久我通平
表示
時代 | 鎌倉時代前期 |
---|---|
生誕 | 建仁3年(1203年) |
死没 | 嘉禄2年(1226年) |
官位 | 正三位・右中将、越後権守 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇 |
氏族 | 久我家 |
父母 | 父:久我通光、母:藤原宗頼娘 |
兄弟 |
通平、通忠、宣通、通能、六条通有、 中院雅光、源雅忠、道朝、 式乾門院御匣、雅成親王妃 |
妻 | 正室:葉室光親娘 |
子 | 通教、基俊 |
久我 通平(こが みちひら)は、鎌倉時代前期の公卿。太政大臣・久我通光の長男。官位は正三位・右中将、越後権守。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 元久2年(1205年)3月9日、従五位下に叙される。
- 承元2年(1208年)12月29日、侍従に任ぜられる。
- 承元4年(1210年)1月6日、従五位上に昇叙。また同年12月24日、正五位下に昇叙。
- 建暦2年(1212年)1月13日、遠江権介を兼ねる。
- 建保2年(1214年)10月28日、右少将に任ぜられ、同年12月13日には禁色を許される。
- 建保3年(1215年)12月15日、左中将に任ぜられ、同日従四位下に昇叙。
- 建保4年(1216年)1月13日、因幡権介を兼ねる。
- 建保6年(1218年)1月5日、正四位下に昇叙。同年11月26日、春宮権亮を兼ねる。
- 承久元年(1219年)11月13日、従三位に叙され中将は元の如し。
- 承久3年(1221年)1月13日、越後権守を兼ねる。
- 貞応元年(1222年)11月26日、正三位に昇叙。
- 貞応2年(1223年)6月、高野山で出家。
- 嘉禄2年(1226年)、薨去。