陳建仁
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陳建仁 | |
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生年月日 | 1951年6月6日(68歳) |
出生地 |
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出身校 |
国立台湾大学 ジョンズ・ホプキンス大学 |
所属政党 | 無所属 |
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在任期間 | 2016年5月20日 - |
総統 | 蔡英文 |
行政院国家科学委員会主任委員 | |
内閣 |
蘇貞昌 張俊雄 |
在任期間 | 2006年1月25日 - 2008年5月19日 |
行政院衛生署署長 | |
内閣 | 游錫堃 |
在任期間 | 2003年5月18日 - 2005年2月16日 |
陳 建仁(ちん けんじん、1951年6月6日 - )は、中華民国(台湾)の疫学家、政治家、現台湾副総統。無所属。輔仁大学理事。[1]
略歴[編集]
1948年、台湾高雄県旗山鎮(現、高雄市旗山区)生まれ。国立台湾大学動物学科卒業後、医学部の大学院「公共衛生研究所」で修士号を取得し、台湾大学での教員となる。その後渡米し、米国のジョンズ・ホプキンス大学公共衛生学部流行病および人類遺伝学の大学院で博士号を取得。大学教員時にはB型肝炎や小児麻痺、肺癌、鼻咽頭癌などの研究に力を注いだ[2]。また同時にヒ素中毒研究の国際的な第一人者であり、嘉南平原で発生していた烏脚病の調査隊に参加している[3]。
2003年5月18日から2005年2月16日までは、行政院衛生署署長を務め、重症急性呼吸器症候群 (SARS) 流行の際にはトップダウン方式の明確な対応と強いリーダーシップで感染拡大防止に尽力した[4]。
2006年1月25日から2008年5月19日までは、行政院国家科学委員会主任委員に務めた。
2011年10月19日から2015年11月23日までは、中央研究院副院長に務めた。
2015年11月16日、総統選候補者の蔡英文(民主進歩党)から、2016年中華民国総統選挙の副総統候補に指名された[5]。
2016年1月16日、総統選の結果、蔡英文とペアで当選した[6]。
人物[編集]
大聖グレゴリウス勲章とエルサレム聖墳墓騎士団の「騎士」の称号を持っている[9]熱心なカトリック信者であるとされるが、2015年10月24日にカトリック教会が世界代表司教会議で同性婚は認めないと強調した[10]翌月の11月18日にインタビューで同性婚の問題を問われ、「個人はそれぞれ幸福な生活を追求する権利があり、同性愛者も例外ではない。彼等も私たちと同じ様で、同じでない性的傾向があるだけ」、「同性愛者も生命の理念、生活の自由を追求する権利があるが、同性婚について語るならば社会的なコンセンサスが必要かもしれない」と語った[11]。
出典[編集]
- ^ The18th Session of the Board of Trustees
- ^ 人物:陳建仁—台灣流行病學戰士
- ^ 流行病學家陳建仁 帶台灣走過SARS風暴
- ^ 2003年 第1号 新型肺炎SARS台湾視察報告トップダウンで感染防止を果たした台湾に学べ! (PDF)
- ^ “台湾:副総統候補、陳氏を決定 野党・民進党”. 毎日新聞. (2015年11月17日). オリジナルの2016年1月25日時点によるアーカイブ。 2016年1月25日閲覧。
- ^ “台湾新総統・蔡氏に当選証書「権力は人民に借りたもの」”. 朝日新聞デジタル. (2016年1月22日). オリジナルの2016年1月25日時点によるアーカイブ。 2016年1月25日閲覧。
- ^ 鈴木玲子 (2016年5月20日). “台湾新総統就任:「一つの中国」言及せず 対中国で玉虫色”. 毎日新聞 2016年5月20日閲覧。
- ^ “台湾最大野党・民進党、副総統候補に陳氏 公衆衛生の専門家”. 日本経済新聞. (2015年11月16日) 2016年1月25日閲覧。
- ^ 陳建仁資歷顯赫 還有梵諦岡「騎士」頭銜
- ^ “カトリック司教会議、離婚・同性愛への姿勢変えず”. 日本経済新聞. (2015年10月25日) 2016年5月9日閲覧。
- ^ “同性戀者有權追求幸福 陳建仁:同性婚姻需要社會共識”. ETtoday東森新聞雲. (2015年11月18日) 2016年5月9日閲覧。
外部リンク[編集]
- 點亮台灣 LIGHT UP TAIWAN(繁体字中国語)
- 陳建仁 - Facebook(繁体字中国語)
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