早稲田文学
『早稲田文学』(わせだぶんがく)は日本の文芸雑誌。1891年(明治24年)、東京専門学校文学科(現・早稲田大学文学学術院)の坪内逍遥が創刊。発行元の早稲田文学会は早稲田文学新人賞を主催する。
現在は第10次『早稲田文学』が2007年より不定期に刊行されている。また、フリーペーパー『WB』も全国で配布中である。
沿革
- 第1次(1891-1898年)
- 創刊当時、坪内逍遥は東京専門学校文学科の学生を会員に早稲田文学会を作っていたが、それが「早稲田文学」発行の母胎となったとみられる。最初は講義録風であったが、1893年9月の第49号からは誌面が一新され純粋の文学雑誌に転身した。[1]
- 坪内逍遥の評論を掲載。森鷗外との没理想論争の舞台になった。『しがらみ草紙』3号には坪内逍遥の文が掲載される(cf.森常治)。他に島村抱月、広津柳浪らが執筆。
- 第2次(1906-1927年)
- 第3次(1934-1949年)
- 第4次(1949年)
- 第5次(1951-1953年)
- 第6次(1959年)
- 第7次(1969-1975年)
- 第8次(1976-1997年)
- 編集兼発行人はフランス文学者の平岡篤頼。見延典子『もう頬づえはつかない』、三石由起子『ダイアモンドは傷つかない』などの話題作が掲載された。
- 新人作家の発掘に意欲的であり、1984年に早稲田文学新人賞を設けた。同新人賞は、盛田隆二、まきのえり、向井豊昭、大久秀憲、阿部公彦らを輩出している。*古屋美登里が編集者としてかかわった。
- 第9次(1997年-2005年)
- フリーペーパー「WB」(2005年-)
- 第9次の2005年5月号までで商業文芸誌の形態を一時休止し、同年11月よりフリーペーパー形式の「WB」が発行された。再び商業誌として第10次の復刊がなされた後も、「WB」も並行して発行されている。
- 第10次(2007年-)
- 詳細は後述。
- 2007年5月に復刊準備号「早稲田文学0」が刊行され、2008年4月の「早稲田文学1」にて復刊。
第10次早稲田文学
復刊準備号
通常号
- 早稲田文学会・発行、早稲田文学編集室・編集。
- 2008年4月に本格的に復刊。休刊にともない休止していた早稲田文学新人賞も再開される。「早稲田文学1」と「早稲田文学2」は太田出版が出版発売する。2010年2月の「早稲田文学3」から2014年2月の「早稲田文学7」までは早稲田文学会が発売も担う。 「早稲田文学5」掲載作の「abさんご」(黒田夏子、第24回早稲田文学新人賞受賞作)が第148回芥川龍之介賞を受賞。
- 2014年8月からは、早稲田文学会・発行、筑摩書房・発売となり「早稲田文学2014年秋号」というように、数字のナンバリングではなく発行された年と季節で号を表すようになる。 [2]
増刊号
- 2010年2月に、30歳以下の書き手による小説や評論を掲載した「早稲田文学増刊 wasebun U30」を、同年12月に「早稲田文学増刊π “わりきれないおもしろさ”号」を刊行。2012年4月に「早稲田文学記録増刊震災とフィクションの“距離”」を刊行。いずれも、発行・発売ともに早稲田文学会。
- 2017年9月に川上未映子の責任編集で、「女性」と「書く」ことの関係性をテーマにした「早稲田文学増刊 女性号」を刊行。 [2]
GRANTA JAPAN
- イギリスの文芸誌「グランタ(英語: GRANTA)」の日本版として、早稲田文学会・発行、早川書房・発売で「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」を刊行。2014年から2016年に第1号から第3号まで発行されている。[4][5]
剣玉基金
平岡篤頼の遺族の寄付を基にして早稲田文学編集室が設置した基金。若手作家による意欲的・実験的作品の執筆と飛躍の支援を目的とする。ちなみに名称は平岡が生前しばしば口にしていた「文学は剣玉である」から。
脚注
関連項目
外部リンク
- 早稲田文学編集室 - 公式サイト
- 早稲田文学編集室はてな出張所
- 早稲田と文学