禁色

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禁色(きんじき)とは、日本朝廷において、官人官位等に応じて禁じられた服装である。特定ののほか、地質等にも及んだ[1]平安時代9世紀半ば以降、特定の官人に上位の衣服を許す「禁色勅許」が出されるようになり、特権として重視された。逆に誰でも使用できる色のことを「ゆるし色」と言った。

位色と禁色[編集]

黄櫨染(平安) (webcolor)
  16進表記 #dd9159
黄丹 (webcolor)
  16進表記 #fc7f31
深紫 (webcolor)
  16進表記 #561649
深蘇芳 (webcolor)
  16進表記 #790505
深緋 (webcolor)
  16進表記 #a40522

8世紀初頭に制定された律令制では、「衣服令」において、位階に応じたの色(位色(いしき)、当色(とうじき)とも)が定められ、また、服色の順位が定められて、位色以上の色を用いることが禁じられた[1]。服色の順位は、黄丹蘇芳黄橡葡萄(以下略)となっていた。これに対し、位色は親王諸王および諸臣三位以上が紫、諸臣四位五位が緋、六位七位が緑、八位初位が縹であったので、それぞれ位色より上の色は禁色となった。また黄丹皇太子の位色として皇太子のみに許された色であり、「衣服令」に言及はないものの、黄櫨染天皇の正式な袍の色として、天皇以外の着用が許されない禁色であった。この黄櫨染と黄丹を、いくら官位が上がっても決して許されない色として、近代以降の用語として「絶対禁色」と呼ぶ者もある。

多様な禁色[編集]

赤白橡 (webcolor)
  16進表記 #e06351
青白橡 (webcolor)
  16進表記 #bfbd9e

時代が進むにつれ、朝廷の服装に変化が生じる中で、さまざまな服装に関する規則が生じた。それらの一部も禁色と呼ばれたが、特に支子色黄丹赤色青色深紫深緋深蘇芳の7色と、文様のある織物を「禁色」としてあげる考え方もある。しかし、この7色と有文織物の禁止の経緯や時期、対象はそれぞれであり、これらを一括して「禁色」とすること、特に7色を禁色勅許と関わるものとして理解することの有効性は、現在では否定されている[2]

このうち、黄丹、深紫、深緋、深蘇芳は、当色以上の服色を着てはならないという規定によるものに過ぎない[3]。支子色については、支子紅花交染すると黄丹とよく似た色になることから、元慶5年(881年)に禁令が出され、『延喜式』にも禁止の規定が掲載された[4]

赤色(赤白橡)、青色(麹塵青白橡とも)は、天皇に用いる色であるところから、禁色に含められて考えられたが、歴史的には常に天皇のみに許された色であったわけではない。赤白橡の袍は、10世紀の『延喜式』においては参議以上の着用が認められたが、平安時代後期には、天皇、太上天皇のほか、内宴や、行幸御幸等(ただし天皇・上皇が赤色袍を着ていない場合)に摂関が着用するのみとなった。ただし、青色袍とともに、元服前の童の装束(童装束)としても用いられた[5]

青色は青摺との関連が指摘され、また「衣服令」服色条の黄橡に相当するとも言われ、内宴賭弓等の特定の行事に際して官人が青色袍を着用したほか、女性の着用例もあり、青色そのものが身分によって制限されたものではなかった。しかし、平安時代後期にはこういった行事が衰退したため、青色の袍を着用するのは主に天皇と蔵人となった。ただし、の青色袍は地位によって着用が制限されており、六位蔵人がこれを着用できたのは禁色勅許によるものであった[6]

『延喜式』にはその他にも、に用いることができるのは五位以上であるとか、蘇芳色は公卿以上のみに許されるといった規定が見え、また禁色は下衣にも及ぶことや、女性は父親の位階に応じて服装が許されたことが示されている。また、深紅は染料の紅花が高価であること等から度々禁令が出された[7]。違反する服装の取り締りの厳しさは時代や状況によって異なるが、弾正台検非違使等によって破却されることもあった。

禁色勅許[編集]

9世紀半ばより、臣下に対し、禁色を勅許することが見られるようになった[8]。この禁色勅許は男性の場合、蔵人全般のほか、四位五位の一部の殿上人に下され[9]、彼らに公卿待遇の服装を認めるものであった。また女官女房に対する禁色の許可もあった。禁色を許すことを「色を聴(ゆ)る」とも言った。

禁色の勅許は天皇一代限りのもので、代替わりの際には無効となった。また、五位から四位への昇進の際にも無効となり、再度勅許を必要とした。

蔵人以外の殿上人への禁色勅許は、原則として大臣近衛大将の子か孫に与えられる特権で、これらの禁色を許された殿上人を特に「禁色人」とも称した。12世紀半ばには、禁色勅許の対象者は、後の摂関家清華家に相当する家の出身者に限定されるようになった[10]。特に摂関家の嫡流は元服と同時もしくは直後に禁色を許される慣例となった。

禁色宣旨の例(「康富記」より)

征夷大將軍左馬頭源朝臣義成
正三位行權中納言兼右衞門督藤原朝臣持季宣
奉 勅件人宜聽著禁色者
文安六年四月廿九日 大炊頭兼大外記清原朝臣業―奉


(訓読文)
征夷大将軍左馬頭源朝臣義成(のちの足利義政、正五位下)
正三位行権大納言兼右衛門督藤原朝臣持季(正親町持季)宣(の)る
勅(みことのり、後花園天皇)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく禁色を著(き)ることを聴(ゆる)すべし者(てへり)
文安6年(1449年)4月29日 大炊頭兼大外記清原朝臣業忠(従四位上)奉(うけたまは)る

男性官人が禁色勅許によって許されたのは、下襲半臂表袴公卿と同様の文様のある生地()や色を用いることであり、これは直衣指貫青色袍等にも及んだ。禁色を許されていない四位以下の官人(参議除く)は文様のない平絹を使わなければならなかった。また、禁色勅許を受けても、位色を超えたの着用は認められなかった(ただし11世紀頃には、位色は四位以上が黒、五位が緋に変化していた)[11]

女性に対する禁色の許可は不明な点が多いが、10世紀初頭から天皇の乳母等に禁色を勅許する例が見られる[12]。また女房の間の身分として、上臈や一部の女房のみに特定の服装(禁色)を許すことも見られた。これは、『満佐須計装束抄』の記述等から、青色、赤色の唐衣地摺りを許すものであったと考えられている[7]。青・赤の唐衣は染色ではなく織色であり、地摺りとはステンシルの要領で草木の汁などで模様を染め出したものだが、宮中では金泥・銀泥を用いた豪奢なものであったという。

脚注[編集]

  1. ^ a b 増田 2010.
  2. ^ 小川 1985, pp. 63-4. 小川によれば、このような主張は、江戸時代の有職故実研究の影響のもとに、井野辺 (1900)で「特種の色」の禁色と有文織物の禁色があったという認識が示された後、関根・加藤 (1917)によって1) 当色以上、2) 7色の特殊の色、3) 有文の織物の3種が禁色であると提示され、その後、この説が通説として長く踏襲された。なお、井野辺が特種の色としてあげたのは、黄櫨染、支子色、黄丹、紅、青、深紫であった。
  3. ^ 小川 1985, p. 63.
  4. ^ 井野辺 1900.
  5. ^ 小川 1991; 末松 2010.
  6. ^ 小嶋 1966; 津田 2009.
  7. ^ a b 鈴木 1984.
  8. ^ 大丸 1964; 小川 1985, p. 41; 茨木 1994. 知られる最も早い例は、仁寿1年(851年)の蔵人頭藤原氏宗、従五位下藤原仲縁六位蔵人藤原良縄に対する禁色宣旨である。
  9. ^ 小川 1985. 蔵人ではない殿上人への禁色勅許として知られるもっとも早い例は、仁和3年(887年)1月の藤原時平(従四位下)と源興基(正四位下)に対する宣旨である。
  10. ^ 小川 1985, pp. 60-2等.
  11. ^ 小川 1990.
  12. ^ 知られる最も早い例は、延喜3年(903年)の源封子源周子藤原淑姫(いずれも醍醐天皇更衣)に対する勅許である。

参考文献[編集]

  • 井野辺茂雄 「禁色考」、『考古』 第1巻第5号、1900年8月 
  • 関根正直; 加藤貞次郎 『有職故実辞典』 六合館、1917年 
  • 大丸弘 「禁色雑袍の風俗史的研究」、『風俗』 第3巻第3号、1964年2月 
  • 小嶋汀 「和様の成立: 特に青色について」、『関東学院女子短期大学 短大論叢』 第28巻、1966年 
  • 鈴木敬三、「禁色」、山中裕編 『国史大辞典』 吉川弘文館、1984年 
  • 小川彰 「古記録記事を通してみたる禁色勅許: 平安後期殿上人層を中心として」、『国史学』 (1985)第127号。 
  • 小川彰、「禁色勅許の装束について」、古代学協会編 『後期摂関時代史の研究』 吉川弘文館、1990年 
  • 小川彰、「赤色袍について」、山中裕編 『摂関時代と古記録』 吉川弘文館、1991年 
  • 茨木裕子 「平安朝服飾における聴許の流れ: 禁色・雑袍」、『服飾美学』第23号、1994年3月 
  • 津田大輔 「『西宮記』女装束条について: 女子装束における摺衣と青色」、『古代文化研究』第17号、2009年 
  • 末松剛、「摂関家における服飾故実の成立と展開 : 赤色袍の検討を通じて」 『平安宮廷の儀礼文化』 吉川弘文館、2010年 (初出2000年)
  • 増田美子編 『日本衣服史』 吉川弘文館、2010年ISBN 4642080317 

関連項目[編集]