北陸鉄道連絡線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
北陸鉄道 連絡線
概要
現況 廃止
起終点 起点:河南駅
終点:粟津温泉駅
駅数 10駅
運営
開業 1914年10月1日 (1914-10-01)
廃止 1971年7月11日 (1971-7-11)
所有者 温泉電軌北陸鉄道
使用車両 北陸鉄道加南線#車両を参照
路線諸元
路線総延長 10.6 km (6.6 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(改称以前)
山中線
exBHFq exABZq+r
0.0 河南駅
exBHF
1.3 山代駅
exBHF
2.0 山代東口駅
exBHF
3.0 宇和野駅
exABZgl exSTRq
動橋線
exSTR
↓1962廃止
exBHF
4.2 二ッ屋駅
exBHF
4.9 勅使駅
exBHF
5.8 栄谷駅
exBHF
7.8 那谷寺駅
exBHF
9.4 馬場駅
10.6 粟津温泉駅
exSTR
粟津線

連絡線(れんらくせん)は、石川県河南駅粟津温泉駅とを結んでいた鉄道路線で、加南連絡線とも呼ばれる。1962年(昭和37年)に宇和野駅 - 粟津温泉駅が廃止され、残存区間も1963年(昭和38年)に動橋線と統合して山代線に改称された。

山中線・動橋線・粟津線片山津線とともに加南線と総称されていた。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):10.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:10駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線

歴史[編集]

温泉電軌の設立趣意書によれば既存の馬車鉄道を買収し電気鉄道により山中山代の各温泉場より那谷の名勝を経て粟津温泉を結びさらに小松町に延長することを目的としていた。

1914年に河南駅-粟津温泉駅間が開通し、前年に電化していた旧山中馬車鉄道線、1915年に旧山代軌道線、1916年に旧粟津軌道線が電化し相互連絡が完成した。 1915年頃には毎年7月12日から8日間午後6時半ころから納涼電車を山中、山代、粟津間に2往復した。これは飾り付けした車内(希望により畳敷き)で三温泉の女中が交替で乗車し、お酌をするなどサービスをして好評であったという[1]。もっとも連絡線は温泉地相互連絡が目的であり、北陸本線との接続もなく、沿線にめぼしい産業を持たないこともあり、旧馬車鉄道の軌道線が良好な成績をあげていたのに対し、温泉電軌の経営の足をひっぱっていた。そのため軽便鉄道補助法により毎年補助金を受け取ることになった。

  • 1913年(大正2年)6月18日 温泉電軌発起人横山章他に対し鉄道免許状下付(江沼郡河南村-能美郡小松町間、江沼郡那谷村-同郡動橋村間)[2]
  • 1914年(大正3年)
    • 10月1日 河南駅 - 本九谷(山代東口)駅間開業[3]
    • 11月1日 本九谷(山代東口)駅 - 粟津温泉駅間開業[4]
  • 1916年(大正5年)5月17日 鉄道免許失効(能美郡粟津村-同郡小松町間、江沼郡那谷村-同郡動橋村間 指定の期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[5]
  • 1920年(大正9年)12月27日 鉄道免許状下付(江沼郡矢田野村-同郡小松町間)[6]
  • 1926年(大正15年)10月13日 鉄道免許失効(江沼郡矢田野村-同郡小松町間 指定ノ期限内ニ工事着手セサルタメ)[7]
  • 1943年(昭和18年)10月13日 (旧)北陸鉄道・金石電気鉄道・温泉電軌・金名鉄道・能登鉄道ほかが合併して北陸鉄道設立。同社の連絡線となる
  • 1962年(昭和37年)11月23日 宇和野駅 - 粟津温泉駅間廃止
  • 1963年(昭和38年)7月19日 河南駅 - 宇和野駅間を動橋線と統合して山代線に改称
  • 1971年(昭和46年)7月11日 山代線廃止

駅一覧[編集]

駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県に所在。

凡例
列車交換 … ◇・∧:交換可、|:交換不可
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 列車交換 所在地
河南駅 - 0.0 北陸鉄道:山中線 加賀市河南町
山代駅 1.3 1.3   加賀市山代温泉
山代東口駅 0.7 2.0   加賀市山代温泉
宇和野駅 1.0 3.0 北陸鉄道:動橋線 加賀市上野町
二ッ屋駅 1.2 4.2   加賀市森町
勅使駅 0.7 4.9   加賀市勅使町
栄谷駅 0.9 5.8   加賀市栄谷町
那谷寺駅 2.0 7.8   小松市那谷町
馬場駅 1.6 9.4   小松市馬場町
粟津温泉駅 1.2 10.6 北陸鉄道:粟津線 小松市粟津町
  • 1915年6月15日に宇和野、二ツ屋間に森区停留場[8]が1917年12月20日に栄谷、那谷寺間に東栄谷停留場が設置されている[9]が廃線時の路線図には掲載されていない[10]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『石川百年史』758頁
  2. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年10月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「軽便鉄道一部免許失効」『官報』1916年5月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年12月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1926年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年6月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1917年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 荒川和敬「北陸電車だより1」『鉄道ファン』No.16

参考文献[編集]

  • 石林文吉『石川百年史』石川県公民館連合会、1972年、758頁
  • 渡辺均「温泉電軌の成立とその性格」『鉄道史学』No5、1987年

関連項目[編集]