光町 (国分寺市)
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光町 | |
---|---|
北緯35度42分18.19秒 東経139度26分38.33秒 / 北緯35.7050528度 東経139.4439806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
市町村 | 国分寺市 |
人口 | |
• 合計 | 6,548人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
185-0034[2] |
市外局番 | 042[3] |
ナンバープレート | 多摩 |
光町(ひかりちょう)は、東京都国分寺市の町名。現行行政地名は光町一丁目から光町三丁目。郵便番号は185-0034[2]。
地理
[編集]国分寺市西部に位置する。北は高木町、東は富士本及び日吉町、南は国立市北、西は西町に隣接する。主に住宅地として利用される。
北東側の富士本との間に国分寺崖線が通っており、光町の大半は崖の下の立川面に属しているが、富士本と隣接する光町1丁目、及び3丁目の一部は崖の上に当たる武蔵野面に属している為、南西方向の富士山が見える地域がある。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]当地域の新田開発は1729年(享保14年)に始まると伝わり、開発者の名にちなんで一帯は「平兵衛新田」と呼ばれていた[注 1]。町村制施行の翌年の1889年(明治22年)に10カ村が合併して北多摩郡国分寺村となり、その大字平兵衛新田となった[10][注 2]。国分寺市の市制施行の2年後、1966年(昭和41年)2月の町名整理において、東海道新幹線の開発研究を行なった鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)があることから、新幹線「ひかり」号にちなんで「光町」と名づけられた[12][注 3]。
沿革
[編集]- 1725年(享保10年) - 鎮守として現在地に稲荷神社を勧請[14]。
- 1729年(享保14年) - 芋久保村(現・東大和市芋窪)から3名が入村、一帯の開発が始まる[注 4]。
- 1732年(享保17年) - 玉川上水の砂川新田から平兵衛新田・榎戸新田・野中新田・戸倉新田・砂川前新田への分水を開始[15]。
- 1733年(享保18年) - 史料上に名主として平兵衛の名が登場する[注 5]。
- 1736年(享保21年・元文元年) - 検地奉行大岡忠相が指揮した新田検地を受ける[注 6]。当年から名主平兵衛の名前が見られなくなり、代わりに地名として「平兵衛新田」の名が史料上に現れる[18]。
- 1740年(元文5年) - 平兵衛新田地内のハケ下で水田開発[19]。
- 1746年(延享3年) - 幕府の補助により平兵衛新田地内の2箇所に井戸が掘られる[20]。
- 1827年(文政10年) - 寄場組合設置。平兵衛新田は田無寄場組合に所属[21]。
- 1852年(嘉永5年) - 稲荷神社の現在の本殿、建築[22]。
- 1857年(安政4年) - ハケ下の道沿いに馬頭観音建立[23]。
- 1868年(明治元年) - 明治政府の設置した韮山県に平兵衛新田が加えられる[注 7]。
- 1871年(明治4年) - 平兵衛新田・榎戸新田・中藤新田・上谷保新田が韮山県から神奈川県に編入[25]。
- 1884年(明治17年) - 戸倉新田
外 9カ村聯合会(議会)開設。平兵衛新田から議員2名選出[26]。 - 1889年(明治22年) - 平兵衛新田・国分寺村・恋ケ窪村・内藤新田など10カ村が合併して神奈川県北多摩郡国分寺村となり、平兵衛新田は大字として所属[27][28]。
- 1893年(明治26年) - 三多摩が東京府に編入[29]、東京府北多摩郡国分寺村大字平兵衛新田となる。
- 1911年(明治44年) - 平兵衛新田拱渠(溝渠)竣工[30]。
- 1924年(大正13年) - 東京電燈高圧線問題起きる[31]。
- 1926年(大正15年) - 国立駅開業[32]。
- 1927年(昭和2年) - 現在の稲荷坂の道の築造を決定[注 8]。
- 1928年(昭和2年) - 国分寺尋常高等小学校西分教場(のちの国分寺市立第二小学校)が平兵衛新田に移転[34]。
- 1930年(昭和5年) - このころ平兵衛新田で草競馬が始まる。昭和14年ごろまで続く[35]。
- 1939年(昭和14年) - 「國立台住宅地」(現在の鉄道総合技術研究所の北側地域3万坪)の販売開始[36]。
- 1940年(昭和15年) - 町制施行、東京府北多摩郡国分寺町となる[37][38]。
- 1943年(昭和18年) - 東京都制施行。東京府が東京都に改称、東京都北多摩郡国分寺町大字平兵衛新田となる。
- 1944年(昭和19年) - 鉄道技術研究所が庁舎の一部を平兵衛新田に移転、国立支所とする[39]。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により国分寺町立第二国民学校を国分寺町立第二小学校に改称[40]。
- 1950年(昭和25年) - 平兵衛新田に駐在所新設[41]。
- 1952年(昭和27年) - 国分寺町消防団第9分団(のち第6分団)が市立ひかり保育園の北側に移転[42]。
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年) - 町営水道敷設工事(第7号工事)が平兵衛新田で開始[44]。
- 1964年(昭和39年) - 市制施行により東京都国分寺市となる[45][46]。
- 1966年(昭和41年) - 町名整理により平兵衛新田が光町に改称[47]。
- 1969年(昭和44年) - 3月12日、大雪が降り[48]、吹き溜まりでは積雪1メートルを越えた[49][50]。
- 1972年(昭和47年) - 光町交番、新設[51]。
- 1976年(昭和51年) - 光商栄会発足[52]。
- 1977年(昭和52年) - 稲荷神社奉賛会発足[52]。
- 1994年(平成6年)
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
光町一丁目 | 1,699世帯 | 3,481人 |
光町二丁目 | 851世帯 | 1,453人 |
光町三丁目 | 675世帯 | 1,614人 |
計 | 3,225世帯 | 6,548人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[54]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
光町一丁目 | 全域 | 国分寺市立第二小学校 | 国分寺市立第三中学校 |
光町二丁目 | 全域 | ||
光町三丁目 | 全域 |
交通
[編集]施設
[編集]企業
[編集]- JRグループ
公共
[編集]教育
[編集]- 国分寺市立第二小学校
- 国分寺市立ひかり保育園
- みふじ幼稚園
商業
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1840年代前半、文化文政時代に編まれた『新編武蔵風土記稿』巻128「多摩郡40 武蔵野新田」には「平兵衛新田は、〔多摩〕郡の東北にあり、享保中 下谷保村〔※上谷保村(現・国立市谷保)の誤記とされる〕の農民平兵衛と云へるもの開きしなり、因て〔よって〕村名とせり、江戸日本橋へ八里の行程なり」とある[4][5]。「
谷保 新田」とも呼ばれた[6]。「武蔵野新田」項も参照。当地の新田開発者とされる平兵衛については上谷保村の出身とされるが、足跡は謎が多い[7][8][9]。 - ^ 小字はハケ
通 、ハケ下 、ハケ、ハラ[11]。 - ^ 1966年の町名決定の手続きについては公的記録がないが、住民へのアンケートで決定されたと伝わる[13]。町名の候補として、光町のほかに少なくとも「平兵衛町」「稲荷町」があったという[13]。
- ^ 3名の名前は次右衛門・勘左衛門・甚右衛門と伝わる[15]。
- ^ 「丑御年年貢皆済分」に「名主 平兵衛」の記載があり、享保20年まで年貢の徴収を担当している[16]。1736年には榎戸新田の名主・角座衛門が平兵衛新田の名主役を兼職する[17]。
- ^ 総反数は48町5反歩余、新田高99石余、等級は下々田[16]。
- ^ このとき、のちに国分寺村となる10カ村のうち平兵衛新田・榎戸新田・野中新田六左衛門組・中藤新田・上谷保新田の5カ村が韮山県に、国分寺村・恋ヶ窪村・内藤新田・戸倉新田・本田新田の5カ村が品川県に属した[24]。
- ^ 稲荷神社脇を北の高木町へ続く土地を1927年11月24日に平兵衛新田の共有地から分筆し、新道(当時は「新道坂」と称した)のために使用した[33]。
- ^ 以降、毎年10月14日「鉄道の日」前後の週末に鉄道総合技術研究所を一般開放して開催[53]。それ以前は創立記念日である12月10日に研究所を一般公開し、「平兵衛新田まつり」と呼称していた[53]。
- ^ 1969年(昭和44年)製造の車両で、1991年(平成3年)12月に財団法人鉄道総合技術研究所から国分寺市に無償譲渡された[53]。
- ^ 祭神は倉稲魂命[57][58]。光町の稲荷神社の創立年は『神社明細帳』に1725年(享保10年)、『北多摩神社誌』に1727年(享保12年)とあるという[57]。また、神社の倉庫に保存されていた旧拝社殿の梁に幕末期の1852年(嘉永5年)の墨書が発見されており、少なくともその当時には社殿が存在したことがわかる[59][60]。境内に八雲神社(主神は建速須佐之男命[61])、御嶽神社(大口眞神を祀る。御札には「武蔵野国 大口眞神 御嶽神社」とある[62])がある[63]。鳥居を越えてすぐに、ごく小さな太鼓橋が埋められているが、これは玉川上水から取水され観音寺(国分寺市西町)[64]に沿い現在の国立駅方面へ流れていた用水路[65][66]に架けられていた稲荷神社前の橋を移設したもの[67]。橋の欄干基部には1859年(「安政六巳年三月吉祥日」)と築造年が刻まれている[68][69]。2010年(平成22年)5月に当稲荷神社創立以来初めての結婚式がおこなわれた[70]。
出典
[編集]- ^ a b “年齢別及び町名・丁目別世帯人口”. 国分寺市 (2024年7月8日). 2024年7月14日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月12日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月12日閲覧。
- ^ 蘆田伊人 編『大日本地誌大系 第11巻 : 風土記稿7 新編武蔵国風土記稿.第7冊』雄山閣、1929年8月、32頁。NDLJP:1214877。国立国会図書館書誌ID:000000778662。
- ^ 光商栄会 2008, pp. 92, 198, 「平兵衛新田/歴史年表(江戸時代編)」「平兵衛新田の歴史」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 78, 198, 「平兵衛新田/歴史年表(江戸時代編)」「平兵衛新田の歴史」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 247–251, 「平兵衛さんミステリー考」.
- ^ 光商栄会 2011, pp. 79–81, 「平兵衛新田の小世界2(歴史・民俗・生活)」.
- ^ 「国分寺市光町の旧地名「平兵衛新田」 平兵衛の謎 追う 古文書など調査 地元・近藤さん経緯つづる」『読売新聞』読売新聞社、2008年11月9日、37面。「平兵衛新田の開発者とみられる「上谷保村の平兵衛」は、史料には1686年(貞享3年)に初めて名前が出てくる。しかし、1737年(元文2年)以降、平兵衛の名前は消えてしまう。 [...] 平兵衛の経歴は分からずじまいだったが、取材の過程で平兵衛の親族らしき女性の墓は発見できた。」
- ^ 光商栄会 2008, pp. 115, 198, 「平兵衛新田/歴史年表(明治元年~明治45年)」「平兵衛新田の歴史」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 115, 130, 「平兵衛新田/歴史年表(明治元年~明治45年)」.
- ^ “光町の由来|光町と新幹線”. 国分寺市 (2020年7月31日). 2024年7月13日閲覧。 “この地域は、大部分が大字平兵衛新田と呼ばれていましたが、当時より東海道新幹線の開発研究を行なった鉄道技術研究所(現在の鉄道総合技術研究所)があったことから、新幹線「ひかり号」にあやかり、「光町」と名づけられました。”
- ^ a b 光商栄会 2011, pp. 190–191, 「「光町」の町名決定の経緯について」.
- ^ 光商栄会 2008, p. 76.
- ^ a b 光商栄会 2008, p. 77.
- ^ a b 光商栄会 2008, p. 78.
- ^ 光商栄会 2008, p. 79.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 78–79.
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- ^ 光商栄会 2008, p. 180.
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- ^ 光商栄会 2008, p. 211, 「稲荷神社について : (1) 祭神」.
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- ^ 光商栄会 2011, pp. 85–88, 「稲荷神社本殿の調査について」.
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- ^ 光商栄会 2008, pp. 15, 36, 213–214, 「稲荷神社について : (8) 御嶽神社」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 15, 213–214, 「稲荷神社について : 「(7) 八雲神社」「(8) 御嶽神社」」.
- ^ “川崎平右衛門及び観音寺中興開山供養塔(観音寺)【市重要有形文化財】”. 国分寺市 (2022年6月6日). 2024年7月13日閲覧。
- ^ 光商栄会 2008, p. 55, 「平兵衛新田歴史マップ」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 10, 223–224, 「用水路の絵図面」「「用水路」について」.
- ^ 光商栄会 2008, pp. 10, 222, 「「稲荷坂」について」.
- ^ 光商栄会 2008, p. 216, 「稲荷神社について : (15) 太鼓橋」.
- ^ 光商栄会 2011, p. 13, 「鳥居下の太鼓橋(安政6年=1859年)」.
- ^ 光商栄会 2011, pp. 20, 97–98, 「稲荷神社初の結婚式について」.
- ^ “【61】国分寺市からの富士(東京都)|関東の富士見百景”. 国土交通省関東地方整備局 (2017年3月). 2024年7月17日閲覧。 ※pdf版『関東の富士見百景』(該当ページ)あり。
- ^ ウォーキングマップづくりの会 (2017年3月). “みんなでくにたちを歩こう健康ウォーキングマップ No.1 北の街 市境散歩” (pdf). 国立市健康増進課保健事業係. 2024年7月17日閲覧。 ※pdf配布元は東京都保健医療局ウェブサイト「「国立市」のウォーキングコース一覧|トーキョーウォーキングマップ」ページ。
参考文献
[編集]- 光商栄会・記念誌製作委員会 編『平兵衛新田 むかし・
現在 : 写真と歴史年表で知る光町』国立駅北口 光商栄会、2008年10月。 ※国立駅北口光商栄会創立30周年記念誌 - 光商栄会・記念誌製作委員会 編『平兵衛新田 むかし・
現在 〈別巻 : 写真と資料集で辿る光町〉』国立駅北口 光商栄会、2011年11月。国立国会図書館書誌ID:023574325。 ※国立駅北口光商栄会創立35周年記念誌。pp. 71-78に前著の正誤表あり。