コンテンツにスキップ

黒田夏子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田 夏子
(くろだ なつこ)
誕生 (1937-03-23) 1937年3月23日(87歳)
日本の旗 日本東京
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士
最終学歴 早稲田大学教育学部国語国文学科
活動期間 1963年 -
ジャンル 小説
代表作 『abさんご』(2012年)
『組曲 わすれこうじ』(2020年)
主な受賞歴 早稲田文学新人賞(2012年)
芥川龍之介賞(2013年)
紫式部文学賞(2021年)
デビュー作 『毬』(1963年)
テンプレートを表示

黒田 夏子(くろだ なつこ、本名:非公開[1]1937年3月23日[2] - )は、日本小説家東京赤坂出身。父はサンスクリット学者の辻直四郎[3][4]

経歴

[編集]

4歳の時に母親が結核で死去し、自身も自宅療養する中、5歳の時に物語を書き始める[5]

小学校から高校まではカトリック系の湘南白百合学園に通った[6]。高校の文芸部雑誌に「タミエ」の出る作品を初めて掲載する。その号に「遠い日の断章」という四行九連の詩を掲載した。早稲田大学教育学部国語国文学科に進学し[5]、在学中に同人誌『砂城』を主宰した[2][7]

同時期、早大国文科の先輩に寺山修司山田太一がおり、元NHKアナウンサーエッセイスト下重暁子は同級生で同人誌仲間であった[8]。大学卒業後は横須賀の緑ヶ丘女子高校に国語教師として2年間勤めた後、事務員、フリーの校正者、その他様々なアルバイトとして働く[2][5]

1963年、『毬』で読売短編小説賞に入選[9][10][11]。1970年頃からは賞への応募や印刷物への公表はせず、執筆活動を続けた[12]

2012年9月、「早稲田文学」に投稿した『abさんご』で早稲田文学新人賞を受賞し、デビュー[7]。2013年1月、同作で第148回芥川賞を受賞。75歳9か月での同賞受賞は史上最年長記録となった[10][13]

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 芥川賞作家・黒田夏子 親の七光との批判イヤで本名明かさず NEWSポストセブン 2013年05月19日
  2. ^ a b c 75歳の芥川賞受賞作家・黒田夏子さんが「結婚しない理由」 女性自身(Yahooニュース)、2013年2月1日
  3. ^ 小川雅魚『潮の騒ぐを聞け』(風媒社、2014)pp.244-247 辻が死去した際小川の師匠・松山俊太郎の師であるため遺品の整理の手伝いに行くと黒田という娘さんが中上健次の『水の女』を携えて出迎えてくれた。その後一緒にウナギを食べた、芥川賞受賞後、あの黒田さんではないかと思っていたら、丹羽蒼一郎の言ではっきりした、とある。
  4. ^ 東大で辻直四郎に師事し、2014年に死去したサンスクリット学者・インド学者の松山俊太郎を追悼を特集した、『Fukujin』18号(上杉清文福神研究所編、明月堂書店刊、2016年)に、追悼文を寄せている。
  5. ^ a b c 黒田夏子さん 最年長75歳、筆歴は実に70年 MSN産経ニュース、2013年1月16日
  6. ^ 『タブリエ』第57号 p.4 2014年10月01日 「インタビュー 芥川賞受賞 黒田夏子さん」
  7. ^ a b 芥川賞候補に75歳・黒田夏子さん 受賞なら最年長 スポーツ報知、2013年1月7日
  8. ^ 『文藝春秋』第九十一巻第三号、2013年2月9日
  9. ^ 1963年7月26日夕刊掲載。『abさんご』所収。
  10. ^ a b 芥川賞に黒田夏子さん「abさんご」…最年長 読売新聞、2013年1月16日
  11. ^ 『いつしか消えた「タミエ」』読売新聞2013年1月22日22面。本人の寄稿
  12. ^ 芥川&直木賞候補決まる 芥川賞75歳、黒田夏子さん決まれば最年長 zakzak、2013年1月7日
  13. ^ 芥川賞に黒田夏子さん 75歳9か月、史上最年長に J-CASTニュース、2013年1月16日

関連項目

[編集]