シン・シャル・イシュクン

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シン・シャル・イシュクンSin shar ishkun、在位:紀元前623年紀元前612年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアである。

来歴[編集]

アッシュールバニパルの息子として生まれた。兄弟であるアッシュール・エティル・イラニが先に王位についていたが、少なくてもバビロンにおいてはシン・シャル・イシュクンの方が正当な後継者であると見られていたようである。

アッシュール・エティル・イラニが宦官シン・シュム・リシル英語版によって恐らく殺害され、シン・シュム・リシルが王座についていたが、彼を倒してアッシリア王となった(紀元前623年頃)。

しかし、アッシリアはアッシュールバニパルの死からシン・シャル・イシュクンの即位に至る混乱の中でバビロニアの統制を失い、南部バビロニア(カルデア)の属州総督であったナボポラッサルはそれに乗じて新バビロニア王国(カルデア王国)を建設した。ナボポラッサルは北部バビロニアを征服後、更に北上してアッシリアを攻撃した(アッシュール陥落英語版)。シン・シャル・イシュクンはこれを撃退した。[要出典]

しかし紀元前612年には新バビロニア王ナボポラッサルと、メディアキュアクサレス2世が連合してアッシリアに攻撃をかけ、首都ニネヴェは落城し破壊された(ニネヴェの戦い英語版)。シン・シャル・イシュクンもこの時戦死したと考えられる。

彼の死後、王族のアッシュール・ウバリト2世ハランを拠点になお新バビロニアと戦ったが間もなくアッシリアは滅亡する(ハッラーン陥落英語版)。

先代:
シン・シュム・リシル英語版
新アッシリア王
前623年 - 前612年
次代:
アッシュール・ウバリト2世