神戸ルミナリエ
神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ)は、神戸市の旧居留地において、1995年から毎年12月に行われている祭典、または電飾されている場所を指す[1]。通りや広場を独特の幾何学模様で構成されたイルミネーション(電飾)で飾り、昼間とは異なる風景を現出させてその景観を楽しむ。 基本的にはイタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と、神戸市在住の今岡寛和の共同作品であるが、2011年の第17回開催および2015年の第21回開催は、東京在住のイタリア人であるダニエル・モンテベルデがプロデューサーを務めている[2][3]。
概要[編集]
阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されている[4]。
日本において、一般的に「ルミナリエ」とは、この祭典の事として著名ではあるが、語源のイタリア語では、「luminaria」の複数形「luminarie」であり、小電球などによる電飾(イルミネーション)の事を言う。商標としての「ルミナリエ」は株式会社アイ・アンド・エフにより登録商標(第4117138号ほか)されているが、「KOBEルミナリエ」のロゴは財団法人神戸国際観光コンベンション協会の登録商標(第4117139号ほか)である。
ガレリアと呼ばれる光の回廊はメインストリートである仲町通を貫いており、複数基のアーチを並べることで正面から見ると光のトンネルに見えるように設計されている。これは遠くからでも滑らかな視覚効果を上げるため、ルミナリエの入口であるフロントーネからの距離ごとにアーチ間の間隔は微妙に調整していた構造になっている。
歴史[編集]
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災後の阪神地区にて「復興神戸に明かりを灯そう」という意図で1995年に始まった。1995年と1996年は、観光復興イベントリレー開催支援事業に[5]、1997年7月からは、復興特定事業 新産業構造形成プロジェクトに[6]、それぞれ認定されている。
初年度は、1994年7月から9月にかけて和歌山県で開催された世界リゾート博で使用した電飾を使い[7]、倉庫に保管していた部材を使用して、株式会社経営企画センターにより運営された。[要出典]1996年、経営企画センター従業員がヴァレリオ・フェスティと共に株式会社アイ・アンド・エフを設立し独立。経営企画センターによる運営から、株式会社アイ・アンド・エフによる作品権利へと移行した。
開催状況[編集]
兵庫県・神戸市などが共同で設立した「神戸ルミナリエ組織委員会」が主催。西日本旅客鉄道(JR西日本)が、特別協賛社として名を連ねている。
当初から毎年12月に開催されている[8]ため、近年では「神戸の年末の風物詩」として定着している。当初の会期は2週間であったが、経費節減の影響で、2007年度から12日間、2015年度には10日間に短縮されている。
メイン会場は、旧居留地内の仲町通、および東遊園地。会期中は、「ガレリア」と呼ばれるアーチ状の電飾が、仲町通の夜を彩る。東遊園地では、「スパリエーラ」(光の壁)など、複数の作品が敷地を取り囲むように立てられる。かつては、山陽新幹線新神戸駅前、神戸ハーバーランド、異人館も、「サテライト会場」として一部の作品を設置していた[9]。しかし、2005年以降は、会場を仲町通と東遊園地に集約。仲町通では、経費節減などの影響で、2015年に「ガレリア」の設置ゾーンを短縮している。
会場内では、歩行者は元町側から東遊園地方面への一方通行とする順路が設定されている。また、会場周辺の道路では、開場時間の前後に車両通行止などの交通規制を実施する。
東遊園地への順路については、開催当初、仲町通から東進するだけのルートを設定していた。しかし、隣接都市である明石市内で2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故をきっかけに、会場全般の警備体制を強化[10]。2005年以降は、元町駅周辺から仲町通にかけて、長い迂回ルートを設けている。実際には、警備関係者が来場者数に応じて、複数のルートを使い分けながら来場者を誘導する。
全国各地からルミナリエの観覧を目的とした団体旅行が主催されるほど認知度は高まったが、来場者の増加とともに警備費用も増加し[11]、一方で周辺道路の渋滞や駐車場の混雑などによって一般客が敬遠したり、日帰りバス旅行の利用者は滞在時間が短いなど、周辺企業のクリスマス商戦に支障をきたすようになった。それらの問題点がひいては企業協賛金の減少というかたちで跳ね返ることもあり、2005年以降はクリスマス期間の前に開かれている[12][13]。
また、2005年には震災復興関連の補助金拠出が終了。企業からの協賛金も減少した影響で、2005年と2006年には赤字を計上した[14]。2007年からは、会期を12日間に短縮するとともに、会場内で「1人100円募金」を開始。来場者に対して、翌年の開催のための募金を呼び掛けている。さらに、会場内の特設ブース、神戸市役所、公式サイトで「神戸ルミナリエ公式グッズ」を販売するとともに、売上の一部を開催事業費に充当。2015年には、会期を10日間に短縮する一方で、クラウドファンディングによる期間限定の寄付プロジェクトを初めて実施した[15]。
このように会期の短縮が相次いだことに加えて、イルミネーションやプロジェクションマッピングを利用したイベントや作品の展示・上映が日本各地で年々増えていることなどから、総来場者数は2004年をピークに減少基調で推移(詳細後述)。2015年には、「阪神・淡路大震災の記憶を後世に語り継ぐ」という基本姿勢を引き継ぎながらも、開催の趣旨を「復興」から「まちのさらなる魅力発信と神戸地域への集客」に変更した[16]。
東日本大震災が発生した2011年以降は、関西電力からの節電要請、省エネ志向、経費削減の観点から、一部の作品にLED電球を採用[17]。その一方で、鎮魂や復興の趣旨から温かみのある色を表現する目的で、2014年までは大半の作品に白熱電球が用いられていた[18]。2015年以降は、全ての作品にLED電球を使用している[19]。LEDの光に温かみやぬくもりを持たせるのは、制作ディレクターのダニエル・モンテベルデの課題の一つであり、イタリアで発色の良いLEDを選んで持ち込むことにより、毎年、色合いが進化している[20]。
記録[編集]
メイン会場の来場者数、開催日数、テーマは以下のとおりである[21][22]。
年 | 来場者数 | 開催日数 | テーマ |
---|---|---|---|
1995 | 2,542,678 | 14 | 夢と光 |
1996 | 3,855,665 | 14 | 讃歌-輝けるときを求めて |
1997 | 4,732,346 | 14 | 大地の星たちに捧げる |
1998 | 5,163,716 | 14 | 光の星空 |
1999 | 5,157,573 | 14 | “Pure”(ピュア)な光の下で |
2000 | 4,737,907 | 14 | 光の永遠(インフィニティー) |
2001 | 5,190,000 | 14 | 光の願い |
2002 | 4,640,000 | 14 | 光のぬくもり |
2003 | 5,066,000 | 14 | 光の地平線 |
2004 | 5,383,000 | 14 | 神戸、光の都 |
2005 | 4,358,000 | 14 | 光の第二章 |
2006 | 4,650,000 | 14 | 空の魅惑 |
2007 | 4,043,000 | 12 | 光の紀元[23] |
2008 | 3,755,000 | 12 | 光のインフィニート |
2009 | 3,650,000 | 12 | 光の抱擁 |
2010 | 3,434,000 | 12 | 光の心情 |
2011 | 3,421,000 | 12 | 希望の光 |
2012 | 3,401,000 | 12 | 光の絆 |
2013 | 3,541,000 | 12 | 光の記憶 |
2014 | 3,444,000 | 12 | 神戸 夢と光 |
2015 | 3,256,000[24] | 10 | 心の中の神戸 |
2016 | 3,253,000 | 10 | 光の叙情詩 |
2017 | 3,396,000 | 10 | 未来への眼差し |
2018 | 3,426,000 | 10 | 共に創ろう、新しい幸せの光を(Luci di felicita) |
募金宝くじ[編集]
1999年より、会場内では募金宝くじが発売されている。2001年まではいわゆるイベントくじで、受託銀行が通常の第一勧業銀行(当時)ではなく神戸市に本店を置く第二地方銀行のみなと銀行となっていたのが特徴であった。2002年以降は近畿宝くじに組み込まれたためみずほ銀行の受託となった。ただし、神戸市内を含む一般の宝くじ売り場で販売されているものはルミナリエへの募金にならない。
ハートフルデー[編集]
このルミナリエの展示開催期間中は地元市民は基より国内外から多くの観光客が訪れるため、混雑が発生しやすい。そのため、障がい者、ハンディキャップを持つ人と介護・付き添いの人々に、ルミナリエのイルミネーションをゆっくりと鑑賞していただくという趣旨のもと、事前の試験点灯数日後に「ネスレ・ハートフルデー」と題したイベントが行われている。事前の予約や申し込みは必要無く、当日、障がい等の有無の確認は無いため、良識に委ねられている。
この「ハートフルデー」は、同じ神戸市を本部においているコーヒー飲料メーカーのネスレ日本株式会社が特別協賛し、同社のメセナ(企業社会貢献活動)の一環として、ネスレ社員が会場誘導・警備、並びに鑑賞者にネスレ製品(ネスカフェシリーズ、ミロ、キットカット他)を振る舞いボランティア活動を行っている[25][26]。
脚注[編集]
- ^ 開催地・開催日については内閣府(発行年不明)に記載あり。
- ^ 平成23年10月26日付神戸ルミナリエ組織委員会事務局記者発表資料
- ^ 平成27年10月15日付神戸ルミナリエ組織委員会事務局記者発表資料
- ^ 目的が観光復興である旨、内閣府(発行年不明)に記載あり。
- ^ 阪神・淡路大震災-兵庫県の1年の記録(兵庫県)
- ^ 阪神・淡路大震災 被災状況及び復興への取り組み状況 (神戸市)
- ^ http://samurai-japan.co/detail/1087
- ^ これとは別に、1999年から開催前に実施される試験点灯日を高齢者や身体障害者等の身体的弱者が安全に鑑賞するための「ハートフルデー」として割り当てている。
- ^ 「復興賛歌」再び 神戸ルミナリエの試験点灯(神戸新聞、1996年12月11日)
- ^ 募金で光明 神戸ルミナリエ存続へ(神戸新聞、2007年12月27日)
- ^ 光の祭典、警備費が影 明石歩道橋事件後に増加(朝日新聞、2011年12月13日)
- ^ どうなるルミナリエ 神戸商議所・副会頭に聞く(神戸新聞、2006年12月19日)
- ^ 「神戸ルミナリエ」存続に黄信号 繰越金わずか1300万円(産経新聞、2007年12月14日)
- ^ 神戸ルミナリエ、赤字でピンチ 100円募金で存続模索(朝日新聞、2007年12月13日)
- ^ 平成27年度「第21回神戸ルミナリエ」クラウドファンディングによる寄付プロジェクト開始について(神戸ルミナリエ組織委員会事務局プレスリリース、2015年11月2日)
- ^ KOBEが一番輝く季節 ~第21回神戸ルミナリエ~(神戸市役所、2015年11月30日)
- ^ 節電の冬... ルミナリエでもLED利用や時間短縮(神戸新聞、2011年11月26日)
- ^ どちらの輝きがお好き? 白熱灯とLED] (神戸新聞、2011年12月6日)
- ^ (神戸新聞、2015年12月4日)[1]
- ^ “ルミナリエのLED進化、ぬくもり演出 白熱電球に近づく”. HYOGO ODEKAKE PLUS (2018年12月8日). 2018年12月7日閲覧。
- ^ 神戸ルミナリエ公式サイト 神戸ルミナリエストーリー
- ^ 神戸ルミナリエ公式サイト 来場者数
- ^ 使用電力の一部(10,000KWh)に、自然エネルギーで発電(風力発電、バイオマス発電)されたグリーン電力(グリーン電力認証機構が認証)を利用開始神戸ルミナリエストーリー(2007年)(~2012年まで)
- ^ 会期中の12月11日には、早朝に吹いた強風の影響で、東遊園地南側の噴水広場に展示していた高さ9メートルの円形電飾作品「スパッリエーラ」が倒壊(参照)。組織委員会では一時、当日以降の開催を見送ることも検討していたが、当日の午後に天候が回復。倒壊作品の撤去・周辺ブースの一部閉鎖・他の作品の安全点検を実施したうえで、当日の夜から、当初の予定に沿って開催した。会期全体では、前年から2日間短縮した影響で、総来場者数が減少。その一方で、1日平均の来場者数は、前年から3万8,600名増の32万5,600名に達した(参照)。
- ^ 輝く笑顔のために - ネスレ日本
- ^ 神戸ルミナリエのハートフルデーについて 神戸に観光に行こうのお話
参照文献[編集]
- 内閣府、発行日不明「129 観光振興」『防災情報のページ 共通情報 災害教訓 阪神・淡路大震災の総括・検証に係る調査 内閣府 阪神・淡路大震災 総括・検証 調査シート 3. 復旧・復興段階 産業・雇用 観光業』2010年11月8日閲覧
- ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海、2007年12月10日『ひとまちニュース』44号[リンク切れ]、2010年11月8日閲覧
関連項目[編集]
- 東京ミレナリオ - 1999年から2005年まで同一作者によって東京丸の内で行われた兄弟イベント
- 神戸朝日ビル
- 神戸まつり
- Kobe Love Port・みなとまつり
- インフィオラータ神戸
- サンタ・ドメニカ祭(イタリア語)
- 火祭り (バレンシア) (スペインはバレンシア市で毎年3月に行われる祭り。同市内のスエカ通りで、同一作者によるイルミネーションが行われている)
外部リンク[編集]
- 神戸ルミナリエ公式ウェブサイト
- La Compagnia di Valerio Festi - ヴァレリオ・フェスティのサイト(イタリア語)
- 『「第18回神戸ルミナリエ」決算状況(PDF形式:182KB) - 神戸市