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'''蒸発熱'''(じょうはつねつ、{{lang-en|heat of evaporation}})または'''気化熱'''(きかねつ、{{lang-en|heat of vaporization}})とは、[[液体]]を[[気体]]に変化させるために必要な[[熱]]のことである<ref>『[[#化学辞典|化学辞典]]』「蒸発熱」。</ref><ref>『[[#標準化学用語辞典|標準化学用語辞典]]』「蒸発熱」。</ref>。気化熱は[[潜熱]]の一種であるので、'''蒸発潜熱'''または'''気化潜熱'''ともいう。[[固体]]を気体に変化させるために必要な[[熱]]は'''昇華熱'''(しょうかねつ、{{lang-en|heat of sublimation}})または'''昇華潜熱'''という<ref name=sanseido>『[[#新物理小事典|新物理小事典]]』「気化熱」。</ref>。単に気化熱というときは液体の蒸発熱を指すことが多いが、液体の蒸発熱と固体の昇華熱を合わせて気化熱ということもある<ref>『[[大辞林]] 第三版』「[https://kotobank.jp/word/%E6%B0%97%E5%8C%96%E7%86%B1-472512#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 気化熱]」.</ref><ref>『[[デジタル大辞泉]]』「[https://kotobank.jp/word/%E6%B0%97%E5%8C%96%E7%86%B1-472512#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 気化熱]」.</ref>。以下この項目では、便宜上、液体の気化熱を蒸発熱と呼び、液体の蒸発熱と固体の昇華熱を合わせて気化熱と呼ぶ。
{{出典の明記|date=2011年10月}}
'''蒸発熱'''(じょうはつねつ、[[英語]]:heat of evaporation)または'''気化熱'''(きかねつ、[[英語]]:heat of vaporization)とは、一定量の物質を[[気体]]に変化させるために必要な[[エネルギー]]のことである。蒸発熱の測定は[[沸点]]においてなされるが、通常は298K(25{{℃}})での値に補正された値が用いられる(補正による変化は測定誤差以下なので無視できる)。単位はkcal/mol(キロ[[カロリー]]毎[[モル]])が用いられてきたが、最近ではkJ/mol(キロ[[ジュール]]毎モル)との表記が主流である。


固体や液体が気体に変化する現象を[[気化]]という。気化には[[エネルギー]]が必要である。物質が気化するとき、多くの場合、気化に必要なエネルギーは[[熱]]として物質に吸収される。多くの[[エア・コンディショナー|エアコン]]や[[冷蔵庫]]で、この[[吸熱反応|吸熱作用]]を利用した[[ヒートポンプ]]という[[技術]]が使われている。
気体を[[液体]]に変化させるときの'''凝縮熱'''(ぎょうしゅくねつ)は、蒸発熱と絶対値が等しく、符号が逆になる。蒸発熱は物質に吸収される熱を表していて負、凝縮熱は物質が放出する熱であるので正の値をとる。


気化に必要なエネルギーは物質により異なる。データ集などでは、物質 1 キログラム当たりの値または物質 1 [[モル]]当たりの値が気化熱として記載されている。単位はそれぞれ kJ/kg (キロ[[ジュール]]毎キログラム)および kJ/mol (キロジュール毎モル)である。例えば 25 ℃ における水の蒸発熱は 2442 kJ/kg であり 44.0 kJ/mol である<ref group="注" name = "at25">[[蒸気圧|平衡蒸気圧]]の下での値。</ref><ref>特記ない限り本文中の蒸発熱は次のサイトに依る: {{Cite web|url=http://webbook.nist.gov/chemistry/fluid/|title=Thermophysical Properties of Fluid Systems|publisher=[[NIST]]|accessdate=2017-3-19}}</ref>。気化熱の大きさは、同じ物質でも気化する状況により変わる。通常は、1 [[気圧 (単位)|気圧]]における[[沸点]]での値か、25 {{℃}} における[[蒸気圧|平衡蒸気圧]]での値が物質の蒸発熱としてデータ集に記載されている<ref group=注>本文中で引用した蒸発熱の値は、とくに断らない限り、1 気圧における沸点での値である。</ref>。例えば 1 気圧、100 ℃の水の蒸発熱は 2257 kJ/kg であり、[[飽和水蒸気圧]](32 [[ヘクトパスカル|hPa]])の下での25 ℃ の蒸発熱 2442 kJ/kg より1割近く減少する。
蒸発熱は液体に働く[[分子間力]]に打ち勝つためのエネルギーであると解釈される。たとえば[[ヘリウム]]の蒸発熱が0.0845kJ/molと極端に低いのは、ヘリウム原子間に働く[[ファンデルワールス力]]が非常に小さいためである。反対に水分子の間には[[水素結合]]が働いているため、蒸発熱は40.8kJ/molと大きく、水を0{{℃}}から 100{{℃}}まで加熱するときの熱容量(7.53kJ/mol)のおよそ5倍の値となる。なぜなら分子間力は[[気相]]の物質にも働くため、実際よりも小さな値が測定されることになるからである。特に[[金属]]の気体は[[共有結合]]の状態で存在しているため、分子間力の測定には[[原子化熱]]を測定する必要がある。


気体が液体に変化するときに放出される'''凝縮熱'''(ぎょうしゅくねつ、{{lang-en|heat of condensation}})の値は、同じ温度と同じ圧力の蒸発熱の値に符号も含めて等しい。

モル当たりの蒸発熱は、液体中で分子間に働く[[分子間力]]に、分子が打ち勝つためのエネルギーであると解釈される{{sfn|関|1997|p=214}}。たとえば[[ヘリウム]]の蒸発熱が 0.08 kJ/mol と極端に小さいのは、ヘリウム原子間に働く[[ファンデルワールス力]]が非常に弱いためである。 それに対して、液体中の分子の間に[[水素結合]]が働いていると、水や [[アンモニア]] のように蒸発熱が大きくなる。金属の昇華熱は、[[金属結合]]で結ばれた 1 モルの金属結晶の塊をバラバラにして [[アボガドロ定数|6.02×10<sup>23</sup> 個]]の原子にするのに必要なエネルギーに相当する。[[遷移元素|遷移金属]]の昇華熱は、数百キロジュール毎モルの程度である。

== 気化に必要なエネルギー ==
固体や液体が気体に変化する現象を[[気化]]という。液体が気化する場合は、[[沸騰]]して気体になる場合と[[蒸発]]して気体になる場合がある。どちらの場合でも、気化には[[エネルギー]]が必要である。

液体を沸騰させるのにエネルギーが必要であることは、[[コンロ]]で湯を沸かすときのことを考えると分かる。このとき、水を沸騰させるのに必要なエネルギーは、コンロから供給されている。強火にしてエネルギーの供給速度を上げると、水が[[水蒸気]]に変化する速度も上がる。コンロの火を消すとエネルギーの供給が止まり、沸騰も止む。エネルギーの源になっているのは、[[ガスコンロ]]では[[燃料ガス]]の化学エネルギー<ref name="化学エネルギー" group="注">物質の[[化学変化]]に伴って放出されるエネルギーのこと。</ref>である。[[電気コンロ]]や[[IHクッキングヒーター]]では、[[電力会社]]から供給される[[電気エネルギー]]である。

液体が蒸発するときにもエネルギーが必要なことは、沸騰のときと比べると少し実感しにくい。水に濡れた食器や衣服は、[[乾燥機]]を使わなくても自然に乾くからである。乾燥機を使ったときのエネルギー源は、先の例と同じように電気エネルギーである。それに対して、自然に水が蒸発して乾くときのエネルギー源は、食器や衣服、そして周りの空気である。食器や衣服や空気のエネルギーが[[熱]]として水に与えられ、このエネルギーにより水が水蒸気に変化する<ref group="注">蒸発の始めの段階では水自身の持つエネルギーを使って蒸発が起こり、水の[[温度]]が少し下がる。水の温度が食器や衣服や周りの空気よりも低くなると、水が周りから熱を吸収できるようになる。</ref>。液体が蒸発するときに周りから熱を吸収することは、以下の[[実験]]により確認できる。
* '''準備''': [[消毒用アルコール]]と[[スポイト]]と料理用のデジタル[[温度計]]を用意する。
* '''操作''': デジタル温度計の感温部(温度センサー部)に、スポイトで消毒用アルコールを一滴たらす。
* '''観察1''': デジタル温度計の示度(液晶部に表示される温度)が低くなる。
* '''観察2''': 適当に示度が低くなったあとは、示度はあまり変化しなくなる。
この実験の観察1では温度計の感温部からエネルギーが熱として放出されている。というのは、温度計の示度は、感温部が熱を吸収すると上昇し、逆に感温部が熱を放出すると低下するものだからである<ref group="注">[[非接触温度計測|非接触温度計]]を除く。</ref>。感温部の周りの空気の温度は、アルコールをたらす前の感温部の温度とほぼ同じと考えられるので、感温部から熱を受け取っているのはアルコールである。温度計の示度が変化しなくなるのは感温部に正味の熱の出入りがなくなったときだから、観察2では、周りの空気や温度計のほかの部分から感温部に流れ込んでくる熱と、アルコールに奪われる熱とが釣り合っている。したがって、この実験では、温度計と空気がアルコールの蒸発に必要なエネルギーの源になっている。

この節で挙げた例では、沸騰の場合も、蒸発の場合も、どちらも気化に必要なエネルギーは熱として液体に吸収されている。コンロで湯を沸かす例では、エネルギー源は化学エネルギーまたは電気エネルギーであるが、水はこれらのエネルギーを直接受け取っているわけではない。水を入れているヤカンやナベなどの底を通して、熱としてエネルギーを受け取っている。液体が気化するとき、多くの場合、気化に必要なエネルギーは熱として物質に吸収される。この熱を'''蒸発熱'''という。

固体が気化する場合は、液体とは違って、沸騰して気体になることはない。固体が気化する場合はいつも、固体の表面から気化が起こる。固体の気化を[[昇華]]という。液体の蒸発の場合と同様に、固体の昇華には[[エネルギー]]が必要である<ref group=注>気体から固体に変化する現象を指して昇華ということもある。気体から固体に変化する昇華の場合は、エネルギーは放出される。</ref>。よく知られた例は、[[ドライアイス]]の昇華である。ドライアイスが[[炭酸ガス]]に変化するとき、気化に必要なエネルギーを周囲から熱として吸収するので、熱を奪われた周囲の温度は下がる。固体が昇華するとき、多くの場合、昇華に必要なエネルギーは熱として物質に吸収される。この熱を'''昇華熱'''という。

== 気化熱の利用 ==
液体や固体は、気化するときに周りから熱を吸収する。この[[吸熱反応|吸熱作用]]を利用した[[技術]]の例を以下に挙げる。
; [[ヒートポンプ]] : 多くの[[エア・コンディショナー|エアコン]]や[[冷蔵庫]]で使われている技術。液体が気化するときに吸収した熱を別の場所で放出させることにより、温度の低い場所から温度の高い場所へ熱を運ぶ。{{see also|蒸気圧縮冷凍サイクル}}
; [[火力発電]] : [[燃料]]の化学エネルギー<ref name="化学エネルギー" group="注"/>を電気エネルギーに変換する[[発電]]方法。燃料の燃焼により[[ボイラー]]で水が気化して水蒸気になる。水蒸気の持つエネルギーは[[蒸気タービン]]で[[力学的エネルギー]]に変換される。力学的エネルギーは[[発電機]]により電気エネルギーに変換される。この一連の過程の中で、水蒸気は熱の運び手として働く。{{see also|ランキンサイクル}}
; [[乾湿計]] : [[湿度計]]のひとつ。水が蒸発によって湿球から熱を奪うことと、[[湿度]]により蒸発の速さが変わることを利用して、大気の湿度を計測する。
; 水による[[消火]] : 消火に水が多く使われる主な理由のひとつに、その高い蒸発熱が挙げられる<ref name=消防 />。水の蒸発熱は1グラム当たり539カロリー<ref name=消防>{{Cite web|accessdate=2017-3-19|url=http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_66.htm|title=東京消防庁<消防マメ知識><消防雑学事典>|publisher=[[東京消防庁]]}}</ref>であり、同量の水が 0 {{℃}} から 100 {{℃}} になるまでに周りから奪う熱の5.39倍に相当する。
; [[ドライアイス]]による保冷 : [[二酸化炭素]]の固体は、常圧下では[[融解]]することなく気体に変化する。このときの昇華熱を利用して食品などを冷やすことができる。{{see also|寒剤}}

== 物性値としての気化熱 ==
[[物性値]]とは物質の性質を表す値である。この節では物性値としての気化熱<ref name=sanseido /><ref>『[[#物理学辞典|物理学辞典]]』「蒸発熱」。</ref>について述べる。

物質の気化に必要なエネルギーは物質の量に比例する。そのためデータ集などでは、物質 1 キログラム当たりの値または物質 1 [[モル]]当たりの値が気化熱として記載されている。単位はそれぞれ kJ/kg (キロ[[ジュール]]毎キログラム)および kJ/mol (キロジュール毎モル)である。例えば 25 ℃ における水の蒸発熱は 2442 kJ/kg であり 44.0 kJ/mol である<ref group="注" name = "at25">[[蒸気圧|平衡蒸気圧]]の下での値。</ref><ref>特記ない限り本文中の蒸発熱は次のサイトに依る: {{Cite web|url=http://webbook.nist.gov/chemistry/fluid/|title=Thermophysical Properties of Fluid Systems|publisher=[[NIST]]|accessdate=2017-3-19}}</ref>。[[熱量]]の単位として[[カロリー]]を用いるなら、25 ℃ における水の蒸発熱は 584 kcal/kg であり 10.5 kcal/mol である<ref group="注" name = "at25"/>。

以下この項目では物質 1 モル当たりの気化熱を、単にその物質の気化熱と呼ぶ。

物質の気化に必要なエネルギーは物質により異なる。例えば 25 ℃ における[[メタノール]]の蒸発熱は 37.5 kJ/mol<ref group="注" name = "at25"/> であり、同じ温度の水の蒸発熱 44.0 kJ/mol<ref group="注" name = "at25"/> より小さい。おおまかには[[沸点]]の低い液体ほど蒸発熱は小さく、高沸点の液体の蒸発熱は大きい。例えば沸点 4.2 [[ケルビン|K]] の[[ヘリウム]]の蒸発熱は 0.08 kJ/mol であり、沸点およそ 5800 K の[[タングステン]]の蒸発熱は 約 800 kJ/mol<ref name= "table56">『[[#化学便覧|化学便覧]]』 表10.56。</ref> である。沸点が互いに近い液体の蒸発熱は、似た値になることが多い<ref group=注>この経験則は[[トルートンの規則]]と呼ばれる。モル当たりの蒸発熱に特有の性質で、キログラム当たりの蒸発熱にこの様な性質はない。</ref>。ただし例外もある。例えば、[[四塩化炭素]](沸点 77 ℃)、[[エタノール]](沸点 78 ℃)、[[ベンゼン]](沸点 80 ℃)の蒸発熱は、それぞれ 29.8<ref name = "table55">『[[#化学便覧|化学便覧]]』 表10.55。</ref>, 38.6<ref name = "table57">『[[#化学便覧|化学便覧]]』 表10.57。</ref>, 30.7<ref name = "table57" /> kJ/mol である。四塩化炭素とベンゼンの蒸発熱が 3% の精度で一致しているのに対して、エタノールの蒸発熱はこれらの物質よりも 30% 近く大きい。すなわち、エタノールを気化する際に必要となる熱量は、その沸点と[[分子量]]から予想される量よりも大きい。

気化に必要なエネルギーは、同じ物質でも気化する条件によって異なる。データ集に蒸発熱(または昇華熱)として記載されている値は、[[蒸気圧|平衡蒸気圧]]の下での[[定圧過程]]で、1 モルの[[純物質]]の液体(または固体)を同じ温度の純粋な気体に変化させる際に、外部から物質に与えられる熱量である。つまり液体(または固体)が気体に[[相転移]]するときの[[潜熱]]である。この熱量は、平衡蒸気圧の下にある純物質の液体(または固体)を同じ温度と[[圧力]]の純粋な気体に変えたときの、物質 1 モル当たりの[[エンタルピー]]の変化量に等しい。このエンタルピーの変化量を'''蒸発エンタルピー'''<ref group="注">{{lang-en|enthalpy of vaporization}}。これを直訳すると「気化エンタルピー」となるが、『[[学術用語集]] 化学編(増訂2版)』では「蒸発エンタルピー」の訳をあてている。</ref>(または'''昇華エンタルピー'''<ref group="注">{{lang-en|enthalpy of sublimation}}。</ref>)という<ref>『[[#標準化学用語辞典|標準化学用語辞典]]』「蒸発エンタルピー」。</ref>。すなわち、データ集に記載されている蒸発熱は、蒸発エンタルピーである。そのため『[[#化学便覧|化学便覧]]』(丸善出版)のように、見出しが「[[融解熱]]」や「蒸発熱」ではなく、「融解エンタルピー」や「蒸発エンタルピー」となっているデータ集がある。

同じ液体でも気化する温度が高くなると、蒸発熱は小さくなる。例えば 25 ℃ の水の蒸発熱 44.0 kJ/mol<ref group="注" name = "at25"/> は、100 ℃ では1割近く減少して 40.6 kJ/mol となる。そのためデータ集などでは、蒸発熱に温度が併記されている。通常は、1 [[気圧 (単位)|気圧]]における[[沸点]]での値か、298 K (25 {{℃}})における平衡蒸気圧での値が物質の蒸発熱として記載されている<ref group=注>本文中で引用した蒸発熱の値は、とくに断らない限り、1 気圧における沸点での値である。</ref>。蒸発熱の変化量は[[キルヒホッフの法則 (反応熱)|キルヒホッフの法則]]に従って温度差にほぼ比例するので、沸点の高い液体では沸点における蒸発熱と 25 ℃ における蒸発熱の差は無視できないほど大きくなる。例えば[[ドデカン]]では、沸点 216 ℃ における蒸発熱は 44 kJ/mol であり、25 ℃ における蒸発熱 62 kJ/mol<ref group="注" name = "at25"/> の7割程度にまで小さくなる。

気化熱の圧力依存性は、気化した分子(や原子)の[[解離 (化学)|解離]]や会合<ref group=注>分子が[[二量体]]になったり多量体になったり、原子が[[化学結合]]して二原子分子や多原子分子になったりすること。</ref>が起こらなければ、[[蒸気]]を[[理想気体]]とみなせるような低い圧力では無視できる<ref group="注">気相を[[理想混合気体]]とみなせるなら、蒸気のエンタルピーは[[分圧]]に依存しない。凝縮相のエンタルピーの圧力依存性は、[[熱力学的状態方程式]]を使うと凝縮相の[[モル体積]]と[[熱膨張率]]から概算できる。圧力差が 1 気圧程度であれば凝縮相のエンタルピー差は 0.01 kJ/mol を超えない。</ref>。よって温度が同じであれば、[[大気|大気]]中へ気化するときの気化熱は、[[真空]]中へ気化するときの気化熱とほとんど同じとみなせる。例えば大気圧下 25 ℃ における水の蒸発熱は、この温度における水の平衡蒸気圧 32 [[ヘクトパスカル|hPa]] の下での値、すなわちデータ集に記載されている 44.0 kJ/mol に事実上等しい。また、液体に他の物質が溶けているときの蒸発熱は、一般には純粋な物質の蒸発熱とは異なるが、十分に希薄な溶液であればその違いは無視できる。例えば、空気に触れている水には[[酸素]]・[[窒素]]・[[二酸化炭素]]などが溶けているため、この水の蒸発熱は厳密には純粋な水の蒸発熱とは異なる。しかし、大気圧下では水に溶けている気体の量が微量なので、空気の影響は無視できる。水以外のほかの物質でも事情は同じである。大気圧下 25 ℃ で空気に接している液体が空気中に蒸発する際の蒸発熱は、蒸気分子の解離や会合が起こらなければ、データ集に記載されている 25 ℃ の平衡蒸気圧の下での純粋な液体の蒸発熱に事実上等しい。固体が空気中に昇華する際の昇華熱についても同様である。

== 凝縮熱 ==
気体が液体に変化するときに放出される熱を'''凝縮熱'''(ぎょうしゅくねつ)または'''凝結熱'''(ぎょうけつねつ)という。凝縮熱は[[潜熱]]の一種であるので、'''凝縮潜熱'''または'''凝結潜熱'''ともいう。凝縮熱の値は、その逆過程の蒸発熱の値に符号も含めて等しい。[[凝縮]]は発熱過程であり[[蒸発]]は吸熱過程であるため、定義により凝縮熱も蒸発熱も正の値となる。それに対して'''凝縮エンタルピー'''({{lang-en|enthalpy of condensation}})は同温同圧の蒸発エンタルピーと絶対値が等しく、符号が逆になる。なぜなら凝縮エンタルピーは、気体が液体に相転移するときのエンタルピー変化に等しいからである。凝縮エンタルピーは、平衡蒸気圧の下にある純物質の気体を同じ温度と圧力の純粋な液体に変えたときの、物質 1 モル当たりのエンタルピーの変化量と定義される。[[ヘスの法則]]により蒸発エンタルピーと凝縮エンタルピーの和は常にゼロになる。蒸発エンタルピーは常に正の値となるので、凝縮エンタルピーは常に負の値となる。

蒸発熱と同様に、[[液化]]で放出されるエネルギーは、同じ物質でも液化する条件によって異なる。また、液化も気化も一般には[[不可逆]]過程なので、対応する逆過程が常に存在するとは限らない。しかし、蒸発熱と同様に考えると次のことがわかる: 常温常圧の空気に含まれるある物質の蒸気が凝縮する際の凝縮熱の値は、データ集に記載されている 25 ℃ の平衡蒸気圧の下での、その物質の純粋な液体の蒸発熱の値にほぼ等しい。

== 水の潜熱と気象 ==
{{節スタブ}}
; [[フェーン現象]] : 大気中の水分の凝縮熱が原因となって起こる[[気象現象]]。

== 気化熱と分子間力 ==
気化熱は、液体や固体中で分子間に働く[[分子間力]]に、分子が打ち勝つためのエネルギーであると解釈される{{sfn|関|1997|p=214}}。たとえば[[ヘリウム]]の蒸発熱が極端に小さいのは、ヘリウム原子間に働く[[ファンデルワールス力]]が非常に弱いためである。[[第18族元素|希ガス]]原子間に働くファンデルワールス力は[[原子量]]が大きいほど強くなるので、蒸発熱はヘリウムの 0.083 kJ/mol から[[キセノン]]の 12.6 kJ/mol まで単調に増加する。室温で気体として存在する物質の蒸発熱は、[[トルートンの規則]]より、25 kJ/mol 程度かそれ以下である。おおまかには、[[分子量]]が大きくなるほど蒸発熱も大きくなる<ref group=注>あくまでも、おおまかには、である。例えば、[[ペンタン]](室温で液体)と[[ネオペンタン]](室温で気体)の蒸発熱はそれぞれ 25.8 kJ/mol と 22.8 kJ/mol であるが、分子量はどちらも 72 である。</ref>。例えば、[[エタン]](分子量 30)、[[プロパン]](分子量 44)、[[ブタン]](分子量 58)の蒸発熱は、それぞれ 14.7, 18.8, 22.4 kJ/mol であり、分子量とともに大きくなる。ところが、分子量 18 の 水 H<sub>2</sub>O の蒸発熱 40.6 kJ/mol は、分子量 16 の [[メタン]] CH<sub>4</sub> の 蒸発熱 8.2 kJ/mol や分子量 34 の [[硫化水素]] H<sub>2</sub>S の蒸発熱 18.6 kJ/mol と比べると、異常に大きい。これは、液体中の水分子の間には[[水素結合]]が働いているためである{{sfn|関|1997|p=272}}。分子量 17 の[[アンモニア]] NH<sub>3</sub> の蒸発熱が大きくて沸点が高いことも、液体中のアンモニア分子の間に働く水素結合で説明できる。

蒸発熱の実測値は、トルートンの規則からの予測値と大きく異なることがある。例えば、[[ギ酸]] の沸点 101 ℃ は水の沸点とほとんど同じであるが、ギ酸の蒸発熱 22.7 kJ/mol は水の蒸発熱の約半分である<ref name = "table57" />。 [[酢酸]]の蒸発熱も同様で、予想される値の半分程度である。これは、これらの[[カルボン酸]]分子が気体中で水素結合により[[二量体]]を形成しているためである。また、 水 H<sub>2</sub>O やアンモニア NH<sub>3</sub> と同じように液体中の分子間に水素結合が働いているはずの、[[フッ化水素]] HF(沸点 20 ℃)の蒸発熱は異常に小さく、7.5 kJ/mol である<ref name = "table55" />。これも HF 分子が気体中で多量体 (HF)<sub>n</sub> を形成していると考えれば説明できる。これらの例ほど顕著ではなくても、蒸発熱の実測値は一般に、[[実在気体|気体の不完全性]]の影響を受ける<ref>『[[#ルイスランドル|ルイス=ランドル熱力学]]』 p. 548.</ref>。そのため、液体中で分子間に働く分子間力を蒸発熱に基づいて議論するには、気体の不完全さの補正が必要である。

[[標準状態|標準圧力]] {{math|''p''&deg;}} の下で液体が仮想的な理想気体に相転移するときの蒸発エンタルピーを、'''標準蒸発エンタルピー'''({{lang-en|standard enthalpy of vaporization}})という<ref name=atkins49>『[[#アトキンス物理化学|アトキンス物理化学]]』 p. 49.</ref>。標準蒸発エンタルピーを表す記号は {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg;}} であり、気体が仮想的な状態であることを示す記号 {{math|&deg;}} が蒸発エンタルピーを表す記号 {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''}} の右肩に付いている<ref name=gb73>『[[#グリーンブック|グリーンブック]]』 p.73.</ref>。標準圧力 {{math|''p''°}} は 1 [[バール (単位)|bar]] または 1 [[気圧 (単位)|atm]] である。温度は何度でもよいが、通常は 298.15 K における値がデータ集に記載されている<ref name=atkins49 />。液体と仮想的な理想気体の[[標準生成熱|標準生成エンタルピー]] {{math|&Delta;<sub>f</sub>''H''&deg;}} <ref>[[#NBS|NBS 1982]], Table 2:H.</ref><ref>[[#NBS|NBS 1982]], Table 9:F.</ref><ref>[[#NBS|NBS 1982]], Table 23:C.</ref>から求めた {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg;}} を表に示す。
{| class="wikitable"
|+ 標準蒸発エンタルピー {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg;(25 &deg;C, 1 bar)}}
! 物質 !! 分子式 !! {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg; / kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}
|-
| フッ化水素 || HF || 28.7
|-
| 四塩化炭素 || CCl<sub>4</sub> || 32.5
|-
| メタノール || CH<sub>3</sub>OH || 38.0
|-
| エタノール || C<sub>2</sub>H<sub>5</sub>OH || 42.6
|-
| 水 || H<sub>2</sub>O || 44.0
|-
| ギ酸 || HCOOH || 46.2
|-
| 酢酸 || CH<sub>3</sub>COOH || 52.2
|-
|}
これらの {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg;}} の値は、25 ℃ の液体中の分子間の結合を断ち切るのに必要なエネルギーに相当する。25 ℃ の平衡蒸気圧 {{math|''p''<sub>sat</sub>}} で気相の分子間力が無視できる場合は、 {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''&deg;}} と {{math|&Delta;<sub>vap</sub>''H''(''p''<sub>sat</sub>)}} の違いは無視できるほど小さい。

== 金属の気化熱 ==
いくつかの例外([[ビスマス]]、[[水銀]]、[[アンチモン]]、[[第1族元素|アルカリ金属]])を除くと、[[気液平衡]]にある[[金属]]蒸気は単原子[[理想気体]]とみなせる<ref>[[#Hultgren|Hultgren et al. 1963]] p. 6.</ref>。したがって、これらの例外を除けば[[実在気体|不完全気体]]の補正は不要であり、データ集に記載されている金属の蒸発熱の値はそのまま、金属原子が[[金属結合]]に打ち勝って沸騰するために必要なエネルギーとみなせる。気液平衡にあるビスマス蒸気は Bi 原子と Bi<sub>2</sub> 分子を同程度に含む混合物なので、それぞれの蒸発熱を求めるには二つの[[化学種]]の[[分圧]]を求める必要がある<ref>『[[#ルイスランドル|ルイス=ランドル熱力学]]』 p. 549.</ref>。

金属は概して高融点・高沸点であり、金属の違いによる沸点の差も大きい。そのため、金属結合の結合エネルギーを評価する場合、蒸発熱よりも昇華熱の方が有用である。標準圧力 {{math|''p''&deg;}} の下で固体が仮想的な理想気体に相転移するときの昇華エンタルピーを、'''標準昇華エンタルピー'''({{lang-en|standard enthalpy of sublimation}})という。記号は {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg;}} である。昇華エンタルピーを表す記号 {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''}} の右肩に記号 {{math|&deg;}} を付けて、気体が仮想的な状態であることを示している<ref name=gb73 />。標準圧力 {{math|''p''°}} は 1 bar または 1 atm である。温度は何度でもよいが、通常は 298.15 K における値がデータ集に記載されている<ref name=atkins49 />。水銀を除く全ての[[単体]]金属は 298.15 K、1 bar で固体であるので、単体金属の固体の標準生成エンタルピー {{math|&Delta;<sub>f</sub>''H''&deg;(298K)}} はゼロである。よって、25 ℃ における(水銀以外の)金属の標準昇華エンタルピー {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg;(298K)}} は、データ集に記載されている金属原子の標準生成エンタルピー {{math|&Delta;<sub>f</sub>''H''&deg;(298K)}} に等しい。
{| class="wikitable"
|+ 金属の標準昇華エンタルピー {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg;(298 K, 1 bar)}}<ref>『[[#アトキンス物理化学|アトキンス物理化学]]』 表2・5.</ref>
! 金属 !! 元素記号 !! {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg; / kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}
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|}
上の表に挙げた標準昇華エンタルピー {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg;(298K)}} の値は、金属結合で結ばれた 1 モルの金属結晶の塊を 6.02×10<sup>23</sup> 個の原子までバラバラにするのに必要なエネルギーに相当する。すなわち、 {{math|&Delta;<sub>sub</sub>''H''&deg;(298K)}} はこれらの金属の 25 ℃ における{{仮リンク|原子化熱|en|enthalpy of atomization}}に等しい。金属の原子化熱は、[[ボルン・ハーバーサイクル]]を用いて[[イオン結晶]]の[[格子エネルギー]]を計算する際に必要となる数値である。

== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{Reflist|20em}}

=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}

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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[相転移]]
* [[潜熱]]
* [[熱力学]]
* [[熱力学]]
* [[アブレーション]]
* [[アブレーション]]
* [[再生冷却]]
* [[再生冷却]]
* [[水飲み鳥]] - 蒸発熱を利用した玩具。
* [[臨界点]] - 蒸発熱がゼロになる温度・圧力。
* [[三重点]] - 昇華熱と蒸発熱の差が、融解熱に厳密に等しくなる温度・圧力。
* [[クラウジウス・クラペイロンの式]] - 蒸気圧曲線の傾きと蒸発熱の間の関係式。
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2017年3月22日 (水) 12:23時点における版

蒸発熱(じょうはつねつ、英語: heat of evaporation)または気化熱(きかねつ、英語: heat of vaporization)とは、液体気体に変化させるために必要なのことである[1][2]。気化熱は潜熱の一種であるので、蒸発潜熱または気化潜熱ともいう。固体を気体に変化させるために必要な昇華熱(しょうかねつ、英語: heat of sublimation)または昇華潜熱という[3]。単に気化熱というときは液体の蒸発熱を指すことが多いが、液体の蒸発熱と固体の昇華熱を合わせて気化熱ということもある[4][5]。以下この項目では、便宜上、液体の気化熱を蒸発熱と呼び、液体の蒸発熱と固体の昇華熱を合わせて気化熱と呼ぶ。

固体や液体が気体に変化する現象を気化という。気化にはエネルギーが必要である。物質が気化するとき、多くの場合、気化に必要なエネルギーはとして物質に吸収される。多くのエアコン冷蔵庫で、この吸熱作用を利用したヒートポンプという技術が使われている。

気化に必要なエネルギーは物質により異なる。データ集などでは、物質 1 キログラム当たりの値または物質 1 モル当たりの値が気化熱として記載されている。単位はそれぞれ kJ/kg (キロジュール毎キログラム)および kJ/mol (キロジュール毎モル)である。例えば 25 ℃ における水の蒸発熱は 2442 kJ/kg であり 44.0 kJ/mol である[注 1][6]。気化熱の大きさは、同じ物質でも気化する状況により変わる。通常は、1 気圧における沸点での値か、25 °C における平衡蒸気圧での値が物質の蒸発熱としてデータ集に記載されている[注 2]。例えば 1 気圧、100 ℃の水の蒸発熱は 2257 kJ/kg であり、飽和水蒸気圧(32 hPa)の下での25 ℃ の蒸発熱 2442 kJ/kg より1割近く減少する。

気体が液体に変化するときに放出される凝縮熱(ぎょうしゅくねつ、英語: heat of condensation)の値は、同じ温度と同じ圧力の蒸発熱の値に符号も含めて等しい。

モル当たりの蒸発熱は、液体中で分子間に働く分子間力に、分子が打ち勝つためのエネルギーであると解釈される[7]。たとえばヘリウムの蒸発熱が 0.08 kJ/mol と極端に小さいのは、ヘリウム原子間に働くファンデルワールス力が非常に弱いためである。 それに対して、液体中の分子の間に水素結合が働いていると、水や アンモニア のように蒸発熱が大きくなる。金属の昇華熱は、金属結合で結ばれた 1 モルの金属結晶の塊をバラバラにして 6.02×1023の原子にするのに必要なエネルギーに相当する。遷移金属の昇華熱は、数百キロジュール毎モルの程度である。

気化に必要なエネルギー

固体や液体が気体に変化する現象を気化という。液体が気化する場合は、沸騰して気体になる場合と蒸発して気体になる場合がある。どちらの場合でも、気化にはエネルギーが必要である。

液体を沸騰させるのにエネルギーが必要であることは、コンロで湯を沸かすときのことを考えると分かる。このとき、水を沸騰させるのに必要なエネルギーは、コンロから供給されている。強火にしてエネルギーの供給速度を上げると、水が水蒸気に変化する速度も上がる。コンロの火を消すとエネルギーの供給が止まり、沸騰も止む。エネルギーの源になっているのは、ガスコンロでは燃料ガスの化学エネルギー[注 3]である。電気コンロIHクッキングヒーターでは、電力会社から供給される電気エネルギーである。

液体が蒸発するときにもエネルギーが必要なことは、沸騰のときと比べると少し実感しにくい。水に濡れた食器や衣服は、乾燥機を使わなくても自然に乾くからである。乾燥機を使ったときのエネルギー源は、先の例と同じように電気エネルギーである。それに対して、自然に水が蒸発して乾くときのエネルギー源は、食器や衣服、そして周りの空気である。食器や衣服や空気のエネルギーがとして水に与えられ、このエネルギーにより水が水蒸気に変化する[注 4]。液体が蒸発するときに周りから熱を吸収することは、以下の実験により確認できる。

  • 準備消毒用アルコールスポイトと料理用のデジタル温度計を用意する。
  • 操作: デジタル温度計の感温部(温度センサー部)に、スポイトで消毒用アルコールを一滴たらす。
  • 観察1: デジタル温度計の示度(液晶部に表示される温度)が低くなる。
  • 観察2: 適当に示度が低くなったあとは、示度はあまり変化しなくなる。

この実験の観察1では温度計の感温部からエネルギーが熱として放出されている。というのは、温度計の示度は、感温部が熱を吸収すると上昇し、逆に感温部が熱を放出すると低下するものだからである[注 5]。感温部の周りの空気の温度は、アルコールをたらす前の感温部の温度とほぼ同じと考えられるので、感温部から熱を受け取っているのはアルコールである。温度計の示度が変化しなくなるのは感温部に正味の熱の出入りがなくなったときだから、観察2では、周りの空気や温度計のほかの部分から感温部に流れ込んでくる熱と、アルコールに奪われる熱とが釣り合っている。したがって、この実験では、温度計と空気がアルコールの蒸発に必要なエネルギーの源になっている。

この節で挙げた例では、沸騰の場合も、蒸発の場合も、どちらも気化に必要なエネルギーは熱として液体に吸収されている。コンロで湯を沸かす例では、エネルギー源は化学エネルギーまたは電気エネルギーであるが、水はこれらのエネルギーを直接受け取っているわけではない。水を入れているヤカンやナベなどの底を通して、熱としてエネルギーを受け取っている。液体が気化するとき、多くの場合、気化に必要なエネルギーは熱として物質に吸収される。この熱を蒸発熱という。

固体が気化する場合は、液体とは違って、沸騰して気体になることはない。固体が気化する場合はいつも、固体の表面から気化が起こる。固体の気化を昇華という。液体の蒸発の場合と同様に、固体の昇華にはエネルギーが必要である[注 6]。よく知られた例は、ドライアイスの昇華である。ドライアイスが炭酸ガスに変化するとき、気化に必要なエネルギーを周囲から熱として吸収するので、熱を奪われた周囲の温度は下がる。固体が昇華するとき、多くの場合、昇華に必要なエネルギーは熱として物質に吸収される。この熱を昇華熱という。

気化熱の利用

液体や固体は、気化するときに周りから熱を吸収する。この吸熱作用を利用した技術の例を以下に挙げる。

ヒートポンプ
多くのエアコン冷蔵庫で使われている技術。液体が気化するときに吸収した熱を別の場所で放出させることにより、温度の低い場所から温度の高い場所へ熱を運ぶ。
火力発電
燃料の化学エネルギー[注 3]を電気エネルギーに変換する発電方法。燃料の燃焼によりボイラーで水が気化して水蒸気になる。水蒸気の持つエネルギーは蒸気タービン力学的エネルギーに変換される。力学的エネルギーは発電機により電気エネルギーに変換される。この一連の過程の中で、水蒸気は熱の運び手として働く。
乾湿計
湿度計のひとつ。水が蒸発によって湿球から熱を奪うことと、湿度により蒸発の速さが変わることを利用して、大気の湿度を計測する。
水による消火
消火に水が多く使われる主な理由のひとつに、その高い蒸発熱が挙げられる[8]。水の蒸発熱は1グラム当たり539カロリー[8]であり、同量の水が 0 °C から 100 °C になるまでに周りから奪う熱の5.39倍に相当する。
ドライアイスによる保冷
二酸化炭素の固体は、常圧下では融解することなく気体に変化する。このときの昇華熱を利用して食品などを冷やすことができる。

物性値としての気化熱

物性値とは物質の性質を表す値である。この節では物性値としての気化熱[3][9]について述べる。

物質の気化に必要なエネルギーは物質の量に比例する。そのためデータ集などでは、物質 1 キログラム当たりの値または物質 1 モル当たりの値が気化熱として記載されている。単位はそれぞれ kJ/kg (キロジュール毎キログラム)および kJ/mol (キロジュール毎モル)である。例えば 25 ℃ における水の蒸発熱は 2442 kJ/kg であり 44.0 kJ/mol である[注 1][10]熱量の単位としてカロリーを用いるなら、25 ℃ における水の蒸発熱は 584 kcal/kg であり 10.5 kcal/mol である[注 1]

以下この項目では物質 1 モル当たりの気化熱を、単にその物質の気化熱と呼ぶ。

物質の気化に必要なエネルギーは物質により異なる。例えば 25 ℃ におけるメタノールの蒸発熱は 37.5 kJ/mol[注 1] であり、同じ温度の水の蒸発熱 44.0 kJ/mol[注 1] より小さい。おおまかには沸点の低い液体ほど蒸発熱は小さく、高沸点の液体の蒸発熱は大きい。例えば沸点 4.2 Kヘリウムの蒸発熱は 0.08 kJ/mol であり、沸点およそ 5800 K のタングステンの蒸発熱は 約 800 kJ/mol[11] である。沸点が互いに近い液体の蒸発熱は、似た値になることが多い[注 7]。ただし例外もある。例えば、四塩化炭素(沸点 77 ℃)、エタノール(沸点 78 ℃)、ベンゼン(沸点 80 ℃)の蒸発熱は、それぞれ 29.8[12], 38.6[13], 30.7[13] kJ/mol である。四塩化炭素とベンゼンの蒸発熱が 3% の精度で一致しているのに対して、エタノールの蒸発熱はこれらの物質よりも 30% 近く大きい。すなわち、エタノールを気化する際に必要となる熱量は、その沸点と分子量から予想される量よりも大きい。

気化に必要なエネルギーは、同じ物質でも気化する条件によって異なる。データ集に蒸発熱(または昇華熱)として記載されている値は、平衡蒸気圧の下での定圧過程で、1 モルの純物質の液体(または固体)を同じ温度の純粋な気体に変化させる際に、外部から物質に与えられる熱量である。つまり液体(または固体)が気体に相転移するときの潜熱である。この熱量は、平衡蒸気圧の下にある純物質の液体(または固体)を同じ温度と圧力の純粋な気体に変えたときの、物質 1 モル当たりのエンタルピーの変化量に等しい。このエンタルピーの変化量を蒸発エンタルピー[注 8](または昇華エンタルピー[注 9])という[14]。すなわち、データ集に記載されている蒸発熱は、蒸発エンタルピーである。そのため『化学便覧』(丸善出版)のように、見出しが「融解熱」や「蒸発熱」ではなく、「融解エンタルピー」や「蒸発エンタルピー」となっているデータ集がある。

同じ液体でも気化する温度が高くなると、蒸発熱は小さくなる。例えば 25 ℃ の水の蒸発熱 44.0 kJ/mol[注 1] は、100 ℃ では1割近く減少して 40.6 kJ/mol となる。そのためデータ集などでは、蒸発熱に温度が併記されている。通常は、1 気圧における沸点での値か、298 K (25 °C)における平衡蒸気圧での値が物質の蒸発熱として記載されている[注 10]。蒸発熱の変化量はキルヒホッフの法則に従って温度差にほぼ比例するので、沸点の高い液体では沸点における蒸発熱と 25 ℃ における蒸発熱の差は無視できないほど大きくなる。例えばドデカンでは、沸点 216 ℃ における蒸発熱は 44 kJ/mol であり、25 ℃ における蒸発熱 62 kJ/mol[注 1] の7割程度にまで小さくなる。

気化熱の圧力依存性は、気化した分子(や原子)の解離や会合[注 11]が起こらなければ、蒸気理想気体とみなせるような低い圧力では無視できる[注 12]。よって温度が同じであれば、大気中へ気化するときの気化熱は、真空中へ気化するときの気化熱とほとんど同じとみなせる。例えば大気圧下 25 ℃ における水の蒸発熱は、この温度における水の平衡蒸気圧 32 hPa の下での値、すなわちデータ集に記載されている 44.0 kJ/mol に事実上等しい。また、液体に他の物質が溶けているときの蒸発熱は、一般には純粋な物質の蒸発熱とは異なるが、十分に希薄な溶液であればその違いは無視できる。例えば、空気に触れている水には酸素窒素二酸化炭素などが溶けているため、この水の蒸発熱は厳密には純粋な水の蒸発熱とは異なる。しかし、大気圧下では水に溶けている気体の量が微量なので、空気の影響は無視できる。水以外のほかの物質でも事情は同じである。大気圧下 25 ℃ で空気に接している液体が空気中に蒸発する際の蒸発熱は、蒸気分子の解離や会合が起こらなければ、データ集に記載されている 25 ℃ の平衡蒸気圧の下での純粋な液体の蒸発熱に事実上等しい。固体が空気中に昇華する際の昇華熱についても同様である。

凝縮熱

気体が液体に変化するときに放出される熱を凝縮熱(ぎょうしゅくねつ)または凝結熱(ぎょうけつねつ)という。凝縮熱は潜熱の一種であるので、凝縮潜熱または凝結潜熱ともいう。凝縮熱の値は、その逆過程の蒸発熱の値に符号も含めて等しい。凝縮は発熱過程であり蒸発は吸熱過程であるため、定義により凝縮熱も蒸発熱も正の値となる。それに対して凝縮エンタルピー英語: enthalpy of condensation)は同温同圧の蒸発エンタルピーと絶対値が等しく、符号が逆になる。なぜなら凝縮エンタルピーは、気体が液体に相転移するときのエンタルピー変化に等しいからである。凝縮エンタルピーは、平衡蒸気圧の下にある純物質の気体を同じ温度と圧力の純粋な液体に変えたときの、物質 1 モル当たりのエンタルピーの変化量と定義される。ヘスの法則により蒸発エンタルピーと凝縮エンタルピーの和は常にゼロになる。蒸発エンタルピーは常に正の値となるので、凝縮エンタルピーは常に負の値となる。

蒸発熱と同様に、液化で放出されるエネルギーは、同じ物質でも液化する条件によって異なる。また、液化も気化も一般には不可逆過程なので、対応する逆過程が常に存在するとは限らない。しかし、蒸発熱と同様に考えると次のことがわかる: 常温常圧の空気に含まれるある物質の蒸気が凝縮する際の凝縮熱の値は、データ集に記載されている 25 ℃ の平衡蒸気圧の下での、その物質の純粋な液体の蒸発熱の値にほぼ等しい。

水の潜熱と気象

フェーン現象
大気中の水分の凝縮熱が原因となって起こる気象現象

気化熱と分子間力

気化熱は、液体や固体中で分子間に働く分子間力に、分子が打ち勝つためのエネルギーであると解釈される[7]。たとえばヘリウムの蒸発熱が極端に小さいのは、ヘリウム原子間に働くファンデルワールス力が非常に弱いためである。希ガス原子間に働くファンデルワールス力は原子量が大きいほど強くなるので、蒸発熱はヘリウムの 0.083 kJ/mol からキセノンの 12.6 kJ/mol まで単調に増加する。室温で気体として存在する物質の蒸発熱は、トルートンの規則より、25 kJ/mol 程度かそれ以下である。おおまかには、分子量が大きくなるほど蒸発熱も大きくなる[注 13]。例えば、エタン(分子量 30)、プロパン(分子量 44)、ブタン(分子量 58)の蒸発熱は、それぞれ 14.7, 18.8, 22.4 kJ/mol であり、分子量とともに大きくなる。ところが、分子量 18 の 水 H2O の蒸発熱 40.6 kJ/mol は、分子量 16 の メタン CH4 の 蒸発熱 8.2 kJ/mol や分子量 34 の 硫化水素 H2S の蒸発熱 18.6 kJ/mol と比べると、異常に大きい。これは、液体中の水分子の間には水素結合が働いているためである[15]。分子量 17 のアンモニア NH3 の蒸発熱が大きくて沸点が高いことも、液体中のアンモニア分子の間に働く水素結合で説明できる。

蒸発熱の実測値は、トルートンの規則からの予測値と大きく異なることがある。例えば、ギ酸 の沸点 101 ℃ は水の沸点とほとんど同じであるが、ギ酸の蒸発熱 22.7 kJ/mol は水の蒸発熱の約半分である[13]酢酸の蒸発熱も同様で、予想される値の半分程度である。これは、これらのカルボン酸分子が気体中で水素結合により二量体を形成しているためである。また、 水 H2O やアンモニア NH3 と同じように液体中の分子間に水素結合が働いているはずの、フッ化水素 HF(沸点 20 ℃)の蒸発熱は異常に小さく、7.5 kJ/mol である[12]。これも HF 分子が気体中で多量体 (HF)n を形成していると考えれば説明できる。これらの例ほど顕著ではなくても、蒸発熱の実測値は一般に、気体の不完全性の影響を受ける[16]。そのため、液体中で分子間に働く分子間力を蒸発熱に基づいて議論するには、気体の不完全さの補正が必要である。

標準圧力 p° の下で液体が仮想的な理想気体に相転移するときの蒸発エンタルピーを、標準蒸発エンタルピー英語: standard enthalpy of vaporization)という[17]。標準蒸発エンタルピーを表す記号は ΔvapH° であり、気体が仮想的な状態であることを示す記号 ° が蒸発エンタルピーを表す記号 ΔvapH の右肩に付いている[18]。標準圧力 p° は 1 bar または 1 atm である。温度は何度でもよいが、通常は 298.15 K における値がデータ集に記載されている[17]。液体と仮想的な理想気体の標準生成エンタルピー ΔfH° [19][20][21]から求めた ΔvapH° を表に示す。

標準蒸発エンタルピー ΔvapH°(25 °C, 1 bar)
物質 分子式 ΔvapH° / kJ mol−1
フッ化水素 HF 28.7
四塩化炭素 CCl4 32.5
メタノール CH3OH 38.0
エタノール C2H5OH 42.6
H2O 44.0
ギ酸 HCOOH 46.2
酢酸 CH3COOH 52.2

これらの ΔvapH° の値は、25 ℃ の液体中の分子間の結合を断ち切るのに必要なエネルギーに相当する。25 ℃ の平衡蒸気圧 psat で気相の分子間力が無視できる場合は、 ΔvapH°ΔvapH(psat) の違いは無視できるほど小さい。

金属の気化熱

いくつかの例外(ビスマス水銀アンチモンアルカリ金属)を除くと、気液平衡にある金属蒸気は単原子理想気体とみなせる[22]。したがって、これらの例外を除けば不完全気体の補正は不要であり、データ集に記載されている金属の蒸発熱の値はそのまま、金属原子が金属結合に打ち勝って沸騰するために必要なエネルギーとみなせる。気液平衡にあるビスマス蒸気は Bi 原子と Bi2 分子を同程度に含む混合物なので、それぞれの蒸発熱を求めるには二つの化学種分圧を求める必要がある[23]

金属は概して高融点・高沸点であり、金属の違いによる沸点の差も大きい。そのため、金属結合の結合エネルギーを評価する場合、蒸発熱よりも昇華熱の方が有用である。標準圧力 p° の下で固体が仮想的な理想気体に相転移するときの昇華エンタルピーを、標準昇華エンタルピー英語: standard enthalpy of sublimation)という。記号は ΔsubH° である。昇華エンタルピーを表す記号 ΔsubH の右肩に記号 ° を付けて、気体が仮想的な状態であることを示している[18]。標準圧力 p° は 1 bar または 1 atm である。温度は何度でもよいが、通常は 298.15 K における値がデータ集に記載されている[17]。水銀を除く全ての単体金属は 298.15 K、1 bar で固体であるので、単体金属の固体の標準生成エンタルピー ΔfH°(298K) はゼロである。よって、25 ℃ における(水銀以外の)金属の標準昇華エンタルピー ΔsubH°(298K) は、データ集に記載されている金属原子の標準生成エンタルピー ΔfH°(298K) に等しい。

金属の標準昇華エンタルピー ΔsubH°(298 K, 1 bar)[24]
金属 元素記号 ΔsubH° / kJ mol−1
セシウム Cs 76.06
カリウム K 89.24
ナトリウム Na 107.32
カドミウム Cd 112.01
亜鉛 Zn 130.73
マグネシウム Mg 147.70
リチウム Li 159.37
カルシウム Ca 178.2
バリウム Ba 180
Pb 195.0
ビスマス Bi 207.1
Ag 284.55
スズ Sn 302.1
ベリリウム Be 324.3
アルミニウム Al 326.4
Cu 338.32
Au 366.1
クロム Cr 396.6
Fe 416.3

上の表に挙げた標準昇華エンタルピー ΔsubH°(298K) の値は、金属結合で結ばれた 1 モルの金属結晶の塊を 6.02×1023 個の原子までバラバラにするのに必要なエネルギーに相当する。すなわち、 ΔsubH°(298K) はこれらの金属の 25 ℃ における原子化熱英語版に等しい。金属の原子化熱は、ボルン・ハーバーサイクルを用いてイオン結晶格子エネルギーを計算する際に必要となる数値である。

脚注

出典

  1. ^ 化学辞典』「蒸発熱」。
  2. ^ 標準化学用語辞典』「蒸発熱」。
  3. ^ a b 新物理小事典』「気化熱」。
  4. ^ 大辞林 第三版』「気化熱」.
  5. ^ デジタル大辞泉』「気化熱」.
  6. ^ 特記ない限り本文中の蒸発熱は次のサイトに依る: Thermophysical Properties of Fluid Systems”. NIST. 2017年3月19日閲覧。
  7. ^ a b 関 1997, p. 214.
  8. ^ a b 東京消防庁<消防マメ知識><消防雑学事典>”. 東京消防庁. 2017年3月19日閲覧。
  9. ^ 物理学辞典』「蒸発熱」。
  10. ^ 特記ない限り本文中の蒸発熱は次のサイトに依る: Thermophysical Properties of Fluid Systems”. NIST. 2017年3月19日閲覧。
  11. ^ 化学便覧』 表10.56。
  12. ^ a b 化学便覧』 表10.55。
  13. ^ a b c 化学便覧』 表10.57。
  14. ^ 標準化学用語辞典』「蒸発エンタルピー」。
  15. ^ 関 1997, p. 272.
  16. ^ ルイス=ランドル熱力学』 p. 548.
  17. ^ a b c アトキンス物理化学』 p. 49.
  18. ^ a b グリーンブック』 p.73.
  19. ^ NBS 1982, Table 2:H.
  20. ^ NBS 1982, Table 9:F.
  21. ^ NBS 1982, Table 23:C.
  22. ^ Hultgren et al. 1963 p. 6.
  23. ^ ルイス=ランドル熱力学』 p. 549.
  24. ^ アトキンス物理化学』 表2・5.

注釈

  1. ^ a b c d e f g 平衡蒸気圧の下での値。
  2. ^ 本文中で引用した蒸発熱の値は、とくに断らない限り、1 気圧における沸点での値である。
  3. ^ a b 物質の化学変化に伴って放出されるエネルギーのこと。
  4. ^ 蒸発の始めの段階では水自身の持つエネルギーを使って蒸発が起こり、水の温度が少し下がる。水の温度が食器や衣服や周りの空気よりも低くなると、水が周りから熱を吸収できるようになる。
  5. ^ 非接触温度計を除く。
  6. ^ 気体から固体に変化する現象を指して昇華ということもある。気体から固体に変化する昇華の場合は、エネルギーは放出される。
  7. ^ この経験則はトルートンの規則と呼ばれる。モル当たりの蒸発熱に特有の性質で、キログラム当たりの蒸発熱にこの様な性質はない。
  8. ^ 英語: enthalpy of vaporization。これを直訳すると「気化エンタルピー」となるが、『学術用語集 化学編(増訂2版)』では「蒸発エンタルピー」の訳をあてている。
  9. ^ 英語: enthalpy of sublimation
  10. ^ 本文中で引用した蒸発熱の値は、とくに断らない限り、1 気圧における沸点での値である。
  11. ^ 分子が二量体になったり多量体になったり、原子が化学結合して二原子分子や多原子分子になったりすること。
  12. ^ 気相を理想混合気体とみなせるなら、蒸気のエンタルピーは分圧に依存しない。凝縮相のエンタルピーの圧力依存性は、熱力学的状態方程式を使うと凝縮相のモル体積熱膨張率から概算できる。圧力差が 1 気圧程度であれば凝縮相のエンタルピー差は 0.01 kJ/mol を超えない。
  13. ^ あくまでも、おおまかには、である。例えば、ペンタン(室温で液体)とネオペンタン(室温で気体)の蒸発熱はそれぞれ 25.8 kJ/mol と 22.8 kJ/mol であるが、分子量はどちらも 72 である。

参考文献

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関連項目