4分33秒

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4分33秒』(よんぷんさんじゅうさんびょう、4'33")は、ジョン・ケージが1952年に作曲した曲の通称である。ピアニストによる演奏が多くみられることから、ピアノ曲として取り上げられることが多い。正規の楽曲名と演奏形態については後述する。

概要[編集]

音楽は音を鳴らすものという常識を覆す「無音」の音楽である。楽譜には次のように記されており、左側が原語、右側は日本語訳である。


I
TACET
II
TACET
III
TACET

第1楽章
休み
第2楽章
休み
第3楽章
休み

楽章を通して休止することを表すtacet[1]が全楽章で指示されており、演奏者は舞台に出場してから楽章の区切りを示すこと以外は楽器とともに何もせずに過ごし、一定の時間が経過したら退場する。

3楽章から成り、用いる楽器の選択と各楽章の所要時間は演奏者の裁量に委ねられており重奏オーケストラも可能で、合計所要時間をこの曲の曲名としている。1952年8月にニューヨーク州ウッドストックで、ピアニストデイヴィッド・チューダーが第1楽章を33秒、第2楽章を2分40秒、第3楽章を1分20秒で初演した合計時間4分33秒が曲名の通称となっている。初演後も稀にコンサートで「演奏」され、数種類の無音のコンパクトディスクも存在する。

「4分33秒=273秒」から本作品を「絶対零度(-273℃)=無」とする意見も散見されるが、ケージ自身の弁ではない[2]。「無」を聴くより、演奏会場内外のさまざまな雑音、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている。

背景[編集]

1950年代初頭にケージが創始した偶然性の音楽不確定性の音楽の最も極端な例である。偶然性の音楽には鈴木大拙などの東洋思想の影響があり「音を音自身として解放する」「結果をあるがままに受け入れる」という姿勢がある。

1940年代末のある日にハーバード大学無響室を訪れ、「無音」を聴こうとして無響室に入ったが「二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音。」だとのちに語った。無音を体験しようとして入った場所でなお、音を聴いたことに「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない。」[3]と強い印象を受けて「無音の不可能性」をみたという認識が、後の『4分33秒』へ彼を導いた。

1948年の『作曲家の告白』の中で、次のような欲望を記している。「絶え間ない沈黙の曲を書き、それをミューザック株式会社に売るのだ。その曲は4分半の長さ -- それがレコード音楽の標準の長さだからだ -- にして、曲名はSilent Prayer[4]にする。曲は、花の色や形や香りと同じくらい魅力的に作るつもりのアイデアとともに始まる。終わりは感知できないくらい徐々に近づくのだ」[5]ミューザックはアメリカで初めてBGMの販売を行った会社である。空間を音で満たしている会社に無音の曲を売ろうということである。

本楽曲の別の影響源として、視覚芸術の分野の活動も言及されている。友人で同志でもあった画家のロバート・ラウシェンバーグは「白い絵」のシリーズを制作していた。何も描いていないキャンバスだが、キャンバスが掛けられた部屋の照明と室内の人物の影などにより変化するキャンバス表面の表情を作品としたものである。ケージは同じアイデアを使うことを思いつき、「無音」を「空白のキャンバス」として使い毎回の「演奏」をとりまく環境音の流転をそこに反映させようとした。

ケージは本作品が気に入る点として、演奏はいつでもできるのに、それは演奏されたときにしか生き始めないこと、をあげている[6]

先例[編集]

無音を音楽として見なす例は厳密には『4分33秒』が最初ではなく他にいくつかの先例があり、ダダイスム運動が盛んになった1920年代に書かれている。エルヴィン・シュルホフの『五つのピトレスケ』の第三曲は、全く意味をなさない顔文字休符だけで全曲が構成された最初の音楽作品で、同時期にアルフォンス・アレーの『耳の不自由なある偉人の葬儀のために作曲された葬送行進曲』は、いくつかの空白の小節のみが書かれた作品もある。これらは楽譜を眺めることによってそこに込められた風刺的、ダダイスト的な意図を読み取ることが目的で、実際に無音の空白を聞き取るというケージの意図とは必ずしも一致していない。

著作権問題[編集]

イギリスの作曲家であるマイク・バット(Mike Batt)は、The Planets のアルバム Classical Graffiti でプロデューサーを務めて第13トラックに "A One Minute Silence" と題するトラックを入れた。これは文字通り1分間の休止トラックで作曲名義を "Batt / Cage" と記したため、ケージの楽譜を出版するペータース社から著作権侵害を理由として2002年7月に民事訴訟を提起されたが、訴訟外でバットが6桁の和解金を支払うことで終結した[7]

脚注[編集]

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  1. ^ オーケストラの演奏では主に特定の楽器のパート譜に使用される。
  2. ^ ラジオ番組の嘘の蘊蓄のコーナーで、リスナーの考えた嘘話として紹介された(『伊集院光 深夜の馬鹿力のコーナー』「ウソチクの泉」)。
  3. ^ ジョン・ケージ 『サイレンス』 柿沼敏江訳、水声社、1996年。25-26頁
  4. ^ 2006年1月から2017年10月までの10年以上の間、日本語版ウィキペディアのこの部分に(おそらくSilent Playerという誤読が原因と思われる)「沈黙の奏者」という誤訳があったため、もしかしたら文献等にもそのように書かれているかもしれないが、それを出典として元に戻さないようにしてほしい。
  5. ^ Pritchett, James (1993). The Music of John Cage. Cambridge University Press. p.59
  6. ^ ジョン・ケージ、ダニエル・シャルル 『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』 青山マミ訳、青土社、1982年。151頁
  7. ^ BBC NEWS: Silent music dispute resolved

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

音源[編集]