麻織物

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麻織物(あさおりもの)は、麻繊維でできた織物麻布(まふ、あさふ、あさぬの)。硬くて強く天然の光沢がある。肌触りが涼しげ(シャリ感と呼ばれる)なため、夏の衣類などに使われるだけでなく、古くは紀元前のエジプトにおいてはミイラの製造の際にも使用された。

よく衣服の材料となるのは、亜麻の繊維リネン(大麻、狭義の麻)の繊維ヘンプ(en:hemp)、苧麻(からむし)の繊維ラミーである。麻(ヘンプ)と苧麻(ラミー)は日本では古くから重宝され、共に含めて麻織物と呼ばれ、上質なものは上布と呼ばれたが、需要は減少してきた。リネンは、中近東、ソ連で重宝されてきた。日本でも洋装に使われる繊維としてリネンが普及した。

芸術における使用[編集]

また洋の東西を問わず絵画制作の際に支持体として使われていた。日本で、既に8世紀には国宝の「薬師寺吉祥天像」など仏画が(どうさ引きされた)麻布に描かれていることから、中国大陸ではもっと早い時代から使用されていたことが窺える。西洋では、テオフィルスの書には12世紀-13世紀頃までは板に馬や羊の皮を薄くなめしたものを貼り合わせ上に地塗りがされたことが書かれているが、14世紀頃にはすでに麻布(要素材詳細)が貼られるようなっていた。これは当時の破損した作品が修復された際の報告書などから確認できる。

エジプト先王朝時代の紀元前3500年から起源前3100年頃の、リネン製のドレスが見つかっている[1]。同時期に、亜麻(リネン)の布によるミイラづくりが始まり、起源前1550年ごろにはそこに『死者の書』の文が、起源前1000年頃にはオシリス神などが描かれる [2]

1世紀頃のエジプトのファイユーム地方ではミイラの棺の顔の部分には麻布(上記からおそらくリネンを指す)が貼られ、死者の生前の肖像が描かれていた。そこにはきわめて興味深い絵画技術が使われていたために、発見当時からパリの芸術院など貴族階級のあいだで話題となった。18世紀になって出土したこの古代の肖像画はエンコスティックあるいはエンカウスティークと呼ばれるを使った最古の高度な絵画技法であった。この技法の使用法は判然としないが、この技法を使える画家であり研究者の赤木範陸は特別な処方で水に溶けるようにした蝋を麻布上にしみ込ませ、優れた作品を発表している。

日本[編集]

(大麻)と苧麻が古くから使われてきた[3]。(以降の麻、苧麻はこの意味で用いる)

弥生時代の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)からは、1986年に絹のほかきめ細かい高級麻布(大麻)が、珍しくかめ棺の中から発掘されている[4]。通常は、住居跡などから出土する[4]

延喜式』(927年)では、阿波忌部(あわいんべ)が天皇即位の大嘗祭に際して、神服(かむみそ)としての麻で織った麁服(あらたえ)を調進することと定められている[5]。その忌部の末裔が三木家とされており、1990年の大嘗祭では、徳島で栽培された麻は、吉野川の忌部神社で織られ、徳島市の忌部神社の宮司が斎主となり神事が行われた[5]。古くは、上総国(かずさのくに)の望陀(もうだ)郡、現在の千葉県木更津市や袖ケ浦市辺りの、麻織物の望陀布は最高級品であり大嘗祭や遣唐使の貢納の品に使われた[3]

神祇令』にて、伊勢神宮では4月と9月の神衣祭(かんみそのまつり)が規定され、皇太神宮荒祭宮でのみ行われ、古来から豊受大神宮では行われていない。和妙(にぎたえ、絹)と荒妙(あらたえ、麻)を奉り、糸や組み紐、針も古来そのままに調進され、麻布は、麻続部(おみべ)が調進し、近代では一匹を奉織するのみで、あとは奈良県の月が瀬に委託する[6]。『延喜式』では2つの宮で計120匹とされ、古くはすべてを伊勢の地で栽培し、織り立てたものである[6]正倉院には、麻、苧麻の布が多く保存されているが、それ以降の江戸時代までの布はほとんど残存がない[7]

中世から近世では、上質の麻織物に奈良晒(-さらし)、越後縮(えちごちぢみ)、高宮布(たかみやふ)があり、江戸時代に入っても改良がくわえられてきた[7]越後上布から発展したものに小千谷縮(おぢやちぢみ)がある。(ちぢみ)とは、よりの強い緯糸(よこいと)で細かいシワを生じさせた織物で、麻に適用した麻縮は、いくつかの産地で作られた。(さらし)は、麻布を晒すことによって漂白する。麻織物は、木綿が普及すると次第に生産量が衰えていった。

奈良晒は従来は苧麻を原料としていたが、明治年間には大麻を用いるようになった[8]

1986年に滋賀県の能登川博物館に寄贈された『切本帖』(1819年)が、近世麻布研究所の吉田真一郎によって高宮布の布見本帳だと判明し、麻と苧麻を使い分けていた実態が解明され、2007年には同博物館で「謎の近江上布に迫る」という展覧会が開催された[9]。主に都市で商家の仕事着として消費された布であり[10]、吉田によれば奈良晒や越後の縮と違う都会的なセンスがある布である[9]。明治維新後に苧麻を原料として、近年では近江上布と呼ばれている[11]

亀甲織は、岩手県雫石町で大正時代まで織られ、後に復元され、しずくいし麻の会が麻や苧麻の栽培から行っている[12][13]津綟子(つもじ)は今の三重県津市にて江戸時代には盛んに織られていた透き通る織物である。途絶えていたが21世紀に入り復元が試みられている。

滋賀県の伊吹山で受け継がれそして消滅した甲津原麻布は雪袴(ゆきばかま)の伝統衣料で知られた[14]。麻布は地元ではノノと呼ばれ冬の雪に埋もれる時期に織られ、各家庭が衣料として自給してきたが1980年代には技術は途絶えており、神事やお祭りのときに着られているのみだった[15]。1982年代の時点で、麻の種の保存のために栽培はされているとされていたが、それでも1948年の大麻取締法が許可制にしておりその手続きが煩雑であり[15]、ほどなく途絶えたようである[14]。富山県の福光麻布は、明治以前は八講布、五郎丸布と呼ばれ砺波で織られたもので、衣料、布巾、畳、暖簾、蚊帳に使われ、1982年には織元は2軒のみ残っていた[15]。昭和3年の昭和天皇即位の大嘗祭では2000反、平成元年の昭和天皇の大喪の礼では240反の福光麻布が使われた[16]。福光麻布も途絶え、復興の動きがある[16]

明治年間終わりごろの裂織(さきおり、サッコリ、サックリ)の仕事着に、苧屑裂織(おくそ-)すべてが麻でできたものがある[7]。庶民が古い布を衣類として作り直したものである。あるいは、麻糸を作るときにでる麻の苧(読みは「お」、ひも状)の屑を使って作った[7]

画家であった吉田真一郎は、1980年代に西ドイツで親交を深めたヨーゼフ・ボイスから日本のルーツを尋ねられたことをきっかけに、作品を作るための古い布の収集をはじめたが、次第にその興味は麻布にむいていった[17]。麻(大麻)の布は固いと言われていたが、実際には柔らかい布の中にも麻の布があり、上等な上布にも用いられたのではないかと、着物をほどき合格品に押されたと言われている印を探した[17]。その過程で近江の野洲晒に麻布を発見した[8]

老舗の帯匠10代目の山口源兵衛は、若いころから独特に柔らかい布があることに気づいていたが、吉田に出会うことで麻だとはっきり分かり再び惚れ込んでいった[18]。麻布を蘇らせるというアイデアに経済産業省も関心を示し[18]、吉田と山口はエイベックスに提案した[19]。2015年に、エイベックス・グループ・ホールディングス三越伊勢丹らと主に共同開発した麻世妙 (majotae) を用いた衣料が伊勢丹3店舗にて展開され、自社ブランドや他の30ブランドから用意された[20]。保温性もあり秋冬の衣料にも使われている[20]。2015年にはヨウジヤマモトが、麻世妙を用いたウェディングドレスや、ジャケット、シャツ、パンツを展示した[21]ネハン・ミハラヤスヒロ、イタリアのマックスマーラが、この麻世妙による衣料を展開した[22]

海外の麻を使っているが、2016年8月には国産麻の糸が試作され、いずれ公開できるという[17]

特徴[編集]

中肉以上の厚さとなった麻(大麻)は、独特の柔らかさが際立ってくる[22]。反対に、苧麻や亜麻では厚くなるにつれ、硬さが際立つ[22]

他の主な麻織物[編集]

片麻布(かたまふ)とは、縦糸に綿糸、横糸に麻糸を使ったものであり夏に使う生地に適している。生平は、漂白(晒)していない麻布。

出典[編集]

  1. ^ Traci Watson/高野夏美・訳 (2016年2月23日). “世界最古のドレス、5000年前のものと判明”. ナショナルジオグラフィック日本版. 2017年10月10日閲覧。 Traci Watson (2016年2月18日). “See the World’s Oldest Dress”. National Geographic. 2017年10月10日閲覧。
  2. ^ 鈴木まどか「日本のコレクションの絵入りエジプト葬祭用亜麻布」、『倉敷芸術科学大学紀要』第8号、2003年、 41-52頁、 NAID 120005566844
  3. ^ a b なつそひく―麻 せんぐう館 平成28年度企画展示”. せんぐう館. 2017年9月7日閲覧。
  4. ^ a b “吉野ケ里遺跡から最古の染色絹出土”. 朝日新聞: p. 朝刊1面. (1989年7月18日) 
  5. ^ a b 『週刊日本の神社 No67 忌部神社 大麻比古神社』 デアゴスティーニ・ジャパン、2015年5月28日
  6. ^ a b 櫻井 勝之進 『伊勢神宮』 学生社;、1998年、改訂新版、131-135頁。ISBN 4-311-40714-9
  7. ^ a b c d 吉田真一郎 「近世日本麻布考」『日本の自然布』 平凡社、2003年、57-81頁。ISBN 4582944612
  8. ^ a b “1948年 大麻取締法制定と大麻布 消えた「庶民のふんわり服地」”. 朝日新聞: p. 夕刊6面. (2016年6月22日). http://www.asahi.com/articles/DA3S12422393.html 2017年10月25日閲覧。 
  9. ^ a b “高級麻織物高宮布の謎見えた 大麻・苧麻を使い分け”. 朝日新聞: p. 滋賀朝刊23面. (2007年7月12日) 
  10. ^ “”貴重な高宮布を紹介””. 朝日新聞: p. 滋賀朝刊25面. (2007年11月8日) 
  11. ^ 小野宏 (2016年9月1日). “近江麻布と高知木綿、維新後の明暗たどる”. 朝日新聞: p. 滋賀朝刊30面 
  12. ^ しずくいし麻の会”. いわての匠. 2017年10月10日閲覧。
  13. ^ 伝統文化の継承 亀甲織(きっこうおり) - YouTube
  14. ^ a b “妻の遺品、45年前の大麻を織り上げ 滋賀・近江八幡”. 京都新聞. (2015年1月18日). オリジナル2015年1月18日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150322030901/http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150118000040 2017年10月25日閲覧。 
  15. ^ a b c 『月刊染織』第16号、1982年7月、 8-27頁。
  16. ^ a b 福光麻布織機復刻プロジェクト 『越中 福光麻布』 桂書房、2017年ISBN 978-4-86627-019-7
  17. ^ a b c “消えた大麻布 よりを戻す 日本古来の麻を我流で研究、国内生産に挑む”. 日本経済新聞: p. 朝刊28面. (2016年8月12日). https://www.nikkei.com/article/DGKKZO05920430Q6A810C1BC8000/ 2017年10月25日閲覧。 
  18. ^ a b 上阪徹「大麻布に惚れこんだ4人それぞれの革命」、『GOETHE』第10巻第5号、2015年、 122-127頁。
  19. ^ “「和」の魅力 都心に新風”. 朝日新聞: p. 朝刊東京21面5. (2016年5月8日) 
  20. ^ a b “大麻で紳士婦人服 三越伊勢丹HD、新ブランド展開”. 日経MJ(流通新聞): p. 7. (2015年4月3日) 
  21. ^ ヨウジヤマモト、大麻布「麻世妙(まよたえ)」新作を日本橋三越で披露。400万円ウェディングドレス、メンズラインまで”. FASHION HEADLINE (2015年5月21日). 2017年10月25日閲覧。
  22. ^ a b c 小田城司「大麻布リヴァイヴァル」、『Discover Japan』第9巻第9号、2017年、 122-127頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]