バビロニア暦

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バビロニア暦(バビロニアれき、英語:Babylonian calendar)とはバビロニアなどの地域で使用されたメソポタミア文明の太陰太陽暦である。シュメールのウル第三王朝のシュルギ王(紀元前21世紀)が定めたウンマ暦を起源とする。

春分の頃の新月の直後を元日とする。紀元前6世紀までは天文観察に基づいて作られ、春分の時期を正確に予測するため恒星 カペラの動きを観察していた。紀元前5世紀の初めより、19年が235ヶ月に等しいものとする周期を採用して作られるようになった。メトン周期の先駆とされる。バビロニア暦の月名はバビロン捕囚の時からユダヤ暦に採用された。年の始まりを春分とする前提によっており、イラン暦のような太陽暦と共通する一方、同じ太陰太陽暦でありながら中国暦とは違いが見られる。の起源は陰暦1ヶ月を4等分するバビロニアの祭日によるともいわれる。

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一年は春に始まり、3つの季節に分かれ、「始期(reš šatti)」、「中期(mišil šatti)」、「終期(qīt šatti)」から成る。「月」に当たる単語は「arḫu」である(所属形は「araḫ」)。暦はバビロニア人が作ったものであり、それより後代のアッシリア人によるものではないことは、アッシリア人の主神が閏月に割り当てられていることからもわかる。紀元前6世紀のバビロン捕囚の時期に、ヘブライ人たちは、バビロニア暦の月の名前をヘブライ暦に採用した。イラクやレバント地方(東部地中海沿岸地方)で用いられたアッシリア暦は、バビロニア暦の多くの月の名前を用いてる。例えばイヤール(Iyyar)、タムズ(Tammuz)、アブ(Ab)、エルル(Elul)、ティシュリー(Tishri)、アダル(Adar)などである。

バビロニア暦
季節 月の名前 月を司る神 星座 ユダヤ暦 グレゴリオ暦
始期

Reš Šatti 𒊕𒈬

1 ニサンヌ

Araḫ Nisānu - 𒌚𒁈
「聖なる月」

豊穣の神ベル

𒀭𒂗

牡羊座(Agru)

𒀯𒇽𒂠𒂷

ニサン

(Nisan)

3月/4月
2 アル

Araḫ Āru - 𒌚𒄞
「雄牛の月」

知識の神エンキ(エア)

𒂗𒆠

牡牛座(Gu)

𒀯𒄞

イヤール

(Iyar)

4月/5月
3 シマヌ

Araḫ Simanu - 𒌚𒋞

月神シン

𒂗𒍪

双子座(Maštaba)

𒀯𒈦𒋰𒁀

シヴァン

(Sivan)

5月/6月
4 ドゥムズ

Araḫ Dumuzu - 𒌚𒋗
「タンムーズ神の月」

羊飼いの神タンムーズ

𒀭𒌉𒍣

かに座(Alluttu)

𒀯𒀠𒇻

タムズ

(Tammuz)

6月/7月
中期

Mišil Šatti 𒁇𒈬

5 アブ

Araḫ Abu - 𒌚𒉈

- 獅子座(Nēšu)

𒀯𒌨

アブ

(Av)

7月/8月
6 ウルル

Araḫ Ulūlu - 𒌚𒆥

女神イシュタル

𒀭𒈹

乙女座(Sisinnu)

𒀯𒀳

エルル

(Elul)

8月/9月
7 ティスリトゥム

Araḫ Tišritum - 𒌚𒇯
「始まりの月」
(後半の半年の始まりであることから)

太陽神シャマシュ

𒀭𒌓{

てんびん座(Zibānītu)

𒀯𒄑𒂟

ティシュリー

(Tishrei)

9月/10月
8 サムヌ

Araḫ Samnu - 𒌚𒀳
「土台を据える月」

創造神マルドゥク

𒀭𒀫𒌓

さそり座(Zuqaqīpu)

𒀯𒄈𒋰

チェスヴァン

(Cheshvan)

10月/11月
終期

Qīt Šatti 𒌀𒈬

9 キスリム

Araḫ Kislimu - 𒌚𒃶

戦いの神ネルガル

𒀭𒄊𒀕𒃲

射手座(Pabilsag)

𒀯𒉺𒉋𒊕

キスレヴ

(Kislev)

11月/12月
10 テベトゥム

Araḫ Ṭebētum - 𒌚𒀊
「水が間もなく来たる月」

伝令の神ペプスカル

𒀭𒊩𒆠𒋚

山羊座(Suḫurmāšu)

𒀯𒋦𒈧𒄩

テベット

(Tebeth)

12月/1月
11 サバトゥ

Araḫ Šabaṭu - 𒌚𒊭𒉺𒌅

天候の神アダド

𒀭𒅎

水がめ座(Gula)

𒀯𒄖𒆷

シェバト

(Shebat)

1月/2月
12 アダル/アッダル

Araḫ Addaru / Adār - 𒌚𒊺
「アダルの月」

破壊の神エッラ

𒀭𒅕𒊏

魚座(Zibbātu)

𒀯𒆲𒎌

アダル

(Adar)

2月/3月
閏月 13 マカルサ・アッダリ

Araḫ Makaruša Addari
または
アッダル・アルク
Araḫ Addaru Arku - 𒌚𒊺𒂕

アッシリアの神アッシュール

𒀭𒀸𒋩

19年周期の第17年に挿入される閏月は「ウルルの月(𒌚𒆥)」と呼ばれた

紀元前6世紀までは、暦は天体観測に基づくものでしかなかったが、紀元前499年頃には、月と太陽の周期に基づき、19年が235か月に等しくなるよう、調整された。なお、ギリシャのアテナイで用いられていた太陰太陽暦(アッティカ暦)を改良するため、数学者メトン(Meton)が同じ暦を紀元前433年[1]に導入したことにちなみ、メトン周期と呼ばれる。だが、おそらく、メトンはバビロニアからこの周期に関する知識を仕入れたのであろう。2、3の例外を除き、紀元前380年まで、暦はこの原則に基づいて運用された。19年間に235月とするためには、通常の年を12か月として、19年x12月=228月に、あと7か月の閏月を加える必要がある。このため、3、6、8、11、14、19年目に第2アダルの月を加え、17年目には6番目の月であるウルルの月の後に第2ウルルの月を加える方法で調整した [2] 。それぞれの月は、新しい三日月が水平線上に確認された最初の日(日没に始まる)に始まり、次の新しい三日月が確認される日まで続く。この間、日付を特定するための数字は用いられなかった。

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バビロニア人は、新月から数えて7日目ごとの日を、「聖なる日」として祝ったが、この日は「邪悪な日」(意味合いとしては、禁止行為を行うには不適当な日)とも呼ばれた(要出典)。これらの日には役人たちは様々な活動を禁止され、一般の人々は「願をかけること」を禁じられた(要出典)。そして少なくとも、第28日目は「安息日」とされたことが知られる(要出典)。これらの日には、様々な神や女神に供え物が捧げられたが、禁に抵触することを避けるため、儀式は夕暮れに行われたようである。祈りの対象となる神は、第7日目がマルドゥクとイシュタル。第14日目はニンリルとネルガル。第21日目はシンとシャマシュ。第28日目はエンキと女神マーであった。キュロス大王とカンビュセス2世の時代(紀元前6世紀)の粘土板によれば、時にこれらの儀式が、本来の日とやや前後して実施されたようである。なお、月の周期は29~30日であるため、7日間の週を3回繰り返した後の最後の週は8日または9日となり、完全な7日周期にはならない。

安息日の起源について諸説ある中で、「ユダヤ百科事典」(Universal Jewish Encyclopedia。著:アイザック・ランドマン[3])は、フリードリヒ・デーリッチ[4]などのアッシリア学者の説を提唱している。それによれば、元々、安息日は月の周期に合わせて生まれたもので、一月は、安息日で締めくくられる4つの週と、毎月、変則的に追加される1~2日から成っていた。ただし、この説は、完全な7日単位の週と、月齢による変則的な週の違いについてのつじつまを合わせることが難しいほか、いかなる言語においても、月齢による週において安息日の名に触れる文書が確認できないことが難点である[5]

加えて、バビロニア人は第19日目を特別な邪悪な日、「怒りの日」として祝った。なぜならその日は、前の月から通算でおよそ第49日目にあたり、7の7倍を全うする日だからである(用出典)。犠牲がニヌルタに供えられ、その一日はグラ[6]に捧げられた。この日は、通常の「聖なる日」よりも、さらに禁忌が強化されたようである(要出典)。

また、壊れた粘土板(要出典)が復元されれば、今まで立証できなかったSapattumまたはSabattumという単語が満月を指すものと証明できるかもしれない。ヘブライ語のShabbatは、この単語と同語源あるいは派生と推測される。だが、Sapattum(または Sabattum)は、週単位というよりは月単位のものを指すと思われる。この単語は、シュメール語のsa-bat(休息中の)の一形態と思われる。sa-batは、アッカド語ではum nuh libbi(休息中の日)であることがわかっている。マルセロ・クラヴェリ(Marcello Craveri)[7]によれば、Sabbathは「ほぼ確実にバビロニア語で満月祭を意味する「Shabattu」から生まれたと思われるが、語源をたどる全ての痕跡は失われており、ヘブライ人は聖書の伝説に由来するものと考えている。」 この結論は、損傷したエヌマ・エリシュの創造神話を文脈から復元したものによる。その文章には「[Sa]bbath shalt thou then encounter, mid[month]ly.(汝、月の最中、その時に[Sa]bbathに出会うであろう)」とある。

脚注[編集]

  1. ^ なお、メトン歴の導入時期について、英語版記事では紀元前432年としている。
  2. ^ 英語版のメトン周期の記事(Metonic cycle)の他、古代オリエントと旧約時代の暦も参照した。
  3. ^ アメリカの改革派ラビ。1880-1946
  4. ^ ドイツのアッシリア学者。1850-1922
  5. ^ 翻訳者より:英語版記事を翻訳して掲載した。未翻訳の出典脚注もあり、それは今後訳していく予定だが、2018年10月現在、英語版記事においても出典などの根拠が弱い部分があるのが実情である。それらを踏まえて参考としていただきたい。
  6. ^ Gula。ニンティヌンガ Nintinungaの異名。治癒と再生を司る女神)
  7. ^ イタリアの聖書学者。1914-2002。
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参考文献[編集]

  • Parker, Richard Anthony and Waldo H. Dubberstein. Babylonian Chronology 626 BC.–AD. 75. Providence, RI: Brown University Press, 1956.

 (『バビロニア年代学 紀元前626年-西暦75年』(リチャード・アンソニー・パーカー(著:アメリカの古代エジプト学者)、ウェルド・H・ダッバースタイン(アメリカの古代中東学者)、ブラウン大学出版(米国)、1956年))

  • W. Muss-Arnolt, The Names of the Assyro-Babylonian Months and Their Regents, Journal of Biblical Literature (1892).

 (『アッシリア・バビロニアの月と王の名前』(ウィリアム・ムス・アーノルト(アメリカのアッシリア学者)、聖書学会誌、1892年))

  • Sacha Stern, "The Babylonian Calendar at Elephantine" in Zeitschrift für Papyrologie und Epigraphik 130 (2000) 159–171 (PDF document, 94KB)

 (『エレファンティネにおけるバビロニア暦』(サチャ・スターン(ロンドン大学のユダヤ学者)、2000年)(PDFファイル, 94KB)(出典の翻訳保留中。他の方のご協力をお願いします。))

  • Fales, Frederick Mario, “A List of Umma Month Names”, Revue d’assyriologie et d’archéologie orientale, 76 (1982), 70–71.

 (『都市ウンマの月の名前』(フレデリック・マリオ・ファレス(イタリアの歴史学者)、1982年)(出典の翻訳保留中。他の方のご協力をお願いします。)

  • Gomi, Tohru, “On the Position of the Month iti-ezem-dAmar-dSin in the Neo-Sumerian Umma Calendar”, Zeitschrift für Assyriologie und Vorderasiatische Archäologie, 75 (1985), 4–6.

 (『新シュメール時代のウンマ暦における月の位置づけ iti-ezem-dAmar-dSin』(五味 亨、1985年)(出典の翻訳保留中。他の方のご協力をお願いします。)

  • Pomponio, Francesco, “The Reichskalender of Ur III in the Umma Texts”, Zeitschrift für Assyriologie und Vorderasiastische Archäologie, 79 (1989), 10–13.

 (『ウンマ文書における、ウル第三王朝の豊富な暦』(フランシスコ・ポンポニオ(イタリア・メッシーナ大学の学者?)、1989年))(出典の翻訳保留中。他の方のご協力をお願いします。)

  • Verderame, Lorenzo, “Le calendrier et le compte du temps dans la pensée mythique suméro-akkadienne”, De Kêmi à Birit Nâri, Revue Internationale de l'Orient Ancien, 3 (2008), 121–134.

 (翻訳できる方による作業をお待ちします)

  • Steele, John M., ed., "Calendars and Years: Astronomy and Time in the Ancient Near East", Oxford: Oxbow, 2007.

 (『暦と年代:古代近東における天文学と時間』(編:ジョン・M・スティール(米国ブラウン大学の歴史学者)、オックスボウ出版(英国オックスフォード)、2007年))

関連項目[編集]