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北陸鉄道石川線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川総線から転送)
北陸鉄道 石川線
石川線を走行する7700系電車
石川線を走行する7700系電車
(2022年7月 井口駅 - 道法寺駅間)
概要
起終点 起点:野町駅
終点:鶴来駅
駅数 17駅
路線記号 I
運営
開業 1915年6月22日 (1915-06-22)(石川電気鉄道)
所有者 金野軌道[1]→金野鉄道[1]金沢電気軌道[1]+(石川電気鉄道[1]→)石川鉄道[1]→金沢電気軌道[1]+金名鉄道(鶴来-加賀一の宮)[1]→金沢電気軌道→北陸合同電気[1]→北陸鉄道(旧)[1]北陸鉄道[1]
使用車両 車両を参照
路線諸元
路線総延長 13.8 km (8.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 890 mm (2 ft 11 in) (金野軌道)
762 mm (2 ft 6 in)(石川電気鉄道)
電化 直流600 V 架空電車線方式
運行速度 最高 70 km/h[2]
路線図
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
exKBHFa
0.8 白菊町駅 -1972
exSTR uexSTR+1
金沢市内線 -1967
0.0 I01 野町駅 野町駅前停留所
STR exLSTR
松金線 -1944
BHF
1.0 I02 西泉駅
hKRZWae
伏見川
STR+4 STR
IRいしかわ鉄道IRいしかわ鉄道線
2.1 I03 新西金沢駅 /左:西金沢駅
STR3 STR
BHF exLSTR
3.4 I04 押野駅
eKRWg+l exKRWr
松金線 -1944
BHF
4.0 I05 野々市駅
exSTRq eABZgr
松金線 -1955
BHF
4.5 I06 野々市工大前駅
BHF
5.5 I07 馬替駅
BHF
6.1 I08 額住宅前駅
BHF
6.8 I09 乙丸駅
eBHF
7.1 三十苅駅 -1946?
BHF
8.2 I10 四十万駅
BHF
8.8 I11 陽羽里駅
BHF
9.3 I12 曽谷駅
BHF
9.9 I13 道法寺駅
BHF
10.7 I14 井口駅
BHF
11.4 I15 小柳駅
BHF
12.1 I16 日御子駅
eBHF
12.7 月橋駅 -1946?
KBHFxe
13.8 I17 鶴来駅
exSTRq exABZgr
能美線 -1980
exBHF
14.6 中鶴来駅 -2009
15.9 加賀一の宮駅 -2009
exSTR
金名線 -1987

石川線(いしかわせん)は、石川県金沢市野町駅から同県白山市鶴来駅間を結ぶ北陸鉄道鉄道路線

かつては、鶴来駅で分岐していた能美線加賀一の宮駅以南の金名線直通運転を行い、3線をまとめて石川総線と呼んでいたが、その名残で、能美線と金名線が1980年代廃止された後も石川線のことを指して「石川総線」と言うことがある。なお、野町駅前に乗り入れる北陸鉄道の路線バスでは「鶴来方面電車」と案内される。

またかつて石川線は白菊町駅 - 加賀一の宮駅間を結ぶ路線であったが、白菊町駅 - 野町駅間が1972年昭和47年)9月20日に、鶴来駅 - 加賀一の宮駅間が2009年平成21年)11月1日に廃止された[3][4][5][6][7]。後者の廃止区間内は加賀白山バス(現在の北鉄白山バス)が運行する既存の瀬女行きの路線バスで代替している[6][8]

路線データ

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歴史

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石川鉄道

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石川鉄道
石川鉄道

白山地域は木材や木炭、たばこなどの産地であり、貨物の需要が見込めることから、1912年8月予備役陸軍工兵大尉の木尾久雄ら8人により金沢市街六斗林から鶴来町を結ぶ軌間1067mm電気鉄道敷設を出願し、1913年4月鉄道敷設の許可が下りた。この計画には才賀電機商会の才賀藤吉も参加しており、技術供与や資金提供などが期待されていた。

ところが才賀電機商会の破綻により才賀関係者が手を引き資金の目処がたたなくなった。急遽他の出資をもとめた結果、愛知県の建設業栗田末松(栗田組)が参加することとなり、株式の過半は栗田関係者がもち、社長も愛知県在住の笹原辰太郎が就任し、1914年石川電気鉄道株式会社[10]が設立された。

その間には鉄道用地の買収難、野々市村の路線誘致運動や松金馬車鉄道と並行線問題がおこり、路線の経路は二転三転したが最終的に国鉄野々市駅(現在の西金沢駅)に接続するように変更した。また不況の影響と資材の高騰から軌間1067mmと電化は断念し、軌間762mm蒸気機関車による方式にあらため、1915年6月に中古の蒸気機関車3両、日本車輌の新製の客車4両と貨車6両で新野々市駅(現在の新西金沢駅) - 鶴来駅間を開業し社名を石川鉄道[11]と改めた。

1921年10月に金沢電気軌道が石川鉄道を買収しようとする計画が表面化した。ちょうど金沢電気軌道が金野鉄道を合併し電化改良工事をしており、石川鉄道を加えれば金沢市南部の物資を金沢市に移送することができる。また交通機関の統一のため石川県知事や鉄道省は合併容認の意向を示していた。県内株主達はようやく経営が安定したところで売却されることに反発したが、栗田をはじめとする愛知在住の大株主達は株式を金沢電気軌道に譲渡することとなり、1923年に合併が決まった[12]

輸送収支実績(石川鉄道)
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1915 80,675 1,192 7,787 4,987 2,800
1916 130,173 9,105 18,494 16,031 2,463 257
1917 153,255 10,696 26,632 23,006 3,626 雑損金813 4,018 4,554
1918 165,936 16,365 36,519 31,217 5,302 雑損金862政府補助金返納872 3,788 4,363
1919 204,052 20,105 59,237 41,587 17,650 政府補助金返納604 4,845 977
1920 207,196 20,629 77,954 45,505 32,449 雑損金38 9,835
1921 228,874 19,544 76,377 42,522 33,855
1922 281,380 23,796 91,180 43,313 47,867
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版

金野軌道(きんやきどう)

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1913年国鉄野々市駅(現在の西金沢駅)から犀川南岸を結ぶ貨物輸送を目的とした馬車軌道金石馬車鉄道(金石電気鉄道)の社長であった横山俊二郎[13]が個人で軌道条例に基づき出願した。8月に特許を取得したが、鉄道用地取得に手間取り、1915年3月になって工事着手、野々市駅から野町までの区間が竣工し1916年1月営業を開始した。しかしその後も工事は遅々として進まず結局終点を犀川南岸から白菊町に短縮して、1916年8月になり新野々市 - 野町 - 西金沢(後の白菊町駅)が全通した。なお1916年に個人から会社組織にし金野軌道株式会社になったが、横山家で全株式の過半をしめていた。その後馬車鉄道は既に時代遅れであることから1919年4月に蒸気鉄道に変更することに決定[14]。社名を金野鉄道に変更し、資本金を20万円にしたが、実現しないまま1920年7月金沢電気軌道に合併された。

輸送収支実績(金野軌道)
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) 客車 貨車
1916 55,601 174 3,294 2,739 555 4 2
1917 66,783 522 4,082 3,193 889 5 2
1918 82,750 2,540 5,789 4,964 825 5 2
1919 99,200 3,767 7,612 9,636 ▲ 2,024 5 2
1920 42,178 3,914 4,486 ▲ 572
1920 35,208 2,768 2,923 ▲ 155 3
1921 5,762 507 1,007 ▲ 500 4
  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版
  • 1920年度途中から馬力のまま金沢電気軌道と合併。1922年度馬力廃止

年表

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  • 1913年大正2年)4月22日 - 石川電気鉄道に対し鉄道免許状下付(金沢市六斗林-鶴来町間 軌間1067mm 動力電気)[1][15]
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)
    • 1月14日 - 金野軌道が野町駅 - 新野々市駅間(890mm軌間・馬力)を開業[1][23]
    • 8月30日 - 金野軌道が西金沢駅(後の白菊町駅) - 野町駅間を開業[22][24]
    • 12月1日 - 石川鉄道が野々市連絡駅(現在の野々市駅)開業[25]
  • 1919年(大正8年)8月18日 - 金野軌道が金野鉄道に改称[1][22]
  • 1920年(大正9年)
  • 1921年(大正10年)8月1日 - 石川鉄道が新野々市駅 - 鶴来駅間を1067mmに改軌、直流600V電化[1][28]
  • 1922年(大正11年)10月1日 - 金沢電気軌道が西金沢駅 - 新野々市駅間の軌道線(元の金野軌道線)を廃止し[1]、1067mmに改軌・電化して地方鉄道線として開業[1][20][28]、石川鉄道線と直通運転を開始[1]
  • 1923年(大正12年)5月1日 - 金沢電気軌道が石川鉄道を買収[1][20][28]
  • 1925年(大正14年)
  • 1926年(大正15年)2月10日 - 新野々市駅を新西金沢駅に、上野々市駅(2代)を野々市駅に改称[31]
  • 1927年昭和2年)
    • 8月17日 - 三十苅駅開業[32]
    • 12月28日 - 金名鉄道(きんめいてつどう)が鶴来駅 - 神社前駅(後の加賀一の宮駅)間(1067mm軌間・蒸気動力)を開業[33][34]
  • 1929年(昭和4年)
  • 1931年(昭和6年)8月11日 - 上野々市駅(3代、現在の野々市工大前駅)開業[37]
  • 1934年(昭和9年)12月1日 - 西泉駅開業[37]
  • 1935年(昭和10年)3月2日 - 粟田駅(現在の乙丸駅)開業[38]
  • 1937年(昭和12年)
  • 1941年(昭和16年)8月1日 - 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立。金沢電気軌道を合併[1]
  • 1942年(昭和17年)3月26日 - 北陸合同電気から交通部門を分離して(旧)北陸鉄道を設立[40][41]
  • 1943年(昭和18年)
    • 2月1日 - 馬替駅開業[38]
    • 10月13日 - (旧)北陸鉄道・金石電気鉄道・温泉電軌・金名鉄道・能登鉄道ほかが合併して北陸鉄道設立。同社の石川線となる[1][20][42]
  • 1944年(昭和19年)10月23日 - 松金線野町駅 - 野々市駅間廃止に伴い松金線との直通運転を開始[要出典]
  • 1946年(昭和21年)以降 - 粟田駅 - 四十万駅間の三十苅駅、日御子駅 - 鶴来駅間の月橋駅廃止[32]
  • 1949年(昭和24年)6月2日 - 能美線との直通運転を開始[43]
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月以前 - 粟田駅を乙丸駅に改称[32]
    • 4月11日 - 上野々市駅(3代)を高専前駅に改称[32][44]
  • 1965年(昭和40年)7月15日 - 大額駅を額住宅前駅に改称[45]
  • 1966年(昭和41年)9月15日 - 高専前駅を野々市工大前駅に改称[32][44]
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 白菊町駅 - 野町駅間の旅客営業を廃止[46]、貨物列車のみの運行となる[1]
  • 1972年(昭和47年)9月20日 - 白菊町駅 - 野町駅間廃止[1][47]
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 貨物営業廃止[48]
  • 1980年(昭和55年)9月14日 - 能美線廃止[43][49]
  • 1983年(昭和58年)5月21日 - 道法寺駅・井口駅に臨時駅員を配置したうえで臨時ダイヤを組み両駅間の時間運休を行い、時間運休中、両駅間にある道法寺踏切を全国植樹祭に来臨した昭和天皇の車列が通過[要出典]
  • 1984年(昭和59年)12月12日 - 金名線休止[34]
  • 1987年(昭和62年)4月29日 - 金名線廃止[34][50]。これ以降、車内乗車券の路線表示が「石川総線」から「石川線」となる。
  • 1990年(平成2年)7月24日 - 通常運行列車を冷房完備の7000系(元東急7000系)へ置き換え[51]。これに伴いワンマン運転を開始[51]
  • 2002年(平成14年) - ATS使用開始[要出典]
  • 2006年(平成18年)12月1日 - 準急列車を全廃し、全列車普通とする[52]。運行本数が微減し、最終の時刻も数分繰り上がる。
  • 2009年(平成21年)11月1日 - 鶴来駅 -加賀一の宮駅間 (2.1km) を廃止[5][7]
  • 2015年(平成27年)3月14日 - 陽羽里駅開業[53][54][55][56]
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 駅ナンバリングを導入[57]
  • 2024年(令和6年)1月1日 - 能登半島地震が発生。発生後、翌日の1月2日まで運転を見合わせた[58]

運行形態

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かつて運転されていた準急野町行き(馬替駅付近)

すべて各駅に停車する普通列車で、途中駅折り返しはなく、日中約60分間隔(朝は15 - 20分間隔)で運転されている。所要時間は野町駅 - 鶴来駅間が約30分である。鶴来駅の始発は6時、野町駅の最終は22時である。

土曜日の鶴来発の1本を除く全列車がワンマン運転されており、各車両の中央のドアには「このドアは開きません」というステッカーが貼られている。

鶴来駅 - 加賀一の宮駅間が廃止される前の2009年10月31日までは、野町駅から加賀一の宮駅まで運転の列車と、鶴来駅折り返しの列車がおおむね交互に運行されていた(日中は32分間隔)。所要時間は野町駅 - 加賀一の宮駅間が約35分であった。毎年大晦日の深夜から元日の朝にかけては白山比咩神社への初詣客向けに、加賀一の宮駅発着の臨時列車による終夜運転が行われていた。終夜運転は鶴来駅 - 加賀一の宮駅間廃止後も行われている。

2006年11月30日までは、日中の野町駅 - 鶴来駅間の系統は準急列車で運行されていた[52]。準急は交換設備のアンバランスによる運行間隔是正を主目的として運行。押野駅・野々市駅・小柳駅は準急の全列車が通過[59]、馬替駅と曽谷駅は一部の準急が通過となっていた[59]。所要時間は野町 - 鶴来間が約25分であった。1995年3月29日までは、金沢市内バスとの競合回避や速達サービス提供を目的に、日中は全列車が準急列車として運行されていた[60]。停車駅により準急Aと準急Bに分け、野々市工大前以南では通過駅を振り分ける(乗車機会均等化のため)形で運行されていた。種別が準急となっていたのは、過去には上位列車として急行の設定(西泉・新西金沢・野々市工大前・額住宅前の各駅のみ停車)[59]があったためである。なお、2022年10月16日に鉄道の日を記念したイベント「ほくてつ電車まつり」の関連企画として、この日限定で16年ぶりとなる準急が2往復運行された[61]

1980年ごろのダイヤでは、金名線白山下駅まで行く列車が朝夕にあり、最終列車も早めに設定されていた。

2002年から夏季に運行しているビール電車[44][62]を始め、おでんでんしゃや[63]、妖怪電車[64]といった各種イベント列車を運行している。

なお、路面電車の北陸鉄道金沢市内線廃止後は金沢駅(北陸鉄道浅野川線北鉄金沢駅) - 野町駅間を結ぶ鉄軌道はなく、バスでの連絡となっているが、 金沢港 - 金沢駅 - 野町駅間をLRTあるいはBRT方式で結ぶという案が浮上している[65][66][67]

利用状況

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北陸鉄道石川線の輸送実績を下表に記す。

表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

輸送実績

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石川線(石川総線)の近年の輸送実績を下表に記す[68][69]。輸送量は減少傾向にあったが、鶴来駅 - 加賀一の宮駅間廃止以後は増加傾向にある。 輸送密度については、石川総線を構成する能美線・金名線廃止により改善した時期もあったが、鶴来駅 - 加賀一の宮駅間廃止まで減少を続け、同区間廃止後は改善している。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人 輸送密度
人/日
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1977年(昭和52年) 70.9 87.8 132.8 291.5 1,191  
1978年(昭和53年) 70.4 84.4 126.4 281.3 1,155  
1979年(昭和54年) 64.9 79.8 125.9 270.8 1,138  
1980年(昭和55年) 65.2 75.5 134.3 275.2 1,333 能美線廃止
1981年(昭和56年) 60.1 74.9 125.7 260.8 1,547  
1982年(昭和57年) 57.4 73.9 130.5 261.8 1,566  
1983年(昭和58年) 55.1 78.3 129.6 263.0 1,541  
1984年(昭和59年) 49.6 67.0 112.1 228.8 1,402 金名線休止
1985年(昭和60年) 46.2 69.4 111.3 226.9 1,367  
1986年(昭和61年) 40.9 70.1 102.0 213.0 1,304  
1987年(昭和62年) 37.8 61.7 94.2 193.7 2,264 金名線廃止
1988年(昭和63年) 41.2 64.8 93.8 199.8 2,502  
1989年(平成元年) 40.3 62.8 88.5 191.6 2,425  
1990年(平成2年) 40.1 66.0 88.8 194.9 2,519 冷房電車導入 ワンマン運転開始
1991年(平成3年) 38.6 71.1 86.9 196.6 2,569  
1992年(平成4年) 35.8 69.0 87.6 192.4 2,494  
1993年(平成5年) 35.9 64.9 90.0 190.8 2,432  
1994年(平成6年) 34.0 64.1 87.3 185.4 2,371  
1995年(平成7年) 30.7 70.2 89.4 190.3 2,415  
1996年(平成8年) 30.8 70.2 90.2 191.2 2,455  
1997年(平成9年) 31.0 68.0 84.7 183.7 2,350  
1998年(平成10年) 27.1 62.0 79.6 168.7 2,205  
1999年(平成11年) 24.1 55.6 78.7 158.4 2,002  
2000年(平成12年) 22.4 52.0 73.2 147.6 1,874  
2001年(平成13年) 20.9 51.6 66.9 139.4 1,778  
2002年(平成14年) 22.0 53.0 70.3 145.3 1,854  
2003年(平成15年) 21.4 50.0 71.5 142.9 1,840  
2004年(平成16年) 21.0 49.2 65.1 135.3 1,737  
2005年(平成17年) 20.0 48.7 64.1 132.8 1,681  
2006年(平成18年) 21.3 45.0 61.8 128.1 1,622  
2007年(平成19年) 23.3 43.2 60.3 126.8 1,621  
2008年(平成20年) 24.2 44.2 58.8 127.2 1,609  
2009年(平成21年) 23.1 39.7 58.4 121.2 1,624 鶴来駅 - 加賀一の宮駅間を廃止
2010年(平成22年) 23.0 42.0 56.5 121.4 1,728  
2011年(平成23年) 21.9 40.7 54.8 117.4 1,659  
2012年(平成24年) 21.9 43.4 51.3 116.6 1,713  
2013年(平成25年) 21.6 47.4 51.8 120.9 1,798  
2014年(平成26年) 22.3 44.9 49.7 116.9 1,756 陽羽里駅開業、北陸新幹線金沢開業
2015年(平成27年) 22.7 44.3 54.4 121.4 1,838  
2016年(平成28年) 25.3 44.9 55.1 125.3 1,868  
2017年(平成29年) 25.1 47.1 57.5 129.7 1,930  
2018年(平成30年) 24.9 49.6 56.8 131.3 1,952  
2019年(令和元年) 25.5 44.4 55.1 125.0 1,877  
2020年(令和2年) 19.3 27.2 38.6 85.1 1,314  
2021年(令和3年) 19.2 30.4 39.4 89.0 1,391  
2022年(令和4年) 19.1 36.2 42.5 97.8  
2023年(令和5年) 21.2 38.8 46.4 106.4  

収入実績

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石川線(石川総線)の近年の収入実績を下表に記す[68][69]。旅客運賃収入は1996年(平成8年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別収入実績
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1977年(昭和52年) 169,676 ←←←← 219,637 5,197 394,511 7,877 402,388
1978年(昭和53年) 186,152 ←←←← 236,167 4,205 426,525 6,469 432,995
1979年(昭和54年) 186,684 ←←←← 248,816 3,354 438,854 8,012 446,867
1980年(昭和55年) 181,131 ←←←← 253,878 3,010 438,020 7,876 445,897
1981年(昭和56年) 171,283 ←←←← 236,236 2,313 409,833 8,339 418,173
1982年(昭和57年) 166,321 ←←←← 246,498 1,824 414,643 8,944 423,587
1983年(昭和58年) 179,543 ←←←← 259,897 1,520 440,960 8,326 449,286
1984年(昭和59年) 179,877 ←←←← 247,640 829 428,346 9,039 437,386
1985年(昭和60年) 185,521 ←←←← 252,855 666 439,042 9,676 448,718
1986年(昭和61年) 190,391 ←←←← 246,148 699 437,238 11,110 448,348
1987年(昭和62年) 71,659 106,422 232,011 479 410,571 9,884 420,455
1988年(昭和63年) 80,292 115,448 236,461 521 432,722 8,553 441,275
1989年(平成元年) 78,842 113,146 230,245 542 422,775 9,047 431,822
1990年(平成2年) 81,147 122,968 238,167 546 442,828 11,460 454,288
1991年(平成3年) 79,022 132,356 234,712 556 446,646 9,500 456,146
1992年(平成4年) 73,665 128,487 235,625 489 438,266 11,038 449,304
1993年(平成5年) 72,695 119,358 241,428 482 433,963 13,150 447,113
1994年(平成6年) 69,360 117,337 232,624 416 419,737 13,374 433,111
1995年(平成7年) 61,983 127,179 238,775 423 428,360 14,168 442,528
1996年(平成8年) 62,227 127,509 242,191 410 432,337 12,723 445,060
1997年(平成9年) 61,999 123,063 226,778 19 411,859 12,286 424,145
1998年(平成10年) 55,347 113,815 213,132 19 382,313 13,430 395,743
1999年(平成11年) 48,985 101,952 209,705 19 360,661 12,664 373,325
2000年(平成12年) 45,842 95,555 195,868 17 337,282 11,528 348,810
2001年(平成13年) 42,937 93,641 180,309 19 316,906 11,184 328,090
2002年(平成14年) 44,625 96,332 189,218 24 330,199 9,178 339,377
2003年(平成15年) 44,940 90,885 193,707 26 329,558 111,104 440,662
2004年(平成16年) 44,395 88,417 177,337 26 310,175 11,092 321,267
2005年(平成17年) 41,835 87,406 174,319 25 303,585 10,520 314,105
2006年(平成18年) 43,547 78,177 168,356 25 290,105 10,911 301,016
2007年(平成19年)              
2008年(平成20年)              
2009年(平成21年)              
2010年(平成22年)              
2011年(平成23年)              
2012年(平成24年) 37,658 66,241 138,054 0 241,953 7,508 249,462
2013年(平成25年) 36,086 71,370 136,536 0 243,992 8,537 252,529
2014年(平成26年) 37,562 67,790 128,976 0 234,328 8,983 243,311
2015年(平成27年) 38,033 67,978 141,573 0 247,583 9,462 257,045
2016年(平成28年) 42,117 68,008 143,333 0 253,458 9,034 262,492
2017年(平成29年) 40,683 72,088 149,267 0 262,038 8,982 271,021
2018年(平成30年) 40,476 71,367 147,102 0 258,945 8,287 267,232
2019年(令和元年) 42,653 69,274 144,503 0 256,431 6,227 262,658
2020年(令和2年) 34,476 48,771 102,539 0 185,787 4,609 190,396
2021年(令和3年) 34,520 55,597 106,359 0 196,476 4,867 201,343
2022年(令和4年) 35,213 62,431 116,857 0 214,501    
2023年(令和5年) 37,930 66,021 129,546 0 233,497    

車両

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現有車両

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電車

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電気機関車

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ディーゼル機関車

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  • DL7形
    日本貨物鉄道(JR貨物)から譲渡されたロータリー除雪装置付の軌道モーターカー2008年(平成20年)秋に搬入され、DL11に代わって鶴来検車区の入れ換え用として使用されている。

過去の車両

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電車

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  • モハ1500形(モハ3710形)
  • モハ3000形
  • モハ5100形(モハ3760形)
  • サハ1000形(モハ3730形)
  • モハ3150形・クハ1150形
    元は現在のJR飯田線の一部区間の前身である伊那電気鉄道デ120形で、国有化を経て末期は富山港線で使用されていたものを1956年(昭和31年)に譲り受けている。当初はモハ3100形を名乗り、3101、3102が浅野川線に、3103, 3104が石川総線に配属されていたが、浅野川線では出力が強すぎるためモーターが4個から2個に減らされていた。1961年(昭和36年)に石川総線所属の2両はモハ3150形3151、3152と改称・改番され、浅野川線所属の2両については1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて石川総線へ転属したが、その際電装解除・制御車化されてクハ1150形1151、1152と改称・改番された。その後1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて廃車され、台車や主要機器はモハ3770形とクハ1720形に転用された。なお、モハ3151・クハ1151の車体は魚礁として白山市(当時は松任市)沖の日本海に沈められた。
  • モハ3700形
  • モハ3750形
  • モハ3770形・クハ1720形
  • モハ3740形
  • サハ2000形(サハ2001, 2002)
    乗客の増加に対応するために増備された付随車で、経歴は能登鉄道木造客車ホハ1, 2→北陸鉄道能登線ホハ1201、1202→石川線サハ611、612。木造時代はセミクロスシートを備え、団体貸切などに使用された。サハ2001は1956年(昭和31年)自社工場製でどういう訳か種車の車籍を継承せず、車籍上は国鉄木造客車ホハ12000→サハ651(北陸鉄道での車籍は与えられないまま使用されていた)を改造したことになっている。サハ2002は張り上げ屋根で1957年(昭和32年)にサハ612の改造として東洋工機および日本車輌で製造された。付随車であるが運転台と乗務員扉を持ち、後に正式に制御車化されてクハ1711、1712となった。その後1973年(昭和48年)に浅野川線に転属、その際に制御方式が変更されたためクハ1210形と改称されている。
廃車表
記号番号
1986 クハ1724
1987 クハ1722、モハ3703・3704
1990 モハ3732、3741-3744、3772・3773、クハ1721・1723(モハ3762→クハ1301浅野川線へ)
1996 モハ3731
2006 モハ3751、3761
2007 モハ3752
  • 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』JTB、2002年、『私鉄車両編成表』各年版、ジェーアールアール

電気機関車

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  • ED30形
    ED301
  • EB23形(EB231)
    元能美電気鉄道デ8→北陸鉄道モハ621。2軸単車で、機関車代用として新西金沢車庫や鶴来車庫で構内入換に使用された。後にボギー車化、側面窓の大部分の埋め込み、前面窓のHゴム支持化などの改造を受けED23形と改称されている。
  • EB11形(EB111)
    元温泉電軌デハ2。2軸単車で機関車代用として新西金沢工場の構内入換に使用され、モヤ551と称された時期もあった。
  • ED20形(ED201)
    元能美電気鉄道デキ1で1938年(昭和13年)、木南車両製の小型凸形電機。主に石川線の貨物列車の牽引に使用された。

ディーゼル機関車

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  • DL1形
    1966年(昭和41年)富士重工業製の軌道モーターカー。当初は保線列車や除雪に使用されたが、2007年10月廃車となる[70]。晩年は構内入換用となっていた。
  • DL3形
    1979年(昭和54年)に国鉄から払い下げを受けたロータリー式除雪車。L型の車体で、運転台側にロータリーヘッド、機器室側にラッセルヘッドを装着していた。2007年10月廃車となる[70]

貨車

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  • ホム1形
    ホム1
    1967年近江鉄道から譲受けたもので、書類上は1961年(昭和36年)西武所沢車両工場製とされているが、実際には1914年製の小倉鉄道セム1形を出自とする。バラスト撒布用に使用されていたが、2007年10月廃車となる[70]。晩年はほとんど使われることなく鶴来駅構内に留置されていた。廃車後は金沢市在住の個人が25万円で買い取り、富山県高岡市の工場で保管。2015年、能美市立博物館(当時)に隣接する「のみでん広場」での常設展示(静態保存)を開始した[71][72]

駅一覧

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営業中の区間

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  • すべて普通列車で各駅に停車。
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線・備考 所在地
I01 野町駅 - 0.0   金沢市
I02 西泉駅 1.0 1.0  
I03 新西金沢駅 1.1 2.1 IRいしかわ鉄道IRいしかわ鉄道線西金沢駅
I04 押野駅 1.3 3.4   野々市市
I05 野々市駅 0.6 4.0  
I06 野々市工大前駅 0.5 4.5  
I07 馬替駅 1.0 5.5   金沢市
I08 額住宅前駅 0.6 6.1  
I09 乙丸駅 0.7 6.8  
I10 四十万駅 1.4 8.2  
I11 陽羽里駅 0.6 8.8 白山市
I12 曽谷駅 0.5 9.3  
I13 道法寺駅 0.6 9.9  
I14 井口駅 0.8 10.7  
I15 小柳駅 0.7 11.4  
I16 日御子駅 0.7 12.1  
I17 鶴来駅 1.7 13.8  

1972年廃止区間

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駅名 営業キロ 接続路線・備考
白菊町駅 0.0  
野町駅 0.8  

2009年廃止区間

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  • 全駅白山市内に所在。
  • 営業キロは野町駅からのもの。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線・備考
鶴来駅 - 13.8  
中鶴来駅 0.8 14.6  
加賀一の宮駅 1.3 15.9  

廃止駅

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廃止区間の駅は上表参照。

  • 三十苅駅(乙丸 - 四十万間の乙丸から約0.3km鶴来寄り、1946年以降廃止)
  • 月橋駅(日御子 - 鶴来間の日御子から約0.6km鶴来寄り、1946年以降廃止)

過去の接続路線

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現存区間の存廃問題

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2023年11月24日のNHKのニュースサイト[73]によれば、北陸鉄道が石川線の存続についての協議会を開き、廃線にして跡地にBRTを運行する案が検討されたものの、バス運転手不足のために2023年8月にBRT化を断念し、今後の支援として(みなし)上下分離方式が検討されていると報じられた。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング、2008年、p.38
  2. ^ a b 寺田裕一『日本のローカル私鉄 (2000)』 - ネコ・パブリッシング
  3. ^ “北鉄石川線区間廃止へ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2008年10月23日). オリジナルの2008年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081026105300/http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub1/isikawa/ho_s1_08102301.htm 2021年3月7日閲覧。 
  4. ^ 北陸鉄道株式会社の鉄道事業の一部を廃止する届出及び本届出に係る公衆の利便の確保に関する意見の聴取について” (PDF). 国土交通省北陸信越運輸局 (2008年10月23日). 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  5. ^ a b 北陸鉄道、石川線鶴来(つるぎ)~加賀一の宮間の廃止を届け出”. マイナビニュース. マイナビ (2008年10月31日). 2019年5月3日閲覧。
  6. ^ a b 北陸鉄道石川線・鶴来〜加賀一の宮間の廃止について”. 北陸鉄道 (2009年10月8日). 2009年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  7. ^ a b 北陸鉄道 鶴来—加賀一の宮間廃止 - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2009年11月1日
  8. ^ 鉄道ジャーナル 2014, p. 64.
  9. ^ 鉄道ジャーナル 2014, p. 61.
  10. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第24回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「金沢市郊外鉄道建設と地域社会」239-240頁
  13. ^ 尾小屋銅山の採掘に成功し「北陸の鉱山王」と呼ばれた横山家の一員
  14. ^ この動力変更について当時の新聞報道では石川鉄道との間で合併を協議しているためと見られていた。「金沢市郊外鉄道建設と地域社会」231-232頁
  15. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年4月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 北國新聞 2003, p. 198.
  17. ^ 寺田 2018, p. 43.
  18. ^ RM231 2018, p. 4.
  19. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年6月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ a b c d e f 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.93 および 私鉄史ハンドブック正誤表 (PDF)
  21. ^ 私鉄史ハンドブック正誤表では7月6日[20]
  22. ^ a b c d 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.95 および 私鉄史ハンドブック正誤表 (PDF)
  23. ^ 『私鉄の廃線跡を歩くIII』では野町は野町5丁目、私鉄史ハンドブック正誤表では「1月15日開業 新野々市 - 野町」[22]
  24. ^ 『私鉄の廃線跡を歩くIII』では8月1日開業、野町は野町5丁目[1]
  25. ^ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』1916年12月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「地方鉄道停車場廃止」『官報』1920年2月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ 「地方鉄道停車場名改称」『官報』1920年3月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ^ a b c d 寺田 2018, p. 19.
  29. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年5月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  30. ^ a b 川島 2010, p. 83.
  31. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1926年3月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  32. ^ a b c d e 今尾 2008, p. 29.
  33. ^ a b 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.94
  34. ^ a b c d 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング、2008年、p.106
  35. ^ RM231 2018, p. 37.
  36. ^ RM231 2018, p. 15.
  37. ^ a b 川島 2010, p. 81.
  38. ^ a b 川島 2010, p. 82.
  39. ^ RM231 2018, p. 34.
  40. ^ 設立日は『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルコレクション)
  41. ^ 私鉄史ハンドブック正誤表によると譲渡は4月1日
  42. ^ 北國新聞 2003, p. 416.
  43. ^ a b 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』JTBパブリッシング、2008年、p.94
  44. ^ a b c 石川線100周年・浅野川線90周年記念ページ”. 北陸鉄道. 2015年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月8日閲覧。
  45. ^ 北陸鉄道 1993, p. 273.
  46. ^ 北陸鉄道 1993, p. 275.
  47. ^ 北陸鉄道 1993, p. 276.
  48. ^ 北陸鉄道 1993, p. 279.
  49. ^ 北陸鉄道 1993, p. 283.
  50. ^ RM231 2018, p. 29.
  51. ^ a b 北陸鉄道 1993, p. 138.
  52. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 2014, p. 63.
  53. ^ 石川線新駅「陽羽里駅」開業日決定と完成式典の開催について”. 北陸鉄道 (2015年2月25日). 2015年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  54. ^ 北陸鉄道に新駅(陽羽里「ひばり」駅)が設置されます” (PDF). 国土交通省北陸信越運輸局 (2014年7月31日). 2018年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  55. ^ 北陸鉄道石川線に新駅「ひばり」…来年3月開業へ”. レスポンス. イード (2014年8月1日). 2019年5月3日閲覧。
  56. ^ 北陸新幹線と接続、北陸鉄道3/14ダイヤ改正 - 石川線陽羽里駅も同日に開業”. マイナビニュース. マイナビ (2015年2月26日). 2019年5月3日閲覧。
  57. ^ 北陸鉄道グループ ダイヤ改正を実施します(4/1)”. 北陸鉄道 (2019年3月12日). 2020年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日閲覧。
  58. ^ 鉄道や空の便に乱れ 北陸道通行止め解除”. NHK (2023年1月3日). 2024年1月12日閲覧。
  59. ^ a b c 川島 2010, p. 80.
  60. ^ 交友社鉄道ファン』1995年7月号 通巻411号 p.154
  61. ^ “北陸鉄道石川線、準急1日限定で復活”. 日本経済新聞. (2022年10月13日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC136G60T11C22A0000000/ 2022年10月18日閲覧。 
  62. ^ 北陸鉄道、今年もビール電車 来月石川線で運行 - 日本経済新聞、2017年6月20日
  63. ^ 【北陸鉄道】石川線で〈金澤おでんでんしゃ〉運転 - 鉄道ホビダス RMニュース、2016年11月21日
  64. ^ 【北陸鉄道】石川線で〈妖怪電車〉運転 - 鉄道ホビダス RMニュース、2016年8月2日
  65. ^ “金沢市新交通、金沢港―野町 地上走行で 検討委が提言書案”. 日本経済新聞. (2017年2月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXLZO12846230T10C17A2LB0000/ 2022年1月16日閲覧。 
  66. ^ “金沢市、新交通システム具体化で検討委 LRTやBRT”. 日本経済新聞. (2021年5月25日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC253FK0V20C21A5000000/ 2022年1月16日閲覧。 
  67. ^ 公共交通の持続可能性確保に関する有識者意見 中間とりまとめ” (pdf). 金沢市新しい交通システム導入検討委員会 (2021年9月). 2022年1月16日閲覧。
  68. ^ a b 管内鉄軌道事業者輸送実績”. 国土交通省北陸信越運輸局. 2024年9月30日閲覧。
  69. ^ a b 鉄道統計年報”. 国土交通省. 2024年9月30日閲覧。
  70. ^ a b c 『私鉄車両編成表 08年版』ジェーアールアール、174頁
  71. ^ “貨車35年ぶり“帰郷”旧能美線 保線作業で活躍”. 中日新聞 (中日新聞社). (2015年6月13日). オリジナルの2015年6月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150616083703/http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20150613/CK2015061302000041.html 2021年3月7日閲覧。 
  72. ^ 寺田 2018, p. 33.
  73. ^ バス路線 全国8600キロ余が廃止 要因の4割が“運転手不足””. NHK NEWSWEB. 日本放送協会 (2023年11月24日). 2023年11月26日閲覧。

参考文献

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  • 新本欣悟「金沢市郊外鉄道建設と地域社会」『近代日本の地方都市ー金沢/城下町から近代都市へ』橋本哲哉編、日本経済評論社、2006年
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』6号北信越、新潮社、2008年、28-29頁。 
  • 岡本憲之『軽便鉄道時代』JTBパブリッシング、2010年
  • 和久田康雄「北陸鉄道前史補説」『鉄道ピクトリアル』No220 1969年2月号、64-65頁
  • 『北陸鉄道50年史』北陸鉄道、1993年12月。 
  • 『北國新聞に見るふるさと110年(上)』北國新聞社、2003年8月5日。 
  • 川島令三『【図説】日本の鉄道 中部ライン 全線・全駅・全配線 第6巻 加賀温泉駅-富山エリア』講談社、2010年9月20日。ISBN 978-4-06-270066-5 
  • 土屋武之・村上悠太「新幹線を迎える石川県に根付く 北陸鉄道の今昔物語」『鉄道ジャーナル』568号、鉄道ジャーナル社、2014年2月、58 - 65頁。 
  • 寺田裕一『RM LIBRARY 230 北陸鉄道能美線』ネコ・パブリッシング、2018年10月1日。ISBN 978-4-7770-5434-3 
  • 寺田裕一『RM LIBRARY 231 北陸鉄道金名線』ネコ・パブリッシング、2018年11月1日。ISBN 978-4-7770-5435-0 

関連項目

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外部リンク

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