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ミルカ・デュノー

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ミルカ・デュノー
ミルカ・デュノー (2008年)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
生年月日 (1972-04-22) 1972年4月22日(52歳)
出身地 ベネズエラの旗 ベネズエラ
同・カラカス

ミルカ・デュノーMilka Duno, 1972年4月22日 - )は、ベネズエラカラカス出身の女性レーシングドライバー。インディカー・シリーズARCA レーシング・シリーズに参戦した。彼女はデイトナ24時間レースで最も上位に入賞した女性ドライバーとしてよく知られる[1]

デュノーは元モデルであり、そのことで注目を集めた[2]。その経歴は遅咲きであり特異なものである。彼女がレースを始めたのは、ベネスエラで自動車クラブのクリニックに参加したことがきっかけであった[3]。レースを始めたときの年齢は24で[4]、レース前の経歴は主として学術的な物であった。彼女は修士号を持ち、船舶工学、海洋ビジネス、生物海洋学に通じ、造船技師として働いた経歴を持つ[5]

経歴

初期

デュノーは1996年にレーシングドライバーとしてデビューし、ベネズエラのGTチャンピオンシップでランキング2位となる。1998年にはベネズエラ・ポルシェスーパーカップ選手権で4位となる。1999年アメリカ合衆国に渡り、レーシングスクールに入校、2000年にはバーバー・ダッジ・プロ・シリーズに参戦した。デュノーはアメリカでのフェラーリ・チャレンジレースで優勝した初の女性ドライバーであり、また彼女にとって初のタイトルであるパノスGTシリーズのタイトルも獲得した[6]

2000年後半にはアメリカン・ル・マン・シリーズにデビュー、初の女性レーシングドライバーとして表彰台に上り脚光を浴びた。2001年にはデイトナ24時間レースに参戦、また翌年にはル・マン24時間レースにデビューした。2001年と2003年にはワールドシリーズ・バイ・ニッサン - ヨーロッパのオープンホイールシリーズ - に参戦し、同シリーズで初めてポイントを挙げた女性ドライバーとなった。2001年にはまたアメリカン・ル・マンシリーズのLMP675クラスで4勝を挙げ副ドライバーとしてタイトルを獲得した。その4勝の中にはプチ・ル・マンも含まれた。2004年にもLMP675クラスでプチ・ル・マンに勝利している[6]

2004年、デュノーはロレックス・グランダム・シリーズにフル参戦、ハワード・ボス・モータースポーツに加わってポンティアックライリーのデイトナ・プロトタイプをドライブした。2006年にはサマックス・モータースポーツに加入する。2007年のデイトナ24時間レースにはライアン・ディエルダレン・マニングおよびレギュラーパートナーのパトリック・カーペンティアと組んで参加し、2位に入賞した。デュノーは史上最高位の女性ドライバーおよびベネズエラ人ドライバーとなり、それは1982年にエルネスト・ソトが記録した5位を塗り替えるものであった[6]。ロレックス・シリーズでデュノーは歴史的かつ印象的な勝利を3度挙げた。2勝はホームステッド=マイアミ・スピードウェイで、1勝はモントランブランであった。マイアミでの初勝利は、デイトナ・プロトタイプをドライブしてファステストラップをたたき出した初の女性ドライバーとなった。デュノーはシリーズで3勝を挙げたほかに7度の表彰台を獲得、トップ5フィニッシュは10回、トップ10フィニッシュは18回であった。

インディ・レーシング・リーグ

テストドライブするデュノー、ホームステッド=マイアミ・スピードウェイで、2008年

2007

2006年12月14日、カーヒル・レーシングのオーナー、ラリー・カーヒルはチームがデュノーと契約し、IRLインディカー・シリーズの2007年シーズンに参戦させることを発表した。しかしながら、チームは結局参戦することができず、その結果2007年3月23日、デュノーと彼女が所属するグランダム・シリーズのチームであるサマックス・モータースポーツシットゴーベネズエラ国営石油会社の傘下)のスポンサーを受け、インディカー・シリーズ10戦に参加するための機材を購入したと発表した。10戦の中にはインディ500も含まれた[7]。また、デュノーはグランダム・シリーズにフル参戦しないことも発表された。

2007年4月26日、デュノーはカンザス・スピードウェイでのルーキーテストを首尾良くパスした。2007年4月29日にカンザス・スピードウェイで開催されたカンザス・ロタリー・インディ300は、北米オープンホイールシリーズ史上初めて3名の女性ドライバー(デュノー、ダニカ・パトリックサラ・フィッシャー)が同時に走行したレースとなった。デュノーはトラブルのため予選を21位で通過し、決勝は14位で終わった。

2007年5月6日、デュノーはインディ500のルーキーテストに合格した[8]。この年のインディ500は史上初めて3名の女性ドライバーが参戦したレースとなった。デュノーは5月19日に予選を通過し、バンプ・デイを含めて彼女の速度は2番目に遅かった。ダニカ・パトリックとサラ・フィッシャーは5月12日と13日にそれぞれ通過していた。デュノーは2名のルーキーの内の1人であった[9]。彼女は65週目にクラッシュし、31位でフィニッシュした。

2008

サマックスは2008年、インディカー・シリーズへの参戦を取りやめると決定した。デュノーはドレイヤー&レインボールド・レーシングと契約し、11戦に参加することが決定した。スポンサーはシットゴーが務めることとなった。チームメイトはインディ500で優勝経験を持つベテランのバディ・ライスで、シーズンを通じてデュノーは少しずつ進歩を見せ始めた。タウンゼント・ベルがドレイヤー&レインボールドの23番車を7戦で走らせる契約を結び、デュノーはその間参戦することができなかった。

2度目の挑戦となったインディ500では2週目の週末に予選通過した(予選2日目は雨天中止)。決勝は19となり、ダニカ・パトリックは22位、サラ・フィッシャーは24位だったため女性ドライバーとして最上位でのフィニッシュであった。女性ドライバー全員がレース中アクシデントに巻き込まれたが、デュノーはピットでの作業後レースに復帰し、完走した唯一の女性ドライバーとなった[10]

2009

シーズン前はホームステッド=マイアミ・スピードウェイで行われたニューマン・ハース・レーシングのテストに参加したが、2009年もドレイヤー&レインボールドとパートタイムで契約した(9戦)。ドレイヤー&レインボールドはデュノーが参戦しないレースをダレン・マニングトーマス・シェクターロジャー安川にドライブさせた。彼女は16位が最高位で、ランキングは24位であった。

2009年12月、ARCAのテストがデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで行われ、デュノーは9名参加した女性ドライバーの内の1人であった。その中にはインディカーのライバルであるダニカ・パトリックもいた[11]

2010 & Challenges

2010年3月4日、デイル・コイン・レーシングはデュノーと契約、彼女が2010年のインディカー・シリーズに参戦することが発表された。

インディ500でデュノーは予選通過することができなかった[12]。そして、7月に行われたホンダ・インディ・エドモントンで最小限の標準パフォーマンスを満たすことができなかったとして、IRLは彼女の参加を執行猶予とした[13]。デュノーのパフォーマンスに対する批判は、スピードが安全のためには遅すぎることと、ペースの速いレーサーが追い抜く際に自らの走行ラインに固執する点に集中した[14][15][16]。夏の間に行われたワトキンズ・グレンでのレースでは、トップ10フィニッシュの中で最も経験豊富なドライバーとなり、これはチームオーナーのデイル・コインの記録に次ぐ物となった[17]

2010年8月28日(土)、デュノーを含む5名の女性ドライバーが予選を通過、決勝に進出し、これはインディカー史上初めてのことであった[18]。デュノーは26位で予選通過し、19位でフィニッシュした。

ARCA レーシング・シリーズ

レース戦績

アメリカン・ル・マン・シリーズ

エントラント クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
2000年 チェンバレン・モータースポーツ GTS クライスラー・ヴァイパー GTS-R クライスラー 8.0L V10 M SEB CHA SIL NÜR SON MOS TEX ROS PET
ovr:26
cls:7
MON
ovr:15
cls:5
LVS ADE
ovr:8
cls:3
15位 57
2001年 ディック・バブアー・レーシング LMP675 レイナード・01Q ジャッド GV675 3.4L V8 G TEX SEB DON JAR
ovr:Ret
cls:Ret
SON
ovr:13
cls:1
ROS
ovr:6
cls:1
MOS
ovr:19
cls:2
MID
ovr:Ret
cls:Ret
MON
ovr:26
cls:1
PET
ovr:7
cls:1
2位 126
2002年 MBD・スポーツカー LMP900 パノス・LMP07 無限 MF408S 4.0L V8 SEB
ovr:Ret
cls:Ret
SON
ovr:10
cls:7
MID
ovr:8
cls:6
AME
ovr:Ret
cls:Ret
12位 106
インタースポーツ ローラ・B2K/10B ジャッド GV4 4.0L V10 WAS
ovr:25
cls:8
TRO MOS
チェンバレン 童夢・S101 MON
ovr:12
cls:8
MIA
ovr:Ret
cls:Ret
PET
ovr:35
cls:10
2004年 タウラス・レーシング LMP1 ローラ・B2K/10 D SEB
ovr:22
cls:9
MID LIM SON POR MOS AME 27位 8
インタースポーツ・レーシング LMP2 ローラ・B2K/40 ジャッド KV675 3.4L V8 P PET
ovr:6
cls:1
MON 13位 26

ル・マン24時間レース

クラス No. タイヤ 車両 チーム コ・ドライバー Laps 順位 クラス
順位
2001年 LMP675 37 G レイナード・01Q-LM
ジャッド GV675 3.4L V8
アメリカ合衆国の旗 ディック・バブアー・レーシング カナダの旗 ジョン・グラハム
アメリカ合衆国の旗 デイヴィッド・マリー
4 DNF DNF
2002年 LMP900 19 A パノス・LMP07
無限 MF408S 4.0L V8
アメリカ合衆国の旗 MBD・スポーツカー・チーム ベルギーの旗 ディディエ・デ・ラディゲス
カナダの旗 ジョン・グラハム
259 DNF DNF

ワールド・シリーズ・バイ・ニッサン

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 DC ポイント
2001年 ヴェルガーニ・レーシング JAR
1

Ret
JAR
2

19
EST
1

16
EST
2

18
ALB
1

14
ALB
2

15
VAL
1

Ret
VAL
2

17
MNZ
1

13
MNZ
2

Ret
MAG
1

Ret
MAG
2

13
BAR
1

14
BAR
2

13
VAL
1

10
VAL
2

12
27位 1
2002年 VAL
1
VAL
2
JAR
1
JAR
2
ALB
1
ALB
2
MNZ
1
MNZ
2
MAG
1
MAG
2
BAR
1
BAR
2
VAL
1
VAL
2
CUR
1

16
CUR
2

16
INT
1

DNS
INT
2

12
28位 0

アメリカン・オープン=ホイール・レーシング

バーバー・ダッジ・プロ・シリーズ

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
2000年 SEB
24
MIA
24
NAZ
20
LRP
17
DET
20
CLE
21
MDO
24
ROA
22
VAN
LS
RAT
HMS
34位 0

インディカー・シリーズ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ランク ポイント
2007年 サマックス・モータースポーツ ダラーラ・IR-05 ホンダ HI7R V8 HMS STP MOT KAN
14
IND
31
MIL TXS
11
IOW
18
RIR
19
WGL NSH MDO MIS
19
KTY SNM DET CHI
15
20位 96
2008年 ドレイヤー&レインボールド・レーシング HMS
20
STP MOT1 LBH1 KAN
16
IND
19
MIL TXS
17
IOW
24
RIR WGL
20
NSH
17
MDO
23
EDM KTY
21
SNM DET
23
CHI
14
SRF2 25位 140
2009年 STP LBH KAN
16
IND
20
MIL TXS
23
IOW RIR WGL
17
TOR EDM KTY
20
MDO
21
SNM
17
CHI
21
MOT HMS
17
24位 113
2010年 デイル・コイン・レーシング SÃO
21
STP
24
ALA
24
LBH
25
KAN
24
IND
DNQ
TXS
23
IOW
23
WGL
23
TOR
26
EDM
25
MDO
23
SNM
22
CHI
19
KTY
19
MOT
19
HMS
24
23位 184
年数 チーム レース ポール 勝利 表彰台
(優勝以外)
トップ10
(表彰台以外)
インディ500
勝利
チャンピオンシップ
4 3 43 0 0 0 0 0 0

インディアナポリス500

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2007年 ダラーラ・IR-05 ホンダ HI7R V8 29 31 サマックス・モータースポーツ
2008年 27 19 ドレイヤー&レインボールド・レーシング
2009年 30 20
2010年 DNQ デイル・コイン・レーシング

NASCAR

ネイションワイド・シリーズ

チーム No. 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 NNSC Pts
2014年 RAB・レーシング 29 トヨタ DAY PHO LSV BRI CAL TEX DAR RCH TAL IOW CLT DOV MCH ROA KEN DAY NHA CHI IND IOW GLN MOH BRI
DNQ
ATL RCH CHI KEN DOV
DNQ
KAN
40
CLT TEX PHO 74位 14
87 HOM
34

キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ

チーム No. 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 NCWTC Pts
2014年 メイク・モータースポーツ 1 シェヴィー DAY MAR KAN CLT DOV TEX GTW KEN IOW ELD POC MCH BRI MSP CHI NHA LVS TAL
25
MAR TEX PHO HOM 103位 01

K&N・プロ・シリーズ・イースト

チーム No. 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 NKNPSEC Pts
2014年 RAB・レーシング 18 トヨタ NSM DAY BRI GRE RCH IOW BGS FFL LGY NHA COL IOW GLN VIR GRE DOV
20
61位 24

ARCA・レーシング・シリーズ

チーム No. 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 ARSC Pts
2010年 ストリンガー・モータースポーツ 90 トヨタ DAY
43
PBE SLM TEX TAL TOL POC MCH IOW MFD POC BLN NJE ISF CHI DSF TOL SLM KAN CAR 140位 30
2011年 シェルトラ・モータースポーツ 63 ダッジ DAY
31
SLM
17
IRP
19
SLM
20
TOL
18
18位 1780
トヨタ TAL
19
IOW
23
POC
25
ISF KAN
19
シェヴィー TOL
15
NJE
22
CHI POC MCH WIN BLN MAD
18
DSF
2012年 エディー・シャープ・レーシング 33 DAY
37
19位 1790
6 MOB
18
SLM
31
TAL
37
トヨタ TOL
24
ELK POC MCH WIN
デイヴィッド・レイナー 94 NJE
10
IOW
16
CHI
18
IRP
17
POC
19
BLN ISF MAD
17
SLM
13
DSF
C
KAN
33
2013年 ヴェントゥリーニ・モータースポーツ 35 DAY
28
SLM
8
TAL
29
TOL
13
POC
14
MCH
11
WIN
10
CHI
15
NJE
21
POC
21
BLN
15
ISF
21
MAD
12
DSF
16
IOW
19
SLM
13
KEN
23
KAN
15
7位 4405
シェヴィー MOB
13
ELK
13
ROA
12

参照

  1. ^ Milka Duno Scores Highest Finish in 45 Year History of the 24 Hours of Daytona Archived 2007年4月26日, at the Wayback Machine., Retrieved July 31, 2007
  2. ^ IRL News: Duno draws attention at Indy, Retrieved August 7, 2007
  3. ^ “Milka Duno, Speed Racerette”. Open Your Eyes Magazine. (2005年5月1日). オリジナルの2010年7月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100724150134/http://www.oyemag.com/index.php/milka-duno/ 2009年12月26日閲覧。 
  4. ^ Milka Duno's Official Website, Retrieved August 5, 2007
  5. ^ Milka Duno - Thriving on Challenges, Retrieved July 19, 2007(2007年7月8日時点のアーカイブ
  6. ^ a b c Milka Duno: Profile”. Official Milka Duno Website. 2011年1月12日閲覧。
  7. ^ Milka Duno and Citgo Racing join IndyCar Series with SAMAX Motorsports for 2007 Season, Retrieved March 27, 2007
  8. ^ Duno's Indy Dream Setting Sail After Successful Opening Day Archived 2007年9月27日, at the Wayback Machine., Retrieved May 27, 2007
  9. ^ Indy's newest Baron, Yahoo, Retrieved May 27, 2007
  10. ^ “IndyCar-Indianapolis 500 Results”. The New York Times. (1969年12月31日). http://www.nytimes.com/2008/05/26/sports/26iht-indyresults26.13209512.html 2011年1月12日閲覧。 
  11. ^ Smith, Steven Cole (2009年12月28日). “ARCA test shows that more girls want to join the good old boys”. AutoWeek. 2011年1月12日閲覧。
  12. ^ Brunt, AP News, Cliff. “Paul Tracy fails to qualify for Indianapolis 500”. Yahoo News. 2010年6月7日閲覧。
  13. ^ IndyCar puts Duno on probation for poor performance”. Autoweek. 2010年10月11日閲覧。
  14. ^ http://www.montrealgazette.com/sports/Coyne+driver+Duno+just+speed/3318619/story.html
  15. ^ https://www.google.com/hostednews/canadianpress/article/ALeqM5jsnkax3a6qzbh6Rfx5fwDZAw58eA
  16. ^ “Milka Duno's driving criticized by IndyCar racers”. USA Today. (2010年7月23日). http://www.usatoday.com/sports/motor/2010-07-23-195234714_x.htm 
  17. ^ champcarstats.com - All-Time Career Statistics
  18. ^ Peak Antifreeze and Motor Oil Indy 300 Official Results of Race report”. IZOD IndyCar Series. 2011年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月11日閲覧。

外部リンク