シン・シャル・イシュクン

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シン・シャル・イシュクン
アッシリア
在位 前627年頃 - 前612年
死去 前612年
父親 アッシュールバニパル
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シン・シャル・イシュクンSîn-šarru-iškun、在位:前627年頃 - 前612年)は、最末期のアッシリアの一人。彼はベロッソスが記録しているサラコス(Saràkos, Saracus)であったと思われる。彼の次の王アッシュール・ウバリト2世は最後のアッシリア王である。

初期の来歴[編集]

彼はアッシュールバニパルの息子であり、恐らく最後のアッシリア王アッシュール・ウバリト2世(在位:前612年 - 前605年)の兄弟である。彼はほとんどのバビロニアの記録において立証可能な最後のアッシリア王である。彼の時代の史料が欠如しているため、シン・シャル・イシュクンについて知られていることは僅かである。彼は前627年頃に即位したと見られる。強大なアッシュールバニパル王の死後、広大なアッシリア帝国は、支配者の地位を巡る一連の熾烈な内戦のため、解体を始めた。シン・シャル・イシュクンは激しい争い、内戦での立ち回りの失敗、そしてアッシリア帝国の混乱のために勢力を強めることができなかった。シン・シャル・イシュクンは、兄のアッシュール・エティル・イラニから権力を奪った僭称者シン・シュム・リシル英語版から地位を取り戻さなければなならなかった。この混乱の間、多数のアッシリアの植民地と従属国が無秩序状態を利用し、密かにアッシリアからの自立しようとし、その後アッシリアはカルデア人バビロニア人メディア人ペルシア人キンメリア人の脅威に直面した[1]

バビロンに対する最後の攻撃[編集]

一時的にライバルたちを追い落とした後、シン・シャル・イシュクンはより重大な脅威に直面した。3世紀にわたってアッシリアの藩国であったバビロンは、アッシリアの混乱に乗じ、前626年それまで無名であったメソポタミア南部のカルデア人の指導者ナボポラッサルの下で反乱を起こした。

メソポタミアの中心部で長い戦争が続いた。ナボポラッサルはバビロニアにおけるアッシリアの主要拠点ニップル市の占領を試みたが、アッシリアの増援軍によって敗北した。だが、ナボポラッサルはバビロン市民を味方につけ、バビロン市自体を支配することに成功し、前625年にバビロン市の王に戴冠された。アッシリア内の内戦により弱体化していたシン・シャル・イシュクンは最南部の都市ウルクを再占領したが、それまでにより多くの領土を失った。前623年、シン・シャル・イシュクンはバビロニア人とカルデア人の反乱を完全に粉砕するために大軍を率いてバビロニアへ侵攻した。だが、別の大きな反乱がアッシリア本国で勃発した。軍勢を北に戻したが、この軍勢もすぐさま反乱に加わり、反乱を起こした僭称者は何の抵抗儲ける事なく首都ニネヴェに到達し、王位を主張することが可能となった。次の数年間の歴代史はアッシリアの混乱のためにほとんど残されていない。しかしながら、最終的にシン・シャル・イシュクンは本国での反乱を押さえることができた。重大なことは、この反乱によってバビロニアの問題を解決するための貴重な時間が失われたことであり、この間にナボポラッサルはバビロニアの大部分に自らを統治者として認めさせた。前620年 または前619年、ナボポラッサルはニップル市の占領に成功し、完全なバビロニアの支配者となった。だが、次の4年間、シン・シャル・イシュクンはナボポラッサルの除去を目指し、麾下のアッシリア軍をバビロニア中心部に野営させた。

アッシリア中枢部での戦争[編集]

この膠着状態は前616年ナボポラッサルメディアキュアクサレス2世との同盟に入ったことで終わりを迎えた。キュアクサレス2世はアッシリアの絶え間ない内戦に乗じて、統治下にあるイラン系諸族(メディア人ペルシア人)をアッシリアの軛から解放し、彼らを強力な軍勢に組織していた。前616年、スキタイ人キンメリア人も含む同盟を結んだ諸族は、作戦の中心を北に移動させ、アッシリアの中心部を攻撃できるほど強力になったと考えた。これに続く数年の間に、アッシュール市、カルフ市、ニネヴェ市は包囲され、凄惨な戦いの中で破壊された。

バビロニアの年代記でニネヴェの包囲について言及している部分が破損しているため、シン・シャル・イシュクンの運命は不明である。恐らくニネヴェの戦いの中で、彼が防御していた首都ニネヴェが陥落した際、バビロニア人カルデア人メディア人/ペルシア人、そしてスキタイ人によって殺害されたであろう。

これらの主要都市群を失ったにも関わらず、アッシリアは最後の首都となったハッラーンで最後の王アッシュール・ウバリト2世の下、独立を維持した。だが、これも同盟軍によって前608年に蹂躙され、前605年カルケミシュでの同盟側の最終的勝利によって滅亡した。

文学[編集]

バリー・アンズワース(Barry Unsworth)による小説、Land of Marvelsは、第一次世界大戦の勃発直前のシン・シャル・イシュクンの墓発見という架空の設定を主題としている。

脚注[編集]

  1. ^ Georges Roux - Ancient Iraq

参考文献[編集]

  • Na'aman, N., "Chronology and history in the late Assyrian empire"', Zeitschrift für Assyriologie, 81 (1991), 243-267.
  • Zawadzki, S., The fall of Assyria and Median-Babylonian relation in light of the Nabopolassar chronicle, Poznan 1988.
  • Unsworth, B., Land of Marvels: a Novel, Hutchinson, London 2009.
先代:
シン・シュム・リシル英語版
新アッシリア王
前623年 - 前612年
次代:
アッシュール・ウバリト2世