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2008年7月10日 (木) 09:56時点における版
1883年に行われた、第7回 ウィンブルドン選手権 に関する記事。イギリス・ロンドン郊外にある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」にて開催。
大会の流れ
- 1878年の第2回大会から「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝を決定する方式になった。大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
- 1879年から男子ダブルス競技が始まったが、1883年まではオックスフォードで実施された。男子ダブルスがオールイングランド・クラブで実施され、正式な優勝記録表に掲載されるのは1884年以後になる。
大会前年度優勝者
1882年優勝者、ウィリアム・レンショー
チャレンジラウンド
準々決勝
- ドナルド・スチュワート vs. ハーバート・ウィルバーフォース 6-5, 3-6, 5-6, 6-5, 6-4
- ウィリアム・テーラー vs. M・コンスタブル 6-3, 6-5, 5-6, 4-6, 6-3
- アーネスト・レンショー vs. チャールズ・グリンステッド 6-4, 6-3, 6-3
準決勝
- ドナルド・スチュワート vs. ウィリアム・テーラー 6-0, 6-1, 6-3
- アーネスト・レンショー 試合なし → 決勝へ
決勝
- アーネスト・レンショー vs. ドナルド・スチュワート 0-6, 6-3, 6-0, 6-2
オールカマーズ決勝
- ウィリアム・レンショー vs. アーネスト・レンショー 2-6, 6-3, 6-3, 4-6, 6-3 (W・レンショーが本大会の優勝者になる。大会3連覇)
男子ダブルス決勝
- チャールズ・グリンステッド&C・ウェルドン vs. C・ラッセル&R・ミットフォード 3-6, 6-1, 6-3, 6-4
オックスフォード開催の第5回男子ダブルスは、決勝戦が最大5セット・マッチで行われ、セットカウント 3-1 でグリンステッド&ウェルドン組が優勝した。
参考文献
- ランス・ティンゲイ著『ウィンブルドンの100年史』(英語、1977年刊、ISBN 0900424710、アルファ・オメガ社) 大会の様子については24-26ページ、シングルス試合結果は134ページ、男子ダブルス結果は246ページを参照した。
- バド・コリンズ著『テニスのすべて-究極のテニス百科事典』(英語、2003年刊、ISBN 0973144343、スポーツ・クラシック・ブックス) 選手のフルネームについて、本書から補足した。
先代 1882年全米テニス選手権 |
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ウィンブルドン選手権 1883年 |
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