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2009年10月19日 (月) 22:42時点における版
デモリッション(Demolition)は、1987年から1991年にかけて、アメリカ合衆国のプロレス団体WWF(現・WWE)で活躍したタッグ・ユニットである。
メンバー
- アックス(Ax)
- 身長:192cm、体重:132kg。正体はビル・イーディー。チームのリーダー格。
- スマッシュ(Smash)
- 身長:193cm、体重:135kg。正体はバリー・ダーソウ。後にリポマンとして活躍。
- クラッシュ(Crush)
- 身長:198cm、体重:143kg。正体はブライアン・アダムス。1990年より加入。
来歴
1986年、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を進め、マット界の勢力図を一変させたWWFは、さらなる起爆剤として当時NWA地区で大人気だったロード・ウォリアーズの引き抜きを画策していた。しかし、再三に渡るアプローチにもかかわらずウォリアーズとの契約は頓挫し、彼らのイミテーションを独自にプロデュースして売り出すことになる。そこで誕生したのが、ウォリアーズ同様にマッドマックスの世界観をモチーフとしたタッグチーム、アックスとスマッシュのデモリッションである。当初、アックス(ビル・イーディー)の相棒のスマッシュはジョバーのムーンドッグ・レックスことランディ・コリーであり、1987年1月17日収録の「スーパースターズ・オブ・レスリング」でプレ・デビューを行った。しかし、コリーはファンの間で正体が割れており、また実力的にも体格的にも見劣りするため、当時NWAでザ・ラシアンズの一員としてウォリアーズと抗争していたバリー・ダーソウと入れ替わることになった。
ウォリアーズの大ブレイク以来、その人気にあやかろうと彼らのギミックやコンセプトを真似たタッグチームは全米で様々に誕生していたが、そのほとんどは無名の新人である場合が多かった。しかしイーディーとダーソウは、それぞれマスクド・スーパースターやクラッシャー・クルスチェフとしての活躍で十分な実績を築いており、ギミックを変える必要のないネームバリューを持っていた。また、両者はウォリアーズの影響下にあったレスラーに顕著な筋肉マン・タイプではなく、プロレスラー然としたナチュラルな体型の持ち主であり、特にベテランのイーディーは試合巧者としても高い評価を得ていた。それだけに、当時のファンや関係者の間では両者のギミック・チェンジに賛否両論が巻き起こったが、結果として凡百のフェイク版ウォリアーズとは一線を画した実力者同士の強力タッグとなり、1980年代後半のアメリカン・プロレスを代表するタッグチームとしてその名を残した。
また、顔面ペインティングを施しているものの髪型はモヒカン刈りではなく、『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーを思わせる甲冑や『マッドマックス2』のヒューマンガスを意識したコスチュームもウォリアーズとは差別化されており、彼らの単純なコピーではない、WWFオリジナルのユニットであることが強調されていた。
アックス&スマッシュ
ミスター・フジを専任マネージャーに、ヒールの大型タッグチームとして1987年3月14日のサタデー・ナイト・メイン・イベントでデビューを果たす。以降、ブリティッシュ・ブルドッグス、キラー・ビーズ、ルージョー・ブラザーズらを撃破し、1988年3月27日のレッスルマニアIVでストライク・フォース(リック・マーテル&ティト・サンタナ)からWWF世界タッグ王座を奪取。その後、11月24日のサバイバー・シリーズでマネージャーのフジと仲間割れし、ベビーフェイスに転向。同年6月にNWAからWWFに移籍してきた、ロード・ウォリアーズの完全なフェイク版であるパワーズ・オブ・ペイン(バーバリアン&ウォーロード)と抗争を展開する。
1989年7月18日、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)に敗れ1年4か月間に渡って保持していた王座を奪われるが、10月2日のサタデー・ナイト・メイン・イベントで奪回。しかし、12月13日にコロッサル・コネクション(アンドレ・ザ・ジャイアント&ハク)に敗れて再び陥落。以降、王座を巡るコロッサル・コネクションとの抗争がスタートし、1990年4月1日のレッスルマニアVIで奪還に成功、3度目の載冠を果たした。直後の4月13日には東京ドームで行われた「日米レスリングサミット」に来日し、ジャイアント馬場&アンドレの大巨人コンビと対戦している。
アックス、スマッシュ&クラッシュ
1990年の下期、リージョン・オブ・ドゥーム(LOD)のWWF移籍が決定する。これに伴い、デモリッションはヒールターンしてLODの抗争相手を担うことになったが、アックスの体調不良のため、3人目のデモリッションとしてクラッシュ(ブライアン・アダムス)が加入。タッグ王座は「3者共有」のものとし、クラッシュがスマッシュのパートナーとなって防衛戦を行い、アックスはプレイング・マネージャーとしてセコンド役を務めるようになった。
同年8月27日のサマースラムではスマッシュ&クラッシュが王者チームとしてハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)の挑戦を受けたが、LODの介入により防衛に失敗して王座から陥落。以降、LODとの熾烈な遺恨マッチが繰り広げられる。マネージャーのミスター・フジとも復縁し、アックスもフルタイムではないものの前線に復帰。LODにはアルティメット・ウォリアーが助っ人に付き、3対3の軍団抗争にまで発展したが、11月22日のサバイバー・シリーズを最後にアックスがWWFを退団することになる。
スマッシュ&クラッシュ
アックスの離脱後はスマッシュとクラッシュのコンビでデモリッションを継続させ、1991年3月24日のレッスルマニアVIIでは天龍源一郎&北尾光司と対戦。4月には日本のSWSにも来日した。しかし、キャラクターがマンネリ化したこともあって徐々に負けブックが増えるようになり、同年にチームを解散。スマッシュは新ギミックのリポマンに変身し、クラッシュは一時WWFを離れ、古巣であるオレゴン地区のPNWにデモリッション時代と同じスタイルで凱旋。翌1992年にはベビーフェイスのシングルプレイヤーとしてWWFに復帰し、同年8月29日のサマースラムではクラッシュ対リポマンという、かつてのパートナー同士の対戦カードが組まれた。
WWF以降
イーディーはWWFを退団してからも同様のリングネームとコスチュームを使い続け、マスクド・スーパースター時代の主戦場だった新日本プロレスにも来日している(1991年6月にはデモリッション・スタイルのカナディアン・ジャイアントなる巨漢選手を帯同したこともある)。アメリカのインディー団体ではアクシズ・ザ・デモリッシャー(Axis the Demolisher)という挑発的なリングネームを名乗り、"元祖スマッシュ" のランディ・コリーと共に自分たちがオリジナル・デモリッションであることを主張した。これに対しWWFがクレームを付けたため、イーディーは1990年代半ばにギミックの使用権を巡る訴訟を起こすが敗訴(イーディーは「WWFでの終身雇用を条件にビンス・マクマホンに使用権を譲渡したにもかかわらず、WWF側は約束を反故にした」などと主張した。企画段階におけるデモリッションのキャラクター・コンセプトには、イーディーとコリーの発案も部分的に反映されていたという)。
それ以来、イーディーはWWEと絶縁状態であり、またブライアン・アダムスも2007年8月13日に死去したため、現在までWWEのリング上でデモリッションが再結成されたことは一度もない。しかしメンバー同士の間柄は良好で、イーディーとダーソウはアダムスの死去から約6週間後の9月29日、彼への追悼も込めてフロリダ州オーランドのUXW(United States Xtreme Wrestling)で16年ぶりにコンビを再結成。2008年2月29日にはワンマン・ギャングを交えたチームWWFとして、ペンシルベニア州フィラデルフィアのインディー団体"Chikara"で行われた6人タッグマッチのトーナメントに出場している。
合体攻撃
- デモリッション・ディキャピテーション(Demolition Decapitation / ペンデュラム・バックブリーカー&ダイビング・エルボー・ドロップ)
- ダブル・アックス・ハンドルの連打(維新軍の「太鼓の乱れ打ち」のように、相手の背中を交互に両拳で殴打する)
- ダブル・クローズライン
獲得タイトル
- WWF世界タッグ王座(×3)
- GLCWタッグ王座(×1)
- USXWタッグ王座(×1)
関連項目
- ビル・イーディー
- バリー・ダーソウ
- ブライアン・アダムス
- ミスター・フジ (マネージャー)
- ジョニー・V (最初期のマネージャー)
- ロード・ウォリアーズ