切支丹屋敷
切支丹屋敷(きりしたんやしき)は、江戸時代に江戸小石川小日向(現在の東京都文京区小日向1-24-8)にあったキリシタンを収容する屋敷である。キリシタン屋敷とも表記され、山屋敷とも呼ばれる[1]。
沿革
正保3年(1646年)に、大目付兼宗門改役であった井上政重の下屋敷内に牢や番所を建てて設けられた。この屋敷には、寛永20年(1643年)に筑前国に漂着し、江戸に送られて伝馬町の牢に入れられたイタリアの宣教師ジュゼッペ・キアラ、ペトロ・マルクエズら10人が収容された[1]。
また、宝永5年(1708年)にイタリアの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て江戸に送られた際にもこの屋敷に収容され、新井白石の尋問を受けた[1]。
シドッティが正徳4年(1714年)に没した後は収容される者もいなくなり、切支丹屋敷は享保9年(1724年)に火災で焼失。その後は再建されることもなく、寛政4年(1792年)に宗門改役の廃止と同時に正式に廃された[1][2]。
2014年7-8月、切支丹屋敷跡へのマンション建設に伴い調査が行われ、3体の遺骨が発掘された。DNA解析の結果、うち1体はイタリア人のグループに属する男性であり、シドッティの遺骨であるとみられている[3]。
現在
切支丹屋敷の跡地の一部に、切支丹屋敷跡の記念碑と、拷問にあった信者の八兵衛を生き埋めにして石を置いたという「夜なき石(八兵衛石)」がある[4]。碑の向かい側一帯の跡地は2016年現在マンションになっている[5]。また、この碑の近くの坂は切支丹坂(幽霊坂)と呼ばれている。坂の位置は諸説あるが[6]、文京区教育委員会は碑から1ブロック南下した位置から東方向にある地下鉄丸ノ内線ガード下の隧道まで続く坂を切支丹坂としている[7]。
近隣・近隣の坂
交通
脚注
- ^ a b c d 切支丹屋敷跡(きりしたんやしきあと) 文京区
- ^ 宮永孝「東京 キリシタン屋敷の遺跡」『社会志林』第60巻第1号、法政大学社会学部学会、2013年7月、98-69頁、doi:10.15002/00021156、ISSN 1344-5952、NAID 120005304803。
- ^ 遺骨:白石の「西洋の窓」宣教師か 獄死した屋敷跡から - 毎日新聞
- ^ 『日本大百科全書(ニッポニカ)』切支丹坂
- ^ 江戸時代のイタリア人宣教師か、遺骨見つかる小日向の環境に配慮した街づくり住まいづくりを守る会、2016年4月6日
- ^ 切支丹坂考松本崇男、坂学会
- ^ 文京区公認キリシタン坂の怪東京坂道ゆるラン、2015年2月25日
外部リンク
- カトリック情報ハンドブック2012 巻頭特集 特集 キリシタン史跡をめぐる-関東編 東京の史跡 カトリック中央協議会出版部編