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'''天地開闢'''(てんちかいびゃく)とは天地に代表される世界が初めて生まれたのことを示す。
'''天地開闢'''(てんちかいびゃく)とは天地に代表される世界が初めて生まれたときのことを示す。


狭義には『[[日本書紀]]』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」をうが、この記事では、広義の[[日本神話]]における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。
狭義には『[[日本書紀]]』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」をうが、この記事では、広義の[[日本神話]]における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。


中国神話における天地開闢は[[天地開闢 (中国)]]を[[キリスト教]]の[[旧約聖書]]の[[創世記]]におけるものについては[[天地創造]]を参照。
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自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは古代人にとっても大きな問題であった。『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』の最初の部分は世界誕生のの物語となっている。しかし、『古事記』と『日本書紀』との間で、物語の内容は相当に異なる。またさらに、『日本書紀』の中でも、「本書」といわれる部分の他に「一書」と呼ばれる異説の部分がある。このようにして、世界誕生の神話は1つに定まっていない。
自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは古代人にとっても大きな問題であった。『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』の最初の部分は世界誕生のころの物語となっている。しかし、『古事記』と『日本書紀』との間で、物語の内容は相当に異なる。さらに、『日本書紀』の中でも、「本書」といわれる部分の他に「一書」と呼ばれる異説の部分がある。このようにして、世界誕生の神話は1つに定まっていない。


==あらすじ==
==あらすじ==
===『古事記』===
===『古事記』===
『古事記』によれば、世界のった直後は次のようであった。『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたであり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には日本神話における天地開闢のシーンとえば、近代以降は『古事記』のこのシーンが想起される。<!--古事記が読めるようになったのは本居宣長の画期的研究『古事記伝』によるから-->神話研究における「天地開闢」は次節の『[[天地開闢 (日本神話)#|日本書紀]]』参照。
『古事記』によれば、世界のはじまった直後は次のようであった。『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたときであり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には日本神話における天地開闢のシーンとえば、近代以降は『古事記』のこのシーンが想起される。<!--古事記が読めるようになったのは本居宣長の画期的研究『古事記伝』によるから-->神話研究における「天地開闢」は次節の『[[天地開闢 (日本神話)#|日本書紀]]』参照。


世界の最初に、[[高天原]]に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
世界の最初に、[[高天原]]に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた<ref name="shinwa">[[戸部民夫]] 『日本神話』 12頁。</ref>
*[[天之御中主神]] (あめのみなかぬしのかみ)
*[[天之御中主神]](あめのみなかぬしのかみ)
*[[タカミムスビ|高御産巣日神]] (たかみむすひのかみ)
*[[タカミムスビ|高御産巣日神]](たかみむすひのかみ)
*[[カミムスビ|神産巣日神]] (かみむすひのかみ)
*[[カミムスビ|神産巣日神]](かみむすひのかみ)
続いて、二柱の神が生まれた。
続いて、二柱の神が生まれた<ref name="shinwa"/>
*[[ウマシアシカビヒコヂ|宇摩志阿斯訶備比古遅神]] (うましあしかびひこぢのかみ)
*[[ウマシアシカビヒコヂ|宇摩志阿斯訶備比古遅神]](うましあしかびひこぢのかみ)
*[[天之常立神]] (あめのとこたちのかみ)
*[[天之常立神]](あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため'''[[別天津神]]'''(ことあまつかみ)と呼ぶ。
この五柱の神は特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため'''[[別天津神]]'''(ことあまつかみ)と呼ぶ<ref>戸部民夫 『日本神話』 12-14頁。</ref>


次に、また二柱の神が生まれた。
次に、また二柱の神が生まれた<ref name="shinwa2">戸部民夫 『日本神話』 14頁。</ref>
*[[国之常立神]] (くにのとこたちのかみ)
*[[国之常立神]](くにのとこたちのかみ)
*[[トヨクモノ|豊雲野神]] (とよくもののかみ)
*[[トヨクモノ|豊雲野神]](とよくもののかみ)
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく、またこれ以降神話には登場しない。<br>
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく<ref name="shinwa2"/>、またこれ以降神話には登場しない。

これに引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。
これに引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている<ref>戸部民夫 『日本神話』 15頁。</ref>
*[[ウヒヂニ・スヒヂニ|宇比地邇神]] (うひぢにのかみ) 、須比智邇神 (すひぢにのかみ)
*[[ツヌグイイクグイ|角杙神]] つのぐひのかみ) 活杙 いくぐひのかみ)
*[[ウヒヂニスヒヂニ|宇比地邇神]](ぢにのかみ)、須比智邇神(ぢにのかみ)
*[[オオトノヂオオトノベ|意富斗能地神]] おほとのかみ) 大斗乃弁 おほとのべのかみ)
*[[ツヌグイイクグイ|角杙神]](ぐひのかみ)、活杙神(いくぐひのかみ)
*[[オモダルアヤカシコネ|於母陀流神]] (おもだるのかみ) 阿夜訶志古泥 あやかしこねのかみ)
*[[オオトノヂオオトノベ|意富斗能地神]](おほとのじのかみ)、大斗乃弁神(おほとのべのかみ)
*[[イザナギ|伊邪那岐神]] いざなぎのかみ) [[イザナミ|伊邪那美]] いざなみのかみ)
*[[オモダル・アヤカシコネ|於母陀流神]](おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
*[[イザナギ|伊邪那岐神]](いざなぎのみ)、[[イザナミ|伊邪那美神]](いざなみのみ)
以上の七組十二柱の神々を総称して'''[[神世七代]]'''(かみのよななよ)という。
以上の七組十二柱の神々を総称して'''[[神世七代]]'''(かみのよななよ)という。


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'''本書'''によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。
'''本書'''によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。


天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となる。
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となる。
#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
#国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
#国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
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:'''第1の一書'''によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、段落を下げて箇条書きされているのは、上の神の別名である。
:'''第1の一書'''によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、段落を下げて箇条書きされているのは、上の神の別名である。
:#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
;[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
:#*国底立尊(くにのそこたちのみこと)
:国底立尊(くにのそこたちのみこと)
:#国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
;国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
:#*国狭立尊(くにのさたちのみこと)
:国狭立尊(くにのさたちのみこと)
:#豊国主尊(とよくにむしのみこと)
;豊国主尊(とよくにむしのみこと)
:#*豊組野尊(とよくむののみこと)
:豊組野尊(とよくむののみこと)
:#*豊香節野尊(とよかぶののみこと)
:豊香節野尊(とよかぶののみこと)
:#*浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
:浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
:#*豊国野尊(とよくにののみこと)
:豊国野尊(とよくにののみこと)
:#*豊齧野尊(とよかぶののみこと)
:豊齧野尊(とよかぶののみこと)
:#*葉木国野尊(はこくにののみこと)
:葉木国野尊(はこくにののみこと)
:#*見野尊(みののみこと)
:見野尊(みののみこと)


:'''第2の一書'''によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。
'''第2の一書'''によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。
:#[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
*[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
:#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
*[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
:#国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
*国狭槌尊(くにのさつちのみこと)


:'''第3の一書'''でも生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。
'''第3の一書'''でも生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。
:#[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
*[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
:#国底立尊(くにのそこたちのみこと)
*国底立尊(くにのそこたちのみこと)


:'''第4の一書'''によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は『古事記』の記述に類似している。
'''第4の一書'''によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は『古事記』の記述に類似している。
:#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
*[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
:#国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
*国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
:これらの二柱の神々の次に高天原に生まれたのが下の三柱の神々である。
:#[[御中主]] (あみなかぬしのみこと)
:#[[高皇産霊尊]] (たかみむすひのみこと)
:#[[神皇産霊尊]] (かみむすひのみこと)


これらの二柱の神々の次に高天原に生まれたのが下の三柱の神々である。
:'''第5の一書'''によれば、天地の中に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが、人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが、一柱の神しか登場しない。
:#[[国常立尊]](くにとこたちのみこと)
*[[天御中主尊]](あめみなかぬしのみこと)
*[[高皇産霊尊]](たかみむすひのみこと)
*[[神皇産霊尊]](かみむすひのみこと)


:'''第6の一書'''も、本書とほぼ同様に、葦の芽のような物体から神が生れた。ただし、国常立尊は漂う脂ような別の物体ら生まれた
'''第5の一書'''によれば天地の中に葦の芽が泥中から出てきたようなものが生成された。これが人の形をた神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが一柱神し登場しない
:#天常立尊(あまのとこたちのみこと)
*[[国常立尊]]くにのとこたちのみこと)

:#[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
'''第6の一書'''も本書とほぼ同様に葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。
:#[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)
*常立尊(あとこたちのみこと)
*[[ウマシアシカビヒコヂ|可美葦牙彦舅尊]](うましあしかびひこぢのみこと)
*[[国常立尊]](くにのとこたちのみこと)


====男女一対神たちの登場====
====男女一対神たちの登場====
渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は本書では記されていないが、一書の中には異伝として記されている。
渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は本書では記されていないが、一書の中には異伝として記されている。


'''本書'''によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、段落を下げて箇条書きされているのは上の神の別名である。
'''本書'''によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、段落を下げて箇条書きされているのは上の神の別名である。
#埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
*埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
**埿土根尊(ぢねのみこと)、沙土根尊(ぢねのみこと)
#:'''二神の別名'''
#:*埿土根尊(うひのみこと)、沙土根尊(すひぢねのみこと)
*大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまべのみこと)
#大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまのみこと)
**大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)
**大富道尊(おほとまぢのみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
#:'''二神の別名'''
**大戸之道尊の別名
#:*大戸摩彦尊(おほとまのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまのみこと)
#:*大富道尊(おほとまぢみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
***大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
*面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
#:'''大戸之道尊の別名'''
**惶根尊の別名
#:*大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
#面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
***吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと
***忌橿城尊(いむかしきのみこと)
#:'''惶根尊の別名'''
#:*吾屋惶根尊(あかしこねのみこと)
***青橿城根尊(あかしのみこと)
#:*橿城尊(いむかしきのみこと)
***吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
*[[イザナギ|伊弉諾尊]](いざなぎのみこと)、[[イザナミ|伊弉冉尊]](いざなみのみこと)
#:*青橿城根尊(あをかしきのみこと)
#:*吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
#[[イザナギ|伊弉諾尊]](いざなぎのみこと)、[[イザナミ|伊弉冉尊]](いざなみのみこと


:'''第1の一書'''では伊弉諾尊、伊弉冉尊は青橿城根尊の子とされている。
'''第1の一書'''では伊弉諾尊、伊弉冉尊は青橿城根尊の子とされている。


:'''第2の一書'''では神々の系図がよりはっきりとしている。
'''第2の一書'''では神々の系図がよりはっきりとしている。
:#[[国常立尊]]
*[[国常立尊]]
:#天鏡尊(あまのかがみのみこと)
*天鏡尊(あまのかがみのみこと)
:#:国常立尊の子。
**国常立尊の子。
:#天万尊(あめよろずのみこと)
*天万尊(あめよろずのみこと)
:#:天鏡尊の子。
**天鏡尊の子。
:#沫蕩尊(あわなぎのみこと)
*沫蕩尊(あわなぎのみこと)
:#:天万尊の子。
**天万尊の子。
:#伊弉諾尊
*伊弉諾尊
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**沫蕩尊の子。


さて、'''本書'''によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して'''[[神世七代]]'''という。
さて、'''本書'''によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して'''[[神世七代]]'''という。


:'''第1の一書'''によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
'''第1の一書'''によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
:#埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
*埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
:#角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
*角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
:#面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
*面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
:#伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
*伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)


==解説==
==解説==
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『[[日本書紀]]』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」<ref>訓読は『日本古典文学大系67日本書紀(上)』(岩波書店1967年)による。</ref>。は[[中国]]の古典の『[[淮南子]]』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」<ref>訓読は『[[新釈漢文大系]]54淮南子(上)』([[明治書院]]1979年p85)の[[楠山春樹]]のものによる。</ref>によっている<ref>『日本古典文学大系67日本書紀(上)』岩波書店1967年p543。</ref>。
『[[日本書紀]]』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」<ref>訓読は『日本古典文学大系67日本書紀(上)』(岩波書店1967年)による。</ref>。は[[中国]]の古典の『[[淮南子]]』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」<ref>訓読は『[[新釈漢文大系]]54淮南子(上)』([[明治書院]]1979年p85)の[[楠山春樹]]のものによる。</ref>によっている<ref>『日本古典文学大系67日本書紀(上)』岩波書店1967年p543。</ref>。


== 注 ==
== 注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
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|author=戸部民夫
|others=[[神谷礼子]]画
|title=日本神話…神々の壮麗なるドラマ
|origdate=2003-10-26
|accessdate=2009-12-03
|edition=初版
|publisher=[[新紀元社]]
|series=Truth In Fantasy
|isbn=9784775302033
}}


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2009年12月3日 (木) 06:15時点における版

天地開闢(てんちかいびゃく)とは天地に代表される世界が初めて生まれたときのことを示す。

狭義には『日本書紀』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」をいうが、この記事では、広義の日本神話における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。


自分達の世界がどのようにして生まれたか。このことは古代人にとっても大きな問題であった。『古事記』、『日本書紀』の最初の部分は世界誕生のころの物語となっている。しかし、『古事記』と『日本書紀』との間で、物語の内容は相当に異なる。さらに、『日本書紀』の中でも、「本書」といわれる部分の他に「一書」と呼ばれる異説の部分がある。このようにして、世界誕生の神話は1つに定まっていない。

あらすじ

『古事記』

『古事記』によれば、世界のはじまった直後は次のようであった。『古事記』の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めたときであり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、一般的には、日本神話における天地開闢のシーンといえば、近代以降は『古事記』のこのシーンが想起される。神話研究における「天地開闢」は次節の『日本書紀』参照。

世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた[1]

続いて、二柱の神が生まれた[1]

この五柱の神は特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神(ことあまつかみ)と呼ぶ[2]

次に、また二柱の神が生まれた[3]

国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく[3]、また、これ以降、神話には登場しない。

これに引き続いて五組十柱の神々が生まれた。五組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている[4]

  • 宇比地邇神(うひぢにのかみ)、須比智邇神(すひぢにのかみ)
  • 角杙神(つのぐひのかみ)、活杙神(いくぐひのかみ)
  • 意富斗能地神(おほとのじのかみ)、大斗乃弁神(おほとのべのかみ)
  • 於母陀流神(おもだるのかみ)、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
  • 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)

以上の七組十二柱の神々を総称して神世七代(かみのよななよ)という。

『日本書紀』

『日本書紀』における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。

根源神たちの登場

本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。

天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となる。

  1. 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
  3. 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

これらの神々には、性別がなかった。

第1の一書によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、段落を下げて箇条書きされているのは、上の神の別名である。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
国底立尊(くにのそこたちのみこと)
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
国狭立尊(くにのさたちのみこと)
豊国主尊(とよくにむしのみこと)
豊組野尊(とよくむののみこと)
豊香節野尊(とよかぶののみこと)
浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
豊国野尊(とよくにののみこと)
豊齧野尊(とよかぶののみこと)
葉木国野尊(はこくにののみこと)
見野尊(みののみこと)

第2の一書によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。

  • 可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)
  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  • 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)

第3の一書でも生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。

  • 可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)
  • 国底立尊(くにのそこたちのみこと)

第4の一書によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は『古事記』の記述に類似している。

  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  • 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)

これらの二柱の神々の次に高天原に生まれたのが下の三柱の神々である。

第5の一書によれば、天地の中に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが、一柱の神しか登場しない。

第6の一書も本書とほぼ同様に葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。

  • 天常立尊(あまのとこたちのみこと)
  • 可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)
  • 国常立尊(くにのとこたちのみこと)

男女一対神たちの登場

渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は本書では記されていないが、一書の中には異伝として記されている。

本書によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々はそれぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、段落を下げて箇条書きされているのは上の神の別名である。

  • 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
    • 埿土根尊(うひぢねのみこと)、沙土根尊(すひぢねのみこと)
  • 大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまべのみこと)
    • 大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)
    • 大富道尊(おほとまぢのみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
    • 大戸之道尊の別名
      • 大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
  • 面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
    • 惶根尊の別名
      • 吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)
      • 忌橿城尊(いむかしきのみこと)
      • 青橿城根尊(あをかしきのみこと)
      • 吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
  • 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)

第1の一書では伊弉諾尊、伊弉冉尊は青橿城根尊の子とされている。

第2の一書では神々の系図がよりはっきりとしている。

  • 国常立尊
  • 天鏡尊(あまのかがみのみこと)
    • 国常立尊の子。
  • 天万尊(あめよろずのみこと)
    • 天鏡尊の子。
  • 沫蕩尊(あわなぎのみこと)
    • 天万尊の子。
  • 伊弉諾尊
    • 沫蕩尊の子。

さて、本書によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して神世七代という。

第1の一書によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。

  • 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
  • 角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
  • 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
  • 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)

解説

神名

中国思想の影響

日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」[5]。は中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」[6]によっている[7]

脚注

  1. ^ a b 戸部民夫 『日本神話』 12頁。
  2. ^ 戸部民夫 『日本神話』 12-14頁。
  3. ^ a b 戸部民夫 『日本神話』 14頁。
  4. ^ 戸部民夫 『日本神話』 15頁。
  5. ^ 訓読は『日本古典文学大系67日本書紀(上)』(岩波書店1967年)による。
  6. ^ 訓読は『新釈漢文大系54淮南子(上)』(明治書院1979年p85)の楠山春樹のものによる。
  7. ^ 『日本古典文学大系67日本書紀(上)』岩波書店1967年p543。

参考文献

  • 戸部民夫『日本神話…神々の壮麗なるドラマ』神谷礼子画(初版)、新紀元社〈Truth In Fantasy〉(原著2003年10月26日)。ISBN 9784775302033