「倉敷地域」の版間の差分
カテゴリ調整 タグ: 2017年版ソースエディター |
m Bot作業依頼: 岡山市域の記事改名に伴うリンク修正 (興除地域) - log |
||
99行目: | 99行目: | ||
* 北:[[総社市]]([[清音村|清音]]・[[山手村|山手]]) |
* 北:[[総社市]]([[清音村|清音]]・[[山手村|山手]]) |
||
* 西:倉敷市[[船穂町|船穂地区]] |
* 西:倉敷市[[船穂町|船穂地区]] |
||
* 東:倉敷市庄地区・茶屋町地区、[[早島町]]、[[岡山市]][[南区 (岡山市)|南区]]([[興除]]・[[灘崎]]) |
* 東:倉敷市庄地区・茶屋町地区、[[早島町]]、[[岡山市]][[南区 (岡山市)|南区]]([[興除地域]]・[[灘崎]]) |
||
* 南:倉敷市水島地域・児島地域 |
* 南:倉敷市水島地域・児島地域 |
||
2024年4月5日 (金) 01:49時点における版
倉敷地域 くらしき | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
自治体 | 倉敷市 |
旧自治体 | 初代倉敷市(旧児島郡福田町・浅口郡連島町域を除く) |
世帯数 |
82,870世帯 |
総人口 |
196,346人 (登録人口、2023年2月末現在) |
隣接地区 |
市内:水島地域、児島地域、庄地区、茶屋町地区、船穂地区 市外:岡山市南区、総社市、都窪郡早島町 |
倉敷市役所倉敷本庁 | |
北緯34度35分6.3秒 東経133度46分19.6秒 / 北緯34.585083度 東経133.772111度座標: 北緯34度35分6.3秒 東経133度46分19.6秒 / 北緯34.585083度 東経133.772111度 | |
所在地 |
〒710-0833 岡山県倉敷市西中新田640番地 |
倉敷地域(くらしき ちいき)は、岡山県倉敷市における行政上の地域区分である。市域の北中部に位置し、市役所の本庁直轄エリアである。倉敷美観地区のある倉敷中心市街地を中枢としており、水島地域・玉島地域・児島地域とともに倉敷市の主要4地域を形成している[1]。
倉敷市内の一地域としての「倉敷」は、当ページで説明しているエリアの他に、当地と水島を合わせた旧倉敷市域を指す事や、他に当地に支所管轄域としては小規模な茶屋町地区・庄地区の両地域を合わせたものを指すこともあるが、市内の「倉敷」としてはおおむね当地をさす事がほとんどである。
また狭義では、旧倉敷町(倉敷村)域を指す事もあり、これについては倉敷町および倉敷を参照のこと。
本項では便宜上、1928年から1967年まで存在した旧倉敷市についても当ページで記述している(「#旧倉敷市」参照)。
概要
岡山平野の西部を占める倉敷平野と呼ばれる広大な平地を中心にした地域である。平野の北部には福山丘陵(都窪丘陵)、東部には早島丘陵(帯江丘陵)、南部には児島山塊の北端部や連島山塊、西部は高梁川に囲まれる。中央を東西にJR山陽本線が走り、中央部には鶴形山・加須山丘陵の独立丘があり、そのすぐ北西に倉敷駅がありその南に中心市街地が広がる。
かつては中心市街地に商業が集中し、郊外は古くは綿花、近代ではイグサの栽培が盛んで、加えて果樹や野菜などの近郊型農業も盛んであった。また、かつての綿花栽培に由来する繊維関連や、イグサ加工品などの地場産業が多く見られた。しかし、高度経済成長時代以降のモータリゼーションの発展により郊外に大型幹線道路が整備され、郊外にロードサイド店舗が林立していき、また水島工業地帯や関連企業の立地により、郊外はベッドタウンとして市街化してゆき、農地や地場産業は激減。代わりに第二次産業従事者及び第三次産業従事者が増大した。これに伴い、中心市街地も全盛に比べると大幅に勢力を失った。
中央省庁の出先機関をはじめ、市内の広域行政機能の多くも集中する。
沿革
歴史
元は吉備の穴海の西部にあたる阿知の海と呼ばれる海域であったが、高梁川の河口部であったため、土砂の堆積作用で徐々に浅くなっていき干潮時には干潟が広がるようになっていた。中世末期に宇喜多秀家家臣の岡氏が指揮して干拓が行われ、倉敷平野の北部が造成されたのを皮切りに、江戸時代まで数度の干拓が行われて現在の平地が生まれた。これにより、島嶼であった児島が陸続きとなった。現在、平地部に多くの用水路が張り巡らされているのは、そのためである。
当地の中心市街地、特に現在倉敷美観地区として観光地となっているあたりは古くは窪屋郡(のち都窪郡)倉敷村と呼ばれ、江戸時代に天領の代官所が置かれた陣屋町、および海に面していた時期は港として、陸地化してからも倉敷川を利用した川港として、物資の集散地として大いに栄えた。多くの豪商が生まれ、現在の白壁の町並みが築かれた[2]。
明治になり廃藩置県が行われると、倉敷代官所の支配地(倉敷支配所)を前身とする倉敷県の県庁所在地となるも、明治4年に統合により小田県(深津県)となり、県庁は倉敷村から移った。さらに同8年には岡山県へ編入となる[2]。
直接的な前身となる旧倉敷市は、昭和2年4月1日、都窪郡倉敷町(初代)・万寿村・大高村の3町村が合併し生まれた、新たな倉敷町が、後に周囲を合併して区域を広げていったものである[2]。
昭和3年4月1日、新たな倉敷町は市制を施行し、倉敷市(初代)となる。これは岡山県内で岡山市に次ぐ2つめの市となった。市役所は前神町(現・中央1丁目北部)に置かれた。続いて同25年9月1日には児島郡粒江村、同26年3月26日には都窪郡帯江村・中庄村・菅生村を、同27年4月1日には都窪郡豊洲村、同28年1月1日には浅口郡西阿知町、同28年6月1日に浅口郡連島町および児島郡福田町(ともに現在の水島地域)を、さらに同29年12月1日に児島郡藤戸町をそれぞれ編入合併していき、順次市域を拡大していった[2]。
そして、昭和42年2月1日に隣接する玉島市・児島市と対等合併して、新たなる倉敷市(現行の倉敷市)を新設した。市役所は当地(旧倉敷市部)に置かれ、玉島・児島の旧役所には支所が設置された(後に現在の水島にも置かれる)。旧倉敷市の内、連島・福田であった地区を除いた区域は、市役所本庁の直轄となり、倉敷市内の一地域として「倉敷」と呼ばれるようになった[2]。
旧市制施行後、中心地となる旧倉敷町域には昭和5年に大原美術館、昭和23年に倉敷民藝館、昭和25年に倉敷考古館など美術・学術関連の文化施設が次々と建設され、また以前から大原孫三郎等による町並み保存・景観整備運動の流れもあったことから、文化都市的要素が多分い包蔵された市勢が根付いていった。これは新・倉敷市へも引き継がれている[2]。
年表
- 1584年(天正12年) - 宇喜多秀家が宇喜多堤を築く。その後、八ヵ郷用水が整備される。
- 1871年(明治4年)[西暦年要検証] - 8月29日 窪屋郡倉敷村が成立、倉敷県の県庁所在地となる。
- 1888年(明治21年) - 3月9日 倉敷紡績が創業する。
- 1891年(明治24年) - 4月25日 山陽鉄道・倉敷駅開業。6月16日 町制施行し倉敷町となる。
- 1900年(明治33年) - 4月1日 窪屋郡と都宇郡が合併し、都窪郡となる。
- 1907年(明治40年) - 高梁川の東西派川の統合・改修工事に着手する。
- 1923年(大正12年) - 6月2日 倉紡中央病院が開業する。
- 1925年(大正14年) - 4月 高梁川改修工事が竣工する。
- 1928年(昭和3年) - 4月1日 市制施行し、岡山県で2番目となる市である倉敷市(初代)となる。
- 1930年(昭和5年) - 11月5日 大原美術館が設立される。
- 1960年(昭和35年) - 6月 市庁舎本館が竣工。
- 1997年(平成9年) - 7月18日 倉敷チボリ公園開園(2008年(平成20年)12月31日閉園)。
地勢
- 隣接する地域、自治体
経済
工業
西阿知地区に小規模ながら工業団地がある。その他地域内に大小の工場が点在している。代表的な物にクラレ、中国化工、丸五ゴムなど。また、クラボウの創業地であり、現在も登記上では倉敷市本町に本店を置いている。
農業
古来は海だった地を新田開発のために干拓され平地化した土地であるため、かつては米をはじめとする農業は盛んだったが、現在は宅地化・市街地化が進行し農地は大幅に減少している。しかし、市街でも田畑はところどころ点在しており、郊外ではまだ田畑も多く、米・野菜を中心に農業は行われている。しかし、市内の他地域や他自治体と比べると産業としての農業は脆弱である。
商業
- 主な商業施設
- 天満屋倉敷店
- イオンモール倉敷
- アリオ倉敷
- 三井アウトレットパーク倉敷
- あちてらす倉敷
- ゆめタウン倉敷
地区
一部重複している地区がある。なお小・中学校の学区および旧町村域とは必ずしも一致しない。
中部
- 倉敷駅周辺部
- 阿知・鶴形・昭和・川西町・寿町・北浜町・日ノ出町・石見町など
- 倉敷美観地区周辺
- 中央・本町・東町・船倉町など
- 美和
- 美和・幸町・大島南部・東町東部・羽島北部・向山など
- 倉敷警察署や岡山県備中県民局など官公庁が多く立地する官庁街的な地区。他にも倉敷郵便局や倉敷中央病院など医療機関や公的機関が多く、少し南側には倉敷市民会館もある。
- 市役所周辺部
- 西中新田東部・笹沖の一部(北部)・新田の一部(北部)など
- 国道2号岡山バイパスと倉敷駅周辺・美観地区周辺の中間地域にあたり、主要幹線道路も整備されていることから、郊外型のロードサイド店舗が多く立地。
- 万寿
- 浜ノ茶屋・浜町・大島・福島・平田・寿町・北浜町・日ノ出町(大内・川入)など
- 老松
- 老松・川西町・稲荷町・南町・白楽町・田ノ上・田ノ上新町・日吉町・石見町など
南部
- 葦高
- 笹沖・吉岡・堀南・浦田
- 笹沖
- 新田
- 新田が該当。なお、新田中学校区を指す場合は、上記の葦高と後述の粒江も含まれる。
- 粒江
- 粒江・粒浦・東粒浦・八軒屋など
南西部
- 大高
- 沖・沖新町・西中新田・四十瀬・福井・東富井・西富井・上富井など
西部
- 西阿知
- 西阿知町・片島町
- 中島
- 中島
北西部
- 中洲
- 酒津・水江・八王子町・安江など
- 大型幹線道路の整備とイオンモール倉敷が立地することにより幹線道路沿いにロードサイド店が多く立地するようになった。
- 大内
- 大内・川入付近
- 上記地区の東側に位置し、同様の特徴を持つ。
北部
- 菅生
- 青江・祐安・宮前・西岡・浅原・西坂・生坂・三田
北東部
東部
- 帯江
- 羽島南部・二日市・加須山・有城・亀山・帯高など
- 藤戸
- 藤戸町
- 豊洲
- 中帯江・五日市・西田・早高・高須賀
- 中学校区域が同じ事から、茶屋町と同じ地域とされる場合もある。
行政
市の機関
県の機関
国の機関
- 中国地方整備局岡山河川事務所高梁川出張所
- 自衛隊岡山地方協力本部倉敷地域事務所
- 司法機関
交通
鉄道
道路
教育
大学
- 私立
短期大学
- 私立
高等学校
- 公立
- 全日制
- 私立
中高一貫校
- 公立
- 私立
中学校
小学校
- 倉敷市立倉敷東小学校
- 倉敷市立倉敷西小学校
- 倉敷市立老松小学校
- 倉敷市立万寿小学校
- 倉敷市立万寿東小学校
- 倉敷市立大高小学校
- 倉敷市立葦高小学校
- 倉敷市立倉敷南小学校
- 倉敷市立中洲小学校
- 倉敷市立中島小学校
- 倉敷市立粒江小学校
- 倉敷市立中庄小学校
- 倉敷市立帯江小学校
- 倉敷市立菅生小学校
- 倉敷市立豊洲小学校
- 倉敷市立庄小学校
- 倉敷市立茶屋町小学校
- 倉敷市立西阿知小学校
- 倉敷市立天城小学校
特別支援学校
- 倉敷支援学校
観光
観光地
伝統工芸品等
- 名物・銘菓・郷土料理
旧倉敷市
くらしきし 倉敷市 | |||
---|---|---|---|
倉敷市役所(1934年) | |||
| |||
廃止日 | 1967年2月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 倉敷市、玉島市、児島市 → 倉敷市(2代) | ||
現在の自治体 | 倉敷市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||
都道府県 | 岡山県 | ||
面積 | 132.55km2. | ||
総人口 |
172,435人 ([3]、1967年) | ||
隣接自治体 |
東:庄村、茶屋町、早島町、興除村、灘崎町 西:船穂町、玉島市 南:児島市、丸亀市(海を挟んで隣接) 北:清音村、山手村 | ||
倉敷市役所 | |||
所在地 |
〒710 岡山県倉敷市住吉町256 | ||
座標 | 北緯34度35分41秒 東経133度46分8秒 / 北緯34.59472度 東経133.76889度 | ||
特記事項 | 市役所は新市の本庁舎として1982年(昭和55年)まで使用。現在は倉敷市立美術館として利用されている。 | ||
ウィキプロジェクト |
1927年、都窪郡倉敷町(初代)・万寿村・大高村の3町村が新しい倉敷町(2代)を新設。翌1928年に岡山県内で岡山市に次いで2番目に市制施行し、倉敷市(初代)となった。その後、幾度かの周辺との編入合併を行う。1967年に周辺の児島市・玉島市と新設合併を行い、新しい倉敷市(2代、現行の倉敷市)となり、旧・倉敷市は消滅した。
現在の倉敷地域と水島地域を合わせた地域が旧・倉敷市の範囲である。
沿革
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 都窪郡倉敷町(初代)・万寿村・大高村が対等合併し、新たに倉敷町(2代)を新設。旧倉敷町役場、現在の美観地区・倉敷館を役場とする。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 市制施行し、倉敷市(初代)発足。町役場を市役所(初代)とする。
- 1930年(昭和5年)8月1日 - 児島郡福田村の一部(浦田)を編入。
- 1932年(昭和7年) - 市役所(2代)を旭町の旧倉敷紡績事務所(現在の倉敷郵便局の場所)に貸借にて移転。
- 1944年(昭和19年)1月1日 - 都窪郡中洲町を編入。
- 1950年(昭和25年)9月1日 - 児島郡粒江村を編入。
- 1951年(昭和26年)3月28日 都窪郡中庄村・帯江村・菅生村を編入。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 都窪郡豊洲村の一部を編入。
- 1953年(昭和28年)1月1日 - 浅口郡西阿知町を編入。
- 1953年(昭和28年)6月1日 - 浅口郡連島町と児島郡福田町を編入。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 児島郡藤戸町および児島郡興除村の一部を編入。
- 1960年(昭和35年)6月11日 - 市庁舎本館(3代)が西小学校跡に竣工(現在の倉敷市立美術館)。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 玉島市・児島市と新設合併を行い、新たに倉敷市(2代)発足。
歴代首長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 関藤碩衛 | 1927年(昭和2年)4月1日 | 1928年(昭和3年)3月31日 | 旧・倉敷町から引き続き町長就任 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 関藤碩衛 | 1928年(昭和3年)4月1日 | 1929年(昭和4年)1月6日 | 新・倉敷町から引き続き市長就任 |
2-3 | 平松俊太郎 | 1929年(昭和4年)7月27日 | 1937年(昭和12年)7月26日 | |
4-6 | 古屋野橘衛 | 1937年(昭和12年)7月27日 | 1946年(昭和21年)11月25日 | |
7 | 金子藤一郎 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1949年(昭和24年)1月6日 | |
8-11 | 高橋勇雄 | 1949年(昭和24年)2月20日 | 1964年(昭和39年)9月25日 | |
12 | 大山茂樹 | 1964年(昭和39年)11月5日 | 1967年(昭和42年)1月31日 | 新・倉敷市初代市長 |
参考文献 - [4] [5] |
歴代市議会議長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 古屋野橘衛 | 1928年(昭和3年)4月21日 | 1932年(昭和7年)2月24日 | |
2-3 | 林源一 | 1932年(昭和7年)2月24日 | 1936年(昭和11年)4月11日 | |
4 | 古屋野橘衛 | 1936年(昭和11年)4月22日 | 1937年(昭和12年)7月26日 | 退任後の翌日に市長就任 |
5 | 船曳貞治郎 | 1937年(昭和12年)8月5日 | 1938年(昭和13年)10月23日 | |
6 | 小野奏次郎 | 1938年(昭和13年)11月4日 | 1942年(昭和17年)8月5日 | |
7 | 安居じん太郎 | 1942年(昭和17年)8月16日 | 1943年(昭和18年)7月23日 | |
8 | 白神種二 | 1943年(昭和18年)9月11日 | 1947年(昭和22年)3月19日 | |
9 | 高橋勇雄 | 1947年(昭和22年)5月19日 | 1949年(昭和24年)1月27日 | 退任後の2月20日に市長就任 |
10 | 神崎松次 | 1949年(昭和24年)2月28日 | 1951年(昭和26年)4月29日 | |
11 | 三宅為一 | 1951年(昭和26年)5月8日 | 1955年(昭和30年)1月8日 | |
12 | 山本一郎 | 1955年(昭和30年)1月8日 | 1955年(昭和30年)1月21日 | |
13-14 | 三宅為一 | 1955年(昭和30年)2月21日 | 1961年(昭和36年)2月13日 | |
15-16 | 尾高源十郎 | 1961年(昭和36年)2月13日 | 1967年(昭和42年)1月31日 | 新・倉敷市初代市議会議長 |
参考文献 - [5] |
関連項目
- 岡山県の廃止市町村一覧
- 倉敷代官所
- 天領
- 小倉市 - 現在も旧倉敷市同様、行政の中心にあり、複数の市と新設合併して消滅した自治体
- 平市 - 同上
脚注
- ^ 倉敷市は倉敷市都市計画マスタープランの地域別まちづくりの方針<地域別構想>において、市役所本庁管轄エリアを倉敷地域と設定している。
- ^ a b c d e f 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
- ^ このうち、倉敷地域は100,974人、水島地域は71,461人。
- ^ 倉敷市史 第11冊(永山卯三郎編著 名著出版 1974年 1207頁)
- ^ a b 岡山県市町村合併誌. 続編(岡山県 1981年 112頁)