モシン・ナガン
モシン・ナガン シリーズ | |
モシン・ナガン | |
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種類 | ボルトアクション・ライフル |
製造国 |
ロシア帝国 ソビエト連邦 フランス フィンランド エストニア アメリカ合衆国 ポーランド ハンガリー ルーマニア 中国 など多数 |
設計・製造 |
設計:セルゲイ・イワノビッチ・モシン、エミール・ナガン、レオン・ナガン 製造 :トゥーラ造兵廠(ロシア) イジェフスク造兵廠(ロシア) セストロレック兵器廠(ロシア) シャテルロー造兵廠(フランス) SAKO(フィンランド) レミントン(アメリカ合衆国) ウェスティングハウス(アメリカ合衆国) など多数 |
仕様 | |
口径 | 7.62mm |
銃身長 | 80.2cm |
使用弾薬 |
7.62mm×54R(ロシア) 7.62mm×53R(フィンランド) |
装弾数 | 5発(箱型弾倉・クリップ) |
作動方式 | ボルトアクション |
全長 | 130.5cm |
重量 | 4,370g |
銃口初速 | 810 m/秒 |
歴史 | |
設計年 | 1891年 |
製造期間 | 1891年 - 1970年代 |
配備期間 | 1891年 - 現代 |
配備先 |
ロシア帝国軍 ソ連赤軍 ロシア連邦軍 フィンランド国防軍 東側諸国 など多数 |
関連戦争・紛争 |
義和団の乱 日露戦争 第一次世界大戦 ロシア革命 ロシア内戦 フィンランド内戦 トルコ革命 スペイン内戦 第二次世界大戦 国共内戦 朝鮮戦争 ベトナム戦争 アフガニスタン紛争 ソビエト連邦の崩壊 シリア内戦 イラクでの戦い (2013–2017年) 2022年ロシアのウクライナ侵攻 など増加中 |
バリエーション | バリエーションを参照 |
製造数 | 3,700万丁以上 |
モシン・ナガン(ロシア語:винтовка Мосина (Vintovka Mosina), Мосин-Наган (Mosin-Nagant))は、ロシア帝国陸軍少将のセルゲイ・イワノビッチ・モシンとベルギーの銃器メーカーであるエミール・ナガン、レオン・ナガンのナガン兄弟が設計した五連発のボルトアクション式小銃。
1891年にロシア帝国の制式小銃M1891として採用される、単発式ボルトアクション小銃のM1870ベルダン小銃を更新した[1]。
1891年以来、3,700万丁以上が生産され[2][3]、歴史上最も大量生産されたボルトアクション軍用小銃の一つと数えられる。古い銃であるにもかかわらず、現在まで世界中に使用されている。
概要[編集]
モシン・ナガン小銃はM1891と同時に開発された7.62mm×54R弾薬を使用する。この弾薬は開発国のロシアを初め、21世紀に至るまで多くの国に制式採用されており、モシン・ナガン小銃が長らく使用される一因ともなっている。[4]
最初に生産されたM1891モデルのリアサイト(照門)はタンジェントサイトで、距離表尺の標示には、ロシア帝国独自の単位であるアルシン[注釈 1]が使われていた。全長は約130cmで、Gew88やリー・エンフィールドなど世界各国の同世代の軍用ボルトアクション小銃と比べて最も長い。
モシン・ナガン小銃の銃身のライフリングは右回りの4条で、ツイストレートは1:9.5インチまたは1:10インチ。5発の固定内蔵弾倉は、弾薬を一発一発に装填することもできるが、軍用では5発装の挿弾子で装弾することが一般的だ。構造を可能な限りシンプルにすることに重点が置かれ、そのため、メカニズムは7つの部品で構成され、トリガーは3つの部品のみで構成された。[1]
銃剣はスパイク型を使用。第二次世界大戦中のソ連赤軍では、銃剣は着剣状態で携行するため、鞘が付属しておらず、銃剣状態で射撃することが基本とされていた。照準も着剣状態に合わせて調整しているため、銃剣を外して撃つ場合、改めて調整し直さなければならなかった[5]。
1938年、日本陸軍画報社が発行した文書は、当時ソ連赤軍が使用するM1891/30モデルのモシン・ナガン小銃とその狙撃型の射撃性能について、次のように評価した:(原文を要約)
赤軍現用の一九三〇式小銃を使用する熟練射手は一分間に一〇発から一二発を発射します。弾道の低伸が大きな力を有っております。四〇〇米以内の射程ではその弾道下にある一切の目標を、七〇〇米以内では立姿の高さにある一切の目標を殺傷します。
赤軍狙撃兵の眼鏡照準器付小銃は、一〇〇〇米以上の射距離でも精確なる射撃によって重要目標、例えば敵の指揮官、機関銃手、観測手、連絡兵を殺傷する独立射撃を行ふことができます。眼鏡照準器は特殊光学硝子を有する円筒と照準装置から作られており視力を増大して照準をたやすくするばかりではなく、薄暮や月明でも使用できます。赤軍の指揮官はこの価値を認めて、上海戦の時家屋や家根裏にかくれた支那(中国)の狙撃兵はこの銃で日本軍に大きな損害を与えたと言っております。[6]
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M1891とスパイク銃剣
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M1891とスパイク銃剣
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モシン・ナガン小銃機関部図解
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7.62x54mmRの実包
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挿弾子による装弾
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M1891の遊底。1=ボルトハンドル、2=ボルトヘッド、3=ボルト本体、4=コッキングピース。1と2は回転するが、3と4は回転しない。
制式名称[編集]
採用当初、制式名称は口径にちなんで「スリーラインライフル Model 1891」(ロシア語:трёхлинейная винтовка образца 1891 года)と名付けられて、通称「スリーラインライフル」と呼ばれる。(英語:Three-line rifle、1900年代の日本語文献では「三リーニヤ銃[7]」または「三線銃[8]」と翻訳された)ここのラインは「Линия」というロシアの古い単位で、1ラインは0.1インチ、3ラインは0.3インチとなる。ミリメートルに換算すると、 3ラインは7.62 mmとなる。[1][9]
ロシア軍は新型小銃の開発トライアルに当って、(ドイツ小銃試験委員会と類似する)「小口径小銃試験品開発委員会(Комиссия для выработки образца малокалиберного ружья)」を設立した。委員会がトライアルの最終段階まで残ったモシン大尉(当時)とナガン社(以下、「ナガン」と称する)が別々と提出した小銃設計を評価した結果、モシン大尉の単純で堅牢かつ低コストの基礎設計に、ナガンが開発した挿弾子と弾倉の形など装弾に関する設計、そしていくつか委員会メンバー自身の意見を加えて、新型小銃の設計を決めた。[1][3]
このため、命名と権利について暫く揉めた。自分の設計と関連する特許を取得したナガンはロシア軍に対して訴訟を起こして権利金を要求した。ロシア軍は反発したが、後にナガンM1895拳銃を開発したナガンとの関係を維持するため、トライアル勝者とされるモシン大尉が受け取った金額に相当する20万ルーブルを支払った。最終的にロシア皇帝アレクサンドル3世の決断で、モシンとナガンの名前は冠名されず、「スリーラインライフル Model 1891」の制式名称が決められた[1]。モシンは軍で昇進を重ねて、小銃開発の功績で軍からも表彰された。その一方、ナガンはこの小銃について自分の功績を宣伝したため、「モシン・ナガン」の通称は西欧の新聞に掲載されるようになった[3][10]。
ソ連では1924年以降、この小銃は正式に「モシン・ライフル」と名付けられたが、「モシン・ナガン」の名はこの小銃の俗称に止まり、公式に使用されていない。また、いくつの発展型は公式で依然に単なるモデル番号で呼ばれる[1][10]
生産[編集]
モシン・ナガン小銃の最も生産された主要な型番はロシア帝国時代で製造されたM1891モデルと、ソ連時代で改修・製造されたM1891/30モデル。他にも多くの発展型が存在する。[11][12]
M1891モデル世代は歩兵用小銃、騎兵用に10cmほど短くなったドラグーン騎兵銃、ドラグーン騎兵銃と同じ長さだが着剣できないコサック騎兵銃の3種類があった。[8][13]また、短縮カービンのM1907モデルは1907-1914年間だけ少数生産された[14]
M1891/30モデル世代は主に歩兵用小銃と、短縮カービンモデルのM1938、M1938に折り畳み式スパイク銃剣を追加したM1944の3種類があった。また、歩兵用小銃モデルから改修した狙撃銃モデルも第二次世界大戦中に広く使用されていた[11][12][15]。
M1891の採用直後はロシア帝国の依頼により、フランスの国営シャテルロー造兵廠で約50万丁が生産された[1][5][11]。のちに国産化され、トゥーラ造兵廠、イジェフスク造兵廠、セストロレック兵器廠などの兵器工場で本格的に生産が開始。[1][11]
M1891はロシア帝国からソビエト連邦移行後の1920年代まで生産され続けた。いくつ改良は行われており、1924年には、E.カバコフとI.コマリツキーが、剣留めをスプリング式リングに変更してグラつきを無くした。パンシンは照星覆いを開発し、装弾クリップも単純化し、照尺も頑丈なものに変更された。
1930年4月28日には、M1891騎兵銃モデルをベースに、全長を短縮して、距離表尺の標示をメートル法にし、コストダウンを施したM1891/30が採用され、生産を開始した[5]。既存のM1891も多数がM1891/30へと改修された。M1891/30は続いて主にトゥーラ造兵廠とイジェフスク造兵廠で1940年代末まで生産されていた[17]。
第一次世界大戦中、ロシア帝国が国内生産数の不足を補うため、アメリカのニューイングランド・ウエスティングハウス社とレミントン社とそれぞれ180万丁と150万丁のM1891の生産契約を締結した[5]。レミントン社もこの頃はウィンチェスター社と同様にロシア軍に弾薬を供給していた。これら契約はロシア革命により完全に履行されず、すでに生産したものをロシア内戦中の白軍に売却、あるいはアメリカ政府が原価で購入する形で白軍とチェコ軍団に供与するに止まった[18]。また、一部のアメリカ製M1891小銃がアメリカの民間市場や訓練目的でアメリカ政府に売却された[11]。
第一次世界大戦後にロシア帝国から独立したフィンランドもモシン・ナガン小銃の主な使用国として知られる[11]。フィンランドは独立の際で国内に保管されているロシア軍のモシン・ナガン小銃を押収しただけではなく、直後に起きるフィンランド内戦とソ連との緊張な関係を対応するため、大戦中でドイツ帝国とオーストリア帝国がロシア帝国から鹵獲した余剰モシン・ナガン小銃、戦後に戦勝国のフランスとイタリアなどが戦争賠償として接収した前述の鹵獲小銃をも輸入した[19]。フィンランド政府は、銃器の調達費用を抑えるため、「物々交換」に近い形で、鹵獲品や援助で受け取ったモシン・ナガン小銃以外の銃器と弾薬を輸出する代わりに相手から不要のモシン・ナガン小銃を輸入する三角貿易を積極的に行った。一例として、1928年にフィンランドは日本の三十年式、三十五年式、三八式など有坂銃8,170丁と銃剣4,800本を武器商人経由でアルバニアに送り、チェコスロバキアとルーマニアの鹵獲品銃剣付きモシン・ナガン小銃13,000丁を報酬として受け取った[19]。フィンランドが獲得したモシン・ナガン小銃は、 状態が「使える」ものから「部品取り」のものまで様々だった。余剰部品が豊富となるにともなって、それで「新しい」小銃を製造し始めた[20]。
フィンランドは手持ちのM1891モデルを基に、複数の発展型を独自に改修・製造し、最終的には1970年代までモシン・ナガン小銃を生産していた[17][21]。フィンランド製モシン・ナガンの殆どは寄せ集めたオリジナルM1891から取り出したコア部品の機関部と遊底を基に、新しい銃身、銃床と照準器など部品を組み合わせて作り出した銃であった[21]。1930年代末、フィンランド軍は独自仕様のM/39小銃と共にモシン・ナガンの命中精度を向上させる独自規格の7.62×53mmR弾を導入したが、それ以降のフィンランド製モシン・ナガン小銃は依然に従来の7.62×54mmR弾薬を発射できる[22]。継続戦争まで、フィンランド国内には国産光学照準器の生産能力不足と設計不良によって狙撃銃モデルは僅かしか生産されず、戦時中にドイツから輸入した光学照準器や鹵獲したソ連狙撃銃から卸した光学照準器も数少ないため生産数は増えなかった。代わりに鹵獲品のソ連狙撃銃をそのまま使用するフィンランド兵士は多い[23]。そのような事情から、フィンランド軍はモシン・ナガン小銃のアイアンサイトの改良に拘って[21]、また、シモ・ヘイヘを代表とする当時の信頼性が低い光学照準器を嫌うフィンランド兵士も居る[24]。第二次世界大戦後、より優れた光学照準器が普及し、複数の近代化改修された競技用と狙撃銃モデルのモシン・ナガン小銃が開発・運用されていた。特に、Tkiv 85狙撃銃モデルは2020年代までフィンランド軍に配備されていた[25]。フィンランド製銃器の中、不完全ながら10万丁以上の運用記録は残されており、2024年時点でそれら銃に行われた修理や改造、参加した戦闘、優勝した射撃競技に関する歴史情報を追跡調査するインターネットサービス「Mosin.fi」は提供されている[26]。
フィンランドと同時期にロシアから独立したエストニアもロシア帝国から大量のモシン・ナガン小銃を継承しており、1920年代末、エストニア防衛連盟(エストニア語:Kaitseliit)がフィンランド製M/28-30モデルのモシン・ナガン小銃を受領し、さらにフィンランドから技術提供を受けていくつの発展型をソ連に占領されるまでに生産していた。[27]
第一次世界大戦後に独立を回復したポーランドはポーランド・ソビエト戦争で大量のモシン・ナガン小銃を鹵獲したため、1920年代にドイツGew98小銃に準ずるModel 98a小銃を採用した後、保有するモシン・ナガン小銃を7.92×57mmモーゼル弾を使用するKarabinek wz. 91/98/23とその発展型に改修した。
第二次世界大戦後、ポーランドを含めて、共産党に赤化されたチェコスロバキア、ルーマニアなど東欧諸国と中国は、ソ連から技術提供を受けてモシン・ナガン小銃を1950年代までに生産していた。[11][17]
21世紀において、軍用型の完全新造はほぼなくなったが、通称「フロロフカ」のスムースボア猟銃か.22LR口径に変更されるなど民生用銃器としての派生型の生産は続いている[28]。まだ、大量のモシン・ナガン小銃が軍用・民生を問わず使用されているため、改修用部品は製造され続けている[29]。
軍事運用歴史[編集]
1893年、パミール高原でのロシア軍小規模偵察部隊とアフガニスタン軍の衝突に初めて実戦でテストされた。[30]
1900年に起きた義和団の乱で、初めて大規模戦闘に実戦投入される。[31][32]
1904年の日露戦争時には約380万丁のモシン・ナガン小銃が投入された[1]。戦争中に日本軍は10万以上のロシア銃器を鹵獲した。これらロシア銃器は日本軍によって旅順港に保管され、後のシベリア出兵で鹵獲した分を含めて1920年代後半から1930年代前半にかけて再び使用された。1931年に日本が満州を占領した後、日本軍は親日の中国武装勢力にモシン・ナガンを含む大量の小銃を供給した[19]。
第一次世界大戦でもロシア軍の主力小銃として使用されていた。当時、流通していたモシン・ナガン小銃は約450万丁だったが、需要全体を満たすには程遠かった。そのためロシア政府は増産と国外発注と共に、不足分をウィンチェスター M1895小銃と、やや威力の劣る日本製の有坂銃で補充することにした[1]。大戦中に大量のモシン・ナガン小銃はドイツ帝国軍とオーストリア帝国軍に鹵獲されていて、鹵獲小銃の一部は、二線級部隊に支給されて、あるいはトルコなど他の中央同盟国に供与した[19]。
革命と内戦で混乱状態となった戦間期に起きた、ロシア内戦、フィンランド内戦、ポーランド・ソビエト戦争、シベリア出兵など紛争でも多数使用される。亡命した白系ロシア人と共に東欧諸国、モンゴル、中国にも流入した[19]。さらに、ソ連政府は中国内戦とスペイン内戦の際、当地の武装勢力にモシン・ナガン小銃を大量に輸出した[33][34]。
また、戦間期の混乱と治安悪化により、ロシア語で「オブレズ」(Obrez)と呼ばれる、隠匿携帯しやすくようにモシン・ナガン小銃の銃身と銃床を切り詰めるソードオフ改造拳銃が東欧に出回り始める。特にソ連ではオブレズ・ピストルのイメージがあまりにも広がっているため、内戦、第二次世界大戦、組織犯罪に関する映画には必ず登場すると認識されていた。[35]
1930年4月28日には、改良型のM1891/30がソ連赤軍に採用され、生産を開始した[5]。既存のM1891も多数がM1891/30へと改修された。
M1891/30が登場後に勃発した第二次世界大戦でもソ連赤軍とフィンランド軍の主力小銃として大量に使用され、ソ連に侵攻するドイツ国防軍も多数鹵獲したM1891とM1891/30に独自の名称を与えた。ただし、M1891モデルは標示にアルシンが使われていたため、自軍では使用していなかったが、ドイツ本国が危うくなった1944年から国民突撃隊に交付されるようになった[5]。
第二次世界大戦終結直前の1945年に、半自動小銃のSKSがソ連軍の主力小銃として採用され、置き換えが開始された。1949年には、革新的な自動小銃であるAK-47への更新が進められ、1950年代になるとSKS共々、第一線の歩兵部隊では使用されなくなっていった。
第二次世界大戦後、モシン・ナガンは時代遅れになりつつあったが、その後も何十年も東側諸国および世界の他の地域で使用され続けた。モシン・ナガン小銃は、朝鮮半島やベトナムからアフガニスタン、ヨーロッパの鉄のカーテン沿いまで、冷戦の多くの戦線で使用された。予備の備蓄としてだけでなく、前線の歩兵兵器としても保管された。
冷戦中にソ連、中国、東欧諸国から軍事援助を受けたほぼすべての国が、さまざまな時期にモシン・ナガンを使用した。ソ連の影響圏内の中東諸国(エジプト、シリア、イラク、アフガニスタン、パレスチナの戦闘員)は、他のより近代的な武器に加えてモシン・ナガンを受け取った。モシン・ナガンは、1980年代のソ連アフガニスタン戦争とそれに続く1980年代後半から1990年代の内戦の間、アフガニスタンのソ連軍、アフガニスタン軍、ムジャヒディーン軍の手に渡り、実戦に使用された。[36][37]
モシン・ナガン小銃は、21世紀の世界各地の戦場で今も見受けられる。狙撃銃モデルが2011年から始まるシリア内戦にも使用されていることは特に知られる[38]。シリアの反政府勢力は装備が不足しているためにモシン・ナガン狙撃銃を使用しているとすれば、シリア軍はより優れた最新の狙撃銃を持っているにもかかわらず、その大きな利点のために依然としてとしてモシン・ナガン狙撃銃を使用している。モシン・ナガン狙撃銃の技術的および戦術的スペックは、同口径の現代狙撃銃に匹敵するものではないが、シリア軍が使用しているより近代的なドラグノフSVDやMT-116Mなど狙撃銃は、モシン・ナガンよりも重量があり、ファインダーを備えた複雑な照準機構を持っていて使用するには訓練が必要のため、すべての部隊に支給するに適さない。またモシン・ナガンはSVD狙撃銃やPKM機関銃と同様の標準的な7.62x54mm弾を使用するため、弾薬の供給はシリアでは大きな問題ではない。そのため、モシン・ナガン狙撃銃の一見時代遅れの設計は、シリア都市部の戦闘環境でうまく「生き延びる」のに役立ち、シンプルな構造、高い信頼性と精度を備えた強力な狙撃銃と考えられるようとなっている。[39]
ロシアは、2022年ロシアのウクライナ侵攻の際、広範な総動員の一環として、ドンバス両占領地域の徴集兵と徴兵されたロシア民間人にモシン・ナガン小銃を支給した。[40][41]
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日露戦争、モシン・ナガン小銃を携えて行進するロシア兵士達。
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日露戦争、旅順攻囲戦、M1877 152mmカノン砲を操作するロシア兵士達。背中に長大なモシン・ナガンM1891小銃を背負う。
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第一次世界大戦の東部戦線、モシン・ナガン小銃を背負って前線へ赴くロシア兵士達。
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第一次世界大戦、1916年、モシン・ナガン小銃コサック仕様を携行しながら負傷者を運ぶコサック騎兵の画報。
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1991–1992年グルジアのクーデター(トビリシ戦争)、国会議事堂の裏を盾にPU照準眼鏡付モシン・ナガン狙撃銃を構える親政府軍兵士。
民生運用[編集]
ソ連/ロシアでは、銃剣を取り除いた軍放出品の余剰モシン・ナガン小銃が民間の猟銃またはスポーツライフル銃として販売されている。また、モシン・ナガンの機構は、限られるながら市販民生銃器の製造にも使用されており、最も有名なのは、1960年代と1970年代にヨーロッパに輸出されたボストーク(Vostok)ブランドのターゲットライフルで、標準の7.62×54mmR弾と、長距離標的射撃用に設計された元の弾薬のネックダウンバージョンである6.5×54mmR弾を装填している。6.5×54mmRライフルは、国際オリンピック委員会が競技規則を改訂して射程距離を50メートルに短縮し、すべての競技者に.22LR口径のライフルの使用を義務付けるまで、ソ連のオリンピックバイアスロンチームの標準ライフルでした。
戦間期に米国国内に残されたウェスティングハウス社とレミントン社製M1891の一部は、米国政府から民間射撃プログラムを通じて米国の民間人に販売された。ミリタリー用品卸売業者フランシス・バナーマン・アンド・サンズ社(Francis Bannerman and Sons)によって使用口径を米国の.30-06スプリングフィールド弾に改造されたモデルも市場に出回っている。[18][42]
冷戦終結後、東側諸国で予備兵器として保管されたモシン・ナガン小銃は自由市場に放出されて、7.62mm×54R弾と共にアメリカにも流入された。また、フィンランドも1970-1980年代に余剰となったモシン・ナガン小銃を米国市場に売却した[43]。2010年代までに供給量が多かったため、価格は安く、アメリカの買い手はわずかなお金でモシン・ナガン小銃を手に入れる。米国が世界最大のモシン・ナガン中古市場[43]となるこの時期、モシン・ナガン小銃の民生需要が活発となり、メーカーはさまざまなアフターマーケット部品を生産し始め、使用者は高額を費やすことなくモシン・ナガン小銃をターゲットや狩猟用ライフル銃に改修できるようになった。[36]
21世紀の基準で、その19世紀の設計と製造技術的制限から来る重量と人間工学設計は欠点なっており、モシン・ナガンは決して最高の狩猟用ライフルではないが、依然に実用的な狩猟用ライフルであり、射撃競技にもよく使用される。適切な狩猟用弾薬を使用すれば、モシン・ナガンは大型のヒグマ、ハイイログマ、ホッキョクグマなどを含める北米のあらゆる動物を効果的に仕留めることができる。本国ロシアでは、役割に適した精度で、最も大きなヘラジカやヒグマまでを仕留める汎用狩猟用ライフルと見なされている。軍の余剰弾薬を使用した場合の精度は通常3~4MOAだが、これは軍用規格のモーゼルやスプリングフィールド小銃、あるいは古典的な狩猟用ライフルと同等であり、適切な精度向上テクニックと良質の弾薬を使用すれば1MOA以下の精度で射撃できる。ほとんどの射手が、良い弾薬、光学機器、そして良いライフルを使用する場合、一貫して良い命中率を達成できる最大有効射程距離は約500ヤード(約450m)と考えられる。例外的に900ヤード(約820m)まで精度を上げる射手も居る。モシン・ナガンの弾丸は、1,000ヤード(約910m)離れた鹿を殺すのに十分なエネルギーを持っている。[44]
かつてロシアでは、日本の古い村田銃のように、軍から放出された余剰小銃の銃身をスムースボアの物に変更する、「フロロフカ」(ロシア語: Фроловка)と呼ばれる民生用散弾銃への改造は人気があった。口径としては、24/28/32番径などがよく見られたほか、16番径や20番径のモデルも比較的少数あった。1920年代、大量に残されていた老朽化した小銃の処分も兼ねていて、軍用モシン・ナガン小銃から改造した安価な猟銃はソ連に出回っていた。1980年代までにオリジナルのフロロフカはほとんど使われなくなっていたが、同種の銃は現在でも市場に流通している。2013年、かつての「フロロフカ」と類似する、モシン・ナガンのカービンモデルに基づいて、 1944年で考案された「パラドックス」タイプのドリル滑腔銃身を備えた「ムーフロン-410」(Муфлон-410)という、ライフルに近い命中精度を発揮できる特殊スラッグ弾を使う散弾銃[45]は発表されて、ロシアの銃規制でライフル購入に必要の5年の散弾銃所持経験がなかった射手の間である程度の人気を博した。後にライフル銃の法的定義に関するロシア連邦法の改正により生産中止されたが、すでに生産された物は依然に中古市場に流通している。[46]
バリエーション[編集]
ロシア/ソ連製[編集]
- M1891
- ロシア帝国時代から使われている小銃、第二次大戦時もほとんどが現役。ドイツ軍の呼称名はGew252(r)。
- M1891 ドラグーンとコサック
- M1891の騎兵銃モデルで10cmほど短い。前床・後床の側面にスリングを通す穴が空いている。この2つのモデル主な違いは、ドラグーン仕様は銃剣を装着した状態で照準が合わせられるのに対し、コサック仕様は銃剣が付属していない。[13]
- M1907
- 砲兵など後方人員向けの短縮化カービンモデル。ドラグーンモデルよりも短く、前床・後床の側面にスリングを通す穴があり、銃身全体を木部で覆っている。着剣不可。反動や発射炎過大などの問題点が報告されて、さらに標準仕様小銃の需要が高まったため、第一次世界大戦が始まる1914年に生産中止された。[14]
- M1891/30
- ソ連時代で再設計したM1891ドラグーンをベースにした改良型。全長の短縮化、機関部の簡略やコストダウンが図られ、照尺の表示がメートル法に改められた。狙撃銃としても使用された。ドイツ軍の呼称名は小銃型がGew254(r)であり、狙撃銃型は7.62mm ZielGew256(r)。
- 狙撃銃モデルに装着する光学照準器は、1931-1940年に生産された3.87×30 PE型照準眼鏡、前者を簡略化し1936-1940年に生産されたPEM型照準眼鏡[47]、そして1940年以後に生産された3.5×21 PU型照準眼鏡に分けられる。PU型照準眼鏡は元々SVT-40半自動小銃向けに設計された物だったが、1942年秋からはモシン・ナガン小銃にも装着されている[48]。PU型はより軽量かつ低コストで実用性もPEまたPEM型と殆ど差はなく、最も量産された。大戦後にも生産されて、長らく使用されている。[49]
- M1938
- M1891/30をさらに短縮化したカービンモデル、着剣装置廃止。ドイツ軍の呼称名はKar453(r)。.
- M1944
- M1938に折りたたみ式スパイク銃剣を装備した改良型。ドイツ軍の呼称名はKar457(r)。
- M1891/59
- 戦後の1959年にM1891/30をM1938カービン銃に準ずる長さに短縮したモデル。M1938がカービン用リアサイトを備えているのに対し、M1891/59は、上限の射程距離の目盛りが削り取られたM1891//30のリアサイトが備えられる。銃剣が付属しておらず。
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M1891
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M1891 ドラグーン(ボルトがロック解除位置にある)
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M1891/30
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M1891/30 PU狙撃銃、PU 3.5×21 照準眼鏡付き
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M1938
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M1944
フィンランド製[編集]
- M/91
- M1891ライフルのフィンランド型番
- M/91rv
- M1891ドラグーン・ライフルのフィンランド型番
- M/24
- 民間防衛隊フィンランド白衛軍が発案した初めてフィンランド国内で設計された、白衛軍の銃器工場SAKO(フィンランド語:Suojeluskuntain Ase- ja Konepaja Oyの略称、「民間防衛隊の銃器と機械工場」の意、現SAKO社)による既存小銃を改修したモデル。国内では非常に著名である。改修用にスイスの銃器メーカーSIGとドイツの三つの会社からなる製鋼会社組合ボラー・スタール(Bohler-Stahl)から銃身を輸入していて、一部の銃身にそれら会社の製造刻印がある。[19][50]
- M/27
- フィンランド正規軍向け小銃。国産銃身を使用する。製造はTikka社(Oy Tikkakoski Ab、現Tikkaブランド、1983年SAKO社と合併した)。
- M/27rv
- M27の騎兵銃モデル。
- M/28
- フィンランド白衛軍向け小銃。
- M/28-30
- M28のアップグレード版。シモ・ヘイヘ、スロ・コルッカが使用。優れたアイアンサイトと命中精度は高く評価される。[21][51]
- 白衛軍は銃器を製造・改修する資金を捻出するため、構成員が自費で資金を払えば小銃を自宅に保管・使用できる計画を実施しており、ヘイヘのような金を支払て自前のM/28-30小銃を獲得し、平時から愛用していたその銃で冬戦争に参戦した兵士は多い。[52]
- 1937年、フィンランド首都ヘルシンキで開催されたISSF世界射撃選手権大会のライフル競技に、白衛軍の銃器工場SAKOが製造した、シリアル番号の前に「MM」という特別な表示が付けられる番号48791~49467までの特注品が使用された。[注釈 2]大会後、優勝したフィンランドチームを率いて、個人金メダリストも獲得したオラヴィ・エロ(Kauko Olavi Elo)が使用したシリアル番号49334の小銃はフィンランド狩猟博物館に保管された。他の小銃は白衛軍の在庫に戻されて、後の冬戦争に参加した。[51]
- M/91–35
- フィンランド軍が、正規軍のM/27と白衛軍のM/28およびM/28–30の両方を置き換えるために提案したモデル。白衛軍は、M91/35は精度が低く、発射炎が大きすぎるとして、この計画に強く反対した。結局採用されず、代わりにM/39に取って代わられた。
- M/39
- 正規軍と白衛軍の意見を総合して、モシン・ナガンの生産を標準化するために採用されたモデル。モシン・ナガン小銃コレクターの間ではフィンランド製モシン・ナガンの最高量産型と評価されている[21]。フィンランド独自の7.62×53mmR弾と共に導入したが、7.62×54mmR弾も使用できる[22]。ペール・スヴィンヒュー元大統領にちなんで「ウッコ・ペッカ」(Ukko-Pekka)という愛称で呼ばれる。冬戦争の終結までに完成した小銃はわずか10丁だったが、冬戦争後に96,800丁が生産され、継続戦争で使用された。1960年代後半から1973年にかけて、残った部品から少数が組み立てられ、総生産数は約102,000丁となった[21]。
- M/28–57
- M/28–30をベースにする1957年改修仕様。CISM 300m標準ライフル競技用の軍用ターゲットライフル。[53]
- M/27–66
- M/27をベースにする1966年改修仕様。CISM 300m標準ライフル競技用の軍用ターゲットライフル。[53]
- M/28–76
- M/28–30およびM/28–57ライフルをベースにする1976年改修仕様。狙撃銃兼CISM 300m標準ライフル競技用のターゲットライフル。[53]
- M/85
- より包括的な近代化改修仕様。Tkiv 85スナイパーライフル[25]とCISM 300m標準ライフル競技用のターゲットライフルの2つの派生型が製造された。
エストニア製[編集]
- M1933
- または1891/33、エストニア軍の標準小銃。
- M1938
- M1933の派生型。
- KL300
- エストニア防衛連盟向け派生型。
- M1935
- M1933の短縮型。
ポーランド製[編集]
- wz.1891
- M1891のポーランド型番。
- Karabinek wz. 91
- 騎兵銃モデル。
- Karabinek wz. 91/98/23
- 使用弾は7.92x57mmモーゼル弾になっており、モーゼルGew98のストリップ式クリップがそのまま使用できる。略称はwz. 91/98/23
- Karabinek wz. 91/98/25
- Karabinek wz. 91/98/23の改良型。装着できる銃剣がGew98のSeitengewehr 98になっている。略称はwz. 91/98/25
- Karabinek wz. 91/98/26
- Karabinek wz. 91/98/25の改良型。略称はwz. 91/98/26
- wz.1891/30
- wz.1891の近代改修型。
- wz. 44
- 戦後型、ソ連M1944カービン銃のポーランド製バージョン。
- wz. 48
- ソ連M1938カービン銃を基に作られた単発軍事訓練用銃。チェコとポーランドの軍事士官候補生の訓練に使用された。.22LR口径。
チェコスロバキア製[編集]
- vz. 91/38
- M91/59に似てる、ソ連M1938スタイルのカービン。製造数は少なく、製造理由は不明。ソ連M1944モデルと同様に、ストックの右側に銃剣溝が刻まれていますが、銃剣が含まれていない。
- vz. 54
- M1891/30をベースにした狙撃銃。チェコ製の2.5倍の照準眼鏡と独自のリアサイトを使用する[54]。
- vz. 54/91
- vz. 54狙撃銃の近代化改修型。ドラグノフSVD狙撃銃にも使用されているソ連製のPSO-1照準眼鏡を装着できる。vz. 54のアイアンサイトは残っている。
中国製[編集]
- 53式歩騎槍
- ソ連製M1944カービンの中国製バージョン。米国に輸入された53式の多くは中国製の部品と余剰のソ連製部品の両方から製造された。大半の53式には折り畳み式銃剣を備えているが、そうでないものもある。1960年代から1970年代にかけて、多くの53式がインドシナ半島の共産主義武装勢力、ベトコンおよびカンボジアのクメール・ルージュに供与された。また、1960年代には中国が軍事援助としてアルバニアとアフリカの数カ国にも相当数の53式を供与した。1990年代後半、コソボ解放軍がアルバニアから再供与されたと思われる53式を所有していた。
アメリカ製[編集]
- U.S.マガジンライフル 7.62mm モデル1916
- 第一次世界大戦中、ロシア政府が米国の銃器メーカーに製造を依頼したモデル。米国の収集家はこれらのライフルを「U.S.マガジンライフル 7.62mm モデル1916」( U.S. Magazine Rifle, 7.62mm, Model of 1916)と呼んでいるが、この呼称の正式な出典はこれまで示されていない。公式の文書で、これらのライフルは「Russian three-line rifle, caliber 7.62mm (.30 inches)」と記載される。
モシン・ナガン小銃を使用した有名な狙撃手[編集]
- シモ・ヘイヘ - フィンランド仕様のモシン・ナガンM/28-30を愛銃としたフィンランド狙撃手。
- スロ・コルッカ- フィンランド仕様のモシン・ナガンを愛銃としたフィンランド狙撃手。
- ヴァシリ・ザイツェフ - ソ連軍の名狙撃手の一人。2001年映画『スターリングラード』の主人公のモデルとしても知られる。
- リュドミラ・パヴリチェンコ - ソ連軍の名狙撃手の一人。女性兵士。
- フョードル・アフラプコフ - ソ連軍の名狙撃手の一人。
- ヤコブ・パブロフ - ソ連軍の名狙撃手の一人。
- ローザ・シャーニナ - ソ連軍の名狙撃手の一人。女性兵士。
登場作品[編集]
映画[編集]
- 『スターリングラード』(2001年)
- ヴァシリ・ザイツェフが狙撃銃仕様を使用する。映画にはモシン・ナガン狙撃銃の運用について概ね正確的に描写されている。しかし制作当時に歴史考証もしくは道具獲得は難しいためか、映画中のザイツェフは、史実の1942秋時点で使用していたはずのPEまたはPEM型照準眼鏡付狙撃銃ではなく、1943年冒頭まで前線に配備されていないPU型照準眼鏡付狙撃銃を使用する。[55]
小説[編集]
- 『強行偵察』
アニメ・漫画[編集]
- 『黒執事』
- 単行本第8巻に登場。
- 『ゴールデンカムイ』
- 永倉新八が北海道独立を目論む土方歳三に提供した試供品として登場した他、ロシア国境警備隊の狙撃兵が使用する。
- 『ブンダバー!』
- ソ連兵が使用。
- 『天空侵犯』
- スナイパー仮面の使用武器として登場。
ゲーム[編集]
- 『Alliance of Valiant Arms』
- 有料ガチャのジャックポットで入手可能。
- 『Escape from Tarkov』
- 『PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS』
- 『surviv.io』
- Mosin-Nagantとして登場。
- 『アドバンスト・スコードリーダー』
- 『クロスファイア』
- 有料ガチャで入手可能。
- 『大戦略シリーズ』
- 『ドールズフロントライン』
- 『Rising storm 2 vietnum』
ベトナム歩兵軍の兵装MOSIN NAGANT 91/30 RIFLE として登場。
- 『ペーパーマン』
- 『メタルギアソリッド』シリーズ
- 『MGS3』でジ・エンドが麻酔銃仕様かつ折曲銃床型に改造したものを使用[注釈 3]。プレイヤーもジ・エンドを麻酔銃で倒すことで使用できるようになる。『MGS4』でも使用できるほか、『MGSPW』では設計図を手に入れることで開発できる。
- 『バトルフィールド1』
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i j “The legendary Mosin-Nagant rifle | Rigad.com” (英語). www.rigad.com. 2024年6月26日閲覧。
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- ^ Forgotten Weapons (2024-02-07), Everything Wrong with the Sniper Rifles in "Enemy at the Gates” 2024年6月28日閲覧。
関連項目[編集]
- 小銃・自動小銃等一覧
- フロロフカ (銃)
- ウィンチェスター M1895 - 第一次世界大戦中、小銃の不足を補うため、ロシア帝国は7.62mm×54R弾とモシン・ナガン小銃用の挿弾子を使用できるように改修したレバーアクション式ウィンチェスター M1895小銃をアメリカから輸入した。
リンク[編集]
- 7.62x54R.net (英語)
- Modern Firearms (英語)
- MOSIN-NAGANT.NET (英語)