ベニート・カルボーネ

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ベニート・カルボーネ
名前
ラテン文字 Benito Carbone
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1971-08-14) 1971年8月14日(52歳)
出身地 バニャーラ・カーラブラ
身長 168cm
体重 67kg
選手情報
ポジション FW (ST) / MF (AMF)
利き足 右足
ユース
1987-1988 イタリアの旗 トリノFC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1990 イタリアの旗 トリノ 7 (0)
1990-1991 イタリアの旗 レッジーナ (loan) 31 (5)
1991-1992 イタリアの旗 カゼルターナ (loan) 32 (4)
1992-1993 イタリアの旗 アスコリ (loan) 28 (6)
1993-1994 イタリアの旗 トリノ 28 (3)
1994-1995 イタリアの旗 ナポリ 29 (4)
1995-1996 イタリアの旗 インテル 32 (2)
1996-1999 イングランドの旗 シェフィールド・ウェンズデイ 96 (25)
1999-2000 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 24 (4)
2000-2002 イングランドの旗 ブラッドフォード・シティ 42 (10)
2001-2002 イングランドの旗 ダービー・カウンティ (loan) 13 (1)
2002 イングランドの旗 ミドルズブラ (loan) 13 (1)
2002-2003 イタリアの旗 コモ 22 (2)
2003-2004 イタリアの旗 パルマ 19 (4)
2004-2005 イタリアの旗 カタンザーロ 27 (7)
2005-2006 イタリアの旗 ヴィチェンツァ 28 (5)
2006 オーストラリアの旗 シドニー (loan) 3 (2)
2007-2010 イタリアの旗 パヴィーア 80 (27)
代表歴
1989 イタリアの旗 イタリア U-18 7 (4)
1989-1994  イタリア U-21 8 (3)
監督歴
2010-2011 イタリアの旗 パヴィーア (ユース)
2011 イタリアの旗 パヴィーア
2011 イタリアの旗 ヴァレーゼ
2012-2013 イタリアの旗 ヴァッレー・ダオステ
2015 イタリアの旗 プロ・セスト
2016-2017 イタリアの旗 テルナーナ
2017-2018 イタリアの旗 クロトーネ (アシスタント)
2018-2019 イタリアの旗 ヴェネツィア (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ベニート・カルボーネ(Benito Carbone、1971年8月14日 - )は、イタリアバニャーラ・カーラブラ出身の元サッカー選手であり現サッカー指導者。ポジションはFWまたはMF。知名度は決して高くないが、ナポリインテルコモなどで背番号10番を背負ったファンタジスタ。

クラブ経歴[編集]

トリノ[編集]

カルボーネが地元のアマチュアクラブであるASシッラ・カルチョでプレーしていた際、トリノによってスカウトされ、ここで本格的にサッカーを始めた。1989年1月15日、ピサとの試合でセリエAデビューを飾り、このシーズンはリーグ戦3試合に出場した。しかし、チームはセリエBに降格。カルボーネはトリノに留まったが、2部の舞台でも5試合しか出場機会を与えられなかった。

レッジーナ、カゼルターナ、アスコリへのレンタル[編集]

1990-91シーズン、セリエBのレッジーナへレンタルへ出され、リーグ戦31試合で5得点を挙げた。翌シーズンもレンタル移籍でカゼルターナに、1992-93シーズンも引き続きアスコリへレンタルされた。

トリノ復帰とナポリへ移籍[編集]

1993-94シーズンにトリノへ復帰し、28試合3得点を記録。1994年夏の移籍市場でASローマから関心を持たれたが[1]ダニエル・フォンセカの代役としてSSCナポリに移籍金7.5億円で移籍した[1]。背番号は10番。ナポリでは1シーズンのみの在籍だったが、リーグ戦29試合で4ゴールを挙げ、この年参加したUEFAカップでは5試合中3得点を記録した。しかし、インテルへの移籍は後味が悪いものとなった。当時のナポリの監督ヴヤディン・ボシュコヴはカルボーネに対し、「彼がこの移籍交渉で我々に仕掛けた行動は実にばかげている。彼はチームメイトをも裏切ったのだ。」と強く非難した[2]

インテル[編集]

前述の通り、カルボーネは1995年夏にインテルへ移籍金約6億円で移籍した。同時期に加入した選手にはポール・インスロベルト・カルロスハビエル・サネッティらがいる。初年度はリーグ戦31試合2得点を挙げたが、翌シーズンはロイ・ホジソン監督の構想外となり、出場機会が激減したが、10月まではチームに残った。

シェフィールド・ウェンズデイ[編集]

1996年、移籍金約3億円でシェフィールド・ウェンズデイFCに移籍した。ウェンズデイでカルボーネは2シーズン目からパオロ・ディ・カーニオと共にプレーし、1998-99シーズンにはファン選出のクラブシーズン最優秀選手に選出された[3]。1999-20シーズン、クラブとの契約延長交渉が破談に終わり、クラブを退団した。

アストン・ヴィラ[編集]

1999年、アストン・ヴィラに移籍した。アストン・ヴィラでいまでも語り草となっているのがFAカップリーズ・ユナイテッドFC戦で、この試合カルボーネはハットトリックを達成した。そのうちの1つにおよそ35ヤードの位置から決めたミドルシュートがある。この試合の前日、ヴィラの監督ジョン・グレゴリーは、ホームシックにかかっていたカルボーネを試合で起用することを渋ったが、結果、この起用は大成功となった[4]。1999-00シーズンのヴィラはFAカップで決勝に進み、チェルシーFCとの決勝ではカルボーネとディオン・ダブリンが2トップのコンビを組み、ともに先発フル出場したが、0-1で敗戦した[5]。2000-01シーズン開幕当初、ACFフィオレンティーナ、ナポリ、ペルージャエヴァートンFCコヴェントリー・シティFCらがカルボーネ獲得に興味を示した[6]。特にルイ・コスタの代役としてフィオレンティーナ移籍が最も噂されたが、この移籍は実現しなかった。

ブラッドフォード・シティ[編集]

プレミアリーグ降格圏を漂っていたブラッドフォード・シティAFCに移籍した[7]。2001年はダービー・カウンティFC、2002年はミドルズブラFCにレンタル移籍した[8]

イタリア復帰後[編集]

ブラッドフォード・シティを去った後、イタリアに帰還してカルチョ・コモに移籍した。2003年から2005年はパルマ・カルチョに在籍した。パルマでは、チェザーレ・プランデッリ監督の下、カルボーネは全盛期の輝きを取り戻した。しかし、パルマは金銭的な問題からチーム内のアドリアン・ムトゥ中田英寿ようなスター選手を放出しなければならなかった。2003-04シーズンはアルベルト・ジラルディーノと攻撃陣をけん引した。 カルボーネはプランデッリに、当時最先端の戦術だったポジショナル・プレーのあれこれを教え、プランデッリの後の成功に大きく貢献した[9]

ヴィチェンツァ・カルチョでの1シーズンの後、オーストラリアAリーグシドニーFCに4試合のみの契約でレンタル移籍した。デビュー戦となったアデレード・ユナイテッドFC戦では1ゴール2アシストを演出し、その試合のMOMに選ばれた。しかし、3試合目でハムストリングを負傷し、ラスト1試合は欠場することになった。クラブ退団時、カルボーネはいつか監督としてシドニーFCに復帰することを約束した[10]

イタリアへ戻ってきたカルボーネはACパヴィーアに加入した。パヴィーアでは加入直後からキャプテンの就任した。セリエCの舞台で29試合5得点を挙げ、降格回避に大きく貢献した[11]

代表経歴[編集]

フル代表ではプレー経験がないが、U-18イタリア代表では1989年に7試合4得点を記録した。U-21サッカーイタリア代表としてはUEFA U-21欧州選手権1994に参加した[12]。大会では3得点を挙げ、大会制覇に貢献した[13]

人物[編集]

  • 2013年1月、デイリー・メールで当時のシェフィールド・ウェンズデイFCにはイングランド人選手と外国人選手の間に亀裂が生じていたと語った。イングランド人は飲酒が好きで、よくカルボーネら外国人選手に対して飲みに誘ったが、外国人選手たちは飲酒が自身の体に与える影響を考慮していつも断っていた。そのため、ロッカールームにはイングランド人選手グループと外国人選手グループの間で深い溝があったと語った[14]
  • カルボーネは金に目がないサッカー選手だと非難されている。理由としては1年もしくは2~3年単位で所属するクラブを変更するためである。しかし、所属したクラブのサポーター間ではとても人気であり、特にシェフィールド・ウェンズデイFCブラッドフォード・シティAFCではカルボーネの活躍から、いまだに人気が衰えていない。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

トリノ
アストン・ヴィラ

脚注[編集]

  1. ^ a b Calciatori ‒ La raccolta completa Panini 1961-2012. Panini 
  2. ^ Vujadin Boskov - Frasi Celebri” (イタリア語). clementi.it (2007年5月4日). 2015年8月10日閲覧。
  3. ^ “Sheff Wed: Beni bust-up”. BBC News. (1999年8月3日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/fa_carling_premiership/410191.stm 2020年5月30日閲覧。 
  4. ^ “Carbone magic kills off Leeds”. BBC News. (2000年1月30日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/fa_cup/624651.stm 2020年5月30日閲覧。 
  5. ^ “Chelsea claim FA Cup glory”. BBC News. (2000年5月20日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/fa_cup/756784.stm 2020年5月30日閲覧。 
  6. ^ “Villa destroy Goodison's dream”. BBC News. (2000年2月20日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/sport/football/fa_cup/649868.stm 2020年5月30日閲覧。 
  7. ^ “Bradford City v Swansea City: Carbone calls for Bantams passion”. BBC Sport. (2013年2月18日). https://www.bbc.co.uk/sport/0/football/21326489 2020年5月30日閲覧。 
  8. ^ “Old boys haunt Villa”. BBC. (2002年4月6日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_prem/1911314.stm 2020年5月30日閲覧。 
  9. ^ “Benito Carbone reveals the incredible financial sacrifice he made just to keep Bradford alive: 'It cost me £3m but I could not kill my club”. Daily Mail. (2013年1月7日). http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2258624/Benito-Carbone-interview-Former-Bradford-Aston-Villa-striker-looks-eventful-career-England.html 2020年5月30日閲覧。 
  10. ^ “CARBONE DREAMS OF COACHING SYDNEY”. The World Game. (2014年3月10日). http://theworldgame.sbs.com.au/article/2014/03/10/carbone-dreams-coaching-sydney 2020年5月30日閲覧。 
  11. ^ http://www.tuttocalciatori.net/Carbone_Benito
  12. ^ Un sinistro di Orlandini regala all'Italia il secondo titolo consecutivo” (イタリア語). figc.it. 2020年5月30日閲覧。
  13. ^ Benito Carbone” (イタリア語). figc.it. 2020年5月30日閲覧。
  14. ^ “EXCLUSIVE: Benito Carbone reveals the incredible financial sacrifice he made just to keep Bradford alive: 'It cost me £3m but I could not kill my club'”. Daily Mail. (2013年1月7日). http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2258624/Benito-Carbone-interview-Former-Bradford-Aston-Villa-striker-looks-eventful-career-England.html 2020年5月30日閲覧。 
  15. ^ “BY FANTASISTA10 FANTASISTA CULTURE FEBRUARY 25, 2014 REVEALED: JUST WHO WORE MARADONA & BAGGIO SHIN-PAD TRIBUTES?”. Yorkshire Evening Post. (2014年4月26日). http://www.fantasista10.co.uk/revealed-just-who-wore-maradona-baggio-shin-pad-tributes/ 2020年5月30日閲覧。 
  16. ^ INTER CALING:ベニート・カルボーネ、サルヴァトーレ・フレージ”. インテル公式サイト. 2020年5月30日閲覧。
  17. ^ “CORAZON CLASSIC MATCH 2014: REAL MADRID LEYENDAS V INTER FOREVER”. Inter Milan Official Site. (2014年4月24日). http://www.inter.it/en/news/45489 2020年5月30日閲覧。 

外部リンク[編集]