MASAYA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
MASAYA
出生名 倉渕 透(くらぶち とおる)
出生 1957年12月13日(57歳)
出身地 日本の旗 日本,東京都港区元麻布
ジャンル ヒーリングミュージック
職業 音楽プロデューサー
作詞家作曲家
活動期間 1995年 - 現在
レーベル HEALING WORLD
共同作業者 David Campbell
Derek Nakamoto
吉田弥生
渡辺俊幸
朝川朋之
ダニエル・コビアルカ
鈴木智雄
公式サイト http://takeru-net.com/info.html

MASAYA(マサヤ、1957年12月13日 - )は、東京都港区元麻布出身の作詞作曲家ヴォーカリストプロデューサー。現在は主にMARTHの他、神戸に事務所を置きTAKERU(タケル)名義での活動も行っている。

来歴[編集]

1957年12月13日東京都港区元麻布で、法務省(後、東京地検)勤務の父親の下に生まれる。1995年、MASAYAとしてファーストアルバム「遥かなる道」をリリース。

1998年、楽曲「君はいないか」をTOSHIに提供(1998年7月23日にテイチクエンタテイメントから発売)。1998年、MASAYAプロデュースでTOSHIがソロ活動を行うこととなり、TOSHIが「レムリアアイランドレコード」(現ホームオブハート)に移籍。MASAYAが楽曲を提供し、Toshiの「詩旅(うたたび)」が全国で開催される。2009年、アルバムリリース、6年ぶりのコンサートを開催。2010年1月、Toshiへのプロデュースは停止。

人物[編集]

アイドル歌手としてデビューし、長嶋とおるの芸名(JASRAC登録)でアニメのイメージソング「荒野の少年イサム」(長嶋とおる・クラウン少年合唱隊名義)や「高校一年生」(長嶋とおる名義)等を歌うがヒットに恵まれず、在籍していた堀越学園芸能コース(現トレイトコース)を中退。その後、明大付属中野高校に転入。自己啓発セミナー主催会社「株式会社レムリアアイランドレコード」(後に株式会社ホームオブハートに改名)が行っていた自己啓発セミナーのメイントレーナーを務める。

ホームオブハート[編集]

児童関連[編集]

2004年4月、栃木県那須町にある株式会社ホームオブハート施設内にて、紀藤正樹らが児童虐待が行われている疑いについて通報し、児童相談所が子供5人を保護した。子供の親は全てホームオブハートや株式会社トシオフィスのスタッフである。同年6月3日には、栃木県は「不適切な育児環境にあったものの、子供たちは強制だったとは話しておらず、虐待とは言えない」と判断した[1]。「虐待ではない」と認定したとの報道も見られる[2]。2005年、児童虐待の刑事告発に対して、宇都宮地方検察庁から嫌疑不十分の不起訴処分の決定が出る。一方、保護された子らは、「児童虐待は一切なく、でっち上げによる保護で幸せが奪われた」と主張し、相手側代理人の紀藤正樹らに損害賠償請求裁判を起こしたが、2009年10月27日に東京地裁で敗訴。その後、消費者問題の和解により、訴訟を取り下げている。

消費者問題[編集]

2010年 には、元参加者らによる損害賠償請求訴訟8件等について、セミナー参加代に慰謝料などを加算した額を支払う等の条件による和解が、東京地裁で成立している[3]。 2010年1月にToshiは、同年1月と4月の記者会見及び2014年7月発行の自著で、過去12年間にわたる苦悩から脱却にいたるまでの体験を述べている[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『ホームオブハート問題、栃木県「虐待ではない」』、読売新聞、2004年10月23日
  2. ^ 『ホームオブハート問題、栃木県「虐待ではない」』読売新聞、2004年6月4日
  3. ^ 参加者への賠償で和解 啓発セミナー訴訟”. 共同通信 (2010年4月14日). 2010年4月14日閲覧。
  4. ^ Toshl著、書籍『洗脳 地獄の12年からの生還』、2014年7月、講談社。

外部リンク[編集]