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多摩市パチンコ店強盗殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

多摩市パチンコ店強盗殺人事件(たましパチンコてんごうとうさつじんじけん)とは1992年(平成4年)に東京都多摩市雑居ビルで発生した強盗殺人事件である。犯人の3人のうち、従犯2人は逮捕され死刑判決が確定したが、主犯が国外逃亡しており一部未解決である。

事件の概要

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1992年(平成4年)5月30日中華人民共和国福建省出身の男3人 (A・B・C) が閉店後のパチンコ店Mから売上金を強奪する計画を実行した。事件はA(当時29歳)が「簡単に金がとれるパチンコ店がある」とB(当時31歳)、C(当時28歳)に話を持ちかけ、事前にパチンコ店を下見したり、犯行の予行演習までしていた。Aはハンティングナイフ、Bはバタフライナイフ、Cは木の棒を持参し、店員が抵抗したら殺害してもかまわないと決意していた。

閉店後の午後11時20分ごろ、パチンコ店の従業員甲(当時39歳)と乙(当時43歳)の二人が、1階の店舗から4階の事務所に売上金の現金1500万円が入った袋を台車に載せて移動するためエレベーターに乗った。それを確認しAが1階から、BとCが2階からエレベーターに乗り込んだ。従業員2人に対してAとBはナイフで何箇所も刺し、Cも棒で頭部を殴打して殺害した。エレベーター内部は血の海になっていた。

エレベーターが4階で止まるとBは散乱した現金のなかから約234万円を鷲掴みにして逃げようとしたが、そこへ異変を察知した同店の店長兼常務の丙(当時36歳)がかけつけ、Aらと鉢合わせした。Aは丙を刺殺し、丙は3人目の犠牲者となった。

その後、Bが1992年(平成4年)10月に東京都内のスナック窃盗目的で侵入したところを警視庁巣鴨警察署に逮捕され、指紋から多摩市の強盗殺人事件の犯人と判明した。不法入国渋谷警察署に逮捕されたCも関与が明らかになり再逮捕された。主犯格のAはすでに出国しており、国際手配されたが現在も逃亡中である[1]。そのため公訴時効停止となっていたが2010年の改正法により公訴時効が廃止された。

死刑確定

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裁判ではAが主犯でありBとCは従ったにすぎないと認定したが、犯行態度が悪質極まりないとして1審(東京地方裁判所八王子支部・1995年〈平成7年〉12月)、2審(東京高等裁判所1998年〈平成10年〉1月)とも死刑が宣告され、最高裁判所2002年(平成14年)6月上告棄却して死刑が確定した。2021年(令和3年)現在、2名とも東京拘置所収監されている。

定住外国人に対し死刑が宣告されたのは1964年(昭和39年)に神奈川県横浜市で発生した在日韓国人夫婦を殺害した在日韓国人1966年〈昭和41年〉に1審で死刑が確定)に対する死刑判決から36年ぶり、そして来日外国人としては戦後初めての事例である。他の中国人死刑囚としては、1999年(平成11年)に川崎市で同胞6人を殺傷したとして2006年(平成18年)に死刑が確定した男がいたが、こちらは2009年(平成21年)7月に死刑執行されている。

脚注

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参考文献

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  • 佐久間哲「死刑に処す-現代死刑囚ファイル-」、自由国民社、2005年(平成17年)、183頁~185頁
  • 「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典」、東京法経学院出版、2002年(平成14年)、277頁

関連項目

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