パトリック・カーペンティア
パトリック・カーペンティア Patrick Carpentier | |||||||
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生誕 | 1971年8月13日(53歳) ケベック州ラサール | ||||||
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズでの経歴 | |||||||
初戦 | 2007 Centurion Boats at the Glen (Watkins Glen) | ||||||
最終戦 | 2011 STP 400 (Kansas) | ||||||
NASCARエクスフィニティ・シリーズでの経歴 | |||||||
初戦 | 2007 NAPA Auto Parts 200 (Montreal) | ||||||
最終戦 | 2011 NAPA Auto Parts 200 (Montreal) | ||||||
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2011年8月21日現在。 |
パトリック・カーペンティア | |
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基本情報 | |
IRL インディカー・シリーズでの経歴 | |
活動時期 | 2005 |
所属 | チーバー・レーシング |
出走回数 | 17 |
優勝回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
シリーズ最高順位 | 10位 (2005) |
パトリック・カーペンティア | |
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基本情報 | |
CART チャンプカーでの経歴 | |
活動時期 | 1997-2004 |
所属 |
ベッテンハウゼン・レーシング フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング |
出走回数 | 140 |
優勝回数 | 5 |
ポールポジション | 5 |
シリーズ最高順位 | 3位 (2002 & 2004) |
過去参加シリーズ | |
2007 2006 1992-1996 1994 |
ロレックス・スポーツカー・シリーズ A1グランプリ トヨタ・アトランティック インディ・ライツ |
選手権タイトル | |
1996 | Toyota Atlantic Series Champion |
パトリック・カーペンティア(Patrick Carpentier、1971年8月13日 - )は、カナダの元レーシングドライバー。チャンプカー・ワールド・シリーズおよびインディカー・シリーズでの活躍で知られる。2009年、彼はトミー・ボールドウィン・レーシングの36番車をマイク・スキナーとシェアし、またマイケル・ウォルトリップの55番車、トヨタ・カムリをロードコースでドライブしてNASCARスプリントカップシリーズに参戦した[1]。2010年はラティチュード43モータースポーツから数戦に参加した。
オープンホイール経歴
[編集]2005年、カーペンティアはレッドブルがスポンサーするエディ・チーバーのチームからIRLに参戦した。その以前はチャンプカー・ワールド・シリーズにほぼ10年間、ベッテンハウゼン・レーシングからルーキーの頃より参加していた。しかしながらチームはその後ジェリー・フォーサイスによって所有されることとなった。その経歴の初期に彼は怪我のためレースを欠場することが多く、その内のいくつかはレース外での負傷であった。
彼の最初のチャンプカーにおける勝利は2001年のミシガンであった。2002年にはシリーズランキング3位となる。期待外れであった2003年シーズン、彼はランキング5位であった(チームメイトのポール・トレーシーがタイトルを獲得した)。このことで彼のチーム内での立場は弱くなり、間もなく2004年にはチームを放出された。その後カナダにおけるマーケティングのため、チームは彼を3台目の車で復帰させた(チームオーナーのジェリー・フォーサイスはシリーズ全体の共同オーナーでもあった)。
2004年にはポール・トレーシーよりも上位でシーズンを終えたものの、カーペンティアはチームを離れ、IRL インディカー・シリーズに参戦するエディ・チーバーのチーバー・レーシングに加入した。オーバルトラックでの好成績のため、彼は活躍が期待された(チャンプカーでは殆ど行われなくなっていたオーバルコースでのレースがインディカー・シリーズでは大半であった)。しかしながらトヨタエンジンの低性能により、成功することはできなかった。
チームはシーズン後、レッドブルの支援を失った。スポンサーの無くなったチームは活動体制を大幅に縮小し、カーペンティアはその年、マシンをドライブすること無くチームを去ることとなった。
チャンプカーでの8年で、カーペンティアはトップ10フィニッシュを74回、表彰台には22回上った。IRLでの1年で彼は11回、トップ10フィニッシュした。
ストックカー経歴
[編集]カーペンティアは2006年、カユーガ・スピードウェイでのCASCARスーパーシリーズのイベントに参戦した。デイヴ・ジェイコブス・レーシングから参戦、21位でスタートし6位に入賞した。2007年はグランダム・シリーズにサマックス・モータースポーツからミルカ・デュノーのチームメイトとして参戦した。その後NASCARに参戦するためサマックスを離れた。
カーペンティアは2007年8月4日、ジル・ヴィルヌーヴ・サーキットでNASCARブッシュ・シリーズへのデビューを果たした。ポールポジションを獲得した彼はレースを2位で終えた[2]。NASCARネクステル・カップへのデビューは2007年8月12日のワトキンス・グレンで、ジレット・エバーナム・モータースポーツの10番車のダッジで、スコット・リグスに代わって40位からスタートした。レースの中盤では7ラップに渡ってトップを走行し、最終的に20位でフィニッシュした。2007年10月に、翌2008年シーズンは10番車をドライブしてフル参戦することが発表された。
2008年2月14日、カーペンティアは2008年のディトナ500でのゲータレード・デュエルで予選通過にトライした。彼は1日の大半をトップ10で走行した。レースの終盤で右フロントタイヤがバーストし、バックストレッチウォールに衝突する。結局は予選落ちすることとなった。
2008年6月27日、ニューハンプシャー・モーター・スピードウェイでのレノックス・インダストリアル・ツールズ301でカーペンティアはスプリントカップ・シリーズでの初のポールポジションを獲得した。このポールポジションはNASCARのトップカテゴリーにおける外国出身ドライバーが獲得したポールとしては、1953年6月のラングホーン・スピードウェイにおけるロイド・ショー(トロント出身)以来の物であった[3]。
2008年7月5日、コークゼロ400においてカーペンティアは14位でフィニッシュ、彼のベストキャリアであった。
2008年8月30日、カーペンティアはジレット・エバーナム・モータースポーツを離れ、2009年シーズンの所属は未定であることを発表した[4]。その4日前にチームはカーペンティアの将来が不確定であるとして、翌シーズンはリード・ソレンソンを起用することを発表していた。10月7日にカーペンティアはチームを離れた。
2009年6月9日、マイケル・ウォルトリップ・レーシングは2009年の二つのイベント、6月21日のインフィニオンおよび8月9日のワトキンス・グレンで、マイケル・ウォルトリップに代わって55番車をカーペンティアがドライブすると発表した[5]。その後、彼はトミー・ボールドウィン・レーシングでマイク・スキナーがトラックシリーズに出場するため欠場となるイベントで代役としてドライブした。
2010年、カーペンティアはラティチュード43モータースポーツから数戦に参加した。2011年はオープンホイールに復帰し、2011年のインディ500にドラゴン・レーシングから参戦、スコット・スピードがバンプ・デイで予選通過できなかった後に予選に出場したが、通過することはできなかった。ストックカーでは、フランク・ストッダードのチームからスプリントカップの数戦に参加した。6月7日、カーペンティアはトロント・サン紙でジル・ヴィルヌーヴ・サーキットで行われるNAPAオートパーツ200をもって引退することを発表した。同レースにはパストラナ・ウォルトリップ・レーシングから参戦した。
引退
[編集]2011年8月20日、カーペンティアはモントリオールで行われるネイションワイドシリーズの前に引退を発表した。レースでは4位を走行中にスティーヴン・ウォレスと接触してリタイアとなった。観衆は彼に対してスタンディング・オベーションを行った[6]。
引退にもかかわらず、カーペンティアは2012年1月に、児童チャリティ募金を目的としてモントリオールで行われるネイションワイド・シリーズへの参加する意欲があると述べた[7]。
記録
[編集]アメリカン・オープンホイール
[編集](key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
インディ・ライツ
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | カナスカ・レーシング | PHX | LBH | MIL | DET | POR | CLE | TOR 20 |
MDO 6 |
NHA | VAN | NAZ | LS | 21位 | 8 |
チャンプカー
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 順位 | ポイント |
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1997 | ベッテンハウゼン・レーシング | MIA 9 |
SRF 15 |
LBH 15 |
NZR 12 |
RIO Ret |
STL 2 |
MIL 8 |
DET 15 |
POR 16 |
CLE 12 |
TOR 16 |
MIS Ret |
MDO 15 |
ROA Ret |
VAN Inj |
LS Inj |
FON DNS |
17位 | 27 | ||||
1998 | プレイヤーズ | MIA 11 |
MOT Ret |
LBH Ret |
NZR 13 |
RIO Ret |
STL 15 |
MIL Ret |
DET 15 |
POR 9 |
CLE 9 |
TOR Ret |
MIS 8 |
MDO 7 |
ROA Ret |
VAN Ret |
LS Ret |
HOU Ret |
SRF 9 |
FON Ret |
19位 | 27 | ||
1999 | プレイヤーズ | MIA 9 |
MOT Ret |
LBH 17 |
NZR 14 |
RIO 6 |
STL Ret |
MIL 9 |
POR 9 |
CLE 7 |
ROA Ret |
TOR 11 |
MIS 10 |
DET Ret |
MDO Inj |
CHI 6 |
VAN 2 |
LS 9 |
HOU Ret |
SRF Ret |
FON Ret |
13位 | 61 | |
2000 | プレイヤーズ | MIA 5 |
LBH Inj |
RIO Inj |
MOT Inj |
NZR Ret |
MIL 3 |
DET 5 |
POR 10 |
CLE 5 |
TOR 7 |
MIS 4 |
CHI Ret |
MDO 7 |
ROA Ret |
VAN Ret |
LS 9 |
STL 2 |
HOU Ret |
SRF 5 |
FON Ret |
11位 | 101 | |
2001 | プレイヤーズ | MTY Ret |
LBH Ret |
TEX Canc |
NAZ Ret |
MOT Ret |
MIL 17 |
DET 8 |
POR 5 |
CLE Ret |
TOR Ret |
MIS 1 |
CHI 2 |
MDO 3 |
ROA 9 |
VAN 16 |
LAU 3 |
ROC 16 |
HOU 10 |
LS Ret |
SRF 11 |
FON 10 |
10位 | 91 |
2002 | プレイヤーズ | MTY 7 |
LBH 19 |
MOT 4 |
MIL 15 |
LS 5 |
POR 5 |
CHI 16 |
TOR 10 |
CLE 1* |
VAN 5 |
MDO 1* |
ROA 7 |
MTL 15 |
DEN 17 |
ROC 3 |
MIA 16 |
SRF 2 |
FON 3 |
MXC 4 |
3位 | 157 | ||
2003 | プレイヤーズ | STP 8 |
MTY 8 |
LBH 6 |
BRH 5 |
LAU 7 |
MIL 3 |
LS 1* |
POR 16 |
CLE 4 |
TOR 7 |
VAN 13 |
ROA 5 |
MDO 2 |
MTL 3 |
DEN 17 |
MIA 6 |
MXC 14 |
SRF 5 |
FON Canc |
5位 | 146 | ||
2004 | フォーサイス | LBH 4 |
MTY 4 |
MIL 2 |
POR 4 |
CLE 16 |
TOR 3 |
VAN 16 |
ROA 14 |
DEN 9 |
MTL 2 |
LS 1 |
LVS 3 |
SRF 16 |
MXC 6 |
3位 | 266^ |
- ^ 2004年から新ポイントシステムが導入された。
インディカー
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | チーバー・レーシング | HMS 7 |
PHX 9 |
STP 8 |
MOT 13 |
INDY 21 |
TXS 16 |
RIR 3 |
KAN 14 |
NSH 3 |
MIL 7 |
MIS 9 |
KTY 12 |
PPIR 10 |
SNM 4 |
CHI 9 |
WGL 10 |
FON 15 |
10位 | 376 | |
2011 | ドラゴン・レーシング | STP |
ALA |
LBH |
SAO |
INDY DNQ |
TXS1 |
TXS2 |
MIL |
IOW |
TOR |
EDM |
MDO |
NWH |
SNM |
BAL |
MOT |
KTY |
LVS |
NC | - |
インディ500
[編集]年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ |
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2005 | ダラーラ | トヨタ | 25位 | 21位 |
2011 | ダラーラ | ホンダ | DNQ | DNQ |
オープンホイール
[編集]A1グランプリ
[編集]年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | DC | ポイント |
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2005-06 | カナダ | GBR SPR |
GBR FEA |
GER SPR |
GER FEA |
POR SPR |
POR FEA |
AUS SPR |
AUS FEA |
MYS SPR |
MYS FEA |
UAE SPR |
UAE FEA |
RSA SPR |
RSA FEA |
IDN SPR |
IDN FEA |
MEX SPR 9 |
MEX FEA 15 |
USA SPR 6 |
USA FEA 5 |
CHN SPR Ret |
CHN FEA 7 |
11位 | 59 |
参照
[編集]- ^ http://www.canada.com/Carpentier+race+Spring+event/1678519/story.html[リンク切れ]
- ^ Results : NAPA Auto Parts 200 Archived 2008年7月6日, at the Wayback Machine.
- ^ Carpentier only 2nd foreign born driver to win a pole
- ^ Need a good Cup driver for ‘09? Call Patrick Carpentier
- ^ Carpentier to race Spring Cup event[リンク切れ]
- ^ Demmons, Doug (August 23, 2011). “NASCAR penalizes crew chief for hair pulling incident at Montreal”. The Birmingham News. AL.com. 2012年1月19日閲覧。
- ^ Pappone, Jeff (January 16, 2012). “Retired from racing, Carpentier working harder than ever”. The Globe and Mail. 2012年1月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Construction Patrick Carpentier Inc.
- パトリック・カーペンティア at Racing Reference
- ESPN:Tailing Patrick Carpentier Day 1, in 2007
- ESPN:Tailing Patrick Carpentier Day 2
- ESPN:Tailing Patrick Carpentier Day 3
タイトル | ||
---|---|---|
先代 リッチー・ハーン |
トヨタ・アトランティック・チャンピオン 1996 |
次代 アレックス・バロン |
先代 アレッサンドロ・ザナルディ |
CART ルーキーオブザイヤー 1997 |
次代 トニー・カナーン |