ツラニズム
ツラニズム(Turanism), 汎ツラニズム(Pan-Turanism)、汎ツラン主義とは、中央アジアを起源とするとされる様々な民族の民族的・文化的統一性を、イラン語で中央アジアを意味する単語「ツラン」を用いて、主張する動きである。汎ツラニズムは他の汎スラブ主義、汎ゲルマン主義、汎イラン主義、汎ケルト主義、汎スカンジナビア主義、汎トルコ主義等の他の汎ナショナリストの政治イデオロギーと類似する。
この政治イデオロギーはフィンランド人ナショナリストで言語学者のMatthias Alexander Castrénに起源を発する。彼は汎ツラニズムのイデオロギー、すなわちウラル・アルタイ系民族の人種的な統一性と将来にわたる重要性への信念を擁護した。彼は、フィン人は中央アジア(アルタイ山脈)に起源をもち、ハンガリー人、テュルク人、モンゴル人などを含む民族集団の一部であったと結論付けた[1]。それは、汎トルコ主義におけるすべてのテュルク人のみならず、より類縁関係にあるより広いツラン人種、すなわちウラル・アルタイ人種(「ツラン語族」の話者)の団結を意味するものである。アーリアンという語のように、ツラニアンと言う語が、ウラル・アルタイ語族に相当するものとして、言語学用語として主に用いられた[2]。
ツラニズムはウラル・アルタイ系民族全てを統合する政治的動きであるが、その包括範囲については様々な意見がある[3]。有名なツラン学者en:Ziya Gökalpはツラニズムをテュルク系民族のみに適用した。これは他のツラン系民族(フィン人、ハンガリー人、朝鮮人、日本人)は文化的に異なるためという理由である。従って、彼はツラニズムの範囲を汎トルコ主義の範囲まで狭めた[4]。「ツラン人は兄弟であり、協力すること」が必要であるという考えは、「スラブ人は兄弟で、協力しなけらばならない」という汎スラブ主義の考えに従ったものである。[5]
第一次世界大戦中のen:Lothrop Stoddardの描写によると:
"北欧からアジアにかけて、バルト海から太平洋にかけてそして地中海から北極海にかけて、民族学者が「ウラル・アルタイ人種」、より一般的には「ツラン人」と呼ぶ民族の帯がのびている。このグループは最も広範囲に散らばった人々―イスタンブールとアナトリアのオスマントルコ人、中央アジアとペルシャのトルクメン人、ロシア南部と南コーカサスのタタール人、ハンガリーのマジャル人、フィンランドとバルト海沿岸のフィン人、シベリアの先住民、そしてモンゴル人や満州人―を含んでいる。その文化、伝統、外見は多様だが、これらの民族には共通する際だった特徴がある。彼らの言語はみな類似し、さらに重要なことに、物質的、精神的表象は疑う余地のないほど似ている[6]。
ウラル・アルタイ語族仮説は現在は受け入れられていないが、1920年代-1930年代には、ツラン協会のトルコ支部、ハンガリー支部、日本支部、朝鮮支部を生み出すきっかけとなった。[5]
日本におけるツラン運動
中心的活動家として今岡十一郎、角岡知良、野副重遠、北川鹿蔵らがいた。今岡はハンガリーの民俗学者バラートシ・バログ・ベネデクがアイヌ研究に来日した際に通訳を務め、1920年代にバラートシが再来日した際にツラニズムの日本普及に協力するよう求められた。
脚注
- ^ EB on Matthias Alexander Castrén. http://www.britannica.com/EBchecked/topic/98799/Matthias-Alexander-Castren
- ^ M. Antoinette Czaplicka, The Turks of Central Asia in History and at the Present Day, Elibron, 2010, p.19
- ^ http://www.nihal-atsiz.com/yazi/turancilik-h-nihal-atsiz.html
- ^ Türkçülüğün Esasları pg.25 (Gökalp, Ziya)
- ^ a b http://www.britannica.com/bps/search?query=turanism
- ^ STODDARD, T. Lothrop. “Pan-Turanism”. The American Political Science Review. Vol. 11, No. 1. (1917) p.16. http://www.jstor.org/stable/pdfplus/1944138.pdf?acceptTC=true
外部リンク
- 「ツラン民族分布地図」解説書 北川鹿蔵、日本ツラン協会、1933年
- ツラン民族運動とは何か 今岡十一郎、日本ツラン協会、1933年