感じられ、その修正にどう編集をかけていいか頭を抱えています。ご助言いただけると助かります。--ウミユスリカ 2006年1月20日 (金) 07:18 (UTC)[返信]

はじめまして。よろしくお願いします。私自身アマチュア歴史ファンの1人に過ぎないので自分の持ってる知識にそれほど自信があるわけでは無いのですが、副王表記に関しては同感です。恐らくその表記名と、アッシリアに対するバビロン第1王朝の勝利が混ざった結果生じた表記だと思います。付け加えてバビロン第1王朝が強勢を誇った時代がそう長く無い事を考えればバビロンが任じた副王が統治したと言う事はちょっと考えづらいと思います。
恐らく英語版から翻訳された既存記事が旧約聖書視点に埋没しているのは、テキストの元となった文献がEaston's Bible Dictionary, 1897とあれば如何ともし難いような気がします(^^;英語版のウィキペディアも加筆修正はされているものの同様の問題がそのまま残っている感じがします。
今日風に書き直す必要がある、とあるように恐らく大規模に編集をかけてしまって問題ないように思いますが、ウィキペディア的には全文修正と言うのはあまり好ましく無い(?)ような感覚があるので、現在の記述を活かすとするならば、今日的な研究成果として初期アッシリア→古アッシリア→中アッシリア→アッシリア世界帝国(新アッシリア)と言うような一般的な説明文の後に、「旧約聖書におけるアッシリアの戦い」のような項目で記載がある、と言うような形を考えます。その上で現在の記述のうち旧約聖書関係と思われる部分とその他の部分を分割してそれぞれに配置すれば使えるのではないでしょうか。旧約聖書自体はアッシリアに関して後代まで語り継がれた歴史として重要性がある事には間違いないと思うので記述を圧縮した上で1項目があっても合理性はあると思うのですがいかがでしょうか。--TEN 2006年1月20日 (金) 10:35 (UTC)[返信]
ご助言ありがとうございました。旧約聖書視点からの章に旧来の記述を活かすというのはいい方法だと思います。いずれにせよ、アッシリアは旧約聖書の成立に深い影響を及ぼしていますので、そのような章も必要ですから。とりあえず、概要の部分はかなり事実誤認を含んでいるので、旧来の構成を踏まえながら大幅に書き換えてみました。チェックをお願いします。--ウミユスリカ 2006年1月20日 (金) 20:43 (UTC)[返信]
更新分について。確認いたしました。農業に関する記述は参考になります。全体に凄く良くなったように思います。チェックと言うのとは若干違いますが、若干思う事があるのでご意見を賜りたいと思います。概要の一番頭の部分の説明なのですが「アッシリア」はアッシュルの地を意味するギリシア語表記に由来するヨーロッパにおける呼称で、本来のアッカド語北方方言であるアッシリア語による名称はアッシュル(Asshur)。と言う説明は語源解説としては正しいと思うのですが、現代日本語における固有名詞「アッシリア」が(特に教科書や博物館展示・歴史ツアーの解説等において)基本的には「アッシリア国家(帝国)」と同義で使われる事、特にアッシリア史を語る上で最大のボリュームを持つ新アッシリア時代は、一般に「アッシュルの地」と「属国」を一まとめにして「アッシリア」と呼ばれるのが普通であるので、アッシュルの地=アッシリアと言う説明はやや誤解を招くような気がします。日本語の用法を踏まえて「アッシリア」の説明としては、単に古代オリエントの地方、及びその地方を中心とした古代の国家、として単に説明すると言うのはどうでしょうか。後半の王・リンム・アールムの関係の説明についても、時代毎の変遷が激しい事象である上に、一般にイメージされる新アッシリア時代の状況とは乖離している物なので、以上二つは「概要」に入るよりは個別の項目に入る方が一般向け百科事典としては理解しやすいと思うのですがいかがでしょうか。--TEN 2006年1月21日 (土) 19:52 (UTC)[返信]
ご助言を参考にして少しいじってみました。アッシリア人にとってのアッシュルはアッシュルの地を意味していたという原点を残しながら、歴史学用語としてのアッシリアはアッシュルの拡大したアッシリア帝国をも意味するという形に変えてみました。歴史記述においては同時代人の感覚と、現代人の感覚の橋渡しをする必要があると考えるからです。また、王・リンム・アールムの関係にはとりあえず後世には王が強大な権力を握るようになった旨加筆して、リンム・アールムの権限が形骸化したことを強調してみました。しかし、滅亡までこれらの制度を完全に廃止することができなかったという事実はアッシリアという国家の中核構造にひそむ本質的な部分を暗示していると考えられますので、アッシリア史のパースペクティブを示す概要の部分からはずすことはできないと判断しております。概要の部分に骨格記述を残しながら、今後の各時代の個別項目でより詳細な記述をすればいいのではないでしょうか。やはり何度も衰退期を経ながらもあれだけ長い国家体制維持を実現した影にはアッシュルの意味空間、及びアッシュルの副王・リンム・アールム体制が重要な役割を果たしたのではないかと思っています。一般に古典的な歴史学説に影響されて、今日でも単純に「オリエント=専制」と条件反射的にイメージしてしまう人が多いですが、その後の歴史学の発展はオリエント史が専制というキーワードでは割り切れないことを示しています。百科事典の記述は一般の先入観イメージに迎合しなくてもいいのではないでしょうか。ただし、「古くはこう考えられていたが、現在はこういう見方がされている」というようなスタイルで、先入観イメージと新たに提示されているイメージを滑らかに結びつける必要はあると考えています。--ウミユスリカ 2006年1月22日 (日) 02:25 (UTC)[返信]
了解いたしました。上記した事は私がふと思った、というだけのことなので、全体として特に問題は無いと思います。非常に参考になるご意見ありがとうございます。

初期アッシリアの記述とアッシリア/ノート、にいくつか考えた事を書いてみました。ご批評いただければ幸いです。全体の項目分けがどのようになるべきなのか結構悩んでしまいます。概要、歴史、聖書、君主・・・となるのでしょうか・・・--TEN 2006年1月23日 (月) 15:55 (UTC)[返信]

執筆のお願い

こんにちは/今晩は。お願いがあって参りました。古代西アジアに関する記事を書かれておられるようですが、よろしければWikipedia:ウィキポータル/ユダヤ教/執筆依頼の執筆にもご参加ください。

また、Category:出身別の人名一覧を辿りますと、~人の一覧、ポーランド人の一覧ハンガリー人の一覧ユダヤ人の一覧ロシア人の一覧といった一覧があることがわかります。TEN さんに、赤リンク部分を埋めていただきたいと思い、依頼にあがりました。執筆依頼にも多様な依頼事項がありますので、ぜひご覧ください。それでは、体に気をつけて、執筆なさってください。 --Anonym 2006年2月10日 (金) 12:55 (UTC)[返信]

始めまして。Hannahさんというのは??書き込み場所間違いでなければ良いのですが、古代イスラエルの政治史はともかく、ユダヤ教の教義やヨーロッパのユダヤ人コミュニティについては学校教科書レベルを超えた知識の持ち合わせがあまりないのでお役に立てるかちょっとわかりません(^^; 書けそうな項目があれば書いてみようかと思います。--TEN 2006年2月10日 (金) 15:27 (UTC)[返信]
ありがとうございます。お名前を間違えてしまいました。--Anonym 2006年2月10日 (金) 16:49 (UTC)[返信]

加筆・修正のお願い

はじめまして(かな。意外にも?)。Kotoitoと申します。以前に私が翻訳したあげくに長々全面改稿中のイランの歴史という記事がありますが、私は残念ながら前イスラーム期のイランについてはほとんど知らないので、英語版記事の翻訳そのままになっております。読んだ限りややあやしいというか、書き込みが足りないというかという思いを抱いておりますので、そちらに詳しくいらっしゃるTENさんに是非概説的記述をお願いしたいと思うのです。よろしくお願いいたします。--Kotoito 2006年5月27日 (土) 17:06 (UTC)[返信]

はじめまして。Kotoitoさんがお作りになった記事は時折参考にさせて頂いています。お声をかけていただきありがとうございます。私もイラン地域の古代史についての智識に大きな自信があるわけではありませんが、書ける範囲で加筆してみます。よろしくお願いします。--TEN 2006年5月28日 (日) 07:10 (UTC)[返信]
Kotoitoです。加筆ありがとうございます。ものすごいペースで記事が成長する様子を感嘆の思いをもって見ております。ところで、記事分量についてご心配の様子ですが、私自身もイルハン朝までであれだけ書いているので、いまのところTENさんに関しては全くご心配なさることはないと思います。あちらのノートにも書きましたとおり、私としては全体完成後にあまりに膨大なら執筆参加者の間で議論して、個々の王朝記事に追い出すとか、あるいは大まかな時代区分を設定して新たに記事を建てるなどの作業に進みたいと思っています。とまれ、Encyclopedia Iranicaで絶賛刊行中(ちょうどいま)のIranの項に「概観」というのがありますが、余裕で40ページはいきそうな気配ですから大きくなりすぎても上はありますし。まずは書き込む最低限ととりあえず思えるものを何でも書き込んでしまって、全体を見て判断していきたい思いです。一応セオリーとして古代に薄く、近づくにつれ厚くするという編集方針はとらざるを得ないとは思いますが、それにしても決して無駄な執筆とならないようにみんなで相談ということで。成長する百科事典の利点を使わせてもらいたいと考えています。--Kotoito 2006年6月1日 (木) 16:47 (UTC)[返信]
ご助言ありがとうございます。正直書いてて迷うことが多く結構不安ではありますが、指し当たってサーサーン朝時代までは書き終えてから、いろいろと考えたいと思います。--TEN 2006年6月1日 (木) 17:12 (UTC)[返信]

エジプトの語源について

いつもエジプトの歴史に関する投稿を楽しく拝見しております。ところで、エジプトという語の語源についてノート:エジプトで色々と調べております。私にはあまり知識がなく、どの説が正しいのか判断できません。参考になる資料などがありましたら教えていただけないでしょうか。---Redattore 2006年9月7日 (木) 15:20 (UTC)[返信]

はじめまして。残念ながら私の方でもエジプトの語源を専門的に記述した書籍の持ち合わせがありませんのでちょっとお役に立てないです。一応、原書房から日本語版が出ている大英博物館 古代エジプト百科事典の470ページには、エジプトの語源とされるアイギュプトスについて(ノート:エジプトでもあげられている説ですが)、フウト・カ・プタハに由来すると考えられているという記述がありました。ちょっと知っている資料からはそれ以上の追求はできないです。すみません。--TEN 2006年9月9日 (土) 09:16 (UTC)[返信]
ありがとうございました。私の方でもさらに調べてみます。---Redattore 2006年9月9日 (土) 18:50 (UTC)[返信]
「フゥト=カ=プタハ」に語源があるというp.470の記述を確認しました。この書籍は図版も豊かで読み応えがありますね。コモンズにアップされた説明のない画像の意味を調べる際にも役立ちそうです。---Redattore 2006年10月2日 (月) 15:31 (UTC)[返信]
あまりお役に立てませんでしたが参考になる部分があったのであれば幸いです。メンネフェル・ペピ(ピラミッドの名前)⇒メンネフェル⇒メンフィスの例からするとフゥト・カ・プタハという建造物の名前が都市名になったという所まではあまり違和感は無いですが実際の所はどうなのか。--TEN 2006年10月3日 (火) 14:01 (UTC)[返信]

管理者立候補のお願い

こんにちは。KMTです。突然ですが、管理者に立候補されるつもりはありませんか?管理者も少しずつ増えては来ていますが、まだまだ足りていない状況です。どうかご検討頂けますよう、お願い申し上げます。KMT 2006年11月13日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

お声をかけていただきありがとうございます。KMTさんのノートページの方に回答を行いましたので確認をお願いします。--TEN 2006年11月14日 (火) 12:11 (UTC)[返信]

有り難うございます。もし今後少しでも関心を持たれましたら再度ご検討ください。よろしくおねがいします。KMT 2006年11月14日 (火) 16:12 (UTC)[返信]

エジプト王朝関連

初めまして。エジプト第6王朝などなのですが、コモンズ側にて掲載画像が削除されています。もしお時間があればコモンズなどからピックアップしてみていただければ幸いです。画像を差替えたいところなのですが、私の知識では適当なものを判断できず、とりあえず画像リンクをコメント化してコモンズへの該当リンクを入れておきました。^^;こういうことは記事ノートとも思うのですが、ほとんどをTENさんが書かれているようですので、こちらに書いたほうが早いかと、、、おせっかいながらお知らせいたします。--toto-tarou 2006年12月13日 (水) 13:02 (UTC)[返信]

はじめまして。わざわざありがとうございます。ちょっと今週は忙しく平日は画像を探して調べるのがしんどいので明日の夜か土日にでも適当な画像があるか探してみたいと思います。--TEN 2006年12月14日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
対応ありがとうございました。^^ --toto-tarou 2006年12月17日 (日) 12:13 (UTC)[返信]

秀逸な記事の再選考/イラク

はじめまして。Wikipedia:秀逸な記事の再選考/イラクでは、現在、内容を充実させるための議論が進んでおります。特に政治、経済、国民の節に加筆ができないかと考えております。参考文献についても担当された部分について追記していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。58.159.184.171 2007年2月18日 (日) 08:55 (UTC)[返信]

はじめまして。お返事が遅れまして申し訳ありません。一ヶ月半も経ってしまっているのでまだ見ておられるかわかりませんが・・・。私はイラクの記事については記事名移動に伴うリンクの張替えを行ったのみなので、本文記述に関する参考文献の追加はできません。申し訳ないです。--TEN 2007年3月31日 (土) 03:51 (UTC)[返信]

Image:Ancient Syria Map.PNGには著作権上の問題があります

著作権の状態が不明です

こんにちは。Image:Ancient Syria Map.PNGをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)にはPD-becauseが挿入されたものの、そのパブリックドメインとなる理由が明記されていないため、著作権上の問題があります。出典とライセンスのないファイルは、1週間後に削除されます。

ウィキペディアにアップロードされるすべてのファイルは、画像利用の方針に従っており、かつ詳細な出典とライセンスが明記されている必要があります。当該画像ページに記入されている{{PD-because}}{{PD-because|xxx}}(xxxはパブリックドメインとなっている理由)に書き換えてください。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際は画像ページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同画像を再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されますWakkubox 2008年1月12日 (土) 07:51 (UTC)[返信]

こんばんわ

はじめまして。サータヴァーハナ朝などインド史、インド哲学関係のすばらしい加筆等拝見しております。いまカジュラーホーの改名について話し合っています。ご意見いただければ幸いです。---Siyajkak 2008年5月29日 (木) 15:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキプロジェクト 南アジアが立ち上がりました。ぜひTENさんにもぜひ加わっていただければ思いごあいさつに伺いました。前向きにお考えいただけたら幸いです。---Siyajkak 2008年6月12日 (木) 15:32 (UTC)[返信]

メッセージありがとうございます。もちろん大歓迎です。すぐにどうこうという話ではなく長期的に進めていく話ですからTENさんのような人材にはぜひ加わっていただきたいと考えているということです。---Siyajkak 2008年6月19日 (木) 12:58 (UTC)[返信]

出典にご協力を

はじめましてトムルと申します。TENさんが2006年1月13日に新バビロニアを編集した際の出典がほしいので、できたら出典の明記をお願いします。--トムル 2010年3月26日 (金) 14:58 (UTC)[返信]

はじめまして。7年以上の放置で申し訳ありません。前半部分についてはその後更新が加えられているので入れていませんが、差し当たり新バビロニアに当時参照した本の出典箇所を追記しました。当時の更新内容自体に問題がありますが以上です。
ご対応いただきありがとうございます。--トムル会話2017年6月20日 (火) 13:19 (UTC)[返信]

テランガラ

ノート:テランガラに意見がこないので、南アジアに詳しいTENさんに意見をお願いします。--RHDIA 2010年4月29日 (木) 11:26 (UTC)[返信]

査読依頼/メンフィス (エジプト) について

突然失礼いたします。Deer hunterと申します。

先ほどWikipedia:査読依頼/メンフィス (エジプト) 20170505を閉じられましたね。実は私もあそこにコメントを書くつもりで準備していたのですが、今日が期日であることを失念しておりました。せっかく用意していただいた場を活用できず申し訳ありませんが、こちらの会話ページか、ノート:メンフィス (エジプト)に書かせていただいてよろしいでしょうか。--Deer hunter会話2017年6月5日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

返信 (Deer hunterさん宛) 初めまして。ありがとうございます、大変嬉しいです!どちらでも構いませんが、今後の参照のしやすさを考えるとノート:メンフィス (エジプト)の方がいいと思うのでそちらにお願いいたします(手続き上問題がなければもう一度査読依頼に戻すというのもありでしょうか)。以上です--TEN会話2017年6月5日 (月) 15:07 (UTC)[返信]
早速ご返信ありがとうございます。それでは、とりあえずノートの方に書かせていただきます。ただ勝手ながら、数日から1週間ほどお時間いただきたいと思います。--Deer hunter会話2017年6月5日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
了解しました。急ぐ理由は何もないので、Deer hunterさんの都合のいいペースと時間で構いません。よろしくお願いいたします。--TEN会話2017年6月5日 (月) 17:10 (UTC)[返信]

リンクの不具合について

始めまして、聖平太郎と申します。

自分の作成したネフェルへテプ1世およびセベクヘテプ4世の記事が、文中に[[]]書きでリンクしている筈の一部の他の記事から飛ぶことが出来ないままになっています。 確認した限りではセベクヘテプ3世ファラオの一覧等に両方の名前が登場しますが、赤字のままになっています。記事の制作を始めてまだ日が浅く原因が解明できません。何が原因なのか分かるのであれば教えてください。--聖平太郎会話) 2017年6月5日

返信 (聖平太郎さん宛) TENです。確認しましたが、聖平太郎さんが作ったネフェルヘテプ1世の記事名の「ヘ」がひらがなになってます。そのため、カタカナでネフェルヘテプ1世当てのリンクが張られると、リンク切れになる感じです。とりあえずネフェルヘテプ1世のみ移動してみます。--TEN会話2017年7月2日 (日) 16:08 (UTC)[返信]
追記です。ネフェルヘテプ1世の記事を移動しました。リンクは治っているように見えます。おそらく他のリンクできない記事も同様の原因だと思います。--TEN会話2017年7月2日 (日) 16:12 (UTC)[返信]
ありがとうございました。大変助かりました。 2017年7月5日--聖平太郎
いえいえ。ところで署名を自分で作っている?ように見えますが、末尾に「--~~~~」と入れると自動的に時刻入りの署名が生成されますのでお試しください。--TEN会話2017年7月5日 (水) 17:04 (UTC)[返信]

メンフィス (エジプト)について

初めまして。G-Soundsと申します。この度はメンフィス (エジプト)の良質な記事への選出、おめでとうございます。そして、素晴らしい加筆、ありがとうございます。
さて、この記事(2017年7月7日11時42分の版)内‎の記述で「三柱の聖域」という箇所があります。これは「3柱の神が祀られた1箇所の聖域」という意味でしょうか、それとも「3柱の神の3箇所の聖域」という意味でしょうか、それともそれ以外の意味なのでしょうか? 可能でしたら、この点、だけ補足していただければ幸いに思います。なお、私は編集可能日が限られていますので、私によるレスポンスは大変遅い傾向にありますので、本当にお暇のある時に対応していただければ充分です。
それでは重箱の隅をつつくような要件で恐縮ですけれども、これにて失礼致します。--G-Sounds会話2017年7月13日 (木) 18:54 (UTC)[返信]
初めまして。ありがとうございます。当該部分の原文はa tripartite sanctuary, all enclosed in walls built of mud bricks.なので誤訳ですねこれ(^^;。ちょっと修正します・・。--TEN会話2017年7月14日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
対応ありがとうございます。色々とトラブルが続きまして、御礼が大変遅くなってしまったのが心苦しいのですけれども、一言、御礼をと思いうかがいました。当該箇所は、文章を読んでいても理解できなかった場所だったので、直していただけてうれしいです。それでは、これにて失礼します。どうぞ今後とも素晴らしい記事を執筆していってください。--G-Sounds会話2018年1月6日 (土) 01:19 (UTC)[返信]

画像のライセンスについて

TENさんのアップされた他の画像を見させていただいたのですが、おそらくFile:ランゴバルド人の移動.jpgと同じ状態のようですね。原典を示し、また原典が「継承」と表示されるコモンズライセンスの場合はそのライセンスにしたがってください。このまま放置されますと削除依頼行きとなるでしょう。--Batholith会話2017年10月31日 (火) 12:55 (UTC)[返信]

返信 ありがとうございます。日本語版でライセンスを表示したところ、コモンズでアップしなおさなければならないという表示が出たため、現在アップロードしなおしています。削除依頼はこれからだす予定です。--TEN会話2017年10月31日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
勘違いだったようなので、削除依頼ではなくライセンス表記を変更して対応しようと思います。--TEN会話2017年10月31日 (火) 13:40 (UTC)[返信]

ケーキをどうぞ!

漢服の修正、ありがとうございました。 会話2017年11月2日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

Wikipedia:秀逸ピックアップ/フランク王国

こんにちは。Wikipedia:秀逸ピックアップ/フランク王国を作ってみましたが、この記事に対して適当な画像を1つ選ぶほどの見識がありませんでしたので現在無画像になっております。また、文章の方も、既存導入部を私なりに抜き差ししただけのものです。もしよろしければ画像を追加するなり、文章を改良していただくなど、TENさんの方で修正いただければ幸いです。画像の配置や大きさ、文章量などは、他のピックアップを参考にいただければと思います。m(_ _)m --Yapparina会話2017年11月14日 (火) 14:32 (UTC)[返信]

返信 こんにちは。本文冒頭を整理してそれをベースにしたものに変更してみました。画像は自分もこれだというのが思いつかなかったので領土変遷のgif画像をくっつけてみました。ご連絡いただきありがとうございます。--TEN会話2017年11月15日 (水) 11:35 (UTC)[返信]


「ファイル:ダレイオス1世時代のアケメネス朝.jpg」がコモンズへ移動されました

ウィキペディア日本語版にアップロードして頂いたファイル:ダレイオス1世時代のアケメネス朝.jpgですが、このたびウィキメディア・コモンズcommons:File:ダレイオス1世時代のアケメネス朝.jpgへ移動されました。 この移動によりあなたの投稿されたファイルは、ウィキペディア日本語版だけでなく、他の言語版やその他の姉妹プロジェクトなどでもより広く利用することが可能になりました。

なお、この移動の後、ウィキペディア日本語版に残っている元のファイル:ダレイオス1世時代のアケメネス朝.jpgは、Wikipedia:即時削除の方針#ファイル1-5に従いまもなく削除されますので併せてお知らせいたします。--プログラム会話2018年1月22日 (月) 09:44 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございます。お手数かけます。--TEN会話2018年1月22日 (月) 15:07 (UTC)[返信]

感謝賞受賞のお知らせ

フウリンソウ、花言葉は「感謝」
フウリンソウ、花言葉は「感謝」

2018年1-3月期の感謝賞において、TENさんへ感謝の言葉が寄せられ、感謝賞を受賞されましたのでお知らせいたします。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:

— Wikipedia:感謝賞/2018年1-3月期

次のテキストを利用者ページにコピーしていただければ、感謝賞受賞のユーザーボックスを置くこともできます。よろしければどうぞ。{{Wikipedia:感謝賞/受賞者用ユーザーボックス|2018|3}} これからのますますのご活躍を祈念いたします。--Yapparina会話2018年4月1日 (日) 00:08 (UTC)[返信]

わざわざありがとうございます。12年前に書いていた記事は今見ると冷や汗ものですが^^; ぽつぽつと改善していければと思います。--TEN会話2018年4月1日 (日) 10:08 (UTC)[返信]

記事労働価値説の編集方針について

返信 はじめまして。上記についてノートの方に回答いたしましたのでご確認ください。--TEN会話2018年4月20日 (金) 15:37 (UTC)[返信]

「ノート:労働価値説」での論議について

Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷_20180506を提出したところ、Sikemokuさんから「編集を強行した主張されていますが、「労働価値説」の変更履歴では2018年4月29日 (日) 19:58(UTC)に編集してそれが差し戻されて以来は編集をくり返しておらず、ノート:労働価値説では編集後に対話に応じられており、TENさんの説得を受けた後は編集を控えておられるようです」との指摘を受けました。私はTENさんとの対話は平行線のまま合意なく終わったと思っていたのですが、TENさんはどう判断していますか。--Kazhik会話2018年5月7日 (月) 22:20 (UTC)[返信]

こんにちは。結論だけ先に書くと、議論が終わったのかどうかは正直ふわっとしててわかりませんし、何らかの合意をしてはいないと思います。ですが、Kazhikさんの最初の編集の差し止め自体については控えていただいており、現状ではとりあえずひと段落と思っています。
ノート:労働価値説の議論が第3者からどう見えるかは、私の見解とは一致しないことも当然あるでしょうし、Sikemokuさんからはそのように見えたと言う以上の話ではないと考えます。それ自体は本論に関わるものでもないので「TENの見解ではそれは違う」的な反論を加えても意味はなく、無意味に論点が拡散すると思います。ですのでSikemokuさんから見た議論の所感については特にコメントはありません。
返信のついでにさしでがましいですが、大和屋敷さんを対象にしたコメント依頼やブロック依頼は一旦収拾をつけた方が良いと思います。私は労働価値説の記事編集に関する限り私は学術的にもWikipediaの方針的にもKazhikさんの編集は正しいと考えており、この点に関しての大和屋敷さんの行動や発言が適切であるとは全く思いませんし、Kazhikさんが大和屋敷さんに感じている問題は多分私の認識ともある程度一致していると思っています。ですがはっきり言ってKazhikさんが出したコメント依頼とブロック依頼はテンションがあがっていて冷静さを欠いているように見えます。特にブロック依頼における反応は第3者がそのテンションについていけてない事をはっきり示しています。議論では私もちょっと過熱気味でしたが、もし大和屋敷さんに対して今のままブロックが成立するとすればそれは流石に雑な議論だと思います。とりあえず、労働価値説の学説史冒頭にイブン・ハルドゥーンが来るという明らかな間違いについては一応大和屋敷さんからこのようなコメントがあり、明確ではないにせよその是正には反対されないのではないかと思いますので、とりあえず一端そこで話を終わりにするのが区切りがいいのではないでしょうか。--TEN会話2018年5月8日 (火) 14:02 (UTC)[返信]
ノート:労働価値説であらためて論議終了を宣言しました。TENさんが論議に加わってくれたことには感謝しています。--Kazhik会話2018年5月8日 (火) 22:06 (UTC)[返信]

アーザルメードゥフトの表記の改名について

はじめまして。アーザルメードゥフトの記事名称を、アーザルミードゥフトに変更してはどうかと考えています。

「アーザルメードゥフト」は、恐らくササン学の大成者ARTHUR CHRISTENSENのフランス語の著作で利用された表記が、足利惇氏『ペルシア帝国』などを通じて日本に広まったものだと思われます。フランス語としては慣用表記だと思われますが、現在では、Googleで検索した場合、フランス語表記では223件、英語表記では、26200件の検索結果となっています。

現在では、ササン朝研究はアメリカに移動し、現在イラン史の表記については、エンサイクロペディア・イラニカが標準のひとつとなっているものと思います。そのイラニカの記事の表記は ĀZARMĪGDUXT となっています。

Wikipediaのフランス語のAzarmedûkhtの記事の引用文献や参考文献は、大半が英語文献となっており、それら英語文献では Azarmigduxt と記載されています。更に、現在のペルシア語での読みも、中世パフラヴィー語の復元形でも、me ではなく、mī を採用しています。また20世紀中盤までフランス語圏とならんでササン学の中心であったドイツ語記事でも、Azarmidocht となっています。

20世紀にササン学を学んだ人には、思い入れのある表記かも知れませんが、現在となってはフランス語表記を採用する意味はあまりないように思えます。

そこで、以上の状況に鑑み、「アーザルメードゥフト」を「アーザルミードゥフト」に改名する提案を記事のノートに起こしたいと思っています。まずは、記事作成者であるTEN様にお断りしてから進めたいと思うのですが、これに関してご意見をいただけますでしょうか。

よろしくお願いします。--ヴェーダ会話2019年2月21日 (木) 12:01 (UTC)[返信]

返信 初めまして。非常に勉強になります。ありがとうございます。正直ペルシア語人名のカナ転写は自信を持って行ったものでは無いので全く異論はないです。一応、記事名決定時に主にカナ転写の参考にしたのは上にもある足利惇氏『ペルシア帝国』とNHK学園の『メソポタミアの世界』の副読本であり、単純に古い点は作成時気になっていました。英語版出典に使われているPourshariati『Decline and Fall of the Sasanian Empire』(現時点では日本語版でも唯一の出典ですが)でも Azarmīdukht になっているので、ご指摘の通りの経緯だとすれば改名は適切だと思います。以前研究者の方にうかがった時はサーサーン朝の研究は米欧共に低調というような話を聞いたのですが、アメリカが中心なのですね。なお、改名提案を起こすこと自体は特に私に通知する手間をかけていただく必要はなく全く問題ありません(ウォッチリストには入っているので、意見がある時はコメントはさせていただくと思います。)。
ついでですみませんが、1点だけ私の方もご意見を伺いたいです。厳密には足利惇氏『ペルシア帝国』ではアーザルメードゥトと転写しているのですが、この転写はドゥフトで問題ないでしょうか。フシャヤールシャとクシャヤールシャンみたいなもので厳密に決定できないものかもしれませんが気になっています。立項時にドゥフトを採用したのは、発行年が新しいNHK学園『メソポタミアの世界』で同様の語構成の人名と思われる Borandukht がボーラーンドゥフトと転写されていたことによるもので、あまりきちんとした考証に依ったものでは無いです。--TEN会話2019年2月21日 (木) 16:24 (UTC)[返信]
返信 ご返信ありがとうございます。ドゥトは恐らく、欧米語発音ではないかと推測しています。ペルシア語発音はフトです。グリムの法則等音韻変化研究によれば、フは古代にはクであったととも推測できるわけなのですが、どこの原語にも一括してグリム法則を適用したのは19世紀の話なので、ここは最近の学者に従っておけばよいのではないかと思います。春田晴郎氏はドフト、青木健氏はドゥフトなので、こちらはドゥフトで良いと考えています。実は、青木氏は、「アードゥルミー」としているのですが、彼の場合9-10世紀の文献であり、彼の著作は毎回春田氏に批判されていますから、取り合えず、エンサイクロペディア・イラニカに従っておこうと考えています。ノートへの記載は今夜にでも行います。

Wikipedia:秀逸な記事の選考/みどり荘事件でのご指摘について

お世話になっております、Semiprecious stoneでございます。

標記の選考において地図があっても良いかもしれないとのご指摘ありがとうございました。大変遅くなり選考終了には間に合いませんでしたが、先ほど追加してみました。TENさんが思っているようなものではないかもしれませんが、私の知識と能力ではあれで限界でした。お手隙の時にでもより良い地図に差し替えていただければ幸いです。

また、この場をお借りして、選考での査読と指摘および投票に感謝申し上げます。ありがとうございました。--Semiprecious stone会話2019年2月25日 (月) 12:44 (UTC)[返信]

返信 わざわざありがとうございます。地図はそれ程知名度の高い町ではないため、場所のイメージがしづらいだろうと思っただけなので追加していただいたもので十分だと思います。--TEN会話2019年2月25日 (月) 13:19 (UTC)[返信]

英語版記事翻訳への感謝

 最近、アッシリアの君主に関する記事の翻訳をしていただき、ありがとうございます。私も、古代史に関する英語版の記事と日本語版の記事の情報量の差に衝撃を受け、自分の時間が少ない中、少しずつ翻訳作業を進めております。アッシリアもいつか、やらなければなぁ・・・と思っていたところ、TENさんも作業を進めてくださっており、ありがたい限りです。気づいたときには感謝ボタンを押して、応援しています。今後も、よろしくお願いします。--つちくら会話2019年9月1日 (日) 09:53 (UTC)[返信]

  • 返信 わざわざありがとうございます。古代オリエント史分野の執筆者はとても少ないので同じ分野の方がいるのはとても嬉しいです。実のところ日本語版Wikipediaの古代オリエントの君主記事(特にアッシリア)は結構な割合でかなり昔に私が立項したもので、当時持っていた本と検索結果からとにかく見つけたものを書きなぐったまま現在までほぼ加筆修正も行われていない状態にあります。はっきり言ってダメなので、どちらかというと自分の後始末的な意味合いでやっている感じでもあります。正直私の英語力は不安があるので、おかしなところがあれば手を加えていただければ幸いです。--TEN会話2019年9月1日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
返信 アッシリアもそうですし、メディアとかリュディアとか、やりたい分野はとにかくたくさんあるんですけれども、なかなか時間が取れないんですよね・・・。無理のない範囲で進めていきます。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。--つちくら会話2019年9月2日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

プロジェクト参加への御礼

  •  つちくらです。プロジェクト:新アッシリア帝国へのさっそくのご参加、ありがとうございます! TENさんに参加していただけるのは、大変光栄です。プロジェクトのページにも書きましたが、TENさんのペースで参加していただいて全く構いませんので、よろしくお願いします(アッシリアの他にも、TENさんが興味のある分野は多々、あるようですし)。もう1つ、ご連絡しようと思っていましたが、プロジェクトの「翻訳・編集方針」の欄に書いたとおり、脚注の和訳についても進めていくつもりです。TENさんが作業したセンナケリブアッシュールの脚注について、そのうち、和訳作業に取りかかろうと思っていますので、ご承知おきください。よろしくお願いします。--つちくら会話2019年9月28日 (土) 10:55 (UTC)[返信]
  •  今、プロジェクト:新アッシリア帝国の関連記事のノートに、翻訳依頼を記載する作業をしていますが、この辺のほとんどの記事が、TENさんによるものですね・・・。今さらながら、当時の執筆に感謝します。m(_ _)m --つちくら会話2019年9月28日 (土) 13:38 (UTC)[返信]
    • わざわざありがとうございます。古代オリエントの中堅レベルの都市・国家・君主あたりの記事には大昔に初めてWikipediaに触れた頃に私が大量生産したものが数多くあるので問題のある記事ばかりです。残念なことに過疎分野なので、大抵の記事は当時からあんまり加筆も変更もされていません。当時は出典をつけるという発想もなかったですし、一記事でも改善されれば嬉しいです。--TEN会話2019年9月28日 (土) 14:13 (UTC)[返信]

PJ:王朝について

このメッセージは王朝関連記事を編集していて、最近編集した利用者に送信しています。

こんにちは。夜の幽霊(会話)です。もうご存時かもしれませんがプロジェクト:王朝を作成しました。よろしければご参加及びPJ王朝:ノート若しくはPJ王朝についてでの議論の参加をお願いします。 夜の幽霊会話2019年10月26日 (土) 08:34 (UTC)[返信]

大ザブ川の記事を、プロジェクト:新アッシリア帝国の対象記事とすることについて

プロジェクト:古代オリエント史

こんにちは。編集者の油淋鶏(新)と申します。よろしければ、私の作ったプロジェクト:古代オリエント史に参加していただけませんか?--編集者の油淋鶏(新)会話2020年1月14日 (火) 10:10 (UTC)[返信]

  • 返信 お誘いありがとうございます。ですが、ちょっとプロジェクトの方向性が見えないことと、既に参加しているプロジェクトに+αで何かを行うには時間的に厳しいこともあり、今は辞退させていただきたいと思います。すみません--TEN会話2020年1月15日 (水) 14:39 (UTC)[返信]

シン・シャル・イシュクンの記事の作業状況表を戻すことについて

つちくらです。シン・シャル・イシュクンの英語版記事(en:Sinsharishkun)が大幅加筆された情報を提供していただき、ありがとうございました。英語版記事を確認しましたが、私の考えでは、再度翻訳してアップデートする対象記事に戻した方がいいのではないかと思い、せっかくTENさんに翻訳していただいていたのですが、作業状況の欄を空白に戻しました。作業済と記載したままだと、完了済みと誤解する人が出てくると予想されるためです。異論がありましたらお知らせください。--つちくら会話2020年1月22日 (水) 13:59 (UTC)[返信]

  • 返信 連絡ありがとうございます。特に異論はないです。10,000 Byte以上も加筆されていて手軽ではないですが、19世紀まで誤ってエサルハドン2世とも言われていたとか面白い情報が加えられているので日本語版に反映したいところですね。--TEN会話2020年1月22日 (水) 14:52 (UTC)[返信]

アッシュール・ウバリト2世の記事の作業状況表を戻すことについて

つちくらです。アッシュール・ウバリト2世の脚注の翻訳作業にかかろうとしたところ、英語版記事(en:Ashur-uballit II)が2019年11月に大幅加筆されていたので、こちらも、いったん未完了扱いに戻すことにします。ご承知おきください。--つちくら会話2020年1月27日 (月) 20:02 (UTC)[返信]

  • ご連絡ありがとうございます。プロジェクトページもウォッチリストに入れているので進捗はそちらで確認できており、変更毎に連絡をいただく手間をかけていただかなくても大丈夫です。英語版は去年の年末にIchthyovenatorというユーザーの方がアッシリアや新バビロニア関係の記事にいくつも大きな加筆を行っているようです。--TEN会話2020年1月28日 (火) 16:49 (UTC)[返信]

田中儀一について

TENさん、はじめまして。Zigzag Zと申します。さて、先程田中俊明 (歴史学者)のリンクを張り替える作業をしていたのですが、「田中」でページ内検索をしていた際、高句麗の注釈に「田中儀一」というリンクがあるのを見つけました。履歴を調べたところ、TENさんが加筆された部分でしたが、これは文脈的に考えても田中義一の誤りではないかと思います。ただ、提示されている出典が手元になく、新型コロナウイルスの影響で図書館まで足を運ぶのも難しそうなので、この場でお聞きさせて頂きました。些細なことで申し訳ありませんが、ご確認頂けると幸いです。--Zigzag Z会話2020年4月9日 (木) 11:16 (UTC)[返信]

ウルクの大杯 map について

初めまして、Krorokeroroと申します。この度はウルクの大杯を作成して頂きどうも有難うございます。この記事の地図についてお詫びしなければいけないことがあります。英語版でModule:Location map/data/Ottoman Empire1914を見つけ日本語版に移植する際にname = Ottoman Empire1900 が英語版でも赤リンクだったため、地図が示す近東として、さらに記事名もモジュール:Location map/data/Near Eastとして移植しました。その後英語版Module:Location map/data/Near East が 14 April 2019‎ に作成されたことにはずっと気づかずにおりましたところ、新着記事でウルクの大杯を知り自分が移植したLocation mapが使われていることに気づいた次第であります。英語版記事の地図と日本語版記事の地図が異なる状態を作ってしまいました。そこで本日、日本語版モジュール:Location map/data/Near East を英語版Module:Location map/data/Near East の内容に合わせました。私の判断でしたことがご迷惑をおかけしましたことにお詫び申し上げる次第です。--Krorokeroro会話2020年4月18日 (土) 02:51 (UTC)[返信]

  • 返信 わざわざご連絡ありがとうございます。地図が違うのは気付いていたのですが、まあいいかなという感じで放置していました。対応ありがとうございした。--TEN会話2020年4月18日 (土) 04:00 (UTC)[返信]

アッシュルのリダイレクト削除依頼への投票のお願いについて

2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します

こんにちは!

2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。

  • ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください
  • 候補者紹介
今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください

理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。

その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。

ご質問がございましたら、ファシリテーター選挙ボランティアまでお問い合わせください。

選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:02 (UTC)

このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除

記事中の訳語について

最近古代エジプト記事の編集を開始したyuuyuuと申します。 まず、2006年からも古代史の記事を執筆されてると拝見し、頭の下がる思いを致しております。それに比べれば本当にちっぽけな疑問でどうでもよいのですが、エジプト新王国#概略の記事の左側に歴代王の「公式」の一覧 とありますが、これの元ワードってなんだと推察されますか? たぶん誤訳だと思うのですが...初版の2006年の事を聞かれても...となったら申し訳ございません。 思いつく単語は(Protocol, titulary)ですが両方公式などという訳にはならないかと...  私只今古代エジプトに関する記事の内容が充実していないと思い編集しています。編集可能なところありましたら可能なときに是非とも御協力よろしくお願いいたします。--Yuuyuu0430会話2021年8月16日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

  • 返信 初めまして。コメントありがとうございます。執筆者不足な分野なので参加していただける方が増えるのは嬉しいです。新王国の記事について正直なところ覚えていないのですが、エジプトの歴代王朝の記事は復帰後に作った一部除いて翻訳記事ではないので訳語ではなく当時の私の作文である可能性が大だと思います。一応使用したはずの書籍等確認してみましたが同様の表現は見当たらず、王(セティ1世)が作らせた王名表⇒「公式の」的な連想で文章を作ったのではないかと思います。申し訳ないながら当時はあまり厳密さに注意していなかったので、こういうことはままあるかと思います(一部は修正していたのですが、本記事は新王国時代に入る前に別分野の方に活動の重心が移ってしまっているのでそのままになっています)。説明上意味のあるキャプションではないので、とりあえず削除してしまうのが現時点の最適解かなと思います。--TEN会話2021年8月16日 (月) 15:16 (UTC)[返信]
  • 返信 返信ありがとうございます。なるほど、officialの方の公式でしたか。その可能性には至らず申し訳ございません。ならば取り合えずそのままにしておきたいと思います。現時点では手入れが必要なページが他にありますので。新王国のページを変える余裕ができれば変えたいと思います。
    ありがとうございます。--Yuuyuu0430会話) 2021年8月17日 (火) 6:29 (UTC)

欠史八代での編集について

TENさん、はじめまして。欠史八代において、「現代の~」というところに、私が付けた「いつ」のタグをどうして外すのでしょうか。Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないでは、そのような「現代」「現在」などの言い方は避けるようになっております。また、「欠史八代実在説は坂本太郎田中卓など、在野では安本美典古田武彦宝賀寿男らが主張。葛城王朝説は鳥越憲三郎が主張。」という注釈部分を何故除去なさるのでしょうか? 失礼ですが、これらの除去はあなたの恣意的な除去になるかと思われます。--みしまるもも会話2021年8月18日 (水) 01:07 (UTC)[返信]

朝鮮の歴史での編集について

TENさんは「朝鮮の歴史」において、「専門家」ではないという理由で特定の何件かの記述や出典を除去する編集をなさっていましたが([1])、「『日本人はるかな旅 (4)』NHK出版、p.93」という書籍は、日本放送出版協会が出版したものなので出典として普通に成立するものだと思いますが、何故これを恣意的に除去なさったのか詳しい除去理由をお聞かせ願います。返信はノート:朝鮮の歴史でも構いません。よろしくお願いいたします。--みしまるもも会話2021年8月19日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

  • 返信 文章を変えたのでそれに合わせて出典も入れ替えました。「朝鮮の歴史」という主題の記事ですから、朝鮮半島全体を俯瞰する視点から記述に改めたつもりです。『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』等を見ればわかりますが、朝鮮半島における縄文人の痕跡等は現時点では「朝鮮」という単位における考古学的な位置づけが明確に語られていないです。この点、櫛目文土器や無文土器、遼寧式銅剣などが時代区分の基準として使われるのと異なりますし、にもかかわらず朝鮮半島全体の記述から理由なく突然個別の遺跡に視点がズームアップするのは好ましくないと思ったので変えました。単純に行ってしまえば『朝鮮史研究入門』『朝鮮半島の考古学』という総論的な書籍に記述の粒度を合わせた結果です。ついでに言えば同書は著者も明示されておらず、また朝鮮半島南部という単位での日本列島との関わりはその後の記述にきちんと述べられていますし、「朝鮮の歴史」において『日本人はるかな旅 (4)』に書かれている縄文人の痕跡を詳述する必要性は個人的にはあまり感じません。--TEN会話2021年8月19日 (木) 16:44 (UTC)[返信]

「当該分野の非専門家のもの」とは

  • TENさんはブロック伝言板のところで、「当該分野の非専門家のもの」は議論なく除去して構わないというような主旨のコメントをされていましたが([3])、「非専門家のもの」という判断も、ウィキペディア執筆者それぞれによって考え方が定まるものではなく、やはり除去する前には、ノートなりで事前に告知などするのが本筋ではないかなと私は思います。
  • 例えば、私がおもに活動している文学系でも、文学が専門ではない歴史学者などが、特に政治的思想を反映させているわけでもない作家の作品や日記の一部分だけを都合のいいようにクローズアップし、その作家の文学作品を自身の歴史学の持論のため我田引水として利用しているような書籍が出典として使われていたこともございます。しかしながら、私はその「当該分野の非専門家のもの」を除去することはなく、それを出典とした記述のおかしな点(時系列の入れ替えなど)を是正しました。私としては、そうした出典を使った編集のおかしな点はすぐに指摘できますから、そういった「当該分野の非専門家のもの」も出典として許容的に認めて、我田引水が過ぎる点だけを是正し、出典そのものを排除するようなことは基本的にはしないことにしております。
  • ウィキペディアでは様々な人が編集可能な事典で、中にはタブロイド誌のように出典として相応しくないものもありますが、その判断が容易につくものばかりでなく、あるウィキペディア執筆者がある書籍を「非専門家」の出典だと思ったとしても、その分野も視野に含めた広い範囲の研究をしている人の出典として、別のウィキペディア執筆者は、その人物をある種の「専門家」だとみることもあるのではないでしょうか。だから「当該分野の非専門家のもの」だと瞬殺的に除去するのは、どうなのかなと個人的には思うのです。TENさんと私では、そうした出典に関する許容範囲がかなり違うように思うので、噛み合うことはないかと思いますが、そんな私の感想を述べさせていただきました。TENさんもお忙しいと思いますので、蛇足的なこのコメントに返信はいりません。--みしまるもも会話2021年8月20日 (金) 06:05 (UTC)[返信]
    • ` コメント (みしまるももさんへ)横からですが、「ノート:中島敦#作風のところなど」のことを仰っているのでしょうし、コメントするのであれば、そのように明記いただいて結構ですよ。私が編集上事実関係の点でミスをしたことは認めますが、意図的に政治的に偏向した編集をした覚えはないですし、当該の出典が「特に政治的思想を反映させているわけでもない作家の作品や日記の一部分だけを都合のいいようにクローズアップし、その作家の文学作品を自身の歴史学の持論のため我田引水として利用しているような書籍」であるとは思っていないことを申し上げておきます。--伊佐坂安物会話/履歴2021年8月20日 (金) 06:33 (UTC)[返信]
      • 伊佐坂安物さん、こんにちは。昨日はありがとうございました。私は伊佐坂安物さんが意図的に政治的に偏向した編集をしたということは言っておらず(時系列の入れ替えはミスだったと伊佐坂安物さんからきちんと謝罪を受けていますので)、もしも「当該分野の非専門家のもの」は議論もなく除去対象にしてよいことになるのならば、伊佐坂安物さんが出典としたものも、文学分野の私の判断として、「当該分野の非専門家のもの」としてすぐに除去しても正当化されてしまうことになりはしないか、という一つの疑問事例として頭に浮かんだので、その点を言いたかったのです。伊佐坂安物が小谷汪之の書籍をそのように思っていなくても、中島敦の作品をいろいろ読んでいる私としては、小谷氏が中島敦を我田引水として利用している面があることは否めないというのが率直な感想なのです。しかしながら、私は伊佐坂安物さんの編集がとても有意義なものの方が多いため、伊佐坂安物さんとの共同作業を重視しておりました。だから、ノートでは結構辛口のコメントを入れさせていただき伊佐坂安物さんには嫌な思いをさせてしまっていたかもしれませんが、小谷氏の出典からの是正すべき問題点など以外は、伊佐坂安物さんの編集を尊重しながら私なりにまとめたつもりです。このように出典を巡っては、その分野として適切ではない、適切であるという意見がウィキペディア執筆者によって認識が違うことがあり、「当該分野の非専門家のもの」だからと出典自体を認めないということは、私はあまりしたくはないということです。--みしまるもも会話2021年8月20日 (金) 08:45 (UTC)[返信]
    • コメント 誤解の無いように述べておきますが、私は原則論として加筆が議論無く行われても全く問題ないように、削除も議論無く行われて全く問題ないと考えています。出典についても同様で、ある出典を追加する際には議論が必須のものとされないのに削除する時にだけ議論が必要だとは思いません。誰でも気兼ねなく編集を行い、必要だと思ったものは加筆・追加し、不要だと思ったものは削除・除去するのが基本原則です。その上で内容について異論があるなら改めて編集を行い、そこで意見が一致しそうにないならノートで議論となる、というのがあるべき流れだと思います。出典がついている記述なので削除はできない、となれば一度ある程度出来上がった記述は不必要に大きな編集コストをかけなければならなくなります。私はみしまるももさんがブロック依頼の事由として例示した記事での編集のうち欠史八代朝鮮の歴史での編集は適切なものだと思いますが、それが違うと思うならまずノートで提起すべきだったのはみしまるももさんも全く同様だと思います。みしまるももさんが個人的にどのような編集方針をとっているかは、究極的にはみしまるももさん個人の問題ですので、私としては特に述べることは何もないです。ただ、わざわざ利用者会話ページに見解相違について持論を述べた上で返信はいりません、というのは単に「あなたに文句がある、ただし反論はしないこと」と言っているだけであり、およそ誠実な行動ではありません。事務的な連絡でもなく返信が必要無いような書き込みは不要です。--TEN会話2021年8月20日 (金) 17:34 (UTC)[返信]
  • 私が「返信はいりません」と言ったのは、まあ蛇足的なお話かなと思ったので、わざわざTENさんが返答に煩わされる時間を割いてはいけないなと私なりに思ったので、返信したくなければしなくてもいいですよ、というニュアンスで一応そう書いたのです。それがうまく伝わらなくてご気分を害されたのであればすみませんでした。でも、そのように「「あなたに文句がある、ただし反論はしないこと」と言っているだけ」と、私のコメントを「文句」と決めつけられて、私としてもとても心外です。
  • 誰もが自由に編集できるとはいっても、出典を補記することと、すでにある出典を除去することは、本質的に違うと私は思います。明らかに変な記述や、誹謗中傷的なものはすぐに除去してもいいですが、それ以外の曖昧性のあるものは、やはり事前にノートなどで合意を取る必要があるのではないでしょうか(面倒でも)。そして、以前からTakabegさんからも異議が出てもノートなどで対話をすることすらAhirudaisukiさんが拒絶していたことは利用者‐会話:Ahirudaisukiをご覧になれば分かると思います。
  • TENさんとノート:欠史八代などで議論をしてみての率直な感想として、TENさんは、相手の意見を多少なり聞き入れてみようかという許容性があまり見えなくて、TENさんが「専門家」だと決めた著者以外は、「注釈」内で名前を挙げることすらも一切許さない、というお考えが正直とても怖いです。「研究業績は研究史上どのような位置づけ」でとか、いろんな理由で、歴史学者の人でも結局は「専門家ではない」ということになっていきます。そうした権威的なものはもちろん大事なのは分りますが、何かTENさんの場合は、ご自身が認めないものは、最初から排除ありきで審査が厳しく、あとから理由づけをしているような感触を正直受けるのです。これは私個人の感想なので、他の方はそうは思わないとは思いますが、ちょっとそんな気がいたしました。大体の記事の骨格は専門的にしっかりした出典で構成することはもちろん大前提ですが、「注釈」で名前があることすらも許さないみたいなのは、とても違和感を覚えます。「専門家」という点に関しても、文学分野では、映画とか他のサブカルチャーと親しみがあるように、歴史分野でも、そこには他の分野の研究者の著書が、節によっては出典として使用されてもいいのでは? と私なんかは思うのですが、なんとなくTENさんは、そうした「在野」を一切認めないだけではなく、その分野の学者でも研究業績の位置づけでダメになってしまい、TENさんが認めない出典は結局は全部、「非専門家」「信頼できない情報源になる」という結果ありきで、「注釈」で名前を挙げてもいけないという雰囲気が、なんかうまく言えませんが、一言で言って「怖い」という感触です。--みしまるもも会話2021年8月21日 (土) 04:58 (UTC)[返信]

ブロック取り消しについて

お久しぶりです。 Ahirudaisukiさんのブロックについて、異議と取り消しを要求されていますが[4][5]、本件については少なくともTakabegさんやみしまるももさんから問題視されています。ブロック前に「問題の無い編集」という意見もなく、そのような合意形成も確認できません。それを管理者の方が総合的に判断されて1週間のブロックという処置をなさったわけです。それについてブロック後に「ブロック取り消し」を求めるのは行きすぎた要求ではないでしょうか。(メール送信と会話ページのブロックは操作上の誤りだったと思いますが、既に取り消されています。)2年前の編集という点についても、実際に2年前から現在まで同様の問題行為が繰り返されており、特にここ最近その頻度が増した、という状態であれば緊急性は有り、方針を熟読して貰うという意味でも、1週間のブロックは妥当だったと思われます。--ABCEdit会話2021年8月21日 (土) 03:11 (UTC)[返信]

コメント依頼提出のお知らせ

立て続けに恐縮です。TENさんに対するコメント依頼を提出させていただきましたので、お知らせいたします。--ABCEdit会話2021年8月21日 (土) 03:13 (UTC)[返信]